白夜の炎

原発の問題・世界の出来事・本・映画

海外メディアの日本国内での報道のありよう―ニューズウィークの日本人記者の記事

2011-04-06 10:45:23 | 報道
 以下はニューズウィークのネット版にのせられた記事である。

 タイトルは「そのとき、記者は・・・・逃げた」である。


 海外メディアが、記者自身が原子力による被災者になるかもしれないと感じた時どう行動したのかをはっきりと書いている。

 海外メディアは自分が被災者になる心配がなく、気の毒な日本人を心配してあげられるうちは、好意的な記事を送ったが、自身が放射能に被ばくするかもしれないと思ったとたん、逃げ出したのである。

 一般人ならそれでもいいと思う。

 私もチェルノブイリの時モスクワにいたら、たとえ遠く離れていても、とりあえず一時帰国しただろう。

 しかし報道記者、ジャーナリストである。

 原発の問題が生じたというなら、チェルノブイリ以来の歴史的事件を報道する絶好の機会ではないか。

 にもかかわらず、安全なところに就いてから、「専門家」に解説を頼んでいる。

 そのような姿勢が海外での報道にどのようなゆがみをもたらしているかも指摘してある。




「大災害は人間の本性をあらわにし、その強さを試す。・・・・・・・・・

 メディアも同じだ。戦争や災害で、報道機関としての度量が試される。戦場や被災地といった危険が伴う場所で、いかに冷静に行動し、事態をあおらずに現場の生々しい情報を伝え、正確かつ思慮ある報道ができるかが問われる。

 これまで、日本には外国メディアに対するある種の尊敬の念があった。ジャーナリズムの理想とあがめ、その権威に頼ることさえあった。・・・・・・・・・・・・・・・

 東日本大震災で、その神話は崩れ去った。この未曾有の大災害において、残念ながら多くの欧米メディアは本来果たすべき使命を全うできなかった。ニュースを報道する側がニュースにのみ込まれてしまい、冷静さを失ってしまったのだ。

 当初は地震と大津波による甚大な被害を報じていたが、福島第一原発事故が発生すると、外国メディアはこの事故を「チェルノブイリ級」と決めてかかった。放射能が見えない恐怖であることに違いはない。だが、今回は平静さをなくしたケースが後を絶たなかった。

われを失ったスター記者

 今回特徴的なのは「敵前逃亡」した記者の多さだ。

 在京特派員を含め、多くの記者が福島第一原発の事故による放射能漏れに恐れをなし、現場だけでなく、東京からも逃げ出した。

 例えば、本誌記者と共に米軍に同行して支援の様子を取材していた世界で最も名を知られた大手経済紙の記者の場合。一行が仙台に到着した翌日、宿泊場所の駐屯地から彼が姿を消すという出来事があった。

 在京特派員であるこの記者は平時、クールに振る舞う人物だった。米軍取材の初日、この記者はひたすらスマートフォンに向かって原稿を書き続けていた。

 翌日、日が暮れた頃から彼の様子がおかしくなった。

 福島第一原発の状況が悪化の一途をたどっていた頃だ。

 突然、荷物をまとめ始め、慌てた様子で駐屯地を離れようとした。動転した様子で「一刻も早くここを去りたい、それだけだ!」と声を荒らげた彼は、落ち着くよう説得を試みていた米軍の広報官を振り切り、足早に仙台の街へと消えていった。


 駐屯地でも兵士が測定器で放射線量を頻繁に測定していたが、問題となるような数値は報告されていなかった。

 ・・・・・・・・・・・・

 彼だけではない。ほかにも、放射能に怯えて大阪や国外に逃げた在京特派員は多数いる。

 私的な事情もあるかもしれないが、多くの日本メディアの記者が現場で取材を続けていることを考えると、職務放棄と言っていい。

 安全を確保しながら取材するのは鉄則だが、あまりにも敏感になり過ぎて冷静さを失ってしまっていた。

 とりわけヒステリックだったのがアメリカのテレビ局だ。

 世界の大ニュースに緊迫感を持たせたりあおったりすることは日常茶飯事のことだが、今回はさらにそれに拍車が掛かった。

 震災の甚大さから、アメリカの各局はスター記者らを投入。当初は現場取材を重視した報道を行っていたが、次第にそれはお祭り騒ぎになった。

 米ケーブルテレビ局CNNのアンカー、アンダーソン・クーパーは仙台からの生中継中に、福島第一原発での2度目の水蒸気爆発を知った。そしてこんなリポートを行った。

 アメリカのスタジオにいる原子力専門家とのやりとりを遮り、「ここから福島までの距離はどのくらいだ?」「風はどの方向に吹いているんだ?」と、同行の取材班に慌てて聞く。

 福島原発から100キロ離れていることを知ると、「に、逃げたほうがいいか!?」と、早口でまくし立てた。「現場」の緊迫感を出そうとしたのか、それとも心底不安を感じていたのかは定かではないが、確かなのは、落ち着いて状況を把握しようとせず、結果的に視聴者の恐怖心をいたずらにあおってしまったことだ。


無責任報道の実害とは

 ・・・・・・・・・・・放射線への恐怖心をあおるようなクーパーのリポートのような外国の報道を見て、状況は日本で報じられている以上に深刻だと受け取る人もいた。危機を必要以上にあおったことが、各国の在京大使館が自国民に対して国外退避命令を出す事態につながった側面もあるだろう。
 
 冷静さだけでなく、知性まで捨てた報道機関まである。

 福島原発事故で作業員が必死に事故の対応に追われているなか、欧米メディアは原発事故の不安を執拗にあおると同時に、ステレオタイプな報道を垂れ流した。

 当初800人いた作業員が50人に減らされたとき、欧米メディアは彼らを「フクシマ50」と持ち上げ、その勇気をたたえた。

 だが、偏見に満ちた呼称を付ける媒体もあった。英スカイニュースは、彼らを「原発ニンジャ(Nuclear Ninjas)」や「サムライ」と呼び、ドイツの有力紙ウェルトに至っては、原発への放水作業に向かった自衛隊のヘリを「カミカゼ」と評した。

 一見、こうした報道は無害のように見えるかもしれないが、決してそうではない。「差別的なだけでなく、地震や津波の犠牲になった人や、本来目を向けるべき被害状況といったことから焦点をそらしてしまう」
と、ノースウェスタン大学ジャーナリズム大学院で教えるスティーブ・ガーネットは言う。

 実際、それが現実になっている。

 津波や原発事故の派手な部分だけがクローズアップされ、被災者の切実な状況は二の次だ。

 ・・・・・・・・・・・・・・・

 もちろん、例外もある。かつて日本に関してステレオタイプな記事を掲載し続けた米ニューヨーク・タイムズ紙は記者を増員し、今も被災地から良質な報道を続けている。

 また、一部外国人記者が日本から退避するなか、パンク寸前の東京支局を応援しようと自ら志願して日本に駆け付けた記者もいる。

 しかし、「チェルノブイリ級」とあおられたことで、日本全体が風評被害を受けた事実に変わりはない。世界各国が放射能を恐れるあまり、貨物船が東京や横浜に寄港することを避けたり、被害状況の現地調査を行う専門家が現地入りできないケースもあり、復興への妨げとなっている。まさに、メディアによる「二次的災害」だ。

 東日本大震災という試練に、日本は耐えている。外国メディアは、お世辞にもそうとは言えない。

東電福利厚生施設などの詳細

2011-04-06 10:29:51 | 原発
 今だ被災者にほとんど開放していない東電の施設の内訳は以下の通り。

 独身寮  168

 単身寮   66

 厚生施設  22

 体育施設  6


 車内託児所 1

 食堂   198 (元データは東電にサービスを提供している東京リビングサービスHP http://www.tls-net.co.jp/)


 このほかにも空いている社宅が少なからずあるはず。

 私が報道で知っていのは、新潟県内の社宅24棟を開放しているということのみ。

 すでに社員で埋まっているところもあるとは思うが、体育館など、受けれに利用できるところもあるはず。

 日頃からサービス提供を委託している会社に食事等を依頼すればよいではないか。ケータリングサービスもやっているのだから。(http://www.tls-net.co.jp/service/keita/index.html)

 なぜやらぬ。



 今回国家破たんの危機を生みながら平然としているこの会社が、真剣に事態に取り組まないい条以下は直ちに実施すべき。

 東電の施設はもう勝手に接収、利用する。

 東電を独自の法人として廃止する特別立法を行い、その上で施設を有効活用すべし。


 *ちなみに東京リビングサービスは東電100パーセント出資の子会社なので、サービス提供は、その気になれば何とでもなるはずです。

 

竹島問題―日本で報道されない日韓関係

2011-04-06 10:15:28 | 原発
 地震のこと以外は殆ど報道がなく、自信に関してもややもすれば自己憐憫に陥りがちな現在の日本だが、現実の国際関係は動いており、その中で日本政府の動きも様々に報道されている。

 以下は竹島をめぐる日本批判の社説である。

 韓国は自国領とし、日本も同様であり、折り合いがつく可能性のない袋小路に陥っているが、日本側が教科書に自国領と明記した教科書を検定合格としたことを契機に紛糾が、静かに拡大しつつある。

 福島原発の汚染水放出を韓国に事前通報しなかったことも重なって、支援しているのになぜ、という思いが強まっている。

 ちなみに汚染水に関しては、この事態によって最も影響を受ける南北朝鮮、中国、台湾、ロシアに事前通報せず、アメリカにだけ行っていた。

 日本の外交当局の重大な失態だ。


 外務次官、担当局長、課長等の責任を正すべきであろう。

 日本のメディアももっとしっかりこういった問題の追及を行うべきではないだろうか。

 我が国はまさにこのような国々に助けてもらっているのである。

 
 「記事入力 : 2011/04/04 07:59:46

【社説】「独島への攻撃は日本への攻撃」という日本外相

独島

 日本の松本剛明外相は3月31日の参議院外交防衛委員会で、ある自民党議員が「韓国が不法占拠する竹島(独島)に対し、韓国以外の他国からミサイル攻撃があった場合の対応」についての質問に対し「竹島はわが国(日本)固有の領土なので、わが国の領土(が攻撃された)として扱われる」と答弁した。

 松本外相は韓国併合の元凶、伊藤博文初代朝鮮統監の玄孫で、質問を行った議員は自衛隊OBだった。

 韓国が実効支配している独島に対して他国がミサイル攻撃を行うというが、そのような無道な国などどこにあるだろうか。

 いくら考えても、独島を自分たちの領土と強弁し、子どもたちにも虚偽の内容を引き続き教え込むとする日本以外にない。その日本の議員が、他国が独島を攻撃するのではないかと心配しているようだ。

 さらに無礼な点は、中国と領有権争いをしている尖閣諸島(中国名:釣魚島)やロシアと領有権争いをしている北方四島(ロシア名:クリル列島)については言及せず「独島へのミサイル攻撃」などと発言し、韓国を挑発するその不届きな考え方だ。

 尖閣諸島は日本が長い間実効支配してきたが、最近中国が自国の領土だと主張して問題となっており、北方四島は第2次大戦前まで日本が領有していたが、戦後になって旧ソ連(ロシア)が占領し、日本に返還していない島だ。

 ロシアはひきょうで中国は恐ろしいため、これらの島々にはミサイル攻撃という発言はしにくいのか、韓国領土の独島だけに言及しているようだ。非常に見え透いた行為だ。

 国会議員が分別のない質問を行った場合、正常な国の正常な外相なら「仮定に基づいた質問には答弁できない」とするのが外交官としての常識だ。

 国連安全保障理事会の常任理事国になることを目指す日本の外相が、このような外交面での常識さえ知らないのだろうか。松本外相は伊藤博文が朝鮮の国権を奪い、その領土を支配しようとした100年前とは世界が変わっているという事実を知らないのだろうか。

 おかしな質問と答弁をやりとりする議員と閣僚も問題だが、

 そのような質疑が議会で何の疑問も感じられることなく行われる日本の雰囲気は本当に心配だ。日本の政界の愚かな考え方や軽々しい行動を喜び、それに歩調を合わせる極右マスコミは目につくが、日本の遠い将来を心配し、指摘するマスコミは見当たらない。このままではどこの国が東アジア新時代のパートナーとして、日本と手を結ぼうとするだろうか。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版」

空想の世界でだけ雄飛する、現在の日本人

2011-04-06 09:52:16 | 原発

 http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=76f9e579f95c2bb4522bdf48d4f2594a

 でも韓国中央日報の記事を載せたが、以下でも同じく中央日報の記事を載せる。

 ここでも同じ問題が―本質的には―指摘されている。

 現実の政治や、職場での人権無視といった問題には「仕方がない」とあきらめ、自分にできることは「なにもない」「大したことはできない」とあらかじめ自己限定し、そして空想の世界だけで活躍する日本人の愚かな姿が指摘されている。


 その通りだと思う。

 何でもいいから行動し、法律も制度もその結果として作り出されるものなのだということを今実行すべきだ。


 「【時視各角】龍馬、テレビの中だけで駆け回るのか(1)

「龍馬伝」。昨年、日本人を熱狂させたNHKの大河ドラマだ。

 最近、国内ケーブルチャンネルで放送され、少なからず人気を集めている。

 原作は司馬遼太郎の歴史小説『竜馬がゆく』。徳川幕府末期の風雲児、坂本龍馬(1836-1867)の一代記だ。創作が加味されたが、龍馬のキャラクターは非常に躍動的で反抗的だ。

 それだけに魅力的でもある。ドラマのセリフのように龍馬は「新しい日本のために」命をかけた男だった。

 もともと知名度は高くない下級武士だったが、小説をきっかけに一躍、日本人のヒーローになった。日本では変革のアイコンだ。

19世紀の中後半、日本は‘熱血時代’だった。

 誇張された脚本と俳優のオーバーアクションを見て話しているのではない。若い血が変革を要求しながら熱くなったのだ。これが一つの方向に向かい、幕府支配の古い殻を破った。その結果が明治維新だ。

1960-70年代の高度成長期も似ていた。敗戦後、日本は経済成長に向かって全力疾走した。その時もエネルギーがあふれ出た。明治維新と経済復興、これを日本人は奇跡という。

その土台には日本人の立派な資質がある。ち密さ、集中力、協調心、忍耐力、礼儀正しさ…。

 こうした長所が国家的な目標達成に集中した。脱亜入欧、富国強兵、キャッチアップなど目標も明瞭だった。大きな目標と正確な方向設定があれば、恐ろしい力を発揮するのが日本人だ。

 二度の奇跡もそのおかげだ。日本人のエネルギーが損失なく最も効率的な打撃点に一致した結果だ。

ところが今の日本はどうか。各自が決められたことを熱心に、静かに、着実にしているようだ。

 大地震以降、国民の「自粛モード」が一斉に稼働するのをみると、共同体的な連帯意識も強い。このままいけば、今回の大地震被害を克服するのは時間の問題とみられる。日本のあるテレビの世論調査で「日本が大地震を乗り越えて再建する」という回答は94.6%にのぼった。

しかし大きな枠は変わっていない。

 地震復旧と放射能漏出対策に忙しい中でも、政治家は独島(ドクト、日本名・竹島)をめぐり情けない行動を見せている。教科書の歪曲も重なった。

 経済は‘失われた20年’から抜け出せずにいる。もどかしい。この日本が本当にあの日本なのかと思わせるほどだ。

各個人の秩序意識や忍耐心が優れていても、殻を破ることはできない。

 外国メディアが絶賛した「他人に迷惑をかけるな」という規範も実際は非常に内向的だ。日本人が見せた協調心と忍耐心も同じだ。日本人が作った、日本人のための、日本人同士のルールだ。そのために、過去に隣国を侵略して他人に迷惑をかけたという考え方ができないのではないのか。

 度々出てくる政治家の妄言も外国には大きな迷惑ではないのか。日本人の行動規範は個人衛生次元であり、集団的意識の健全性までは保障しない。

こうした日本で最悪のシナリオは現状態の日常化だ。現象を既定事実として受け入れ、あきらめ、我慢して持ちこたえようというものだ。残念ながら、日本人はますますこの方向へ向かっている姿だ。

 テレビを見る間は龍馬に熱狂しながらも、行動は江戸時代の庶民のようにしているのではないのか。変革のエネルギーが感じられない。新しい道を切り開いていこうとする突破力、そしてその力を率いる勇気と方向感覚があまり見えない。

 目的地を探せないまま道をさ迷っているといえようか。そのために国家的なエネルギーが一つにならず、各部門が空回りしているのではないか。

最近、日本経済新聞は「三度目の奇跡」という特集を連載した。「失われた20年」から抜け出し、新しい時代を開こうという趣旨だ。明治維新と経済復興に続くもう一つの奇跡を起こそうということだ。しかし今のような状況でその奇跡が起こる可能性は果たしてどれくらいになるだろうか。龍馬はまだテレビや小説の中だけで駆け回っている。

ナム・ユンホ経済選任記者」

日本人の態度は危険―中央日報の指摘に同感

2011-04-06 08:46:05 | 原発

いま日本に必要なのは「真実を要求し、方法を見出すこと」

2011年04月04日16時37分
提供:中央日報



1年間日本で暮らしながら日本人の友人からよく聞いた慰めの言葉がある。

日本語の実力がないため授業で恥をかいた時、思い通りにならない人間関係のため悩んでいる時、日本人の友人からの助言はいつもこのように終わった。

「しょうがない」。

3月11日の東日本大地震の後、この言葉は友人の口癖ではなく、長い間の教育を通して日本人のDNAに刻み込まれた生活の指針のようなものであることを知った。

想像の限界を超える大自然の力の前で人間は限りなく弱いという事実をいち早く悟った彼らの諦念というか、超脱というか。 地震後の数日間、日本の友人のツイッターに最もよく登場した言葉がまさにこれだった。

放送・文化界の話題も同じだった。 日本の代表娯楽番組「SMAP&SMAP」は先月21日、「いま僕たちに何ができるだろう」というタイトルの緊急生放送を準備した。

SMAPのメンバー5人が歌で被災者を慰め、募金運動や節電を督励した。 SMAPが所属するジャニーズは、4月から行われる所属歌手のコンサートを、従来使用した電力の10分の1だけ使用する「節電コンサート」として開くと発表した。 またジャニーズでは初めて所属歌手100人余りが一緒に参加する大地震災害支援プロジェクト「Marching J」を設立した。

歌手は歌で、俳優は詩の朗読で、漫画家は漫画で伝える激励のメッセージも感動的だ。

俳優の渡辺謙は大地震直後、応援メッセージサイト「kizuna311」(kizuna311.com)を開設した。 役所広司、香川照之ら日本最高の俳優が被害地域住民に勇気を与える詩を朗読したり、応援メッセージを送ったりした。 「スラムダンク」の井上雄彦、「20世紀少年」の浦沢直樹、「島耕作」の弘兼憲史、「ドラゴンボール」の鳥山明ら漫画家は絵で応援メッセージを伝えた。

3月末からは、地震で全面中止された文化行事やCD発売も徐々に再開されている。 地震の翌日の3月12日に公開される予定だった映画「SP-革命篇」は3月26日に封切られ、3月23日に発売予定だったKARAの新曲「ジェットコースターラブ」も4月初めの発売が決まった。

3回で日本芸能界の巨大イベントに定着したガールズグループ「AKB48」人気投票(ファンが音盤に入っている投票券で自分が好きなメンバーを選定)も予定より遅らせて6月初めに開かれる。

不安の中でも「いま自分にできることをしよう」と黙々と役割を果たす日本人の姿には尊敬する。

しかし気になるのは、その前提にある「しょうがない」の態度だ。 相次ぐ危機の中でも透明な情報公開なく「大丈夫だ」という日本政府と、「真実を知ってもどうしようもないから」と首を振るような日本人の姿は明らかに危険だ。 「自分ができること」の範囲を限定する前に、積極的に真実を要求して方法を見いだそうという姿勢、それが今の日本に本当に必要な力ではないだろうか。