歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

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停電・断水時のトイレ

2011年03月31日 | メモいろいろ
特報:停電・断水時でも、こうすればトイレは使える」。この情報、東北の被災地のかた向けではなく、計画停電で一時的に停電するような場合のトイレの使い方なのですが。一回につき5~6Lの水を流すように書いてある。ふだんから風呂の水は溜めておきなさい、ってことか。でもどなたにとっても、あすはわが身、かも知れませんよ。トイレが使えない、トイレを我慢する、ということはストレートにからだにダメージを与えることなのだと、今回、改めてわたしは認識し直しました。
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なにをがんばれと?

2011年03月30日 | 気になることば
被災した人に、部外者が「がんばって」と言ってしまうことの是非については、阪神淡路の震災の時にさんざん議論になって、心ある人は避けましょう、って共通理解ができたと思っていました。しかしそうでもなかったらしい。NHKのアナウンサーまで、避難所の人に「がんばってください」って言っていたもの。

たとえば、「それではお体にお気をつけて」「はい、ありがとうございます。がんばります」などと、被災されたかたや被災地で働いていらっしゃるかたがご自分で「がんばります」と言うのには抵抗がない。(でもそういうとき相手に「がんばります」って言われたらちょっとかなしい。「がんばりすぎないでくださいね」と言いたくなる。)しかし、被災者の中にはこの災厄で家族を亡くしたり住むところをなくしたりして、がんばろうにも(今はまだ)がんばれないと思っているかたもたくさんいる。見ず知らずの、きれいな服を着た人から「がんばってください」と言われたって落ち込むばかり、ってこともあるのだ。

これが「(いっしょに)がんばりましょう」だと、確かに多少は落ち着いて聞いていられるように思われる。阪神淡路の震災のあとに神戸の球団の選手たちが、野球のユニフォームの袖のところに「がんばろう神戸」と縫いつけてたのを着ていたのもそういう背景あってのことだろう。「がんばろう日本」というのも同じ発想である。しかしこの「がんばろう△△」というのも安易に使い回すのは考えものだ。繰り返し使われればそれだけ、そこに込められた思いは薄まっていく。しかも「日本」とまで大きく出られると、これはまたあまりに漠然とした標語で、「何をどうがんばるんですか?」と聞き返したくなる。あるいは「ああたぶんほかの人ががんばってくれるんだわ」とばかりに自分は何もしない人ばかりになるんではないかと危惧される。
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リヒター『あのころはフリードリヒがいた』

2011年03月29日 | 本とか雑誌とか
ハンス・ペーター・リヒター/上田真而子訳『あのころはフリードリヒがいた』(岩波少年文庫)読了。「生まれたころ(一九二五年)」から「終末(一九四二年)」まで。ヒトラー政権下のドイツで、ユダヤ人の少年フリードリヒとその家族がいかに生きたかを、同じアパートでフリードリヒよりも一週間早く生まれた(ユダヤ人ではない)ドイツ人少年の「ぼく」が語る。

つらかった。今のような非常時にこういう重い本を読んではいけません。週末に部屋の整理をしていたらこの本が出てきて、少年文庫の読みやすい体裁の本ではあるし、ついつい読みはじめてしまった。

ひとつのまとまった物語というのではなく、全編は短いエピソードの積み重ねからなる。ちょっとしろうとっぽい構成なのだけれど、それが、(もちろんフィクションを交えてはいるんでしょうが、)ナマな素材の迫真性につながって、読むこちらの心をきりきり締めつける。といっても、すべてのドイツ人が一直線にユダヤ人迫害に突き進むわけではない。法の正義に忠実な良心的な裁判官とか、フリードリヒとドイツ人の娘の淡い恋とか、ユダヤ人への偏見なく行動する人々も点描される。ではありながらしかし最終的にはドイツ全体がユダヤ人迫害の狂気に飲み込まれてしまう。フリードリヒの親友である「ぼく」自身が、好奇心から人々の群れについていき、人々の熱気に飲まれてユダヤ人の住まいの破壊に荷担してしまうところなど、たんたんと記述されているだけに、そくそくと迫る恐ろしさがある。

さっきもちょっと言いかけましたが、非常時の人間のありようを考えさせられました。これは人ごとではないと思った。忿懣の矛先をいわれなき他人に向ける。これは誰にでもあり得るよ。さらに打たれ弱くなっているいまの日本人が現在のこの震災によるストレスに堪えられるのか、わたしは心配です。いや、被災していらっしゃるかたがたへの心配とは別にね。直接間接に震災の被害を受けていなくても、ストレスを溜めている人は日本中にいる。わたしも、この半月、ずっと胃が痛いです。

暴動がない、といって外国の人は驚いているそうですが、しかし被災した無人の家から家財を持ち去るとか、水に浸かったガソリンスタンドの給油器を壊して中に入っていた現金を盗むとか、そういうことは現にあるわけですよ。関東大震災のときだって虐殺事件があったぢゃないの。
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立原正秋『残りの雪』

2011年03月27日 | 本とか雑誌とか
立原正秋『残りの雪』(新潮文庫)読了。立原正秋ってはじめてだったんですが、巧いですなあ。井上靖の風俗小説にも少し似ているがあれよりもよほど色気がある。セックスもより直截に語られるし。

エリートである夫に去られたヒロインが北鎌倉の実家に戻り、妻ある男と恋に落ち、いっぽう家を出た夫のほうは同じ会社の女性と駆落ちするもののうまくいかなくなって──。ヒロインの家族とか、夫の駆落ちの相手とか、少ししか出てこないけどヒロインの不倫相手である男の妻とか、脇役がよく書けていて感心させられる。

ヒロインの逢引きのときに古今新古今や良寛の和歌が出てきたり、鎌倉グルメが語られたり、観光地と化した寺社の堕落を批判する社会評があったり。かと思うと駆落ちした夫のほうは、女とスナックをやり、その女の目を盗んで競馬に行ったりさらに別の女と浮気したりする。社会の上の層から下の層まで視野に収めつつ、会社経営者の娘であるヒロインと、やはり別の社の社長である魅力ある中年男との恋を、鎌倉の地や骨董の世界を背景に語る。

いろんなことに決着がつかないまま終わるんですが、違和感を感じさせない。そういえば源氏物語だってああいう終わり方だもんね、とか、そんなことを思う。

日経新聞の連載だったそうで、ははあ、なるほどなあという感じ。「小説の読者は貧乏人には関心がない」、というのは丸谷才一経由で知った誰かの説ですが(フォースター?)、そりゃあ日経の読者に読ませる小説ならば、こうなるかもしれないね。どんどん墮ちていく(駆落ちした)夫を視野のすみに収めつつ、有産階級の美しい女の不倫の恋を語るのは、作者も気分よかったと思う。

ドラマ化されて、そのときは山本陽子がヒロインをやったそうな。テレビドラマデータベースに出演者が列挙してあり、それから臆測するにたぶん不倫相手は池辺良。三宅邦子は母親。佐野周二が父親で、笠智衆はたぶん永明寺の和尚さん。なんか小津安二郎みたい。舞台も鎌倉だし。と思ったらドラマの制作には松竹が参画していたそうだ。
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2011年03月25日 | メモいろいろ
西のほうでは、じつはもう桜が咲いているのである。しかしこういう非常時だし、それにまだ寒いので、桜のことなんかニュースでも言わない。でも、最後にひと言でも言ってほしい。どんな災厄に見舞われても時が来れば命ある桜は咲く、と気づかせてもらうのは、よいことだ。

いっぽうで、みずほ銀行のトラブルは地震がなければ連日トップニュースだったはずだし、新燃岳はいまだに活動をやめていないし、リビアはリビアでもうあれは戦争というべき状態だ。

東京電力の計画停電。第1~第5の各グループをそれぞれA~Eに細分化。全25地域に分けて、「停電する地域を分かりやすく」(NHKオンラインの表現)するとのこと。ほんとに分かりやすくできるの? だいじょぶですか? 少なくとも、どことどこの地域が停電になるのかを伝えるのに、これまでより時間がかかって、伝え方も複雑になるよね。それにアルファベットは、目で見れば分かるけど、耳からでは聞きとりにくいぞー。それに、地域間での停電の頻度の不均等があらわになって、不平不満が噴出するのでは?
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地震直後のテレビ

2011年03月24日 | メモいろいろ
YouTubeに、3月11日の地震発生時に東京の各テレビ局がどういう映像、音声を流していたかを一斉にアップしている人がいて、興味ぶかく見せてもらった。コメント欄の評判では、NHK総合の伝え方が迅速でアナウンサーも落ち着いているといって絶賛されていました。それにしても、「災害のときはやっぱNHKだな」とかいう、何を今さらと言うしかないコメントをわざわざYouTubeに書込む心理というのが、やっぱりわたしには分からない。

でもNHKで地震後最初に出てきたベテランアナウンサーの伊藤健三さんも、その後に出た横尾さんもそうとう慌てていましたよ。でも、慌てながらも伝えるべきことをほぼちゃんと伝えていたのはさすがである。地震の時、NHKでは国会中継中でしたが、緊急地震速報から1分とすこしでスタジオに切り替わり、伊藤さんがこの大地震の第一報を伝えた。伊藤さんは、今はラジオでニュースを読むのを専門にしている人でテレビにはめったに出ない。そこらへんにいた伊藤さんが「とにかくニュース読んでください」と言われてテレビに駆り出されたのだろう。ラジオと同時放送だったのかも知れない。それからすぐに横尾さんという人にアナウンサーが変わった。伊藤さんよりも横尾さんのほうが慌てていて、声がうわずる感じだった。

地震後いち早く、東北地方の太平洋岸に大津波警報が出されたわけですが、しかしこのときはまだ、日本にいる人の大多数が、まさかあの後あんなことになるとは思ってなかった。その後のことを知っているわれわれから見ると、もっと「すぐに高いところに逃げてください」って連呼してほしかったと思うけど、アナウンサーだけぢゃない。わたしたち自身だって、ほんとうの津波の恐怖を、あのときはまだ知らなかったのだ。

フジテレビでは、震度の強かった地域を読み上げるところで、女子アナが山形県の「置賜」を読めなかった。「おきもの、と読むんでしょうか」とか言っていた。これにはがっかりした。確かに難読だが。でも天気予報には出てくる可能性のある地名なのですよ。いかに基礎的なことができてないか、よく分かった。

この災厄のことをマスコミでは「東北関東大震災」と呼んでいる。これはお役所がそういう名前に決めたんだったっけ。でもこれは、さきざき、大正時代の「関東大震災」と紛らわしくなって具合悪いと思うんですけどね。わたしは「東日本大震災」と呼ぶのが当っていると思う。
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水野さん山崎さん

2011年03月22日 | メモいろいろ
解説委員の水野さんはこの原発事故の報道ではじめて顔を見ましたが、『ラジオ朝一番』の八時台にはちょいちょい出ていました。いい声出す人だなと思っていました。去年の「はやぶさ」のニュースの時とか、日本人がノーベル賞を受賞したときとかに出てきて解説していた。だから原子力担当、ではあっても原子力専門ではないのだろうと思う。それなのに、いろいろ調べておいて、素人の質問に答えないといけないんだからたいへんだよなあ。科学文化部の山崎記者も同じく。原発がただならぬことになって、最初に出てきた解説者が山崎さんだった。そしていきなり出づっぱりだったもの。ご苦労さまです。もしかしたらふたりとも地震以来ずっとNHKに泊まり込みなのではないだろうか。少なくともふたりのうちのどちらかは、四六時中いつなんどきでも画面に映れるようにスタンバイしているはずだ。
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伝え下手

2011年03月18日 | メモいろいろ
東京電力の人たちも想定外のことに右往左往してるんだろうが、それにしてもあの会社の人たちのプレゼン下手は目を覆いたくなるほど。

東京電力の計画停電は、翌日から始めるという日曜日の晩に慌ただしく発表したり、止まると言って止まらなかったり、止まらないと言って止まったり、そういう手抜かりもさることながら、五つに分けたグループ割りの分かりにくさがまた相当なもので、この仕事に関わっている人たちの伝え下手をむざんに露呈しています。あのグループ割りというのは、しかしもしかしたら社内のあるレベルでは分かりやすいものなのかもしれないね。この町のこの一帯にはこういうふうに電線が張ってあるから、こう区切るのは当然だ、というように。しかし電線の張り方に詳しい人にとっては分かりやすくても、部外者にはさっぱり分からない。事情を知らない人に分かってもらうための伝え方、というのを工夫した気配がすこしも感じられないのは、この会社が、情報の伝え方の技術ということにしかるべき関心を払ってこなかったことをまざまざと物語っている。

テレビを見ていて「こうけつ」という名字があるのを知った。NHKに出演したんだったか取材されたんだったかした東大の先生で、纐纈、と書いて「こうけつ」と読むかたがいた。その後、東京電力か枝野さんかの記者会見で質問したどこかの社の記者で、「△△のこうけつです」と名乗っているひとがいた。たぶんこの記者さんも名前の漢字は纐纈なのだろう。親戚かしら。ちなみに一般名詞としての「纐纈」は辞書にも載っており、古くは「こうけち」と言って、絞り染めの名だそうだ。「纐」も「纈」も第二水準漢字で、表記には問題なし。
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つぶやくならひとりで

2011年03月16日 | メモいろいろ
twitterへの書込みのことを「つぶやき」というのは止[や]めなさいよ。あれのもともとの英語は「さえずり」っていう意味だそうですよ。ところが、日本に持ち込むときに、twitterに関わっているだれかが「つぶやき」と訳した。その後、いまはもうtwitter社では「つぶやき」っていう言い方はしてないそうですが、日本ではtwitter=つぶやき、っていう受け取りがすでに蔓延してしまっている。

twitter社は巧くやった。たしかに「さあ、あなたもつぶやきましょう」って言われると興味持つ人が多そうだもの。あんまり抵抗なく「ぢゃ、やってみようか」と思っちゃう。しかしそのせいで、あまりにも無意味無責任無内容な書込みがとほうもなく増殖し続けることになった。

あくまでも、不特定のだれかに向けて、ぴーちくぱーちく発信するのがtwitter。「つぶやく」のとは違うのよ。日本語で、つぶやく、といえばあくまでも独り言でしょうよ。他人に聞かせるものぢゃない。そのへんを勘違いしている人が多い。どーでもいいことをいちいち他人に聞かすなよ。
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トイレ!!

2011年03月14日 | メモいろいろ
飲み水や食べ物のことはみんな先づ考えてくれますが、それと同じくらい大事なのはトイレのことです。このことで普段並みのことができないと人間性がずたずたにされる。トイレのことを考えてあげてください。

心が弱っている人たちに「がんばってください」というのは、やはり酷だと思います。

菅さんはピンと来ないけど枝野さんはがんばっていると思います。準備してきたことだけ言って質問受けつけずにくるりと向きを変えて会見場から出ていく菅さんは、自分の持ち場から逃げ帰ってるように見えます。
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