歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

CDで聴く『ダイオクリージャン』

2010年05月30日 | 音楽について
The Trinity Choirの『ダイオクリージャン』体験以降、ガーディナーの録音を聴き直したりピノックのをあらたに購入したりしてしばらく『ダイオクリージャン』三昧だったのですけどね、いま改めてガーディナー盤ピノック盤を聴いてみると、また新しい発見があるのですよ。

ガーディナーのは古楽演奏のベテランをそろえて、パーセルならではの、17世紀のイギリス・バロックらしいかろやかな音響を目指していて、これがガーディナーの個性とも相まっていい効果を上げている、とわたしは見ます。たとえばパーセルの時代のロンドンの劇場て、どれくらいのキャパがあったんだろう。ピノックのを聴いてるとね、ああこりゃ大劇場向けの演奏だなと思っちゃう。たっぷり歌いすぎていて。その点ガーディナーのはよりインティメートで、じつにほどがいい。歌手たちも端正な歌いぶりで、歌いすぎない。

ピノックのは全体に響きがガーディナーよりもゴージャスですわ。ピノックを先に聴いてそのあとでガーディナーのを聴くとちょっと寂しい気がするもん。これでねえ、歌手がまちっと軽く歌ってくれていたら相当高評価になるんだけどねえ。女声はいいけど、男声の声が重い。いや、声というより、歌い方が。とくにバスは5人も出てくるんですが、古楽を歌い慣れていない人が多い。でもソプラノはいいですな。以前はアン・モノイオスに聴き惚れていたけど、今回聴き直して、ナンシー・アージェンタの円熟ぶりにおどろいた。この人の声は80年代のはじめごろのものからいろいろ聴いていますが、このパーセルがもしかしたらいちばんいいかもね。アージェンタはこのほかにもパーセルの作品ばかり録れたソロ盤を2枚録音してますね。この時期かしら。

『ダイオクリージャン』の全曲盤はこのほかにヒコックスのものも出ていて、わたし実はそれも手に入れたんですが、まだよく聴いてないのですよ。いづれ時間をつくってじっくり聴かなければ。

ニューヨークの『ダイオクリージャン』

2010年05月29日 | 音楽について
2006年10月に、ニューヨーク、ウォールストリートのTrinity Churchで、教会附属のThe Trinity Choirが時代楽器のオーケストラとともにパーセルのセミ・オペラ『ダイオクリージャン』を演奏しました。パーセルとしては『妖精の女王』につぐ、規模の大きな作品。ネット配信されていたそのビデオを見たことが、わたしのパーセル再発見の始まりでした。北米の古楽に対する偏見も、そのとき取り除かれました。

このことについてはもう書いてるのですが、このThe Trinity Choirの『ダイオクリージャン』について、わたし以外の人が日本語で書いているのを見たことがないので、もういっぺん書いておきます。

パーセルのコンサート自体、日本ではめったにないですし、それに『ディドー』あたりならまだしも、『ダイオクリージャン』て作品は、規模の大きなわりに知名度も低い。古楽が好きな人でもタイトルすら知らない、っていうほうが多いんぢゃないでしょうか。おそらくこれからもわたしが実際のコンサートで耳にすることはなさそう。そのレアな作品のコンサートを、始めから仕舞いまで、観て、聴くことができたんですよ。

『ダイオクリージャン』で唯一、まあまあ有名なのは、2本のリコーダーと通奏低音のためのシャコンヌでしょう。たしかにこれもいい曲だけど、声楽曲も合奏曲もおしなべて、どれもこれも素晴らしいのよ。

それをまたThe Trinity Choirの面々が楽しませてくれるの。いまにして考えりゃ、そりゃ世界の首都ニューヨークですもんね。レベル高いはずですわ。ライブですからすみずみまで百パーセント完璧とはいきませんが、とにかく充実したコンサートだった。ソプラノ6・アルト5(うち男声3)・テナー4・バス6の計21人の歌手たちが、ソロに、合唱に、大活躍でした。

ほんとうに不思議なのは、ソリストとしてじゅうぶん聴くに値する歌唱を聴かせてくれた歌い手たちが、コーラスを歌ってもまったく濁りのないピュアな声でまとまっていたこと。ここ日本では、ソリストとしての勉強をしている人は合唱やっちゃいけない、って言いますよ。声の出し方が違うから。たとえば、今の二期会のプロの歌手が21人集まったとして、The Trinity Choirみたいな精緻な合唱ができるか、っていうと、それはなかなかむつかしいでしょう。

しかし考えてみると、HMF時代にレザール・フロリサンが録音したシャルパンティエのオラトリオも、ソリストがコーラスパートも歌ったりしてたんだよな。今だってアラディア・アンサンブルのシャルパンティエもそういうスタイルだ。やはりある程度古楽を歌い慣れている人たちのワザなのかもしれない。

フレットワーク『ダウランド_ラクリメ』

2010年05月27日 | CD ルネサンス-イギリス
Dowland
Lachrimae (1604)
Fretwork
5 45005 2

1989,90年録音。59分51秒。Virgin。もうだいぶん昔に買ったCD。まづ表紙がいいよね。20年前の演奏ながら、イギリス的中庸路線としてはこのフレットワークのが到達点と言っていいのではないでしょうか。聴かせ上手で、一枚聴きとおしても飽きません。これは2枚のCDに分けて録音された音源から『ラクリメ』全曲を取り出してCD1枚にした再発盤。原盤は、ダウランドとバードの器楽曲を組み合せて、2枚で分売されたものでした。

ビオール・コンソートのざっくりとした響きが、心の奥に静かにしみとおっていくよう。聴いてるうちに癒されてくのが分かる。あー効いてるー、って感じ。この手のビオール・コンソートの演奏でどれか一枚だけおすすめのCDを教えて、と言われたら迷わずわたしはこれを推薦する。そんなにあれこれ聴いてるわけぢゃありませんけどね、でもこの完成度はタダモノぢゃないでしょ。音楽する喜びにあふれていて、しかもわざとらしさはぜんぜんなくて、ダウランドのすばらしさがごくごく自然に流露している。このCDを聴いていると60分があっという間に感じられますよ。

フレットワークは、Wendy Gillespie、Richard Campbell、Julia Hodgeson、William Hunt、Richard Boothby。ギレスピーとキャンベルはあちこちで名前を見かける。リュートにChristopher Wilsonが参加。この人はこの録音からほぼ十年前のコンソート・オブ・ミュージックのダウランドの全集にも参加していました。ビオール合奏をひかえめに支えています。

それにしても2004年は『ラクリメ』400年だったわけですよね。うーん、なにかそういう動きはあったのかなあ。わたしは気がつきませんでした。

山本富美さん

2010年05月26日 | メモいろいろ
古楽を歌うソプラノのかたで山本富美さんて人がいるそうなのですが、このかた、学生時代に、教育テレビのドイツ語講座に生徒役で出ていた人ではないかしらん。そのころ、講師は小塩節さんで、ミヒャエル・ミュンツァーさんてドイツ人が出演していました。その生徒役がたしか山本富美さんて名前だった。育ちのよさそうなかわいらしい人だったので憶えているのである。(ちなみに言ってしまうと、山本さんの前任の辻あき子さんも美人だった。)小塩さんも音楽が好きな人で、たしか番組の中でも歌ったりしていらした。そのころわたしは高校生くらいで、ほんらい語学力なんて、さかさに振ったってないんですが、ふしぎなことに、高校時代、ドイツ語講座とかフランス語講座とか好きだったんだよねえ。いま振り返っても自分のことではなくてだれか親戚の高校生のことを思い出してるかのようである。いやー、それにしても山本さん、ご立派におなりなすったのね。

ドイツ語はテレビで見ていたけれど、フランス語はラジオの講座を聴いていました。入門編の先生は林田遼右さんで、ピレネー山脈の麓のポーという街を舞台にしたストーリーだった。番組の進め方もトーク番組みたいで、堅苦しくなく聴いていられた。そしてテキストの、本文に添えられたイラストがまたオシャレでねえ、イラストが楽しみで、毎月買ってましたね。大学に入ったとき、わたしは結局第二外国語でフランス語を取ったんですが、高校のときに林田さんの講座を聴いていたのがだいぶ助けになりましたよ。英語は「可」ばっかしだったけど、フランス語は「優」でしたもん。

物書堂さん江

2010年05月25日 | MacとPC
インストールはしていたのにこれまでほとんど触ったことがなかったMac用のPagesを、週末、すこしいぢってみました。iPad用のPagesのビデオガイドを見たことがきっかけだったんですが、たしかにこれはいいソフトですねー。英語圏の人たちだったら、これだけ気が利いてるソフトがあれば通常の文書作成にはほぼ不自由しないんぢゃないかしらん。開いたウインドウの左側にページサムネイルが表示されるのが思いのほか便利。自由度はそれほど高くないかもしれないけど、デフォルトでこれだけ考えてあったらじゅうぶん使えると思いますよ。とくに、egword universal 2にはない、テキストボックスの連結機能を備えているのがうらやましいなあ。ただ日本語環境ってことを考えると、たとえばテキストに引けるアンダーラインがふつうの一本線だけで、点線も波線もなかったりするんで、そういう細部はちょっとどうかなとは思いますけどね。

egword universal 2のユーザーとして、物書堂のエディタにはもちろん期待するところ大なのですが、物書堂さんには、このPagesの使い勝手のよさを大いに参考にしてもらいたい。テキストボックスの連結機能や、脚注/巻末注はPagesなみにお願いします。(ああ、まあ、テキストボックスとかいうとそこでもうエディタを超えたソフトの話にはなりますけどね。)それから、任意の英字の縦中横、これもぜひともお願い。いっぽう、厳密な原稿用紙モードというのはわたしはいらないです。ただ字数制限のある原稿が打てるように、一行何字、という設定ができればそれでいい。いまのegword universal 2のレイアウトグリッドというのが重宝なので、あれを引きついでくださいな。

それにしても、Mac用のエディタを出しますと言って物書堂という会社を立ち上げた廣瀬さんは、そのエディタなりワープロなりをいつごろ出すのかそろそろ表明すべきだと思う。ツイッターぢゃあいろいろつぶやいてるのかもしれないけど、物書堂の公式サイトには、会社設立からもうずいぶんになるのに、エディタに関していまだに何のコメントもない。これでは不誠実のそしりを免れることはできなかろう。まあ、現行のSnowLeopardでegword universal 2は問題なく動いているわけだから、エディタは次期OSが出てから出します、でもいいとわたしは思うんですよ。でも、こう待たされると、もうMac用エディタなんか出す気はないんぢゃないかと疑心暗鬼になっているegwordユーザーも少なからずいるはずだ。安心させてもらいたい。

「眼前」?「駅前」?

2010年05月24日 | 気になることば
面白いような困ったような発見をしました。新潮文庫と角川文庫で、本文に異同が見つかった。それも太宰治。昭和17年の「待つ」という掌編。現行の改版された新潮文庫『新ハムレット』のp.354。ちょっと長い一文ですが、「生きているのか、死んでいるのか、わからぬような、白昼の夢を見ているような、なんだか頼りない気持になって、眼前の、人の往来の有様も、望遠鏡を逆に覗いたみたいに、小さく遠く思われて、世界がシンとなってしまうのです。」とある。この中の「眼前の、」が、角川文庫に拠ったという青空文庫では「駅前の、」となっている。

新潮文庫が間違っているのかもしれない。角川文庫が間違っているのかもしれない。青空文庫の入力者が間違って入力し校正者が見落とした、のかもしれない。さらには誰も間違っているわけではなく、新潮文庫と角川文庫が依拠した本文にもともと異同があるのかもしれない。初出と全集とで、違うとか。さあ、真相はどれでしょう。

行文上は「眼前」でも「駅前」でも意味は通じる。この小説「待つ」は、「省線」のある「小さい駅」での話なので、「駅前の、」でもなんら問題ないです。わたしとしては手もとにあるのが新潮文庫なので「眼前」が正解であってほしい。けれどもし「眼前」なら、これは「メノマエ」ではなく「ガンゼン」と読むべきだと思われますが、「待つ」全体の文の調子からして「ガンゼン」て堅い漢語は違和感がある。文体からはむしろ「駅前」のほうがしっくりくる。

「アップル」と「アプル」の間

2010年05月22日 | 気になることば
アップルのサイトに行って、iPadのビデオガイドを見ました。KeynoteとPagesのガイドを見たのですが、いつものようにいかにもオシャレにまとめてありましたわ。たしかにどちらも洗練されたソフトであることは認めます。でもよ、こんなすてきなソフトならぜひ使ってみようと思った初心者(Macのことを知らないWinユーザー)は、PagesもKeynoteも縦書き不可、ルビ不可、と知ったらけっこうショックを受けるんぢゃないでしょうか。まあKeynoteでは縦書き不可は本質的な問題ではないけど、Pagesを日本人に使わせようと思うなら縦書きは必須のはずよ。Pagesは、ワープロソフトの手軽さとページレイアウトソフトの自由度の高さと、両方のいいとこ取りをしようとしている注目すべきソフトではある。けれど、これがアップルのやり方だからとPagesに合わせて縦書きを捨てる気にはならないね。

Keynoteのビデオは男の人、Pagesのビデオは女の人がナレーションを入れていましたが、ふたりとも会社の名前の発音がへんだった。「アップル」と「アプル」の中間くらいの発音で、「ッ」のところをみょうにはしょっていた。

平林純『論理的にプレゼンする技術』

2010年05月21日 | 本とか雑誌とか
平林純さんというエンジニアが書いた『論理的にプレゼンする技術』(SoftBank Creative、サイエンス・アイ新書)。この本とてもいいですよ。プレゼン用のソフトを使っての狭義のプレゼンに大いに役立つだけではなくて、文章書くときとか、そういう広い意味でのプレゼン全般の参考になる。プレゼンの参考書はこれ一冊あればとりあえず事足りてしまうのではないかというほどよくまとまっていて、かつ分かりやすい。

以下、目次。
──
はじめに
第1章 「よいプレゼン」ってなんだろう?
第2章 わかりやすい「プレゼンストーリー」をつくる!
第3章 おろそかにしちゃいけない! 事前準備
第4章 資料づくりの大前提を押さえる
第5章 わかりやすいスライドづくりの基本
第6章 反面教師に学ぶ! 聴き手を惑わす発表資料に注意
第7章 聴き手が引き込まれる発表資料のつくり方
第8章 プレゼン発表テクニック
おわりに
──

見開きの左側のページで言葉による説明、右側のページでは図や漫画を使って目に訴える説明、この二段構えのやり方がとても効果的。漫画にスペース割いたりしたら情報量が減っちゃうのでは、と一瞬懸念しますが、これがそうぢゃないのね。やっぱイラストって大事ですわ。

とくに第1章が目からウロコ。プレゼンには「利益」「わかりやすさ」「おもしろさ」が不可欠だ、と平林さんは言う。「利益」というのは、つまりそのプレゼンを聴くことによって聴き手にはどういうトクがあるのか。それを聴き手が納得していなければ、聴き手はついてきてくれない。そうなんだよなあ。ついついわたしはこれを忘れるのよ。

プレゼンの理念からストーリー構成、スライドづくり、発表テクニックまで要点を網羅して、このわかりやすさ。プレゼン・ソフトはPowerPoint2007を使って作例していますが、OSやソフトに依存する記述はさほどなく、わたしみたいなKeynoteユーザーも多少の読替えで活用できる内容です。

村上冬樹

2010年05月19日 | メモいろいろ
村上冬樹と村上春樹は──、たぶんなにも関係ないんだろうな。じいさんと孫、とかぢゃないよねえ。

写真で見ると村上冬樹という人は中村伸郎によく似てますねえ。しかもこの二人は同じ劇団にいたんでしょ。浪曼劇場。村上冬樹は『我が友ヒットラー』でヒットラーをやったそうですよ。この『我が友ヒットラー』は作者が三島由紀夫で、しかもヒットラー、ってそれだけでもう腰が引けちゃう人が多いでしょうが、心配いりません。男はいかに孤独か、って話。右翼のアジテーションではないです。戯曲だから慣れるまでちょっと読みにくい気がするかもしれないけど、新潮文庫で読めるから、読んでみて。そういや浪曼劇場には、中山仁とか、悪代官の内田勝正もいたんだよね。ほんと、内田さんて人は、日本人離れした彫りの深い美貌の男優ですよ。若いころの中山仁も、二枚目。

村上冬樹は『スパイダーマン』に出ていました。わたしが見たことのあるこの人の演技はそれだけだったりして。

そうだ、『スパイダーマン』で村上冬樹は香山浩介の父親をやったのだった。香山浩介という人は、ヒーローからのちに藤堂新二と名を改めて悪代官に転進した人で、その意味で黒部進とか団時朗の後輩である。そして団時朗がそうであるようにテレビよりむしろ舞台で活躍している。やはり彫りの深いきれいな顔立ちの人だ。

三島の死後に浪曼劇場が上演したワイルドの『サロメ』で、内田勝正は三島の意向によりヨハネに抜擢されてこの役を演じたそうです。その三島が割腹したのが1970年、村上冬樹が香山浩介という新人と仕事をしたのは1978年。村上冬樹は香山浩介を見て、「ああこの顔は三島さんの好み」とか、思ったかしらん。

逗子駅(JR)と神武寺駅(京急)

2010年05月17日 | メモいろいろ
Googleマップでこの前から三浦半島のあちこちをぐりぐりと見て歩いているんですが、JR横須賀線の逗子駅と、京急逗子線の神武寺駅とは、線路が一本渡してあって、JRと京急がつながっているんですね。はじめて知った。京急逗子線は、京急本線の金沢八景から分岐して、六浦、神武寺をへて新逗子にいたる路線。だから、その気になれば京急の金沢八景から神武寺経由でJR横須賀線の逗子に列車が乗り入れることができるわけだ。まあ、電線がつながってるのかどうかは分からないけど。

曾野さんの海の家は「三戸浜」とのこと。