東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

三年坂(霞が関)

2010年09月02日 | 坂道

溜池の交差点から先ほどの葵坂上に戻り、外堀通りを横断し、霞ヶ関方面に向かうことにする。

霞ヶ関ビルと特許庁との間の坂道を上る。外堀通りを進むよりも日陰になっていて歩きやすい。

坂上が三年坂の坂上である。左の写真は、少し下った標柱の近くから坂下を撮ったものである。

右手が文部科学省で、左手が財務省である。この三年坂は荷風作の地図にものっている。

標柱には次の説明がある。

「この坂を三年坂といいます。『東京名所図会』には"三年坂は潮見坂の南に隣れり、裏霞が関と三年町の間の坂なり、坂をのぼれば是より栄螺尻(さざえしり)とす" "又淡路坂ともいい一に此處を陶山が関という"とあり、さらに "栄螺尻、裏霞ヶ関と三年坂の間、道路の盤曲する所をさざえしりと呼び虎の御門より永田町に出る裏道なり、曲り曲りたる境の名なり、亦此辺鶯多し、因って鶯谷というよしみえたり"とかかれています。」

右の写真は坂下から撮ったものである。真っ直ぐに上っている。

江戸切絵図を見ると、虎の御門の先を右折すると三年坂である。その上の道が「さざえしり」になっており、潮見坂の坂上の裏霞ヶ関につながっている。

三年坂を進んだ栄螺尻(さざえしり)と呼ばれた道は、サザエの殻のように曲がりくねっていたのであろう。

上記の標柱に引用の『新撰東京名所図会』には、「栄螺尻とす。」の後に、「昔此坂にて転ぶときは、三年の内に死すと云ふ俗説より此名起れり。」という例の三年坂の俗信が坂名の由来であることが記述されている。

横関によれば、三年坂は、寺院、墓地のそば、または、そこから見えるところの坂であるが、この近くには江戸切絵図にも寺や墓地がない。しかし、徳川家康の関東入国(1590)以前までさかのぼると、この辺りの高台には大きな寺院や墓地があったようである(以前の記事参照)。
(続く)

参考文献
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
横関英一「江戸の坂 東京の坂」(中公文庫)
新創社編「東京時代MAP 大江戸編」(光村推古書院)

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