たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

認知症と暴言暴力 <認知症の人の暴力、どう対応すれば?>などを読みながら

2018-12-14 | 医療・介護・後見

181214 認知症と暴言暴力 <認知症の人の暴力、どう対応すれば?>などを読みながら

 

今日のニュースとしては、やはり毎日記事<東名あおり 強固な犯意「常軌逸している」 懲役18年判決>が影響大でしょうか。今日の話題に入る前に少し触れておきます。このケースでは、自動車運転処罰法違反(危険運転致死傷)、監禁致傷罪の成否が大きな争点となっていましたが、<横浜地裁は14日、危険運転致死傷罪を認め、懲役18年(求刑・懲役23年)を言い渡した。>のです。裁判員裁判で法的評価が変わったかどうかは分かりませんが、よく認めたなと思いつつ、社会の意識としてはおそらく納得できる結論ではないかとおもいます。控訴される可能性大と思いますが、控訴審での判断が注目されるでしょう。

 

あおり運転自体は明確です。しかし、危険運転致死傷罪は<次に掲げる行為を行い、よって、人を負傷させた者は十五年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は一年以上の有期懲役に処する。>としています。そのうち、問題の4号「人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為」のあおり運転と死亡との因果関係が成立するかどうかはやっかいな議論でしょうね。

 

ところで、殺人罪を問うべきだったという見解を取り上げたウェブ記事がありましたが、疑問です。それこそこの一連の行為で、殺人罪の構成要件を満たすというのは、上記の規範的な解釈をさらに広げるものと考えるのが本来ではないでしょうか。その意味では私は横浜地検はそれなりに頑張ったと評価しています。この件は東京高裁で審理される可能性が高いと思いますので、その判断を待ちたいと思います。私は量刑は相当と思いつつ、果たして危険運転致傷罪に問えるかはまだ思案中です。裁判員の方々はご苦労様でした。

 

さて話変わって、同じ毎日朝刊記事<くらしナビ・ライフスタイル認知症の人の暴力、どう対応すれば? 大阪の佐保さん事件から考える>を読みながら、最近、よく考える認知症の人とどう向き合うか、を改めて突きつけられたように思いました。

 

野口由紀記者のレポートで、<認知症の人に、暴言や暴力といった行動が表れ、介護者が難しい対応を迫られることがある。認知症で暴れる母を止めようとしたことが罪に問われ、その後の人生に多大な影響を受けた大阪市の夫妻の事例を基に、暴言や暴力の原因や、予防のために家族でできるケアについて探る。>というものです。

 

私は、認知症の人による暴言などで感情的になって暴力を振るった人の刑事事件を担当したことがあります。この佐保さん事件とは事情が異なる事案ですが、やはり気になります。ふつうに話している人が、突然、怒りだし感情的になることもあります。認知症の方でした。私がかなり以前に担当した高齢の方で、妄想が強く財産が家族に盗まれたと訴えるのです。こういう訴えをする人はたいていまじめで、話もある程度筋道も通っています。一回、二回と伺って、多少の疑問を感じても、真剣に言われると、ともかく疑うより信じて調査するのです。でもその結果は、財産は盗まれていなかったことが判明するのです。

 

また、こういうとき、その家族にもの凄い敵意を抱き、ことばも乱暴になります。そのため、やはり本当かなと思いつつ、その感情的な部分を探ってみると合理性を欠いていることが少なくなく、やはり認知症の影響ではないかと疑うのです。私が担当したいくつかの事件で、実際に精神科の先生に見てもらうことができたのは一件だけでした(認知症と診断されました)。高齢で認知症の疑いのある方はたいてい医師、まして精神科や神経内科などの医師に診てもらいましょうといっても、拒絶されますね。とはいえ、この暴言なかには佐保事件のように暴力が日常的にあると、日々世話する人は家族でもヘルパーさんでも大変でしょう。

 

どうしたらよいのか、この記事はどこまでそれに糸口を見いだしているか、見てみたいと思います。

 

記事では佐保さん事件を冒頭紹介し、<大阪市東淀川区の大阪大歯学部元助教の佐保輝之さん(58)と妻ひかるさん(55)>夫婦が同居の母親に対する傷害致死容疑で逮捕起訴され、大阪地裁で懲役8年の実刑判決となりましたが、大阪高裁では<「1審は母が認知症で暴れた可能性を考慮しておらず不合理」>として、暴行罪で罰金20万円となりました。

 

阪大が佐保さんの復職を認めなかったこと(これもどうかと思います)、不当に長期勾留したことして、国と大阪府などを相手に損害賠償請求の訴え提起して係属中です。元はといえば、認知症の母と子夫婦のトラブルについて、捜査機関が早計に外形から逮捕したことがこのような結果を招いたのかもしれません。

 

この点、記事では<認知症の症状は中核症状と行動・心理症状(BPSD)の二つに分けられる。中核症状は脳の機能障害による物忘れや理解・判断力の低下などで、対してBPSDは中核症状に性格や環境などが絡んで生じる。暴言や暴力は代表的な症状で、家族ら介護者はもちろん、専門職でも対応に苦慮することがある。>としています。

 

中核症状については多くの人が経験していると思いますが、BPSDとなるとそれほど経験者というか、自覚している家族がいるかといえば少ないように思えます。

 

<「認知症の人と家族の会」神奈川県支部代表で、川崎幸クリニック(川崎市)の杉山孝博院長(71)>は、佐保さんの控訴審で事件性を否定する意見書を提出して、採用され、控訴審の逆転判決を導き出す根拠となったと思われます。

 

その杉山院長の指摘、提言は、私自身ごもっともと納得した次第です。これは是非とも多くの人に知って欲しいと思うのです。

 

それはまず、<暴言や暴力の原因について「認知症の人は知的機能の低下により、理性よりも感情が優先される世界にいる」と指摘。心地よいか、そうでないかということを鋭く察知し、感情のまま行動するというのだ。>つまり理性より感情で動くというのです。

 

<その上で「周囲の人の言動に反応しているのであり、異常なものではない」と語り、そうした言動を理解するための3原則=表=を提唱する。>

 

それは

<認知症の人の激しい言動を理解するための3原則

1 本人の記憶になければ本人にとっては事実ではない

2 本人が「こうだ」と思ったことは本人にとっては絶対的な事実である

3 認知症が進行してもプライドがある

 (川崎幸クリニック 杉山孝博院長作成)>

 

認知症の人のこのような症状について、もし対応する人が<これらに反することがあった場合、激しく反応するという。例えば「本人の記憶になければ本人にとって事実ではない」。食事をした直後に認知症の人が「まだ食べていない」と言っても「さっき食べたばかりでしょ」と返すのは好ましくない。覚えがないのに「した」と言われたら頭にくる、というのは理解しやすい。>認知症の人が感情的になる、激高することを、より促進させているのは周りの人ということになりかねないですね。

 

たしかにこの提唱やそれに反する対応への反応は腑に落ちます。といって事実と異なった発言や激怒されたりすると、対応する人もつい違うといったり、同じように激高するかもしれませんね。どうしたらよいのでしょう。

 

杉山院長は対応策を用意しています。

<暴言・暴力を軽減するため、

(1)褒める、感謝する

(2)同情する(相づちを打つ)

(3)共感する(「よかったね」と声をかけながら)

(4)謝るか事実でなくても認める、あるいは上手に演技をするか、うそをつく

--の4手法を勧める。>

 

これは認知症の人の症状を有効に活用することだということのようです。

<記憶障害により、それぞれの出来事について忘れたとしても、その時抱いた感情は覚えているという認知症の特徴がある。>

 

とりわけ(4)はたとえば役者になってよいというのです。

<例えば、介護施設で、企業の元経営者のように他人に指示する立場にあったような人が失禁した場合、職員が「汚いのでズボンを脱ぎましょう」と言うと反発が予想される。そんな時はわざと職員がコップの水をズボンにこぼして「ごめんなさい、着替えさせてください」と演技するのも一つの手だ。>と。

 

杉山院長のことばは経験と専門知見に根付いたもので、対応するのは容易ではないですが、やはり愛情があれば可能というのでしょう。

 

他方で、<杉山院長は「警察や法曹が認知症への理解を深めなければ、同じような悲劇が再び起こり得る」と警鐘を鳴らす。>という点は、私も含め関係者に意識啓蒙を促しています。私も心して対応したいと思っています。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


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