歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

「シテ」と「仕手」

2013年01月29日 | 気になることば
今朝の毎日新聞「余録」に、日葡辞書の〈Xite〉の項についての言及がありました。これを読むまでわたしは、能の「シテ」と、株の「仕手戦」「仕手筋」とかの「仕手」が同じ言葉だったとは気づきませんでした。

そこで『日国』で「して」をひくと、古い例として、連歌論書『九州問答』(1376)の、「今の様にては連歌の士手出来する事難有や侍らん」という用例を挙げている。ここでいう「連歌の士手」とは、〈連歌の熟達者〉とか〈──名手〉とかいう意味。『日国』に挙例されるものとしてはこれが最古例です。ということは、室町の始めごろから使われるようになった言葉なのでしょう。能でも、すでに世阿弥の『風姿花伝』に出てくる。連歌と能はきわめて近接した能藝だったから、連歌作者たちが使っていたことばを世阿弥が借りてきた可能性は大かも。

そして株屋さんについていう「仕手」は、1917年の『取引所用語字彙』にすでに見えるらしい。大正6年。わたしはここで、年末に見た『京都 天下無双の別荘群』を思い出しちゃったよ。あそこの東山の別荘の持ち主であった実業家の誰だったかが、能に凝っていたんだよね。してみると、「して」って言葉を株屋の世界に持ち込んだのは、能ぐるいの、どこかの株屋の旦那だったのではないか。

青海波[せいがいは]

2013年01月26日 | MacとPC
このデスクトップピクチャはMountain Lionになって追加されたもので、Circlesという名前ですが、色味からも、どう見たって青海波ですよねえ。日本の青海波の模様を見たデザイナーが、これを「サークルの集合体」とみて再図案化したんでしょうか。

OS Xのデスクトップピクチャのバリエーションが少ない、ということについては一度書いたことがあります。しかしその後も事態はあまり好転しませんねえ。LeopardだったかSnow Leopardだったか以降、きれいな写真のデスクトップピクチャは多少追加されてきたけど、実用的な(つまりデスクトップに貼り付けてもアイコンの視認性を妨げず、かつセンスがあって使い心地のよい)ものはほとんど増えない。むしろ、削除されて、減っている。そんななかで、このCirclesは、数少ない出来のいいデスクトップピクチャ素材です。OS 9までの旧OS時代のデスクトップパターンにも、青海波をモチーフにしたものがあって、わたしは使っていました。

アップル社としては、デフォルトのデスクトップピクチャはほどほどの数に抑えて、足りない分はオンラインウェアにまかせようという気持ちなのかもしれません。OS 9までは、Mac雑誌を買うと、付録のCD-ROMにデスクトップパターン用の素材がたくさん入っていて、楽しかった。わたしが以前使っていた青海波もどなたかが作ってくれたフリーウェアの素材だったかもしれない。

Mountain Lionに。

2013年01月24日 | MacとPC
Mountain Lionにひっそりとバージョンアップしました。べつに熱っぽい期待があるわけでもなく、粛々と。かつて、Snow LeopardがLeopardのバグフィクスのような版であったのと同じように、Mountain LionはLionの改訂版なのだろうとは考えていました。今年中にMac miniでも買うかなあと思っていて、その場合、手持ちのMacからデータを移行するのに、OSを揃えておいたほうがより安全だろう、とは思いました。それに、Mountain Lionでもegword universal 2は動くようですし、そろそろ上げてもいいかな、と。

上書きでお手軽にインストールしちゃったけど、Mountain Lionにして今のところ困ったところはありません。Safariが速くなったような気がする。とくに画像の多いページの表示が素早くなりました。でも、新しいページに飛ぶときにたまに妙に手間取ることがあるので、やっぱりまだ信用ならない。それにブックマークの編集もやりにくいし。これまでどおりFirefoxとの併用でいきます。

egword universal 2がMountain Lionでも動くのはありがたいんですが、みんな待ってる物書堂エディタについては、どうなってるのかさっぱり音沙汰がない。相変わらず待ってはみるけど、少しづつ諦めながら待っていることにしよう。

長崎に帰ってきたときにいったん朝日ネットは解約したんですが、事情あって、もういっぺん朝日ネットに入り直し、WiMAXのモバイルルーターでネット接続しています。有線LANとくらべてもそんなに遅くなく、速さに不満は感じない。

宛名書きソフト

2013年01月20日 | MacとPC
Mac用の宛名書きソフトをいろいろと物色。Mac用はがき作成ソフトとしては唯一の大型版?である〈宛名職人〉も何年かぶりに買ってみました。この他、〈宛名工房〉〈Macで宛名書き〉〈PrintEnvelope〉〈宛名はがき〉と、実は宛名書き用のオンラインウェアはいくつかあって、それぞれ試用したりApp Storeで購入したりして使い勝手をみてみたのですが、けっきょく、現在開発停止中の〈葉書AB〉が一番マシでした。もすこしがんばってほしいなあ、という面もないではないけれど、使ったみた中では戸惑いなく使えて、レイアウトの自由度もまあまあ高い。

Jeditの初期設定を、12ポイント、表示倍率150パーセントに変更。これまでしばらく、11ポイント、175パーセントにしていた。

1行の字数は35字で、これはずっと変えていない。

緋色とピンク色

2013年01月16日 | 演ずる人びと
きのう夜中に、舞台を現代に移したホームズもの、シャーロック『ピンク色の研究』というのをやっていた。面白そうだったけど、すこし見ただけで断念して寝た。何しろリハビリでからだが疲れていたのである。シリーズ第1作だったようで、ワトソンとホームズがルームシェアするにいたるいきさつが語られていた。ワトソンの声優さんは『Glee』のシュー先生役の人で、レストレード警部の声優さんは『おさるのジョージ』の〈黄色い帽子のおじさん〉だった。

それにしても『ピンク色の研究』か。実を言うと、わたし、ドイルの『緋色の研究"A Study in Scarlet"』読んでない。だから、『ピンク色』が原作『緋色』をどのように換骨奪胎してたのか、そもそも分かりようはずもなかったわけである。ちなみに「緋色」とは濃く明るい赤。『日国』によると、「茜で染めた色」とも、「黄の下染めに紅花で染めた色」とも。

ドイルのホームズものは、わづかに『バスカヴィル家の犬』をつい二三年前に読んだだけ。しかもあまり感心しなかった。

ポワロとマープル

2013年01月12日 | 演ずる人びと
10日木曜日の夜に名探偵ポワロ『オリエント急行の殺人』を、きょう12日の夕方にミス・マープル『殺人は容易だ』をBSプレミアムで見ました。再放送だったそうですがわたしは初めて見ました。ポワロのは、シリーズの始めのほうのはDVD買って見てるくらい気に入っていた。今度見た両作とも、よく作り込んである。映像もきれいだ。でも、わたしが年をとったせいなのかなあ、心ゆくまで楽しむ、というわけにはいかなかった。

ポワロのは、シリーズが始まってもう20年以上たったそうです。DVDで見る初期作品ののどかさが、わたしには懐かしい。ストーリーに引かれて、ということもあるだろうが、こんどのポワロは暗すぎた。そしてその暗さが、ポワロの──あるいはデイビッド・スーシェの──老いから来ているようにわたしには感じられてしまった。ヘイスティングスは健在だろうか…。

ミス・マープルのシリーズは、マープルもの以外の原作にもマープルを登場させていて、『殺人は容易だ』もその手のもののドラマ化。マープルが、汽車の中で偶然相席になった老女から「隠された殺人」の話を聞き、さらにその直後に当の老女が転落死したことを知って、殺人事件解決のために現場の村に出向いていく。でもこの発端では、ミス・マープルがあまりに出しゃばりに見えてしまう。感心しない。それに、登場人物が多すぎて、ついていけない。あれでは楽しめないよ。それにあのアメリカから来た娘の出生って、確か原作にはあんな話はなかったはずですが、あまりにもひどくないか。ついこないだ同じNHKで見かけたシャーロック・ホームズが、マープルとコンビを組む元警察官役で出てきました。

「東」ではなくて「柬」

2013年01月07日 | 気になることば
長崎県諫早市。わたしは諫早の知り合いがすくなかったので、自分で諫早、と手書きすることがこれまであまりなく、書いても諌早、と書いて済ませてました。でも、ほんとうの諫早の「諫」の字は、言ベンに「東」、ではなくて「柬」。

この、横棒ではなくてちょんちょんの「柬」は、ふだん使わない漢字ですが、束ねたものをより分ける、とか、えり分けて取り出す、という意味だそうで、音読みは漢音で「カン」、呉音で「ケン」。つまり「柬」が「カン」だから、これに言ベンがついた「諫」も「カン」なのね。たとえば諫言(カンゲン)とか。字の意味からいっても、「柬」が〈えらぶ、見きわめる〉という意味だからこそ、それに言ベンがついた「諫」が〈善し悪しを分けて、とがめる〉ということになる。

いちおう「東」についてもみておくと、いま手元にロゴヴィスタ版の『漢字源』しか漢和辞典がないんですが、これによると「東」には本来「柬」に通ずるような意味はなかったようですよ。それに、「東」は音読みも漢音「トウ」、呉音「ツウ」で、「カン」とは読めない。つまり、ちょんちょんの「諫」が横棒の「諌」と書かれるようになったのは、単に字形が似ているから、くづし字や速さが求められる手書きのときに「諌」と書かれた、ということのようです。

わたしだって知らずにこれまで「諌早」と書いてきたのでえらそうなことは言えないんですが、字の意味からいうとやはり「諫早」とあるべきで、まあ「いさめる」なんて動詞、時代小説の作家でもないかぎり使う機会はそうそうないとは思いますが、これを漢字変換させるなら「諌める」ではなく、ちゃんと「諫める」と変換させたい。