東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

石神井川~王子

2010年05月16日 | 散策

観音橋から石神井川に沿って下流に向かう。

途中、木陰にベンチがあったので、お昼にする。食べながら眼下の川を見ていると、水面からキラキラ反射する光の模様が風により色んな形に変化する。

コンクリートの直立護岸がかなりの高さになっており、見慣れた善福寺川の護岸とはかなり違って見える(以前の記事参照)。

石神井川の水源は、小平市花小金井南町のゴルフ場内の湧水とされるが、かつては、さらに西側の小平市鈴木町一丁目の武蔵野団地付近だった。団地付近からゴルフ場にかけての一帯は鈴木田圃と呼ばれた水田地帯だったという。

石神井川は、上記の水源から全体として東側へと流れるが、この流れを簡単にたどってみる。

西武新宿線の南側を東側へ流れ、西武柳沢駅の南で青梅街道を横断し、武蔵関公園の富士見池に沿って流れ、武蔵関駅の近くで西武新宿線を横断し、石神井公園の三宝寺池、石神井池の南側を流れる。富士見池、三宝寺池から湧水が流れ込んでいる。

さらに、練馬高野台駅近くで笹目通りと西武池袋線を横断し、目白通り、環八通りを横断し、豊島園内、有楽町線氷川台駅近くを流れ、環七通り、川越街道、中板橋駅近くで東武東上線、中山道を順に横断し、埼京線を横断すると、前回の記事の観音橋である。

上の写真は、観音橋とその下流側の滝野川橋との間である。 石神井川は、王子駅の下を通り駅東側へと流れ、明治通りを横断してから北区船堀三丁目の地先で隅田川に注いでいる。延長25.20km。王子付近では音無川ともいわれる。

滝野川橋を過ぎると、まもなく、川に沿って下る階段がある。

左の写真は下流側から撮影したもので、中央右の川の側に見える階段を下り、フェンスの外側を回り、砂地を通り、写真下の階段を上る。この階段の上は、先ほどまでと同じ高台で、樹木のある公園となっており、地図では音無もみじ緑地となっている。

フェンスの中は泥地で、一部草地にもなっている。雨で増水したときにすぐに冠水するほどの低地である。この低地は改修前の旧川筋で、石神井川が砂地の外側をぐるりと流れるようにして蛇行していたようである。

近くの説明板によると、ここは、松橋弁天洞窟跡があったところとのこと。江戸名所図会に「松橋辨財天窟 石神井川」が描かれており、窟(いわや)の入り口に鳥居がある。「この地は石神井河の流れに臨み、自然の山水あり。両岸高く桜楓の二樹枝を交へ、春秋ともにながめるあるの一勝地なり。」とある。

松橋弁財天社は、金剛寺境内、石神井川に面する北側の崖下洞窟にあり、弘法大師の作と伝えられる弁財天像がまつられていたが、戦後金剛寺の位置が変わったため、参道がふさがれ、対岸から遠望する以外なくなったとのことである。この岩屋は昭和50年(1975)前後の護岸工事まで残っていた。

川に沿ってさらに少し歩くと、音無さくら緑地というのがある。ここも、改修前の蛇行の跡で、現在の川筋から突き出るようにしてぐるりと半周する散歩道となっている。先ほどの緑地よりも樹木で鬱蒼としている。

緑地内にあった説明板によると、写真の崖地は川の蛇行による浸食作用が最も大きくなる部分で、地形学ではこのような部分を攻撃斜面とよぶとのこと。崖から水がしみ出ているようで湿っている。

この崖の酸化鉄で赤く染まった砂質粘土の地層が東京層とよばれる部分で、いまから12~13万年前の下末吉海進により、現在の東京都付近が海底となっていた頃に形成されたものと説明がある。 緑地下流側の出入り口付近には、吊り橋も架かっている。

もとの遊歩道に戻ると、わきに小川が流れている。人工的なものでも水の流れがあることでよい散歩道となっている。

さらに下流側に進むとやがて音無橋に至る。この下に公園があるようで、階段を下る。ここが音無親水公園である。

幽谷の地であったらしく、散歩道が多段になっており、橋もあり、かなり複雑に入りくんでいる。都会にある公園としてはかなり異色で、よい公園である。

飛鳥山公園によってから地下鉄南北線王子駅へ。
携帯の歩数計による総距離は16.5km。

今回の石神井川散策で、川の改修前の跡が残っていたところが二箇所あった。帰宅後地図を見ると、現在の川筋ではなく改修前の旧川筋が町と隣の町との境界になっている。石神井川には、別の場所にも同じように旧川筋が境界のところがあり、あちこちで蛇行していた部分を改修したことがわかる。

参考文献
菅原健二「川の地図辞典」(之潮)
鈴木棠三・朝倉治彦校注「江戸名所図会(五)」(角川文庫)

コメント
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