歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

ロンドン中世アンサンブル『イザーク/世俗音楽集』

2008年08月14日 | CD 中世・ルネサンス
Heinrich Isaac
Chanson, Frottole, Lieder
Medieval Ensemble of London
Peter & Timothy Davies
POCL-5205

1983年録音。63分47秒。LONDON/L'Oiseau-Lyre。歌い手はクウェラ、フィルポット、ペンローズ、カビィクランプ、エリオット、キング、ヒリアー。コンソート・オブ・ミュージックやヒリヤード・アンサンブルといった、同時期の他のアンサンブルと微妙にメンバーがかぶっているわけですが、指揮者が変わると当然、出てくる音も違います。

ロンドン中世アンサンブルは、ロンドン古楽コンソートの後に出てきて、デュファイとオケゲムそれぞれの世俗音楽全集で名を馳せたアンサンブルです。中世アンサンブルというわりにはレパートリーはルネサンスものが中心で、1枚ものとしては、このイザークは彼らの代表的な仕事ということになりそうです。イザークはルネサンスの作曲家のなかでもわりと名前の知られたほうだと思いますが、今にいたるも録音はごく少ないです。これはイザークの世俗曲だけで1枚のアルバムに仕上げた貴重なもの。

演奏はとても誠実なもの。スタンダードな演奏スタイルで好感が持てます。ただしいま聴くとね、とくにマンロウの後でこのグループを聴くと、どうしても、ちょっとおとなしすぎるようにも感じますね。とはいえわたしはロンドン中世アンサンブルもリアルタイムでは聴いてないんですよ。はじめてリリースされたときにはかなり歓迎されたんぢゃないでしょうか。

角田光代『ちいさな幸福』

2008年08月13日 | 本とか雑誌とか
角田光代『ちいさな幸福』(講談社文庫)読了。角田光代という人の本をはじめて読みました。これは掌編の連作で、いちばん記憶に残っているデート、の話をさまざまな登場人物が語っていくっていうまあちょっとこっぱずかしい気もしないではないお話でした。これは『フラウ』という雑誌の付録に一気に書き下ろされたものだそうです。

この講談社文庫は本文をヒラギノ明朝で組んでありました。講談社文庫っていつからヒラギノ使うようになったのかしらん。

いまの若手の作家ってよく知らないんですよ。吉本ばななと江國香織をちょびっと読んだことがあるくらいで。たまには今現役で書いてる人の本も読まないとね。角田さんの本はもう1冊、『空中庭園』てのを買っておいてあります。でもこの夏読めるかはビミョウ。

ガーディナー『ヘンデル/水上の音楽,王宮の花火の音楽』

2008年08月12日 | CD ヘンデル
Handel
Water Music / Music for the Royal Fireworks
English Baroque Soloists
John Eliot Gardiner
464 706-2

1983年(Fireworks Music)、 91年(Water Music)録音。69分09秒。PHILIPS。夏の定盤。ガーディナーにしては意外なほど開放的な演奏。文句なし。

『水上』は第1組曲、第3、第2の順。これは、王様の夏の遠出の際、第1が川のぼり、第3が食事だか休憩時だかのBGM、第2が川くだりのときに演奏されたって説に基づいてるんでしょ。聴いてても、わりと静かな第3組曲を中に置いて前後を壮麗な第1、第2ではさむのは妥当性があると感じます。

いまでも一般的にはヘンデルは『水上の音楽』『王宮の花火の音楽』の人と思われてるんぢゃないでしょうか(まあ『メサイア』もありますけど)。そういう状況に多くのヘンデリアンは憤慨するようですが、しかし『水上』も『花火』もやはりヘンデルらしい秀作ですよ。ヘンデルといえばまづ『水上』、と言われるのは、ヘンデルにとって決して不名誉ではないと思います。

わたしがいま住んでいるのはマンションの2階で、ぜんぜん眺めが利かないのがさびしい。理想は、打上げ花火の見えるマンションの上のほうの部屋で、川べりか海辺の花火大会の夜、サッシを開け放って、許される最大の音量で、『水上』と『花火』を楽しんでみたいです。

ダルトロカント『パラビチーノ/グァリーニの詩によるマドリガーレ集』

2008年08月11日 | CD 中世・ルネサンス
-T'amo mia vita-
Benedetto Pallavicino (1551-1601)
Madrigali su tersi del Guarini
Daltrocanto
Dario Tabbia
SY 05214

2005年録音。56分05秒。SYMPHONIA。パラビチーノって実はわたし名前すら知らなかった人で、これはちょっとした手違いで手に入ってしまったCDなんですが、思いがけず大ヒットでした。曲もいいんですが演奏がまたすばらしいです。編成はS2、CT、T2、Bの計6人にリュート。マドリガーレの合間合間にリュートのソロが入ります。ルネサンス後期の充実したマドリガーレを、華やぎがあってそしてじつにみずみずしい演奏で聴かせてくれます。

どの歌い手も美声なのはもちろんですが、ノドがよく開いていて、聴いていて爽快感があります。なおかつアンサンブルは緻密で、揺るぎがない。それぞれの歌い手の声もバランスもいいように思います。バスのウォルター・テストリンはたしか指揮者としてジョスカンのミサを録音していたと思いますが、ほかの人は指揮者のダリオ・タッビアも含めてはじめて聴く名前ばかりでした。イタリアの古楽演奏もいよいよ層の厚さが際立ってきました。

米国のコンソート

2008年08月07日 | 音楽について
■トリニティ・クワイヤの歌手たちの情報を得ようとしてGoogle経由でいろいろなサイトに立ち回ってみた結果、トリニティ・クワイヤのあるニューヨーク近辺には、思いのほか数多くの古楽グループがあって、それぞれ盛んに活動していることが分かりました。また、トリニティ・チャーチではトリニティ・クワイヤ以外の演奏家によるコンサートもしばしば開催されていて、そこにも古楽の演奏家が登場するようです。で、昨年から今年にかけて新たに知ったアメリカの古楽グループのウェブサイトをまとめて書いておきます。

Baltimore Consort
器楽アンサンブルが基本で、これに1声ないし2声ていどの声楽が加わる形態。このコンソートはドリアンに録音があります。トリニティ・チャーチでの2007年12月13日のコンサートがネット経由で視聴できます。

The Newberry Consort
HMFに録音のあるデイビッド・ダグラスがリーダー。シカゴの団体。ここも器楽が基本で、場合によっては声が加わる。新しいほうではヘンデルもやるようです。サイトに試聴音源が置いてあります。

Tiffany Consort
ここはア・カペラのアンサンブルで、トリニティ・クワイヤのマーサ・クルーバーやキルステン・ゾレク-アベラが歌っています。そのほかにもサイトのトップページの写真の、ゾレク-アベラの一段下に立っている女の人もトリニティ・クワイヤで『ダイオクリージャン』その他を歌っていました。古楽だけでなく現代ものも歌うようです。録音もあるようですが、聴いたことはありません。

Waverly Consort
サイトに飛ぶといきなり曲が流れるので注意。この曲、聞き覚えはあるけど曲名分からない…。ここのコンソートはかつてVirginにも録音していました。

New York Polyphony
基本は男声4人組のア・カペラ。テナーのジェフリー・シルバーがトリニティ・クワイヤに参加していました。《I sing the birth》というデビュー・アルバムが出たんですけど、買いそびれた…。バリトンのスコット・ディスペンサは2007-2008のシーズン、ティファニー・コンソートでも活動。

ミュラー『ダウランド/リュート歌曲集第1巻』

2008年08月06日 | CD ルネサンス-イギリス
Dowland
The First Booke of Songs
Rufus Müller
Christopher Wilson
CDGAU 135

1993年ごろ録音。74分24秒。ASV/Gaudeamus。古楽のテナーによるダウランドのリュート歌曲集『第1巻』全曲録音。美声だし、達者に歌っているし、テナー独唱に退屈しない人になら自信を持って薦められるいいCDです。

uにウムラウトがついているから読みは「ミュラー」だと思いますが、先祖はともかく本人はイギリス生まれだそうです。80~90年代はあちこちの声楽アンサンブルや古楽系の合唱団でしばしば名前を見かけました。モンテベルディ合唱団やコンソート・オブ・ミュージックでも歌っていましたが、特にタリス・スコラーズで、チャールズ・ダニエルズとともにこのグループならではのテナーの声を作ってたのがこの人です。たとえばジョスカンの『ミサ・パンジェ・リングァ』のCDのテナーは、ミュラーの声です。

CDのリーフレットにも書いてありますが、この人はソリストとして来日したことがあり、わたしは広島の東区民センターの小ホールでこの人をナマで聴きました。曲はこのCDと同じようなリュート歌曲でした。いえね、十年以上前のことなので演奏のことはよく憶えていないんですけどね。でも聴きに行ったことじたいをいまだに忘れていないんだから、たぶんよいコンサートだったんだろうと思います。

ダウランドのリュート歌曲のCDはいくらも出ていますが、『第1巻』全曲をひとりの歌手が歌ってCD1枚にまるごと収めているのはめづらしい。コンソート・オブ・ミュージックの全集はありますが、あれはソロと重唱を使い分けて変化をつけていた。コンソート・オブ・ミュージック盤でテナーをまかされているのはやはり美声のマーティン・ヒルなので、ミュラーと聴き較べるのもいいですよ。

アガサ・クリスチィ

2008年08月05日 | 気になることば
■先月末にニュースとして報道されたことだが、マイクロソフトが、カタカナ言葉の長音表記について、これまでの「2音の用語は長音符号を付け、3音以上の用語の場合は(長音符号を)省くことを “原則” とする」という社内規定を改めて、「より自然な発音に近い表記を採用」することにしたそうだ。

■確かに短い音節の語については「ユーザ」とか「ルーラ」とかは変なので、「ユーザー」「ルーラー」としたほうがいい。でも、正直なところ、もすこし長い言葉になると、「プリンタ」でも「プリンター」でもどちらでもいいんぢゃないかと思ってしまう。そりゃ仕事で書く文書ではどちらかに統一せざるをえないだろうけど、基本的にはその人の日本語のセンスによって、「ー」をつけたりつけなかったりで、かまわないんぢゃないかしらん。今後、語尾の「ー」をつける人がだんだん増えていくのはやむを得ないことで、それは別にかまわないが、わたしが自分の好みで「フォルダ」とか「エディタ」とか書くのにケチをつけて「今はフォルダーって書くんですよ」とか言う人が出てくるのは困るなあ。

■この流れは、おそらく、IT用語にとどまらず、それ以外のカタカナ言葉についても、語尾の「ー」をつける方向にゆるやかに進んでいきそうだ。たとえばわたしは、かの探偵小説作家も、かの指揮者も、どちらも「クリスティ」と書くんですけど、これも「クリスティーでしょ!」とか言われるようになるのはイヤです。

■指揮者のほうはさて置いて、アガサ・クリスティについていえば、この人のファミリーネーム(これは「ファミリネーム」ではおかしいですな)をカタカナでどう書くかは、長い間、実はついこの前まで出版社によってまちまちでした。ハヤカワ文庫では「クリスティー」、東京創元文庫では「クリスチィ」、新潮文庫では「クリスティ」だったのですよ! わたしとしては創元文庫の「クリスチィ」という書き方もいかにもアンティークな雰囲気で好きだった。東京創元文庫のクリスチィは訳もよかった。とくに短編は創元文庫の〈クリスチィ短編全集〉と〈……の事件簿〉シリーズで揃えて、何度も読んだ。

■さらに脇道にそれると、探偵Poirotの表記もハヤカワの「ポアロ」に対して東京創元は「ポワロ」と対立していて、これもわたしは「ポワロ」のほうが好き。いまでも自分では「ポワロ」と書きます。

バシェジ『シャルパンティエ/モーロワ氏のためのミサ曲』

2008年08月04日 | CD バロック
Marc-Antoine Charpentier
Messe pour Mr. Mauroy H.6
5 Répons
Purcell Choir
Orpheo Orchestra
György Vashegyi
HCD 31869

1999年録音。75分45秒。HUNGAROTON。この指揮者のシャルパンティエ、もっと聴きたいと思います。ハンガリーの古楽って日本ではあまり話にのぼらないので腰がひける人もいるでしょうが、わたしは満足しました。実はフンガロトンの古楽CDは80年代に国内盤でも紹介されて、その時もそこそこの評価を得ていたんですよ。

フンガロトンからシャルパンティエの新しい録音がいくつか出ていたのに気がついたのはわりと最近で、調べてみると、時代楽器を使っているし、古楽のソプラノとして以前から知っているマリア・ザードリがソリストとして参加しているし、なにより試聴してみて悪くないと思ったので買ってみることにしました。(ただしザードリが出ているのは同じ指揮者の別のCDで、今度手に入れたこのCDにはザードリは出ていません。)それにしてもこの指揮者の名前はなんて読むんですか。ファースト・ネームはたぶん「ジョルジー」だろうと思いますが、ファミリー・ネームのほうは「バシェジ」でいいんでしょうか。まあよく分からないけどそういうことにさせてください。

演奏しているのはいづれも1690年ごろに作曲された『モーロワ氏のためのミサ』H.6と"5 Répons"。シャルパンティエのミサのひとつひとつについて熱く語れるほどの筆力もないんですが、イギリスでパーセルが円熟期を迎えつつあったころに海を隔てた国ではこんな曲が書かれてたんだと思いながら聴くと興味もひとしおですな。また、"Répon"ていうのはレスポンソリウムのことのようですね。まあレスポンソリウムって言ったって実はよく分からんのですが、要はプティ・モテのようなもんですわ。

Purcell Choirは上から6・3・4・4で、ソリストもこの中から出ています。こういうスタイルがやっぱりいいねえ。どの人もよく歌っています。気品と親しみやすさがえも言われずブレンドされているところがシャルパンティエのいちばんの魅力ですが、かなり核心に迫った演奏をしてると思いますよ。技術面は小ぶりな編成のオケともどもまったく危なげなし。リコーダーの素朴な音色が心にしみます。

ただしジョルジー・バシェジはウィリアム・クリスティではないので、クリスティとくらべると多少洗練されてない感じがあるでしょうねえ。クリスティのシャルパンティエはあくまでもおフランスな香り100%な本場もんでしたけど、このバシェジのは、汎ヨーロッパな、もうちょっと広がりを感じさせるシャルパンティエになっていると申せましょう。

歌詞対訳はラテン語の原詞とハンガリー語。英語はなし。これ面白いですね。

マンロウ『デュファイ/ミサ・ス・ラ・ファセ・パル』

2008年08月03日 | CD 中世・ルネサンス
Dufay
Se la face ay pale
The Early Music Consort of London
David Munrow
TOCE-6194

1974年録音。42分09秒。EMI。マンロウで一枚選べと言われたら、これ。今から30年以上も前の録音ですよ。それなのに今聴いても古くささを感じさせないってのはなんなんですかね。とにかくチャールズ・ブレットとマーティン・ヒルの最初の一声を聴いただけで、もうマンロウならではの世界に引き込まれてしまいます。

さいしょにシャンソン"Se la face ay pale"が2声とビオール、リュート、ハープで。それからオルガンで。さらに管楽器による合奏で。そしてそのあと、メインの『ミサ・ス・ラ・ファセ・パル』。ミサでは器楽をやや多めに取り入れて、かなり華やかなスタイルをとってます。オリジナルのシャンソンの雰囲気を濃厚にたたえ、メリハリのきいた、聴きばえのするミサ演奏です。

マンロウの演奏はどの録音の場合でもいつもみずみずしい。曲に対する悪馴れがいっさいない。指揮者のマンロウがそれぞれの曲に対していつも新鮮な気持ちで臨んでいて、それが他のプレイヤーにも伝わり、さらに聴き手にも伝わるんだと思う。なかでもこの『ス・ラ・ファセ・パル』は最高ですね。

わたしの持ってる国内盤にはメンバー表が載ってないんですが、別資料によりますと、歌手は、James Bowman、Charles Brett、Martyn Hill、Rogers Covey-Crump、Paul Elliott、Ian Thompson、Geoffrey Shaw、Maurice Bevanだそうです。この録音のころといえば、プロ・カンツィオーネ・アンティカもすでに活動していました。ここでもメンバー重なってますけど、同じポリフォニーのミサでも、プロカンとははっきり芸風違いますね。70年代のプロカンのミサを今取り出して聴こうとはなかなか思いませんが、このロンドン古楽コンソートの『ミサ・ス・ラ・ファセ・パル』は名曲の名演としてこれからも聴き継がれると思います。

プレストン『ヘンデル/ディクシット・ドミヌス』

2008年08月01日 | CD ヘンデル
Handel
Dixit Dominus / Nisi Dominus / Salve Regina
Auger, Dawson, Montague, Nixon, Ainsley, Birchall
Choir of Westminster Abbey & Orchestra
Simon Preston
423 594-2

1987年録音。56分14秒。Archiv。今やヘンデル好きな人で『ディクシット・ドミヌス』を知らない人はいないんぢゃないか、というくらい、この曲は人気のある曲になりました。いいことだ。少年合唱はできたら避けたいっていうのがわたしの基本的な立場なんですが、この演奏はいいです。

《Dixit Dominus》はいろいろ録音が出ていますが、これはもっともスタンダードなもの。わたしはこの曲、あんまりせかせかした演奏は好みではないんです。このプレストンくらいのテンポがちょうどいい。

《Nisi Dominus》にはエインズリーが出ています。わたしがエインズリーを知ったのがこのCDでした。張りのある若々しい美声で、歌い回しも巧くて、いいテナーが出てきたなあと思いました。なにしろヘンデルを歌う古楽系のテナーというと、ロルフジョンソンは別として、エリオットやパートリッジくらいしかまだいなかったころなので。ブックレットに写真が載ってるけど、まだ若かったエインズリーは今のようなスキンヘッドではなく髪の毛がフサフサあって、なかなか二枚目です。