東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

三折坂

2013年11月07日 | 坂道

三折坂上 三折坂下 三折坂下 三折坂下 前回の金毘羅坂下から南側の歩道を上ると、まもなく、目黒寄生虫館が見えてくるが、その手前を左折し南へ歩く(現代地図)。

南へまっすぐに延びる道をしばらく歩くと、一枚目の写真のように、左側に目黒不動の境内裏手付近が見えてくる。この先が三折坂の坂上である。

以下、坂下から写真を並べる。

二枚目の写真は、目黒不動の西側の横門近くの平坦な所から坂上側を撮ったもので、右に大きく曲がると坂の上りとなる(現代地図)。

三枚目は、坂下の曲がり近くから坂上側を撮ったもので、曲がるとすぐに勾配がつきはじめる。標柱が坂の左端に立っている。

四枚目は、まっすぐに上っている坂中腹を坂下から撮ったもので、坂下側は標柱のあたりからカーブしていることがわかる。

三折坂下 三折坂下 三折坂下 三折坂中腹 一枚目の写真は、標柱のあたりから坂下側を撮ったもので、坂下のカーブが見え、その向こうから上二枚目の写真を撮った。

二枚目は標柱を入れて坂上側を撮ったもので、この中腹がこの坂の主要部分であり、勾配もかなりある。

三枚目は、標柱のちょっと上側から坂下側を撮ったもので、四枚目はそのあたりから坂上側を撮ったものである。

坂下近くに立っている標柱には次の説明がある。

『三折坂(みおりざか)
三つに折れ曲った形状から三折坂とよばれるようになった。また、目黒不動への参詣者が、この坂を降りていくので、「御降坂」とよんだともいわれる。』

目黒区HPに次の説明がある。

『目黒不動(瀧泉寺)の裏山の辻に、甘藷先生(青木昆陽)の墓所を示す道標が立っている。

そこから、同寺の仁王門に向かって、S字状に下る坂道がある。三折坂といい、左手の背丈ほどに積まれた石がきの上には、ササやクヌギがうっそうと生い茂り、右手には住宅が建ち並ぶ、心なしか落ち着きのある道である。坂を下ると、右側のマンション前に、わき水が出ている。

縁日や10月の甘藷祭りともなると大勢の参拝客でにぎわう。』

分間江戸大絵図(文政十一年(1828)) 御江戸大絵図(天保十四年(1843)) 目黒白金図(安政四年(1857)) 官版東京大絵図(明治四年(1871)) この坂は、目黒不動の西門から裏手にかけて上下するので、江戸時代後期から明治初期の目黒不動近くの部分図を年代順に並べてみた。

左から順に、分間江戸大絵図(文政十一年(1828))、御江戸大絵図(天保十四年(1843))、尾張屋板江戸切絵図目黒白金図(安政四年(1857))、官版東京大絵図(明治四年(1871))。

一枚目の分間江戸大絵図は、目黒不動と鎮護大明神(金毘羅権現社)とをかなり接近させて描いているが、その間の道に金毘羅坂があるとして、その道は、西側に突き当たり南に進む他ない一本道であり、その先で不動尊の裏手から西へ続いている。このあたりがこの坂かもしれない。

二枚目の御江戸大絵図は、鎮護大明神(金毘羅権現社)前の道と目黒不動をつなぐ道が見えず、行人坂から西へずっと延びる道が不動尊の裏手から西へと丸く描かれているが、このあたりにこの坂があったと思われる。

三枚目の尾張屋板目黒白金図は、金毘羅権現社前の道から南へ延びる道が描かれ、その道が西側へとそのまま延びているが、このあたりがこの坂と思われる。

四枚目の官版東京大絵図は尾張屋板とほぼ同様である。

以上のように、いずれの地図にも、この坂に相当すると思われる道筋があるが、坂名の由来である折れ曲がった形状があらわれる程度まで精度よく(あるいは誇張して)描かれていない。ただ、分間江戸大絵図が、不動尊の裏側でほぼ直角に曲がり、その下側でも曲がっているので、この坂をよくあらわしているのかもしれない(金毘羅社の位置は別の問題)。

三折坂中腹 三折坂中腹 三折坂中腹 三折坂上 一枚目の写真は、坂中腹から坂上側を撮ったもので、坂上側の大きなカーブが見えてくる。

二枚目は、その上側から坂下側を撮ったものである。

三枚目は、坂上側のカーブを坂下側から撮ったもので、みごとなカーブを描きながら曲がって、しかもかなり勾配もある。

四枚目は、坂上側のカーブを曲がってから坂上側を撮ったもので、この先で右にわずかに曲がっている。

明治44年(1911)発行の東京府荏原郡目黒村の地図を見ると、金毘羅坂のある目黒道から南に延びた道の先にこの坂の道筋が続いていて、二つのカーブが見えるが、いまもある坂上と坂下のカーブであろう。昭和16年(1941)の目黒区地図にも同様のカーブが見える。

三折坂上 三折坂上 三折坂上 三折坂上 一枚目の写真は、坂上側のカーブを曲がってちょっと上ってから坂下側を撮ったものである。

二枚目は、そのあたりから坂上側を撮ったもので、かなり緩やかになっている。

三枚目はそのさらに上側から坂下側を、四枚目はさらに上って坂上の小さなカーブを曲がってから坂下側を撮ったものである。

この坂は、その名のとおりの三つの大きな折れ曲がりはないが、その名に恥じない坂下と坂上の大きなカーブと、中腹の勾配のあるスロープと、不動尊側の樹木と石垣とによって風情のあるよい坂となっている。このあたりの散歩コースに組み入れたいと思ってしまう。

目黒区発行の「坂道ウォーキングのすすめ」にあるこの坂の全長、高低差、平均斜度は、154m、7.9m、4.9で、意外と勾配が大きくない。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「大江戸地図帳」(人文社)
「東京人 特集 東京地形散歩」⑧august 2012 no.314(都市出版)
「昭和十六年大東京三十五区内目黒区詳細図」(人文社)
「荏原郡目黒村全図」(人文社)
「坂道ウォーキングのすすめ」(目黒区発行)

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