たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

人格形成の道と差別意識 <ジャカルタ・アジア大会 ・・ バスケ4選手、買春謝罪>を読みながら

2018-08-21 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

180821 人格形成の道と差別意識 <ジャカルタ・アジア大会 ・・ バスケ4選手、買春謝罪>を読みながら

 

最近のスポーツ界、しかも最高峰のレベルで次々と噴出する不祥事ないし違法行為には驚かされます。「健全な精神は健全な肉体に宿る」といったのは誰でしたか。この言葉が空疎に聞こえてきます。

 

スポーツ基本法の前文でもなかなかいい表現が並んでいます。

<スポーツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵(かん)養等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動であり、今日、国民が生涯にわたり心身ともに健康で文化的な生活を営む上で不可欠のものとなっている。スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは、全ての人々の権利で>あるというのです。

 

しかし、スポーツをやっていれば、当然に健全な精神が宿るなんてことは少し安直な考えでしょう。健全な精神は、スポーツに限らず、一人ひとりが自分で日々精進することで生涯をかけて取り組む課題ではないでしょうか。

 

私はさまざまなスポーツに取り組んできましたが、そうすることにより特別心の健全性が高まったなんてことはあまり考えたことがありません。クラブ活動で厳しいしごきや練習に耐えることで、鍛えられた、少し耐える力が生まれたとか、規律を大事にするとかは多少はありますが、それはスポーツだけが特権をもっているわけでもないと思います。

 

むろん私のような凡庸な人間と異なり、優れたアスリートは才能も豊かな上、自分を持続的に鍛えあげ、さらに能力をアップすることに秀でているトップクラスの人たちでしょう。

 

でも社会規範や世の中の基本的なルール、価値判断といったものについて、あるスポーツの社会の中で過ごす限りは問題にされなくても、一歩社会の中で一人の人間として向かい合ったとき、適切に判断し行動する健全な精神を培うような仕組みがあるわけではないでしょう。むろん、たいていのスポーツ組織はそれなりの指導をしていると思いますが、それによって実際に自らの精神を形成するのは、体力強化とは異なる別の意味で、一人ひとりが日々心を鍛えることが必要ではないでしょうか。

 

今朝の毎日記事<ジャカルタ・アジア大会「代表の自覚なかった」 バスケ4選手、買春謝罪 裁定委設置、処分へ>は、日本のスポーツ界がこれまで重要な何かを欠いたまま、アスリートとしての能力強化に、またメダル獲得数を増大する方向だけに、進んできた氷山の一角がまた噴出したにすぎないのではないでしょうか。

 

記事によると事実の概要は次の通りです。

<ジャカルタ・アジア大会のバスケットボール男子日本代表の・・・・4人は試合直後の16日夜、日の丸の入った公式ウエアのTシャツを着用し、ジャカルタの歓楽街へ食事に出掛けた。食事後、2軒目の店を探す途中、偶然出会った在留邦人の仲介で女性とホテルに同行。1人当たり120万ルピア(約9000円)で買春し、17日未明に選手村に戻った。>

 

この件について、<4選手は「良くないことをしている認識はあったが、浮ついた気持ちだった。日の丸を背負うという自覚がなかった」と謝罪した。>

 

たしかに日本を代表するという自覚を欠いていたことは確かでしょう。その意味では、日本の国際的信用を失墜させたとか、東京オリンピック・パラリンピック開催にまた暗雲をもたらしたともいえるかもしれません。

 

むろんほとんどすべての代表選手は、それぞれの競技での入賞やメダルを目指して一心不乱で頑張っているのですから、こういった一部のアスリートの恥ずべき行為をことさら問題視するのはおかしいと思う人が中にいるかもしれません。

 

それこそ問題の本質を見誤る危険を感じます。

 

彼ら代表選手を誘ったのは、偶然であった在留邦人で、その仲介によりホテルで売春行為に至っています。

 

東南アジア諸国における売春はまだ相当広がっているのではないかと思うのです。わたしが30年程前、調査で訪れたときも、現地通の人が面白いところがあるからと、同僚たちとともに、タクシーの運転手の案内で豪奢な建物に連れていかれました。そこはどうやら売春宿のようなところでしたので、同僚ともどもサービスを辞退して帰りました。

 

当時、まだ日本人による買春ツアーも盛んだったようにおもいます。こういうサービスが日本人に受けると思っていたのでしょうね。それが現在でもはびこっていて、代表選手が味わったのでしょうか。

 

私は当時、東南アジアの辺鄙な農村で、買われた若い女性が日本に連れてこられて、高額の借金のかたに全国各地で売春行為をさせている事件などを取り扱ったことがあったり、新宿周辺の路上で立ちんぼしている各国からやってきた女性が売春をしていて捕まった事件などを扱ったりしていました。

 

いかに多くの日本人男性が安易に女性をお金で買って性交している現実に直面して、恥ずかしく思いました。また東南アジアなどに出かけて同じことをやっている日本人男性の多さにも嫌気がさしました。

 

それが現在でもなお当たり前のように通用しているのかと思ったのです。それが「代表の自覚なかった」で済ましている意識に現れているように思うのです。

 

日本人として、というより人間として、いかに恥ずかしいことをしているかを自覚して欲しいと思うのです。

 

むろん現地の彼女たちも貧困の中で、また女性差別の社会で生きていくのが厳しいため、売春行為をしている人がほとんどだと思います。その現状を変えることこそ、私たち日本人が考え、行動することではないでしょうか。お金を出して助けているといった侮蔑的な見方は妥当しないと思います。

 

以前、『帝国の慰安婦』をとりあげたことがあります。ソウル高裁は、名誉毀損罪で著者のパク・ユハ教授に罰金1000万ウォン(約100万円)の有罪判決を言い渡し、パク氏は上訴中だと思います。強制かどうかの議論はあるとしても、戦時中の出来事として、売春が公に認めれていたことは日本政府も認めていると思います。

 

おそらく東南アジア諸国でも同様の行為が行われていたのではないでしょうか。

 

戦後すでに70年が過ぎた今なお、普通に、日本人に買春を勧誘する状態があることに、私たち日本人はもっと意識を改めても良いのではないでしょうか。

 

むろん「健全な精神」をリードするべきスポーツマン、アスリートは、模範を示して欲しいですね。男女平等社会への道を。

 

今日は久しぶりに6時前にブログを終えました。また明日。

 

 


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