東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

本妙寺坂

2012年11月15日 | 坂道

本妙寺坂下 本妙寺坂下 本妙寺坂下 周辺地図 前回の梨木坂下を左折し、菊坂を南東へしばらく歩き、左右の道が食い違っている四差路を右折すると、本妙寺坂の坂下である。

一~三枚目の写真は坂下から撮ったもので、左へと緩やかに曲がりながら上っている。四枚目は街角地図(上がほぼ南)で、この坂も示されている。二枚目にちょっと写っている右折の道は、菊坂下通りで、ここから菊坂とほぼ平行に北西へ延びている。

本郷五丁目34番と36番との間を南へ上り、中腹あたりでちょっと勾配があるが、坂上側で緩やかになる。坂上の先は春日通りで、東富坂(真砂坂)の坂上からちょっと進んだあたりである。

この坂は、坂下の谷筋(菊坂の通り)に直行するように南へと上り、坂上は本郷台地である。坂下が菊坂とされる道筋のかなり坂上側であるので、高低差はさほどなく、このため胸突坂ほどの勾配もない。

本妙寺坂下 本妙寺中腹 本妙寺坂中腹 本妙寺坂中腹 一枚目の写真は坂下からちょっと上って撮ったもので、二、四枚目はさらに進んでから、振り返って坂下を撮ったもので、菊坂の通りの向こうにこの坂と相対している坂が見えるが、そちら側にかつて本妙寺があった。三枚目はそのあたりから坂上側を撮ったものである。このあたりがもっとも勾配がある。

下の写真のように、坂上の左(東)側に坂の標識が立っていて、次の説明がある。

「本妙寺坂(ほんみょうじざか)
 この坂は、本郷の台地から菊坂へ下っている坂である。菊坂をはさんで真向かいの台地には(現在の本郷5-16あたり)かつて本妙寺という法華宗の寺があった。境内が広い大きな寺で、この寺に向かって下るであったところから「本妙寺坂」と呼ばれた。
 本妙寺は明暦の大火(振袖火事・明暦3年-1657)の火元として有名である。明治43年豊島区巣鴨5丁目に移転した。
   文京区教育委員会 平成6年3月」

小石川谷中本郷絵図(文久元年(1861)) 御江戸大絵図(天保十四年(1843)) 本妙寺坂中腹 本妙寺坂中腹 一枚目の尾張屋板江戸切絵図 小石川谷中本郷絵図(文久元年(1861))の部分図(右斜め上が北)に本妙寺があり、その門前からの道が現在菊坂とよばれる道と交わり、そこから左(南)へ延びる道がこの坂である。二枚目の御江戸大絵図(天保十四年(1843))にも本妙寺前から左に延びる道がある。

上記の江戸絵図には坂名はないが、近江屋板(嘉永三年(1850))にはこの道に「△本ミウジサカ」とある。

三枚目の写真は、中腹から坂上を撮ったもので、四枚目は坂下を撮ったものである。

『御府内備考』の本郷之一の総説にある説明は次のとおり。

「本妙寺坂 本妙寺坂は丸山のうち、本妙寺のむかひの坂なればなり、これをくだればすなはち本妙寺の表門なり、【改選江戸誌】」

この坂名は、本妙寺の門前へと下る坂であることにちなむことがわかる。

本妙寺坂上 本妙寺坂上 本妙寺坂上 本妙寺坂の反対側から 一枚目の写真は坂上近くから坂上を撮ったもので、二枚目はそのあたりから坂下を撮ったもので、右端に坂標識が立っている。三枚目は坂上の先を撮ったものだが、ちょっと左に曲がってからまっすぐに春日通りへと延びている。

四枚目は坂下までもどって向かい側の坂にちょっと上ってからふり返って撮ったもので、食い違いの道の向こうに本妙寺坂が見える。

この坂は『御府内備考』の菊坂町の書上に次のようにある。

「一本妙寺坂 長貳拾[二十]間余、幅三間程、
 但本妙寺と向合候坂にて、小笠原壹岐守様御一手持に御座候、」

これにも本妙寺と向かい合う坂とあり、小笠原家の持ち(坂の普請、修復の分担)である。小笠原邸は、上記の尾張屋板にはないが、御江戸大絵図(天保十四年(1843))の本妙寺坂の西側に見える。

本妙寺坂の反対側から 本妙寺跡標識 第四校跡標識 本郷菊富士ホテル跡 一枚目の写真は、向かい側の坂をさらに北へ上ってからふり返って坂下側を撮ったもので、このあたりに、そのむかし本妙寺があった。二、三枚目は一枚目に写っている本妙寺跡、第四校跡の標識である。本妙寺には、遠山左衛門尉景元(遠山の金さん)や幕末の剣豪千葉周作の墓があったが、明治44年(1911)巣鴨に移転した。現代地図を見ると、染井霊園のすぐ西にある。

坂をさらにちょっと上り、左折し、突き当たりを左折し進むと、行き止まりになるが、その手前に本郷菊富士ホテル跡の石碑が建っている。本郷菊富士ホテルは、羽根田幸之助が大正三年(1914)に開業した洋風ホテルで、いろんな文士がよく利用したことで知られている。「菊富士」は、菊坂、幸之助の妻の名「きくえ」、台地から富士が見えたこと、にちなむという。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「大日本地誌大系御府内備考 第二巻」(雄山閣)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
近藤富枝「本郷菊富士ホテル」(中公文庫)

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