前回のカナリヤ坂下の交差点を右折し、次を左折し、池上線の旗の台駅へ行き、五反田行に乗る。この駅は上りと下りで改札が違う。うっかり下り改札に入ってしまい、引き返した。
戸越銀座駅で下車。
改札を出て右折し、戸越銀座通りを西へ向かう。その途中で撮ったのが一枚目の写真で、いつもにぎやかである。歩きながらわきに小路があるたびに見ると、左右とも上りになっている。この通りもかつてはこのあたりの谷筋であったのであろう。
やがて中原街道となるので、信号で横断し左折しちょっと歩くと、右への道がある横断歩道がある。ここを渡って、振り返って撮ったのが二枚目の写真で、平塚橋交差点の東側(現代地図)。右側が中原街道で、左側が旧中原街道。ここから旧中原街道が中原街道とほぼ平行して東へと延びている。
三枚目は二枚目に写っている旧中原街道の標識で、これによれば、武蔵国と相模国を結ぶ中世以前から続く古道で、中原街道と呼ばれるようになったのは徳川幕府が整備をした1604年以降であるという(品川区のHP参照)。
四枚目は、明治44年(1911)発行の地図のこのあたりの部分図である。新路線は1923年(大正12年)完成であるので、左(西)下(南)から右上へと中央を斜めに延びる道が旧中原街道である。途中かくっと曲がっているところで川が横断しているが、このあたりが平塚橋であろうか。このあたりの街道北側の地名が字中原である。
一枚目は、昭和16年(1941)の地図でこのあたりの部分図であるが、現代とほぼ同じである。中原街道が斜めに右上へと延びているが、その上をほぼ平行に延びているのが旧中原街道である。ちょうど分岐点に平塚橋とある。
上二枚目の交差点から旧中原街道を東へ歩きはじめ、しばらくして進行方向を撮ったのが二枚目で、ちょっとうねっている。昭和地図でもうねっている。
さらに歩いて同じく進行方向を撮ったのが三枚目で、ここもちょっと曲がっているが、昭和地図にも見える。
上記以外はほぼまっすぐな道で、裏道とはいえ、現在も忙しく人も車も行き来している。
やがて信号のある桐ヶ谷通りとの交差点に近づくが(現代地図)、ここを右折して行くと、桐ヶ谷坂上の桐ヶ谷の交差点で、そこを直進すると百反通りである。
(続く)
参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「東京市15区・近傍34町村⑰荏原郡大井町・平塚村全図」(人文社)
「地形社編 昭和十六年 大東京三十五區内⑲荏原區詳細図」(人文社)
「東京人 april 2007 no.238 特集東京は坂の町」(都市出版)
菅原健二「川の地図辞典」(之潮)
「東京の道事典」(東京堂出版)