東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

胸突坂(本郷五丁目)

2012年11月05日 | 坂道

周辺地図 胸突坂下 胸突坂下 胸突坂下 前回の菊坂下から上ってすぐのピザ屋の手前を左折すると、胸突坂の坂下である(一枚目の街角地図(上がほぼ南)参照)。

二枚目の写真は、左折してちょっと進んだところから坂上側を、三枚目はさらに進み振り返って坂下側を撮ったものである。四枚目はさらに進んで坂上側を撮ったものであるが、このさきでやや右に曲がっている。ここで曲がってから本格的な上りとなる。

(これらの写真は、今回の坂巡りの後、ふたたび訪れたとき撮ったもので、以下もそのときの写真が含まれている。)

この坂は、本郷五丁目33番と9番との間を東へ上る。一枚目の地図からわかるように、坂上の先は本郷通りまで続いている。

胸突坂中腹 胸突坂中腹 胸突坂中腹 胸突坂中腹 一枚目の写真のように右にちょっと曲がってから、三枚目の写真のように、ちょっときつめの勾配でほぼまっすぐに上っている。二、四枚目は、坂中腹から坂下側を撮ったものである。

この坂には、いつもの文京区教育委員会による標識が立っていないが、同名の他の坂と同じく、上るとき胸が地面に突くほど急であるということに由来すると思われる。

近くの新坂と同じように、本郷台地の西端から谷へとまっすぐに下っているため、急になっているが、そのむかしは、名前のとおりもっと急な傾斜であったのであろう。

小石川谷中本郷絵図(文久元年(1861)) 御江戸大絵図(天保十四年(1843)) 胸突坂上 胸突坂上 一枚目の尾張屋板江戸切絵図 小石川谷中本郷絵図(文久元年(1861))の部分図(右斜め上が北)に「ム子[ネ]ツキサカ」とある。近江屋板(嘉永三年(1850))にも同じ道筋に「△ム子[ネ]ツキサカ」と記されている。

二枚目の御江戸大絵図(天保十四年(1843))には坂名はないが、この坂の道筋がちゃんとある。

三枚目の写真は、かなり上ってから坂上を撮ったもので、四枚目はそのあたりから坂下側を撮ったものである。

菊坂の記事でも触れたが、江戸時代中期ごろ、この坂を菊坂とよんでいたらしく、このため横関はこの坂が本当の菊坂で、胸突坂は別名であるとしている。いずれにしてもこの坂は、江戸初期または中期ごろから続く坂である。

胸突坂上 胸突坂上 胸突坂上 胸突坂上 一、二枚目の写真は坂上を撮ったもので、三枚目はそのあたりから坂下側を撮ったもので、このあたりではかなり平坦になっている。四枚目はさらに進んで坂上を撮ったもので、中程に見えるT字路を右折して進むと梨木坂の坂上に至る。

都内の同名の坂は次のとおり。

・西片の胸突坂
・関口の水神社わきを上る胸突坂
・駿河台の山の上ホテルヘと上る胸突坂
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)

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