歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

ガーディナー問題

2009年10月31日 | 音楽について
わたしはものすごく気になっています。1970年代の末、ガーディナーが、モダン・オケから時代楽器のオケに移行したのは、厳密にどの録音からか、ということに。これまでは、Monteverdi Orchestra名義ならモダンで、移行したEnglish Baroque Soloistsが時代楽器、と認識していたんですが、どうもそうすっぱりとはいかないらしい。

公式には、ガーディナーが時代楽器に移行するのは、1978年2月にアルヒーフに録音した『エイシスとガラテア』以降ということになっています。これが、ガーディナーのアルヒーフへのデビューでもありました。わたしはそのころのことを知らないんですが、ま、アルヒーフとしては大きな話題にしたい出来事ではあったでしょう。なにしろ、ガーディナーはのちに、アルヒーフにおいてリヒター以来のバッハ指揮者になっていくわけですからね。

で、この時期のガーディナーの録音がうちにはわりとありましてね、書き出すとこんな感じです。年月はCDの冊子等に記載されている録音年月。MOはMonteverdi Orchestra、EBSはEnglish Baroque Soloists。
1978年1月、『キャロライン王妃の葬送アンセム』(エラート)(MO)
1978年2月、『エイシスとガラテア』(アルヒーフ)(EBS)
1978年10月、『エジプトのイスラエル人』(エラート)(MO)
1979年2月、『テンペスト』(エラート)(MO)
1979年2月、『インドの女王』(エラート)(EBS)

78年1月録音の『葬送アンセム』は、たしかにどう聴いてもこれはモダン・オケの音です。ちょっと閉口するほどの、ぬめぬめした音。それが翌月には『エイシスとガラテア』なんだから、たいへんだったろうなあ。で、問題はさらにその後なんです。78年10月の『エジプトのイスラエル人』と翌年2月の『テンペスト』まで、ふたたびガーディナーの指揮するオケは「モンテベルディ・オーケストラ」に逆戻りするんです。さらに、その、『テンペスト』と同じ79年2月に録音されたことになっている『インドの女王』で、ようやくエラートでも「イングリッシュ・バロック・ソロイスツ」のオーケストラ名が解禁されるのです。

78年2月に時代楽器に移行したガーディナーが、その年の10月にもういっぺんモダン楽器を使って録音したりするものでしょうか。さらに翌年の2月に、モダン・オケと時代楽器のオケを使い分けて、それも同じパーセルの曲を振り分けたりするでしょうか。たいへん怪しいとおもいます。

モンテベルディ合唱団の公式サイトに行くと、創立者であり指揮者であるガーディナーのディスコグラフィがいちおう載っていますが、作曲家のアルファベット順に、曲目とレコード(CD)番号だけをリストにした簡単なもので、録音年もソリストもわかりません。つまり、この場合、役に立たない。

1564年生まれのイギリス人

2009年10月29日 | メモいろいろ
ウィリアム・アダムズ(三浦按針)と、ウィリアム・シェイクスピア。あらファースト・ネームも一緒だわ。そうなんだって。ふたりとも1564年生まれなんだって。びっくりしました。これって、あれ考えてこれ考えたら、まあ時代的には近いなってとこまでは思い及ぶけど、まさか同い年とは。こういう人たちが同時代に出るんだから、この時代のイギリスが日の出の勢いだったのも、そりゃそうだろうな、って思います。

いえね、そもそもわたしはパーセルのことを考えていたんですよ。パーセルには『インドの女王』というセミ・オペラがあるし、『妖精の女王』には中国人まで出てくる。考えてみれば、パーセルのころ(17世紀末)、イギリス人はすでに日本に到達していて、17世紀の前半には、一時日本にイギリス商館まであったくらいなんだから、パーセルの作品に日本人が出てきてもおかしくなかったんだよなあと思ったんですよ。日本が鎖国してなかったらきっと出てたよね。で、日本に来たイギリス人ていうとまづ思い出すのが三浦按針。この人は1564年にイギリスで生まれ、そして1620年にわが長崎県の平戸で死んだんだって。そういや、平戸にお墓があったような気がするわ。そのころのイギリスは、シェイクスピアの時代でしょ。そこでYahoo!百科事典で引いてみた。そしたらシェイクスピアのほうは、1564年生まれ、1616年死去、と出てました。あら死んだ年も近いね。なおなお調べますと、リュートソングで有名なジョン・ダウランドは1563─1626。惜しい、一年ちがい。

建築家の文章

2009年10月28日 | 本とか雑誌とか
建築を専門にしている人って、文章うまい人がいますね。上田篤さんの『日本人とすまい』は岩波新書で出てエッセイスト・クラブ賞とったそうです。ほかにも、たとえば渡辺武信さんは、中公新書でやはり日本人の住まいとのつきあいかたに関するエッセイを3冊出している。闊達な文章で、読ませます。このひとは建築家でかつ詩人でもあるそうです。

もう退職されたんですが、いぜん同じ職場にいらした先輩の息子さんが建築家で、その方の作品が『新建築・住宅特集jt』という雑誌に載り、わたしはもちろんそういう方面はど素人なんですが、本屋で見たら面白そうだったので、その号買ってきたんです。建築家が設計した新築住宅の間取りが何軒も紹介されていてその写真も魅力的なんですが、建築家の書いた文章もたくさん載っていて、それぞれがなかなかいい文章なんですよ。平明な文体なんだけど、それぞれにちゃんと個性をもっている。その雑誌、きのうちょっと目だけでさがしてみたけどどこに入れたか分からなかった。週末にでも部屋のどこかから掘り出しておこう。

タリス・スコラーズ『オケゲム/ミサ・ドゥ・プリュ・ザン・プリュ』

2009年10月26日 | CD 中世・ルネサンス
Ockeghem
Missa De plus en plus
Missa Au travail suis
The Tallis Scholars
Peter Phillips
CDGIM 035

1997年ごろ録音。64分16秒。Gimell。オケゲムのパロディ・ミサ2曲を、もとになったシャンソンとともに収録。これは意外とイケますよ。ちゃんとオケゲムの味がする。タリス・スコラーズのたとえばビクトリアはどうも全然ビクトリアの味がしなくて困るんですが、あれとは違います。

これはピーター・フィリップスの円熟ということも言えるでしょうね。なにがなんでもタリス・スコラーズの流儀で押しまくるというのではなく、引くべき所でちゃんと引けるようになったんぢゃないでしょうか。

冒頭、バンショワのシャンソン"De plus en plus"を、キャロライン・トレバー、フィリップ・ケイブ、リー・ニクソンの3人で歌っているんですが、トレバーさんの声、まるでカウンターテナーそのものですよ。そしてこのシャンソン自体、とてもいい曲です。

オケゲムに関してはクラークス・グループがミサ曲をシリーズで出していて、オケゲムとの相性もよく、もっとも説得力を感じます。ちょっと古くなったけどヒリヤード・アンサンブルの録音もあり、オルランド・コンソート、そしてこのCDと、イギリス勢の活躍が目だちます。

エストマン『モーツァルト/ドン・ジョバンニ』

2009年10月22日 | CD 古典派以後
Mozart
Don Giovanni
Hagegård, Auger, Cachemaille, Jones, Bonney, van der Meel, Terfel
The Drottningholm Court Theatre Orchestra and Chorus
Arnold Östman
470 860-2

1989年録音。74分45秒/79分09秒。DECCA/L'Oiseau-Lyre。『ドン・ジョバンニ』プラハ版の全曲を2枚組のCDに収めています。わたしが持っているのはエストマンがオワゾリールに残したモーツァルト・オペラをCD10枚組にした再発盤。

ほかの演奏をほとんど知らないので、比較してどうこう、ってことは言えないんですが、かなりあっさり味だと思います。エストマンはさらりさらりと進めながら、聴かせどころはちゃんと締めて、結果的に実に趣味のよい演奏に仕上げています。"Là ci darem la mano"は2分30秒で歌っちゃうんですよ。超速。でもエストマンの作った全体の流れの中では不自然ではない。ふしぎ。

男声でいちばん立派な声をしているのはマゼットのターフェル。レポレロのカシュマイユは手堅い。ドン・ジョバンニのハーゲゴールはのほほんとした歌いっぷりで、ちょっとお人よしに聞こえちゃう。もう少し強さが欲しかった。一方、オジェー、ジョーンズ、ボニーの女声3人はそれぞれ好演。オジェーのドンナ・アンナやボニーのツェルリーナが素晴らしいのは聴く前から分かっていたことですが、とくにボニーはやっぱ声が輝いてるわ。そしてドンナ・エルビーラを歌うデラ・ジョーンズが、意外なほどいいです。コミカルなようで、悲劇的で、もうすでにちょっと気が触れてるんぢゃないの、とも思わせるこの得体の知れない女の人を、ジョーンズは水を得た魚のように歌ってます。はまってる。

わたしが『ドン・ジョバンニ』を聴きたいと思ったのは、ルース・レンデルの『ロウフィールド館の惨劇』を読んだのがきっかけでした。この小説、『ドン・ジョバンニ』がじつに効果的に使われているんです。せっかくこういう本を読んだんだからこれは聴かずばなるまいと思いまして。わたしオペラは当時ほとんど聴いてなくて、いろいろ考えた末にこのエストマンの安売りセットを買いまして、これでモーツァルトのオペラに入門しました。

大阪松竹座の『忠臣蔵』

2009年10月19日 | 演ずる人びと
歌舞伎座の11月の顔見世が『忠臣蔵』ですが、こんどの正月には大阪の松竹座でも『忠臣蔵』の通しをやるそうですよ。上方ふうの『忠臣蔵』、見てみたいなあ。

めったにかからない十段目「天川屋」が出ます。我当さんの義平で。それから六段目・七段目でおかるを秀太郎さんがなさるそうです。わたしは秀太郎さんのお才をいちど見たいなあと思ってるんですが、もちろんおかるもすてきだろうなあ。なお、お才は孝太郎さん。ほかに扇雀さんもいるのに、よくぞ秀太郎さんにおかるを回してくれたなあ。

今回は仁左衛門さんは出ていなくて、藤十郎さんが高師直、大星由良之助、早野勘平で出づっぱり。それから、六段目で、千崎といっしょに与市兵衛方にやって来る侍は不破数右衛門ではなく原郷右衛門で、これが『忠臣蔵』劇としては真っ当ですよね。ここで、実在の人物である不破数右衛門が急に出てくるのはおかしいよなあといつも思う。

歌舞伎座のおせち」の予約ページ。表の「配送承り地域」に注目。この担当者、どうやら福島県のことは念頭にないらしい。宮城、山形には送ってやるけど福島は無視、ってあり得ないでしょう。忘れられた福島県の人は怒るべきだと思います。

書簡体の小説

2009年10月18日 | 本とか雑誌とか
ゆうべ1時すぎに床に入って、なんとなくラジオをつけたら、深夜便でラジオドラマの『錦繍』をやっていて、ついつい最後まで聴いちゃった。亜紀が大谷直子、有馬が高橋長英で、亜紀の行きつけの、モーツァルト・ファンの喫茶店の店主に中村伸郎が出ていた。ということはつまりそうとうむかしに制作されたドラマです。わたしはついこないだ、『錦繍』読み返したばかりだったのでなつかしく聴きましたが、小説読んでない人はあのラジオドラマだけではピンと来なかったんぢゃないのかなあ。『錦繍』という小説は、読者が亜紀と有馬の立場になりかわって、ふたりがやりとりする長い手紙の文面を自分の目でたどって読む、というしかけになっているところにこそ、感動のキモがある。ドラマ化、映像化されてしまうと、われわれ読者がふたりの手紙をのぞき読む、という肝心かなめの趣向が抜け落ちてしまうので、それこそ中身のないサンドイッチを食わされたような気分になっちゃうのではないでしょうか。

宮本輝は井上靖に影響受けてるんぢゃないか、とは以前から思っていて、じっさい宮本輝じしん、エッセイで井上靖についてなにか書いていた。井上靖にも『猟銃』って書簡小説がある。それから、井上ひさしの『十二人の手紙』もわたしはおもしろく読みました。さかのぼると漱石の『こころ』も先生の遺書という書簡が入ってる小説だし、古くは『源氏物語』の「若菜」の明石入道の遺書、なんてのもすぐ思いつくんですが、書簡体の小説って、もっともっとあるはずですよ。小説における書簡体の機能、みたいなことって、だれかまとめて書いてる人はいるんでしょうか。たぶん、いるよね。新書かなにかでそういうのが読めればいいんですけどね。

"La ci darem la mano"

2009年10月18日 | 音楽について
ここんところ、『ドン・ジョバンニ』の"Là ci darem la mano"って二重唱がわたしの鼻歌のネタになっています。ドン・ジョバンニがツェルリーナを誘惑する場面でふたりで歌う曲ですね。この曲はほんと、よくできてるよ。わずか4分少々の曲とは思えないほど。まあ、なんぼDGでも4分やそこらでツェルリーナを落としたわけではなく、ふたりの駆け引き、というかツェルリーナの心理の変化を4分に凝縮させたのがあの歌、ということなのだろうとわたしは解釈しています。曲の後半、ふたりが一緒の歌詞を揃って歌うようになってすぐの、下降音型の間奏がすごく好き。ほんの一瞬の間奏ですが。あれは、ツェルリーナがとうとう落ちた、ってことを象徴してるんでしょう?

"Là ci darem la mano"はYouTubeに行くといろんなペアで歌ってる映像が見られます。DVDで出てるオペラ全曲盤からすっぱ抜いたようなのもあれば、コンサートの映像らしいのもある。ドン・ジョバンニはルッジェロ・ライモンディあたり、はまり役だと思いますが、ライモンディよりアレンの映像が多い。アレンの相手のツェルリーナ役は、ポップ、アンドレア・ロスト、ジョーン・ロジャーズなどいろいろ。ごく最近の、ということはつまりアレンがじいさんになってから、これもそこそこの歳になったフェリシティ・ロットとコンサートで共演し、ピアノ伴奏でこの曲を歌ってるのもありました。どのアレンもおおむねよろしい。ラミーやギルフリーのはあんまり感心しなかった。かっこいいけどなんかぎすぎすしていて。ターフェルのDGってのも、それはそれであり得なくはないけど(普遍的な色男ではなくて悪魔的なサド男としてなら)、しかし映像で見ちゃうと魅力的なドン・ジョバンニとは言いがたい。

現代におけるドン・ジョバンニ歌いの第一人者はキーンリーサイドでしょうか。この人はたしかにいいですね。男っぷりがいいのは言うまでもないけれど、がつがつしたところがないのがよいと思います。でもこれからはイルデブランド・ダルカンジェロのような、若くてルックスもイケてるラテン系のバリトンがいろいろ出てきそう。

ジェステル『カリッシミ/イェフテほか』

2009年10月13日 | CD バロック
Carissimi
Historia di Jephte
Damnatorum Lamentatio
Felicitas Beatorum
Le Parlement de Musique
Martin Gester
OP 30296

2000年録音。63分28秒。OPUS111。副題《un concert spirituel à rome ca.1650》。カリッシミの『イェフテ』を中心とするプログラムですが、同時代のフレスコバルディやレリオ・コリスタ(Lelio Colista)の小品も収めて、変化のある構成になってます。17世紀イタリアの音楽は、モンテベルディを別にすればわたしにとってはなじみの薄い分野なので、興味深く聴きました。Martin Gesterはフランス人だそうです。ファーストネームはマルタン、だと思うけど、ファミリーネームはこれフランス語でどう読むのかなあ。とりあえずNaxosの表記にしたがって、ジェステル、ということにしておきます。

独唱はソプラノ3、テナー2、バス1。すべてわたしの知らない歌手で、地味ながら、親しみのもてる手堅い歌唱。いっぽう器楽は指揮者も入れて7人。弦に、通奏低音のオルガン、チェンバロ、テオルボ、ハープ。ジェステルはときどきオルガン弾きながら振ってるようです。

カリッシミの作品は《Damnatorum Lamentatio》《Historia di Jephte》《Felicitas Beatorum》の三つで、いかにも17世紀バロックらしく、清楚な中に意外なほどのドラマティックな盛り上がりもあって、面白く聴ける曲ばかりです。

カリッシミに関心を持ったのはトリニティ・クワイヤの『イェフテ』を視聴したからです。それ以前にもシャルパンティエやシュッツのオラトリオは知っていて、それなりに好感を持っていたのに、ついオラトリオというとヘンデルふうの壮大なものを思い浮かべるクセがついていた。そこにトリニティ・クワイヤのいい演奏で『イェフテ』を聴いたり見たりさせてもらって、カリッシミふうの、というか、とにかく初期のオラトリオに改めて興味がわきました。

ヘンデルのオラトリオと較べると、とにかくぐっと内輪な編成で、響きもシンプル。ヘンデルのが劇場用のオラトリオであるのに対して、17世紀のオラトリオは貴族の屋敷や教会での演奏のために書かれた、ということが曲のスタイルからもよくわかります。オペラティックなアリアはほとんどないけれど、合唱とソロが巧みに織り合わされてこれはこれで魅力的です。わたしのような合唱歌いとしては、より表現意欲をそそられる感じ。こういう曲歌ってみたいなあ。

『イェフテ』はこれより前にマクリーシュのを聴いていたんですが、このジェステルのもののほうがすぐれていると思います。派手さはないけれども、夜の聖堂に灯されたろうそくの光がほんのり浮かび上がっているのを見るような、充実した音空間が描き出されています。

ウェストミンスター・アビィ・クワイヤ『バード/ザ・グレイト・サービス』

2009年10月12日 | CD ルネサンス-イギリス
Byrd
The Great Service
The Choir of Westminster Abbey
James O'Donnell
CDA67533

2005年録音。76分17秒。Hyperion。これは国教会の「ウェストミンスター・アビィ」のクワイヤね。ハイペリオンにはカトリックの「ウェストミンスター・カテドラル」のクワイヤも録音しているので混同しないように。バードの『グレイト・サービス』を、だいぶ前からずっと聴きたい聴きたいと思っていて、でもタリス・スコラーズのはできたら避けたかった。そこへこの録音が出て、試聴したらそう悪くないかなと思えたので思い切って買っちゃった。意表を突くところはないけれど、イギリスの聖歌隊独特の、あのまったりしたペースにうまく乗れたら、そのまま最後まで調子よく聴けちゃうでしょう。

boySを含む聖歌隊なので、ツメの甘いところがあるのは否定できないです。何か所かちらちら出てくるゾリのところなんか、とくに、子供たちが悪い意味であどけない。でも合唱になるとなかなか力強いです。やはり板についてるんですな、ウィリアム・バードの音楽が。

子供入りの聖歌隊の録音はかねがね避けるようにしているわたしがなぜこのCDに食指が動いたか。いぜん、EMIのReflexeから、キングズ・カレッジのクワイヤがこの曲を歌ったCDが出てましてね、それがとてもよかったんですよ。キングズ・カレッジって、わたしのなかぢゃずっと評価低かったんですけどね、そのCDに限っては、ふだんの甘ったるさなど皆無で、引きしまった密度の濃い演奏でした。広島か三宮か、はたまた日本橋だったのか、そのへん忘れちゃいましたけど、たまたま入ったCD屋でかかってたの。でもそのとき、買わなかったんだよね。その後しばらくしてからあらためて欲しくなったんだけど、このネットのご時世でもついぞ見かけないの。それでまあ、あれとは別の団体だけど、悪くもなさそうだし、いいかあ、と思って買っちゃいました。