東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

吉本隆明展(千代田区図書館)

2017年07月09日 | 吉本隆明

千代田区図書館で吉本隆明展が開催されていることをネットで知ったので、梅雨空だったが出かけた。

千代田区図書館吉本隆明展 午後地下鉄九段下駅下車。

九段下の交差点を右折し、内堀通りを南へ向かい、九段会館を過ぎてから交差点を渡ると、千代田区役所のビルがあるが、この9階に千代田区図書館がある(現代地図)。この展示スペースで開かれていた(そんなに広くない)。著書や愛用品などが展示されていたが、書斎を写した複数枚の写真パネルもあって、書棚の前に浅草寺の「大吉」のおみくじが写っていたのが目についた(めったに出ないらしく、うれしくて、捨てるに忍びなかった?)。

吉本隆明全集37カバー 現在、晶文社から「吉本隆明全集」が刊行中だが、これにあわせた企画らしい。その最新刊(第37巻)は、川上春雄宛全書簡で、他に吉本夫妻や両親や友人との会見記(メモ書きなど)を含む川上春雄ノートが収録されている。いずれも初めて世に出たものばかりで(たぶん)、興味深い内容でいっぱいである。

何箇所かに衝撃的な記事があった。その一つが、会見メモに「ぼくには婚約者がいたんです」とあったこと(ちょっと前の東京新聞夕刊「大波小波」にも書かれていた)。そのあとに「組合を追われてまったく無気力なその日ぐらしの生活をしている一方で、女のことでそれもどうにもいかなくなりまして」とある。マチウ書試論を執筆していた頃らしいが、それを昭和29年(1954)とすると、その年の12月に吉本は葛飾の上千葉の実家から谷中のアパートに移っている。その頃のことを背景にした超短編小説「坂の上、坂の下」に『二つの女性の影が通り過ぎる。』とある理由がわかる。もっとも、吉本にそういうもう一人の女性がいたことを以前に何かで読んだことがある(記憶に間違いがなければ、門前仲町の今氏乙治の学習塾で一緒だった女性?)。また、これらのことに関連して、川上宛書簡の中に衝撃的に感動的なものがあった。

もう一つ、遠山啓(1909~1979)東工大教授による「退官の辞 八月十五日前後」の記事(『工業大学新聞』(昭和四十五年三月二十日))の全文が載っている。吉本が終戦間もない大学時代、数学者の遠山に弟子入りを願ったことは知られているが、そのことを遠山は紙幅の1/3も割いて書いているので、かなり印象に残ったことがわかる。きわめて興味深い記事である。

吉本隆明質疑応答集①表紙 さらに最近、「吉本隆明 質疑応答集①宗教」(論創社)が出版された。講演後の質問に対する回答をまとめたもので、色んな疑問に核心をつく答えをしている。その一つに親鸞に惹かれた理由を問われて次のように答えている。

『僕は昔から親鸞が好きでして、学生の頃に「歎異抄に就いて」という文章を書いたこともあります。その関心が現在まで持続しているわけです。では僕は、親鸞のどこが好きなのか。みなさんはそうじゃないと思うんですが、宗教を信じている人にはいい子になりたいという気持ちがあるんですよ。そして僕自身にも、自分を偽ってでも正しいことをいいたいという気持ちがあると思うんです。ところが親鸞は、人間は正しいことをいうためになぜ自分を偽らなきゃいけないのか、ということを非常によく考えて、自分を偽ることと正しいことをいうことの間に橋を架けたような気がするんです。』

吉本は自らを非信仰者とし、このことを信仰ではなく思想として捉えている。その橋を架けることの意味として、『自分の主体的な思想として、少なくとも自分が正しいことをいうばあい、「こういう言い方しかできないよ」というかたちで主体的に橋が架かっていなきゃいけない。』と述べている。簡単だが、実行することは困難なことである。橋を架けるという表現は、はじめてのような気がするが、おもしろい言い回しである。

吉本が亡くなってからもう5年になるが、新しい資料が出てくる。まだまだ出てくるのかもしれない。

参考文献
「吉本隆明全集第4巻」(晶文社)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする