190325 成年後見の行方 <成年後見人報酬 定額制見直し>などを読みながら
土曜日夜、久しぶりに飲んだこともあり、日曜日から体調が今ひとつ、今日も芳しくありません。これはほんとにブログ休業を宣告されているのかもしれません。そんなわけで今日も書くのを少しためらったのですが、まだ余力が残っていたみたいで、とりあえずタイピングを始めます。
今朝の毎日記事<成年後見人報酬 定額制見直し、業務量で算定 最高裁が通知>によると、後見人報酬を定額制から業務量に応じて算定する方式に見直す、その判断は個々の裁判官の判断に委ねるというもののようです。
背景には成年後見制度の利用が今ひとつ進んでいないことを報酬面で見直しを図ったと言うことでしょうか。
記事によると<現在は後見を受ける人の資産に応じた定額報酬が一般的>というのですが、私自身の経験では定額というのがあまりぴんときていません。
具体的な内容については、<最高裁によると、報酬に全国統一基準はなく、個々の裁判官が後見制度利用者の資産額などを考慮して額を決めている。大半の家裁は報酬額の目安を公表していないが、東京、横浜、大阪の各家裁は基本報酬を一律月2万円と公表。管理資産額が増えると最高で月5万~6万円にまで増額される>ということですね。
私自身、以前、横浜家裁の案件で、管理していた財産がかなり高額であったこともあったのでしょうか、上記の定額の最高額を超える金額であった記憶です。遺産相続が絡んでいたこともあり、その点が考慮されたのかもしれません。その意味で定額制を基準にしつつも、別の要素も考慮していたように思います。専門医と治療をめぐって協議したなんてことはあまり考慮されていなかったようにも思います。
<「仕事をしていなくても報酬が高い」などの批判>は真摯に受け止めないといけませんね。その意味で最高裁の対応は一応妥当ではないかと思います。
その最高裁の通知については、<業務量を問わず一律の額にしたり、資産額を基準にしたりする計算方法は採用しないと明示。財産調査と目録の作成▽生活状況の把握▽介護や医療サービスの利用申請や契約▽家裁への報告書の提出――など個別の事務ごとに「標準額」を定める。>
他方で、個別事情については<「預金口座が多い」「本人や親族との意向調整が難しい」など事務の手間や事案の複雑さといった個別事情に応じて加算する一方、報告書の提出が遅れた場合などは減算する。>というのですが、これでは果たして個々の裁判官が適切な裁量を行えるか、気になります。
加算すると言っても、預金口座の多寡はそれほど重要な要素かどうかと思うのです。意向調整といったことは成年後見制度の真髄ともいえる事柄ですので、ここは丁寧に検討してもらいたいものの、実際のところは容易ではないでしょうね。
それは、単に時間量といった形で評価することは参考にはなるものの(一般にタイムチャージ制をとっていないのでそういった管理自体後見人にはきついでしょう)、必ずしも適切ではないと思います。業務の質の違いこそ重要と思うのですが、その判断は実際に現場を見ていない裁判官には容易でないかもしれません。むろん詳細に報告すればある程度理解できるでしょうけど、大量の事件を取り扱っている裁判官にその報告をつぶさにチェックして判断してもらいたいというのは酷ではないかなと思うのです。
<財産管理に加え、日常生活に関わる身上監護などにも高い評価を求め、日常生活の安定を目指す。>という点は、望ましい方向だと思います。首都圏の場合、相当高額な財産管理を伴うことがあり、支払能力もあるため、自然と後見人報酬が高くなるかもしれませんが、地方ではそういったことはあまりないのではと思います。いやそれ以上、成年後見制度を一般に普及するためには、さほど多くない資産や収入の方でも利用でき、しかも日常生活がよくなるような後見人の活動が求められるのではないかと思います。
当地では生活保護受給者の後見人を最初に担当しましたが、報酬自体、一般の方のような月額を受け取ると、受給者の資産が目減りする結果となりますね。私の場合行政が負担できる範囲で報酬を決めてもらいましたので、受給者にも行政にも余計な負担をかけなくすみました。こういったことも利用者側の事情に合わせて報酬も考えてもらえればと思うのです。
後見人の報酬自体、合理的で透明性のあるものであってほしいと思うのですが、裁判官一人の責任に委ねるのでは、負担が大きすぎないか、気になります。
そういった報酬制度の問題もありますが、より深刻なのは次の記事です。1月16日付け経済プレミアの<ガチガチすぎる「成年後見制度」が家族に嫌われる理由>という渡辺精一記者の記事です。
その問題は大きいですね。
<家裁が選んだ「見知らぬ人」が親の資産を管理することに違和感を持つ人は多い。>
これは当然かもしれません。私は以前、担当していたのは、知的障がいや、認知症の程度が重い方が多かったので、本人はもちろん、ご家族とも(家族間の対立はあったりしましたが)割合うまく意思疎通ができていました。
しかし、当地に来て、この赤の他人が自分の資産を管理することに違和感、拒絶感をお持ちになる方やご家族が結構、いるように思うのです。
<また、成年後見制度は利用が始まると、本人が回復して判断能力を取り戻すか、亡くなるまで中止できない。生前贈与などの相続対策はほぼ封じられる。>
そうですね、なかなか理解してもらうことが容易でなく、後見人や裁判所に不満を感じる人もいるように思います。
統計数字でも後見制度は好ましいものとの理解にはほど遠いように思えます。
<認知症の家族がおり、その財産管理を支援したことがある2000人を対象に、みずほ情報総合研究所が16年に行った調査では、成年後見制度を利用しているのは6%で、「制度は知っているが利用するつもりはない」が55%。いわば「ガチガチで融通の利かない」制度とみなされており、積極的に活用しようというムードが生まれにくい。>
16年11月6日付けの社説<成年後見制度 誰のための利用促進か>は、必ずしも実態を反映しているとはいえない部分もありますが、私も含め関係者は、真摯に受け止める必要があると思います。
<判断能力にハンディのある重度障害者の意思をどうくみ取るかという「意思決定支援」が最近は支援者の間で研究されている。>そうですね、ユマニチュードのようなスタイルは意思決定支援においても真剣に検討されてよいと思うのです。
社説は最後に、<本人の意思を十分にくみ取った支援こそ成年後見制度に最も必要だ。財産管理が中心の現行制度を根底から見直し、本人が利用したくなる成年後見にしなければならない。>と訴えています。至極当然だと思います。
私自身、まだまだご本人の気持ちを理解するだけの能力を持ち得ていませんが、財産管理はもちろんのこと、それ以上にその気持ちを推し量る、他方でその不可侵の領域を尊重しつつ、行う、案配を探る日々です。
今日はこれにておしまい。また明日。(またがいつまで続くか?)
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