脚と角

関西を中心に国内外のサッカーシーンを観測する蹴球的徒然草。

喜怒哀楽の真髄は蹴球にこそ有り。

何のために戦うのか。

2006年06月18日 | 角(鹿島サポ)のコラム


 運命のクロアチア戦まであと少し。

 昨日、バイト先で1人の老人と出会った。その中でふと会話がワールドカップの話題に移り、暫しサッカー談義で盛り上がった。その方は驚くべき見識の深さで、オーストラリア戦の敗因からクロアチア戦の戦い方、ワールドカップでアジア勢が勝つことの意義についてなどを語られた。

 思わず、自身もプレイされていたのかと聞くと、そうではないらしい。どうやら息子が少中高とサッカーに打ち込んできて、それを応援するうちに自身も興味を持ち、息子が独立した今も相変わらずサッカーに魅せられ続けているとのことだ。鞄の中からおもむろに「侍魂」と書かれたタオルを出し、これを持って家内と応援している、とおっしゃられた。そんな話をされる姿はまるで、手元を離れた息子の影を日本代表の勇姿になぞらえておられるかのようであった。

 日本代表は、ワールドカップにあやかり非常識なお祭り騒ぎに興じる人々や、ここぞとばかりに宣伝利用することしか頭にない企業のためだけでなく、こんな人のためにこそ勝たなくてはいけないのだと思う。

明日は、我らがアントラーズの誇り、小笠原満男が遂にスタメンのようだ。
1993年4月、アントラーズのイタリア遠征時、対クロアチア戦での屈辱の記憶(8-1という記録的大敗)。ボバンやスーケルが忘れても鹿島サポーターは忘れていない!1998年フランスワールドカップで、秋田、相馬、名良橋が惜しくも成し遂げられずに終わったリベンジは、小笠原、柳沢が完遂してくれるはずだ(中田浩二も)。そして何よりジーコが黙ってるはずはない。なにしろあの屈辱の試合、アントラーズの10番を背負いピッチにいたのだから。

4%…ここから。

2006年06月14日 | 角(鹿島サポ)のコラム


 ドイツワールドカップ、全ての国々が第1戦目を終え、第2戦へと突入した。

 日本の初戦は勝ち点0に終わり、後が無い状況に追い込まれている。なぜか?なぜなのか?多くの人が頭を抱え続けた数日間であっただろう。オーストラリア戦の敗因及びクロアチア戦に向けての心構え的なことを角的に考えてみたい。

 第1戦目、結果としてヒディングは韓国にそうしたように、オーストラリアに逆境における不屈の精神を植え付けることに成功し、かたや日本は、半ば偶発的に手にした1得点を上手く扱いきれなかった、そんな印象を受けた。
 前半26分、中村のクロスボールが交錯するFWとGKの上を通過しそのままゴール。思わぬ形での先制点。幸先良いスタートを切ったかにも見えた。しかし、少しうがった見方をすればこの1点は無かったほうが良かったのかもしれない。ジーコ、ピッチにいた選手、そして私達の誰もがこのままで終わるはずはないと思いながらも、徐々に徐々に受身になる意識を拭えなかったように思う。そしてこの展開はジーコジャパンが決して得意とするところではなかった。なぜなら、アジアカップ、アジア最終予選を通じて浮かび上がった日本代表の性格とは、精神的、肉体的に追い込まれてからの粘りに力を発揮するというものであるからだ。つまり、スコア上優位に立ち、逃げ切ることも選択肢の1つに入れられてしまう展開を戦い抜くメンタリティーは備わっていないのだ。そういう観点から見れば、前半はスコアレスで乗り切り、後半中盤から、ベンチワークも含めチーム全体が「点を取りにいくんだ」というスタンスを明確に勝負を仕掛ける、といった展開が理想的だったといえる。

 しかし、現実的には日本は先制点を取りスコア上優位にたっていた。ではそこからどのように戦うべきであったのか。迷わず2点目を奪いにいくべきであったと思う。あのような1点目は追加点を手にして初めて意味をもつ。そこで、「前にいくのか、いかないのか」という方向性について、ピッチ上の選手達の意思統一及び監督の明確なサインが必要であったのだが、いずれもあやふやなまま時だけが進んだ。そういう意味でも、疲労し切っていた2トップの入れ替えを早いタイミングで決断するべきだった。

 後半34分に小野を投入したことについては、ボール保持率を上げリズムを取り返す意図があったのだろうが、それを可能にするにはピッチ上の選手があまりにも消耗し切っていた。あの時間帯であればより守備的な中田浩あたりを投入して後ろを落ち着かせる、もしくはもっと早い時間帯にスピードのある玉田を投入し、相手DF陣の押し上げを牽制する、などのことが必要であったと思う。
 しかし、ジーコの采配が鈍ったことについては、坪井の負傷退場も少なからず影響したようだ。あれで、本来カードを切るべきタイミングを逃したのではないか。交代で入った茂庭と交代で大黒を投入せざるをえなかったのだから。

 初戦を落としたチームが決勝トーナメントに進出する可能性はここ3大会で約4%という統計がでているようだ。しかしそんな数字以上に、追い詰められたときのジーコジャパンが、恐ろしくしぶとく奇跡を起こすチームに変貌してきたことを忘れずにクロアチアには臨みたい。
 追い詰められたとき…今がまさにそのときである。まだまだ彼らは死んではいない。8年前の借りを返すときが来た。