環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

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環境問題のまとめ  ②生態系の劣化

2007-12-22 22:06:08 | 市民連続講座:環境問題


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今日は「生態系の劣化」についてお話しましょう。

これまでの自然科学は、多くの場合、人間を除いた議論をしてきました。人間の問題は人文・社会科学の分野で扱われてきましたが、この分野では人間社会を他の生物社会と区別して考える習慣がありました。しかし、人間社会も人間という生物の集団である以上、太陽と植物を基礎にしたエネルギーの範囲の中で生きていることには変わりありません。

45億年の地球の歴史の中で、これだけ人間が他の生物よりも優先してしまった現実を直視すれば、自然科学の中心に人間を据えた新しい自然科学的な取り組みが必要です。これまでの生態系の説明では、人間の存在がみごとに抜けていました。
 
しかし、環境を支配している法則は数100年前も現在も基本的には変わりません。現在のように人間活動が「環境の許容限度」を越えるほどに大きくなってくると、自然の法則にしたがって、私たちの体には、これまで以上に大気、水、食物を介して、次から次へと負荷がかかってくるようになります。人間が、おのれの基本的立場である動物的次元を忘れ物理化学的要素の強い科学技術文明に軸足を掛け過ぎたために、「公害」を招き、「人体への負荷」が高まってきたのです。



私たちと生活環境を共有してきた野生の動・植物が徐々に姿を消して行くことは、同じ動物界の一員である人間にもその危機が忍び寄っていることを示唆しているのです。私たちが決して忘れてはならないことは、「生態系を支える食物連鎖の出発点は植物であり、食物連鎖で支えられた“生物ピラミッド”の頂点に位置づけられているのが人間である」という事実です。 

つまり、「人間を含めた動物の生存を支えているのは基本的には植物だ」ということです。植物を食べる動物がいて、その動物を食べる動物がおり、私たち人間は動物と植物の両方を食べているわけです。ですから、植物がだんだん失われてくると私たちは生きていけなくなるわけです。

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このようなあまりにも当たり前のことを私たちはすっかり忘れ、環境問題は技術で解決できるかのような誤った認識(?)に浸っている感があります。それは私たちの「環境問題に関する基本認識」が20世紀後半に経験した「公害の概念」の域から未だ脱していないからです。環境基本法がその何よりの証拠です。 私たちはこれまでお話してきた原則を真剣に考える必要があります。

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