環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

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「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか   ③4月10日の「設問の意図」

2012-06-06 09:40:55 | 原発/エネルギー/資源
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 今朝の朝日新聞の投書欄に次の意見が掲載されました。


 この投書に示されたご意見は一昨日ご覧いただいた「反原発論者は暗い現実を見て」というご意見と現状の認識においては共通しているにもかかわらず、明るい未来を実現するエネルギー源の利用について、具体的には「原発の利用」については正反対の印象を受けます。このように、「現状の認識」が共有でき、共に「明るい将来像」を求めながら、その実現を可能にする原子力の利用について一致できないという現実があります。

 それは、「明るい将来像」が現状を改善し、延長していけば到達できるのか、あるいは方向転換をしなければ到達できないのかという議論が不十分なことに起因しています。つまり、日本の原発議論、もう少し広く言えば,エネルギー議論はエネルギーの分野だけという狭い範囲で考えていて、「望ましい明るい社会という将来像」が日本の社会で十分議論され、国民の間で共有されていないことに原因があるのだと思います。


原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか  ③4月10日の「設問の意図」  (2007年4月12日)

 4月10日のブログ「まずは、皆さんへの質問」で原発に関する私の論点8点を、4月11日のブログ「原子力委員会の「原発」の特性と位置づけ」で日本の原子力委員会の「原発の特性と位置づけ」5点を紹介しました。私の論点8点は、1995年に、私の原発に対する視点を明らかにするために当時の原発論争をベースに設定したものですので、96年の私の前著『21世紀も人間は動物である―持続可能な社会への挑戦 日本vsスウェーデン』(新評論、1996年7月10日)の226ページに掲載してあります。

 一方の原子力委員会の「原発の特性と位置づけ」5点は、昨日もお話したとおり、私の論点8点よりも5年遅れて「長期計画策定会議第二分科会」の報告として公表されたものです。両者を比較してみれば、私の論点8点は原子力委員会の5点をすべて含んでおり、その意味で私の原発への視点のほうが広いといえるでしょう。

 さて、昨日のブログに対してお二人の方(冨田さん、XAITOさん)からコメントをいただきました。議論を進めるのに好都合なことに、冨田さんは「原発の安全性が確保され、核廃棄物も安全に処理・処分される技術があるならば、原発は拡大の方向でよい」と考えるとのことですし、XAITOさんは「足りないことが問題なのではなくて、使いすぎ自体が問題」とコメントされていますので、「原発の拡大は好ましくない」と判断されていると私は解釈しました。
  
 お二人の判断は、まさにこのブログの一番上に掲載している「バーナー」(オレンジ色に白地)に書いたような状況になっています。

 そこで、次の図をご覧ください(図3)。


 この図はこれまでの内閣府や新聞社の世論調査をもとに、私が「原発に対する国民の意識」を分類したものです。95年に作成した図ですが、10年を経た2006年の内閣府の世論調査でも不安に感じる人の割合は大体同じようです。

 この図に示した国民の認識の割合(%)が「まあ、そんなものだろう」と合意していただけるなら、 4月10日のブログで皆さんに問いかけたように、仮に設問のような「夢の原発」が開発されたと仮定すれば、国民の95%(理由はともかく、原発の存在そのものが嫌な5%の人々を除く)は原発へのさらなる依存に異議を唱えないでしょう。

 これは「日本政府がこれまで言い続けてきたこと」であり、「原発に不安を感じるが必要である」と考えている一般の人(原発は必要悪という人もいます)が納得してきた「安全に十分配慮した上で、原子力を推進する」という日本の主流の考え方に基づくものです。おそらく冨田さんのお考えも大きく括れば、ここに分類されるのではないでしょうか。