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理念とビジョン:「全文」 「ダイジェスト版」
エネルギーの議論は「入口の議論」だけでなく、「出口の議論」も同時に行う (2007年4月14日)
4月13日のブログ「過去の原発に関する世論調査」と4月12日のブログ「4月10日の設問の意図」で、原発に対する国民のおおよその意識を示しました。そして、仮に設問のような「夢の原発」が開発されたと仮定すれば、 国民の95%(理由はともかく、原発の存在そのものが嫌な5%の人々を除く)は「原発へのさらなる依存に異議を唱えないだろう、と考えました。
しかし私は、設問のような夢の原発が開発されたとしても(現実には設問のような原発は開発されないでしょうから)、「原発へのさらなる傾斜に,待った!」といわざるを得ません。
なぜなら、次の図を見てください(図5‐1)。 この図は2月25日のブログ 「2050年までの主な制約条件」に掲載したものと同じです。
いくらクリーンなエネルギー(たとえば、自然エネルギー)を必要な量だけ供給できる「夢のエネルギー供給体系」があったとしても、生産活動を支えるほかの生産要素である「原料」や「水」の必要量を将来十分に確保できるという保障があるか、この点については、 3月10日のブログ「生産条件、資源からの制約」で検証しました。
さらに、生産工程から排出される産業廃棄物や一般廃棄物等の固形廃棄物、さらには大気へ排出されるガス状あるいは水系に排出される液状の廃棄物など「様々な廃棄物の適切な処理・処分」および「廃熱」への対処が十分か、というこれらの課題に対する明快な解答がないからです。
生産活動は量的に最も少ない生産要素に縛られるのです。 水は生産工程のプロセス水、洗浄水あるいは冷却水として使われます。渇水が深刻な状況になれば、原料やエネルギーが十分供給されていても工場の操業停止をせざるを得ないことを、私たちは経験から知っているはずです。
エネルギーだけが十分供給されても、エネルギーだけでは生産活動はできないのです。生産活動を支えているエネルギー問題を考えるときには、「エネルギー以外の生産要素が十分確保される可能性があるかどうか」を、同時に考えなければなりません。
エネルギーの専門家 (とくに原子力エネルギー推進の立場をとる専門家)は、この30年間、この基本的な原則をすっかり忘れて、「持続的な経済成長のためのエネルギーの供給確保」という一点にこだわり、非現実的な論争の前提のもとで難しい技術論を展開し、「非現実的な論争」を繰り返してきました。反対派も難しい推進派の議論に技術論で対応するために議論はますます技術論に偏り、堂々巡りを繰り返してきたのではないでしょうか。
原子力エネルギーの利用が時の流れにしたがって、「フロント・エンド」(原発の燃料であるウランの調達問題)から「バック・エンド」(核廃棄物の処理・処分の問題)に力点がシフトしてきたように、経済成長が十分可能であった20世紀においては、「エネルギー供給確保」が最重要課題でしたが、資源と環境の制約から20世紀型の経済成長が期待できない21世紀においては、先進国では「エネルギー成長の抑制」こそが最重要課題となります。
たとえ、夢のエネルギー体系の実現によって「エネルギーの供給サイド(入口)」がクリーン化できたとしても、エネルギー供給の増大が「エネルギーの需要サイド(出口)」で「廃棄物(産業廃棄物および一般廃棄物、さらに既存の法体系で規制されていない「ガス状の物質」)」と「廃熱」を増大させ、環境への負荷を高めることは自明の理だからです。このことは何も原発に限ったことではありません。自然エネルギーや他のエネルギー源についても同様です。
21世紀のエネルギーの議論は「入口の議論」だけでなく、「出口の議論」も同時に行わなければならないのです。
このことが十分に理解できれば、これまでの日本の原発論争がいかに不毛な議論を繰り返してきたか、そして、経済成長が十分可能であった(鉱物資源、水資源、エネルギー資源が豊富であった)20世紀型の議論であったかが理解できるでしょう。
21世紀の原発の議論は、20世紀の原発議論と違って、原発の分野だけでいくら議論しても解決策はみつからないでしょう。要は、原発問題は他のエネルギー源と共にエネルギー全体の中で、資源問題や環境問題、経済のあり方、社会のあり方など、21世紀の安心と安全な国づくりの問題として、国際的には「持続可能な社会」の構築という21世紀前半の国のビジョンとのかかわりで議論すべきだと思います。
つまり21世紀の原発問題は、4月10日のブログ「まずは、皆さんへの質問」に掲げた図「21世紀の電源としての原発の論点」の「(8)『持続可能な社会』に適した電源か?」という視点から議論しなければならないのです。
ちなみに、今朝の朝日新聞は「2006年の発受電電力量が3年連続で過去最高記録を更新した」と報じています(図5‐2)。
2005年の発受電力量については2月17日のブログ「経済、エネルギー、環境の関係」を参照ください。日本の社会が「持続的な経済成長」を求めつつ、「持続不可能な社会」の方向に更なる一歩を踏み出したことは間違いないでしょう。
以上のことから、現時点での「原発に対する私の結論」は、まず原発の建設を現状に凍結すること、具体的には新設・増設を行わないことで、それが「持続可能な社会」の構築への第一歩だと思います。では、高齢化した原発の更新はどうでしょうか。これについては難しい問題なので、しばらく結論を保留したいと思います。
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理念とビジョン:「全文」 「ダイジェスト版」
エネルギーの議論は「入口の議論」だけでなく、「出口の議論」も同時に行う (2007年4月14日)
4月13日のブログ「過去の原発に関する世論調査」と4月12日のブログ「4月10日の設問の意図」で、原発に対する国民のおおよその意識を示しました。そして、仮に設問のような「夢の原発」が開発されたと仮定すれば、 国民の95%(理由はともかく、原発の存在そのものが嫌な5%の人々を除く)は「原発へのさらなる依存に異議を唱えないだろう、と考えました。
しかし私は、設問のような夢の原発が開発されたとしても(現実には設問のような原発は開発されないでしょうから)、「原発へのさらなる傾斜に,待った!」といわざるを得ません。
なぜなら、次の図を見てください(図5‐1)。 この図は2月25日のブログ 「2050年までの主な制約条件」に掲載したものと同じです。
いくらクリーンなエネルギー(たとえば、自然エネルギー)を必要な量だけ供給できる「夢のエネルギー供給体系」があったとしても、生産活動を支えるほかの生産要素である「原料」や「水」の必要量を将来十分に確保できるという保障があるか、この点については、 3月10日のブログ「生産条件、資源からの制約」で検証しました。
さらに、生産工程から排出される産業廃棄物や一般廃棄物等の固形廃棄物、さらには大気へ排出されるガス状あるいは水系に排出される液状の廃棄物など「様々な廃棄物の適切な処理・処分」および「廃熱」への対処が十分か、というこれらの課題に対する明快な解答がないからです。
生産活動は量的に最も少ない生産要素に縛られるのです。 水は生産工程のプロセス水、洗浄水あるいは冷却水として使われます。渇水が深刻な状況になれば、原料やエネルギーが十分供給されていても工場の操業停止をせざるを得ないことを、私たちは経験から知っているはずです。
エネルギーだけが十分供給されても、エネルギーだけでは生産活動はできないのです。生産活動を支えているエネルギー問題を考えるときには、「エネルギー以外の生産要素が十分確保される可能性があるかどうか」を、同時に考えなければなりません。
エネルギーの専門家 (とくに原子力エネルギー推進の立場をとる専門家)は、この30年間、この基本的な原則をすっかり忘れて、「持続的な経済成長のためのエネルギーの供給確保」という一点にこだわり、非現実的な論争の前提のもとで難しい技術論を展開し、「非現実的な論争」を繰り返してきました。反対派も難しい推進派の議論に技術論で対応するために議論はますます技術論に偏り、堂々巡りを繰り返してきたのではないでしょうか。
原子力エネルギーの利用が時の流れにしたがって、「フロント・エンド」(原発の燃料であるウランの調達問題)から「バック・エンド」(核廃棄物の処理・処分の問題)に力点がシフトしてきたように、経済成長が十分可能であった20世紀においては、「エネルギー供給確保」が最重要課題でしたが、資源と環境の制約から20世紀型の経済成長が期待できない21世紀においては、先進国では「エネルギー成長の抑制」こそが最重要課題となります。
たとえ、夢のエネルギー体系の実現によって「エネルギーの供給サイド(入口)」がクリーン化できたとしても、エネルギー供給の増大が「エネルギーの需要サイド(出口)」で「廃棄物(産業廃棄物および一般廃棄物、さらに既存の法体系で規制されていない「ガス状の物質」)」と「廃熱」を増大させ、環境への負荷を高めることは自明の理だからです。このことは何も原発に限ったことではありません。自然エネルギーや他のエネルギー源についても同様です。
21世紀のエネルギーの議論は「入口の議論」だけでなく、「出口の議論」も同時に行わなければならないのです。
このことが十分に理解できれば、これまでの日本の原発論争がいかに不毛な議論を繰り返してきたか、そして、経済成長が十分可能であった(鉱物資源、水資源、エネルギー資源が豊富であった)20世紀型の議論であったかが理解できるでしょう。
21世紀の原発の議論は、20世紀の原発議論と違って、原発の分野だけでいくら議論しても解決策はみつからないでしょう。要は、原発問題は他のエネルギー源と共にエネルギー全体の中で、資源問題や環境問題、経済のあり方、社会のあり方など、21世紀の安心と安全な国づくりの問題として、国際的には「持続可能な社会」の構築という21世紀前半の国のビジョンとのかかわりで議論すべきだと思います。
つまり21世紀の原発問題は、4月10日のブログ「まずは、皆さんへの質問」に掲げた図「21世紀の電源としての原発の論点」の「(8)『持続可能な社会』に適した電源か?」という視点から議論しなければならないのです。
ちなみに、今朝の朝日新聞は「2006年の発受電電力量が3年連続で過去最高記録を更新した」と報じています(図5‐2)。
2005年の発受電力量については2月17日のブログ「経済、エネルギー、環境の関係」を参照ください。日本の社会が「持続的な経済成長」を求めつつ、「持続不可能な社会」の方向に更なる一歩を踏み出したことは間違いないでしょう。
以上のことから、現時点での「原発に対する私の結論」は、まず原発の建設を現状に凍結すること、具体的には新設・増設を行わないことで、それが「持続可能な社会」の構築への第一歩だと思います。では、高齢化した原発の更新はどうでしょうか。これについては難しい問題なので、しばらく結論を保留したいと思います。