脚と角

関西を中心に国内外のサッカーシーンを観測する蹴球的徒然草。

喜怒哀楽の真髄は蹴球にこそ有り。

“W杯に出場すること”だけが目的では寂しい

2008年10月16日 | 脚で語る日本代表
 大事なホーム緒戦で出鼻を挫かれた日本代表。ウズベキスタン戦における不覚の引き分けで、今後のアジア最終予選の戦いが少し厳しくなった。岡田監督は次戦の行方次第ではその進退を問われる様子だが、ウズベキスタン戦の引き分けに関しては、内容的に悲観しておらず、「長い予選ではこういうこともある」とポジティブにコメントしている。

 ウズベキスタン戦を観ていると、今の日本代表の“ベストメンバー”とはどういう布陣なのだろうか、と頭を過ぎった。いや、今回の試合だけでない。それはオシム前監督から岡田監督に指揮権が交代してから、その違和感は誰でも感じたことはあるはずだ。その点に関して、OCNスポーツのコラムで神谷正明氏がなるほどと頷かせてくれる見解を書いている。ジーコと似て、セレクター型の監督、つまり海外組に頼ったベストメンバー指向である点や仕掛けの強化を練習メニューに落とす点など、的確な指摘が為されている。

 “実力重視”という招集方法は、確かにジーコの時代から何も変わっていない。そこは監督の哲学を貫くべきだし、別に間違っているとも言うことはできない。しかし、最も大事な本番での結果が出ないからこういった議論になってしまう。“コンセプト在りきのメンバー選出”なのか、“メンバー在りきのコンセプト”なのかと問われれば、明らかに後者に値する訳で、すっかり我々の日本代表を見つめる眼差しは、オシム氏の存在によって基準点が変わってしまった。

 それだけオシム氏の存在の大きさ、監督としての希少性は日本において光っている。彼が日本サッカーにもたらした新たなチーム生成の着眼点はセンセーショナルだった。岡田監督率いる日本代表が結果を残せない限り、オシム氏の神話は語られ続け、比較論は後を絶たないのだろう。11年前のタシケントでの引き分け試合が鮮明に思い出された昨夜のウズベキスタン戦。岡田監督は今後の勝算をどう考えているのだろうか。神谷氏も語るように、“未来に繋がる発展性はないが結果を出すという点において間違った方法ではない”。

 未来を捨ててまで、現状のセオリーを貫くならば、必ず結果を出さなければならない。ただ、本当は“W杯に出場すること”が目的では寂しい限りなのだが。