歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

The Friars

2008年03月31日 | 音楽について
■ミシガン大学の学生さんから成るThe Friarsというアカペラ・グループ。素人がこんなに巧くていいのかと思うほど巧いです。8人組。ダブル・カルテットってわれわれは言ってましたけど。つまり、トップ、セカンド、バリトン、ベース2人づつ。レパートリーは、ええと、スタンダード・ナンバーっていうんですか、あちらではよく知られている(らしい)ポップス系の曲ばかりです。歌も巧いんですが、パフォーマンスのみごとさにちょっと茫然としましたよ。1955年からあるグループだそうで、ということは学生たちが代替りを重ねていまに至っているということでしょう。You Tubeで彼らの演奏がたくさん見られるんですが、とにかく達者なんですよ。ステージング、というんでしょうか、振付けやら、歌ってないときの素振りやらが、じつに楽しませてくれる。もしかしてアメリカには、あんなことのできるグループがあっちの大学にもこっちの大学にもあるんでしょうか。いや、今や日本でもあのくらいのパフォーマンスを見せてくれるグループはあるのかもしれませんけどね、わたしが知らないだけで。

■The Friarsのウェブサイトにはミシガン大学男声合唱団《University of Michigan Men's Glee Club》へのリンクが張ってあります。このグリークラブがThe Friarsの母体なんですね。

ガーディナー『パーセル/アーサー王』

2008年03月29日 | CD パーセル
Purcell
King Arthur
Smith, Fisher, Priday, Ross, Stafford, Elliott, Varcoe
Monteverdi Choir
English Baroque Soloists
John Eliot Gardiner
4509-96552-2

1983年録音。51分45秒/39分38秒。ERATO。これはいいですよー。メリハリのきいた粋な『アーサー王』が聴きたければ、むしろピノックよりもこのガーディナーのほうがいいかもしれません。まあ、どちらも高い水準で満足させてくれるので、どちらを選んでも後悔はしないとは思いますけどね。

むかし、NHK-FMでこのガーディナーの『アーサー王』が抜粋でかかったのを聴いて、それ以来、いつかは手に入れようとずっと思っていましたが、なかなかCDにならず、結局入手するまでに10年くらいかかりました。とくに印象が強かったのはポール・エリオットがソロを歌う"Come, if you dare"です。曲そのものの華やかさ、ソロと合唱が交互に歌う面白さもさることながら、エリオットの美声と巻き舌に、勇み立つようなかっこよさを感じました。パーセルはエリオットにとってもっとも相性のいい作曲家のひとりだと思います。

エリオット以外のソリストもスティーブン・バーコーにしろアシュリー・スタフォードにしろ軽い声の人が選んであってこれが成功しています。ソプラノにジェニファー・スミスがいますけど、ここではそんなに重たさを感じさせず、いい感じでアンサンブルのなかに収まっています。"Fairest Isle"はソプラノのジル・ロスで、ロスのソロはこの曲のみ。あどけない無垢な歌いっぷりで、わたしは嫌いぢゃありませんけどねえ。

第4幕のパッサカリア"How happy the lover"の繊細で都会的な感じ。あの曲の美しさはこたえられません。そしていつも巧いなあと思うのは5幕の酒盛りのシーン。ここはいつ聴いても感心する。というのはパーセルとガーディナーと両方に。

去年の10月にトリニティ・クワイヤの『アーサー王』を聴いて、それ以来、この曲を聴く機会が増えました。『ダイオクリージャン』が、ちょっとおとぎ話的な雰囲気を持っているのとくらべると、こちらの『アーサー王』はもうすこしなまなましいというか何というか、英米人の愛国心をかき立てるような何かがあるような気がします。

ガーディナーの判断によって、パーセル協会版とはことなる楽譜によって演奏されている箇所があります。とくにフィナーレ。ソプラノソロ"Saint George, the patron of our Isle"はパーセル協会版より短く、後に続く合唱"Our natives not alone appear"と同じメロディーをソロが先取りして歌うかたちになってます。そして最終合唱のあとにシャコンヌ。

来月買うかもしれない文庫本など

2008年03月28日 | 本とか雑誌とか
■4月の文庫新刊から目についたものをメモ。堀江敏幸『河岸忘日抄』新潮文庫。南木佳士『こぶしの上のダルマ』文春文庫。辻邦生『春の戴冠(1)』中公文庫。辻邦生の本は『嵯峨野明月記』を一昨年だったかに読んで、いいなあと思ったのだ。いま品切れですが、『天草の雅歌』もよかったねえ、長崎の話だし。そういや『安土往還記』は、昔読んだときにはただ読んだだけで通りすぎたけど、しばらく品切れだったのが復活していたので注文しました。

■ところで筑摩書房のウェブサイトによると、外山滋比古『思考の整理学』が売れているのだという。2007年に筑摩書房でいちばん売れたのがこのちくま文庫の『思考の整理学』なのだそうだ。いいことだ。ほんとにいい本ですよ。外山さんの近影が載っていますが、おじいさんになられましたなあ。

■それから大野晋・丸谷才一『光る源氏の物語』上下、中公文庫、が復刊になってたので(文庫の初版を一組持ってはいますが)ゲットしときました。腰巻きに「碩学と奇才が語る画期的な入門書」って書いてありますよ。この場合「碩学」は大野さんで、「奇才」ってのが丸谷さんてことでしょ。奇才、ってのもまあいちおう誉めことばでしょうが、ちょっと微妙なところのある誉めかたですわな。

エストマン『モーツァルト/コジ・ファン・トゥッテ』

2008年03月27日 | CD 古典派以後
Mozart
Così fan tutte
Yakar, Nafé, Resick, Winbergh, Krause, Feller
The Drottningholm Court Theatre Orchestra & Chorus
Arnold Östman
470 868-2

1984年録音。70分21秒/51分52秒/46分28秒。DECCA/L'Oiseau-Lyre。時代楽器を使ったモーツァルトのオペラ録音としてはごく早い時期のものだと思います。この『コジ・ファン・トゥッテ』はエストマンの、オワゾリールへのモーツァルト・シリーズ第1弾で、このあと『フィガロの結婚』『ドン・ジョバンニ』『魔笛』の順で録音されました。わたしが買ったのは以上4種を紙箱に入れた再発ものです。予想どおり、ブックレットに歌詞はついていなかったです、トホホ。

エストマンの指揮はテンポよく運んで、しかもメカニカルな冷たさはまったくなく、むしろいかにも小劇場らしい親密な空気感をただよわせ、なかなかのものだと思います。これで、清新な若手中心のキャストが組んであったらもっと評判よかったろうにねえ。

フェランドのイェスタ・ウィンベルイは当時やや若手だったんだろうと思いますが、それをのぞくとベテランで固めた布陣(ただしデスピーナのジョルジーネ・レシックって人のことはよく分かりません。でもこの人巧いですよ)。ラシェル・ヤカールとアリシア・ナフェの姉妹は、悪くはないけど、個性不足でいまいち。ウィンベルイはこのあとカラヤンの『ドン・ジョバンニ』に起用される人で、ワーグナーもベルディも歌えそうな立派な声をしてますが、ここではモーツァルトをちゃんとそれらしく歌ってます。グリエルモのトム・クラウセは当時すでに大ベテランのバリトンで、どこか人を食ったようなのほほんとした声質でもあるので、グリエルモぢゃなくてドン・アルフォンソみたいに聴こえなくもない。カルロス・フェラーのドン・アルフォンソとレシックのデスピーナはそれぞれ「らしく」歌えていて、いいと思います。

トーマス・アレンがグリエルモを歌った70年代のグラインドボーンの映像がDVDで出ていて、先に買ってたんですよ。そのDVDのほうは、フェランドが不調だったのをのぞいて歌手は好演だし、舞台装置は美しく、演出もごくスタンダードな好ましいものでした。いちど映像で予習しておくと、他の演奏をCDで聴くにしてもイメージが湧きやすいのでいいですね。

NHKの『ヨハネ』

2008年03月22日 | 音楽について
■昨夜のNHK教育の芸術劇場。オランダ・バッハ協会が紀尾井ホールで公演したバッハの『ヨハネ受難曲』、最後まで見てしまいました。『ヨハネ』はねえ、聴いてて退屈になるかなあとも思ったんですが、だいじょうぶでした。オケはパート各1人、声楽はソリストが合唱パートも歌って、さらに合唱部分にもう1人加わる、っていう最小構成でしたが、きのうの演奏の場合、ぜんぜん不満は感じなかった。むしろあの編成でちょうどいいと思いました。福音史家は日本でも有名なゲルト・テュルクでしたが、あっさり味で、もうちょっと身を乗り出すようなドラマティックな感じを出してほしかった。ほかのソリストはどの人も水準以上で、合唱もすばらしかった。プレイヤー全員がああいう近さで演奏できるのはいいですねえ。

『彼岸過迄』の川甚

2008年03月21日 | 本とか雑誌とか
■『彼岸過迄』を読了。岩波の新書判全集で読みました。旧カナは慣れると問題ないですけど、漱石の奔放な宛字が──漱石に限らず明治のものはそういうのが多いようですが──ちょっと読みにくく感じます。今はわたしも含めてたいていの日本人は漱石を文庫本で読むと思いますが、以前なんどか話題にしたように、文庫本では原典の漢字を一般的な用字に書き換えたりカナに開いたり平気でやりますからね。それにしてもわたし、『彼岸過迄』読んでなかったんですねえ。センター試験に出たところ、ぜんぜん記憶になかったので、こりゃいかんと思って、読みました。これは登場人物がやたら動き回る小説ですね。「須永の話」で敬太郎が須永をさそって「両国から汽車に乗つて鴻の台の下迄行」く話が出て来ますけど、漱石の小説で、東京より東のほうが出てくるのってほかになんかありましたっけ。あと、柴又、材木座、小坪、箕面、明石も出てくるでしょ。柴又の川甚て店は今も続く有名なところだそうですね。「二人は柴又の帝釈天の傍迄来て、川甚といふ家へ這入つて飯を食つた。其所で誂らへた鰻の蒲焼が甘垂るくて食へないと云つて、須永は又苦い顔をした。」とあります。川甚のウェブサイトにはこのうちの前半の文だけ、誇らしげに掲げてありました。

■それと、もちろん敬太郎の探偵物語ね。あそこは読んでて面白かったです。

キングズ・シンガーズ『マドリガル・ヒストリー・ツアー』

2008年03月19日 | CD 中世・ルネサンス
King's Singers' Madrigal History Tour
with The Consort of Musicke
TOCE-13398

1983年録音。74分06秒。EMI。ルネサンスの世俗声楽曲を集めたCDとしては、まづこれを聴いてほしい。イタリア、イギリス、フランス、スペイン、ドイツと、各国語による世俗曲を全34曲歌っています。重唱による曲のほか、リュート伴奏によるソロもあります。メンバーは、カウンターテナーがJackmanとHume、テナーがIves、バリトンがHoltとCarrington、バスがMasonです。コンソート・オブ・ミュージックはルーリー以下器楽のみの参加で、控えめに綾をつけています。

このアルバムの場合、ありきたりな『マドリガル名曲集』に終わっていないところがいい。マドリガーレ(マドリガル)発祥の地イタリアの作品からはじめて、この手の世俗合唱曲がヨーロッパ各国に広まっていった様子を実際の作品で跡づけてるわけですが、いまも他の国のものに比べると聴く機会が圧倒的に少ないスペインの作品をじつに鮮やかに聴かせてくれますし、伊英仏独の作品にしても、タイプのことなるさまざまな楽曲を取り合せて、退屈させず、飽きさせず、70分超のアルバムですが、一気に楽しめます。

わたしがいちばん心ひかれるのはジャヌカン「戦争」からはじまるシャンソンのパートです。「戦争」の早いパッセージにおける寸分ゆるがぬ技巧、ル・ジュヌ「優しい恋人が」の都会的で小粋な感じなど天下一品。キングズ・シンガーズのシャンソンをもっともっと聴きたいと切に思います。

キングズ・シンガーズの欠点はあまりに巧すぎるところですね。彼らの水も漏らさぬ演奏で聴いてしまうと、ルネサンス時代にこんな上手に歌えたはずないぢゃん、て思ってしまう。現代的で、スタイリッシュな印象の強い演奏なので、古雅な味を求める聴き手のなかにはキングズ・シンガーズをあまり好まない人もいます。気持ちは分からなくもありませんが、わたしはいろんなスタイルの古楽演奏を楽しんだほうが得だと思う。

とくに合唱やってる人がルネサンスものの入門編として聴くには最適。

『図書』2008年3月号

2008年03月18日 | 本とか雑誌とか
■『図書』2008年3月号。だいぶ遅くなりましたが、書きたくなったので。岡村喬生(egbridge一発変換!)「島国のDNA」。「数年前の夏、ロッシーニの故郷ペーザロで」、切手を買いに郵便局に行った岡村さんは、応対した中年の女性に、「すみません。日本はアフリカのどのあたりにあるのですか?」と尋ねられた由。また、去年の夏ウイーンのホテルでの朝食で、和食コーナーになかった生卵を注文した岡村さんに対して、ウェイトレスといっしょにコックが目を丸くして奥から出てきて、卵かけご飯を啜る岡村さんを見てびっくりしていたそうです。岡村さんは「彼らにとって生卵を飲むのは蛇と同じなのだろう」と書いている。そういう感じかもしれませんね。ただしですね、ペーザロの件については「まあそういうこともたまにはあるでしょう」と思うし、ウイーンの件については、いくら和食コーナーがあったにせよ、夏に、外国で生卵はよしたほうが安全なんぢゃないでしょうかと申しあげたい。

■中井久夫さんの連載3ページ分の次のページ、同じ見開きの左側に鶴見俊輔さんのこれも1ページの連載が載る。鶴見さんは「探偵小説家」の中井英夫と同じ小学校で同級生だったそうで、さらに軍隊でジャワに行ったとき、英夫の父である中井猛之進という人と関わりがあって親切にしてもらったことを書いている。鶴見さんによると、中井猛之進と英夫の父子の間はうまくいっていなかったらしい…。で、中井久夫と中井英夫の関係や如何に? こんなことは今はネットで検索すれば──関係があるにしろないにしろ──すぐに答えが見つかるんでしょうが、わざとほっておくことにします。鶴見さんが「探偵小説家」ということばを使っているのがちょっとうれしい。

■中央公論美術出版の広告で、坂本満他編著『南蛮屏風集成』、2月刊行とのこと。税込み50,400円…。

■4月刊行予定。十川信介『近代日本文学案内』岩波文庫。

ONKYOの変なリモコン

2008年03月17日 | メモいろいろ
■KENWOODのavino SE7というシステムコンポを10年ほど使ってきました。これは音が素直で、デザインもよく、サイズが幅200mmのミニコンポなので居間に置いていて大げさすぎず、気に入っていました。ところがこのうちのCDプレーヤーが挿入したCDを認識しないようになりまして、いちど修理に出したんですがそれでもまた同じような症状を呈するようになり、とうとう処分することにしました。そしてかわりにONKYOのC-705FX-SというCDプレーヤーを買いました。C-705FX-Sにしたのは、これは幅が205mmで、引き続き使うことにしたavinoのレシーバーやMDデッキの幅200mmと重ねて置いても違和感がないことと、別売りですがC-705FX-Sを単独で動かせるリモコンが出ていたのが大きな理由です。

■ところがこのRC289Cというリモコンがおかしな仕様なのでがっかりしました。このリモコン、CDトレイのopen-closeボタンはあるのに、電源ボタンがないんですよ。電源ボタンがないってことは、当り前ですが、CDプレイヤーの電源を切るには人間がいちいち機械のところまで行かなきゃならないってことです。これぢゃリモコンの意味がない。逆に、CDプレーヤーのトレイの開閉っていうのは機械にCDを入れたり出したりする場合の話ですから、人間が機械のところまでかならず行く必要があるわけで、そういうボタンがリモコンについててもこれまた意味がないんですよ。ONKYOはなにを考えているんでしょうか。

■ONKYOのCDプレーヤー本体にはひとまづ不満はないんですが、なにしろわざわざ買った別売りのリモコンがそういう困った仕様なので、ふだんBGMとしてCDを流すときには、同じスチールラックに収めてあるDVDプレーヤーにCDをかけて聴くことにしようかと思います。DVDプレーヤーも実は去年買い替えたばかりなのですが、こういうことならまちっといいのを買うんだった。Panasonicの、たぶんいちばん安い、1万円でおつりが来るのを買っちゃったんだよなー。しかしこっちは、当然のようにリモコン付属で、そのリモコンには電源ボタンがちゃんとついてます。電源ボタン、普通つくよなあ。

■というか、こんなことなら、DVDプレーヤーを買い替えたときに、CDプレーヤーを兼ねさせることを考えておくべきだったです。いや、チラッとは考えないでもなかったんですが、その時は、以前のCDプレーヤーがまだ動いてたんでねえ。

ミネット・ウォルターズ『蛇の形』

2008年03月16日 | 本とか雑誌とか
■ミネット・ウォルターズ/成川裕子訳『蛇の形』創元推理文庫、本体1,200円、2004.07.30,初版/2004.12.17,3版。

■原著は2000年刊。ミネット・ウォルターズの本はこれが2度目です。以前『囁く谺』を読んで面白かったので、また買ってみました。といってもこの本も1年くらい前に買ってほったらかしていたんですけどね。週末の金曜日の夜から土曜日にかけて一気に読みました。

■かつてアガサ・クリスティがしばしば書いた、過去の殺人の犯人探しの話。20年前、ロンドン郊外の住宅地、ヒロインのミセス・ラニラの自宅の前で倒れていたアフリカ系の隣人の死。警察はトラックに轢き逃げされた事故死として処理したんですが、ラニラは当時から殺人ではなかったのかと疑問を持っていて、しかし警察には相手にされず、周囲も無理解でラニラは孤立し、そのせいで夫婦仲まであぶなくなって、結局ラニラは夫とともにイギリス国外に移住することになります。その後20年をへて帰国したラニラは「正義」の実現のために、いったい何が起こったのかを自分の足を使って動き回り、真実に迫っていきます。

■20年前の、赤の他人である隣人の死にこだわるっていうのは、小説全体の枠組みとしてはなんか無理がある気がするでしょうが、人物がよく書けているので不自然な感じはあまりしないです。当時同じ通りに住んでいた住人たちが何組も出てきて、その中にはとんでもない悪ガキたちや、自宅に男を招き入れて春を売る女とか、アル中の暴力男とか、いろんなのがいるわけです。ラニラ自身、そいつらのせいでひどい目に遭っていたんです。そういう登場人物たちの複雑な人間関係が、真実を明らかにしていく鍵になるわけです。登場人物が多いんで、例によって誰がだれだったか憶えるのがたいへんですが、1200円ぶん(創元の文庫も高うなりましたなあ。)しっかり楽しませていただきました。