歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

ヒリヤード・アンサンブル『ダンスタブル/モテット集』

2005年11月25日 | CD ルネサンス-イギリス
Dunstable
Motets
The Hilliard Ensemble
CC33-3313

1982年録音。53分41秒。EMI(現Virgin)。国内盤の新譜CDが3300円だった時代に買った。ヒリアー指揮、ヒリヤード・アンサンブルによるダンスタブル(c.1390-1453)。ヒリヤード・アンサンブルのCDとしてわたしが特に気に入っているもの。

録音後20年以上経ったいま聴いても、このCDの魅力は少しも衰えていない。相変わらずみずみずしく、心の奥のほうにじんわりとしみ通っていく。じつに優しい音楽だ。有名なジョスカン作品集よりもこのダンスタブルのほうがよほどいいとわたしは思っているのだが、どうだろうか。

個人的なことをいうと、ホグウッドの『メサイア』で出会ったテナー、ポール・エリオットが出ている、ということで買ったのかもしれない。ここでのエリオットは出番が多く、この人ならではの甘く、澄んだ声をたっぷり聴かせてくれる。ひとりの歌手が、ある時は『メサイア』のソロを歌い、ある時はアンサンブルの一員としてアカペラを歌っている。そしてそのどちらもが素晴らしい美声なのだ。そのころ、本格的に歌い始めていたわたしにとって、これはかなり衝撃的だったのである。

参加している歌手は、カウンターテナーがデイビッド・ジェームズとアシュリー・スタッフォード、テナーがポール・エリオット、リー・ニクソン、ロジャーズ・カビィクランプ、バリトンがポール・ヒリアー、バスがマイケル・ジョージ。出番が多いのは、ヒリアーとエリオット、ニクソン。70年代に活動を開始し、80年代から90年代にかけて、いろいろな場所で活躍し続けた歌い手たちだ。

ダンスタブルは、CDのリリースそのものが少ないが、これは今なお代表盤として推せる。ながく記憶されるべき演奏である。

マルゴワール『ヘンデル/メサイア』

2005年11月21日 | CD ヘンデル
Handel
Messiah
King・Smith・Brett・Hill・Cold
Choir of Worcester Cathedral
La Grande Ecurie et la Chambre du Roy
Jean-Claude Malgoire
SB2K63001

SONY。1980年録音。ということはホグウッド盤の翌年の録音だ。マルゴワールにしてはテンポがいい。どの曲もだいたい適度なテンポで進む。無意味に遅すぎない。合唱は少年(を含む)で、むろん成人と比べると聴き劣りはするが、まづは健闘している。

ただしCD1とCD2の切り分け方がひどいことになっている。CD1に"And with his stripes we are healed"まで入れ、"All we like sheep have gone astray"からCD2に回してしまっている。この2曲はアタッカで切れめなしに歌われるのが通例であり、ここで切るのは常識はずれである。『メサイア』のことを知らないソニーの社員が考えなしに切り分けたんだろう。とんでもないことだ。

ソロはスミス、ブレット、ヒル、コールドで、天使のソロだけボーイソプラノに歌わせている。実はマーティン・ヒル目当てだったのだが、ここでのヒルは声が重たく、あまりいい感じではない。ウルリク・コールドも声が浅くて及第点に達しない。スミスの声はおよそ古楽向きとは言いがたく、わたしは苦手だが、しかし受け持っているアリアはしっかり歌えている。ブレットはこの後ガーディナー盤でも歌うわけだが、こっちのほうがいい。水準に達している歌唱だと思う。

1742年のオリジナル・ダブリン版と明記してある。"Rejoice greatly, O daughter of Zion"は3拍子のもので、しかもほかのCDのより長い、めづらしいバージョン。"How beautiful are the feet of them"は次の"The sound is gone out"を取り込んだ、ソプラノのダカーポアリアの版。

天使のソロにボーイソプラノを起用するのはガーディナーと同じで、しかもマルゴワールのほうが先である。

いまふうなヘンデル演奏とは違っていかにもおっとりしている。ひょうひょうとして捨て難い味がある。ただし、やっぱりマニア向け。

「野ブタ。」のアクセントの件

2005年11月19日 | 気になることば
昨日だったかおとといだったか、NHKラジオの午後の番組の司会者である有江活子さんが、白岩玄『野ブタ。をプロデュース』が売り上げランキングの上位に入っているという話の中で、「野ブタ。」を「ノ˥ブタ」と頭高に発音していた。この発音でいいのである。この話の中では、「野ブタ。」というのは「信子」という女の子のあだ名なのだから。しかし一般名詞「野ブタ」の共通語のアクセントは、「ノ˩ブタ」となって、語頭の「ノ」は低いはずである。あの放送のあと、NHKには、話の内容を知らない聴取者から「アクセントが間違ってる!」といってクレームが来たかもしれない。

ボイシズ・オブ・アセンション『モテット名曲集』

2005年11月18日 | CD 中世・ルネサンス
Beyond Chant
Voices of Ascension
Dennis Keene
DE3165

1994年録音。63分。DELOS。ルネサンスを中心としたさまざまな作曲家によるア・カペラのモテット集。このCDのこと、誰もなにも言わないけれど、この手の名曲集アンソロジーとしてはおすすめですよ。なにより演奏がいいし、曲も、めぼしいものが並んでいます。

ボイシズ・オブ・アセンションはアメリカの団体で、日本ではほとんど無名ですが、この団体は注目していいと思います。レパートリーは現代物まで幅広くやるらしい。このCDのメンバー表には上から5・6・5・5の21人がリストアップされているけれど、すべての曲を全員で歌っているのではなさそう。各曲、一パートを3人から4人くらいで歌っている感じ。

パレストリーナの"Sicut Cervus"から始まって、ジョスカンのあの有名な4声の"Ave Maria"がつづく。バードの"Ave Verum Corpus"、スベーリンクの"Hodie Christus Natus Est"、タリスの"If Ye Love Me"、ビクトリアの"O Magnum Mysterium"と、ここぞという名曲が次から次と歌われる。かと思うと、バロックの協奏曲作家として知られるレオナルド・レオの"Heu Nos Miseros"という珍品もあります。

演奏はいい意味で楽天的で、スカッと楽しめる。やはりいかにもアメリカ的だとは思う。深みに欠ける、と言われればそうかもしれない。NAXOSのオックスフォード・カメラータにもちょっと雰囲気が似ているけれど、あそこほど無味無臭ではなく、よく澄んだ響きのなかにも親しみやすさを湛えている。タリス・スコラーズの演奏を聴いていると冷たさを感じることがしばしばあるけれど、ああいう冷たさはここにはありません。

マルゴワールのヘンデルについて

2005年11月17日 | 音楽について
マルゴワールという人は、今日のヘンデルルネサンスに先駆けて、70年代以降、コツコツとヘンデルオペラを録音し続けてきた。本当にえらい人だ。『リナルド』にはコトルバシュ、『セルセ』にはヘンドリクスを呼べたわけだから、当時からそこそこの指揮者とは思われていたのだろう。しかし変人扱いだったんだろうなあ。

そしてなおかつ、この人には選曲眼がある。わたしはヘンデルではオラトリオのほうが好きで、オペラについては網羅的に聴こうという野望は、端っから、ないのだが、そういうわたしにしてみても、あちこちで評判を聞いて、これだけは聴いておきたいなあと思えるオペラばかりを、マルゴワールは録音してきた。1977年の『リナルド』以降、『セルセ』『タメルラーノ』『ジューリオ・チェーザレ』ときて、2003年の『アグリッピーナ』にいたる。(オラトリオでは、『メサイア』をオリジナル版とモーツァルト版とで二度録音している。http://www.gfhandel.org/のディスコグラフィでは三回録音しているようになっているが、誤りだろう。)

もはや77年録音の『リナルド』を人に薦めるのはさすがに勇気がいる。序曲からして田舎芝居のような鄙びたテンポである。しかし、コトルバシュをはじめ、ワトキンソン、エスウッド、ブレットなどはさすがにいい歌を聴かせている。ブレットなんて、ガーディナーの『メサイア』ではあんなに窮屈そうにしているのに、ここでは何とものびのびと気持ちよさそうに歌っているのがいい。

女宮

2005年11月16日 | メモいろいろ
あの方のことは「紀宮」として認識していて、名前を意識したことはほとんどなかった。「清子」と書いて「さやこ」とよむ、ということに、一瞬まごつく。ええと、「きよこ」ぢゃなくて「さやこ」さんだよな、と、頭の中で意識し直してから、喋ったり考えたりする。

いま手近にある『角川古語大辞典』では「さや」に該当項目がないので、「さやか」を引いてみると、宛てる漢字として【清・明】と出ている。「「さや」は擬声語。「か」は接尾語。清らかで混じりけのないさま。聴覚にも視覚にも用いる」とある。

イングレス?

2005年11月16日 | メモいろいろ
11月13日の『新・日曜美術館』はダビッドだった。ダビッドはアングルのお師匠さんだったそうだ。ああなるほど。ダビッドの描くナポレオンも美肌だけど、アングルの描く女の人も美肌ですよね。ちなみにアングルという名前は、Jean Auguste Dominique Ingresと綴るそうである。「Ingres」で、アングル。

畏るべし月丘夢路さん。

2005年11月10日 | 演ずる人びと
2005年11月、東京の帝国劇場で公演中のミュージカル『マイ・フェア・レディ』に月丘夢路という人が出ているのだが、この人って、1949年の小津映画『晩春』に原節子の友達の役で出たあの人? 同一人物? すごいなあ。東宝のサイトに行くと、『マイ・フェア・レディ』のポスターが出ている。もちろん舞台用の化粧をしているのだが、なかなかきれいな女王様なのである。わたし、月丘夢路は子どものころ何度か確かにテレビドラマで見た憶えがあるのだけれど、とっくの昔に亡くなっていると思っていた。

レイトン&ホルスト・シンガーズ『ホルスト_合唱曲集』

2005年11月06日 | CD 古典派以後
This Have I Done for My True Love - Partsongs by Gustav Holst
The Holst Singers
Stephen Layton
CDH55171

1993年録音。71分12秒。ホルストの合唱曲集。HERIOS。HERIOSというのはHyperionそのものなのだが、Hyperionから出ていたCDが、廉価盤になって再発されると、HERIOSというレーベルに替わるのである。

ピアノ伴奏はつかない。ところどころオーボエやチェロやハープが入ってくるが、基本的にアカペラである。曲によってはソロもある。とても聴きやすい曲ばかりで、演奏もいいので、合唱団のCDライブラリーとしては基本的なものになるだろう。このCDは合唱人に広く聴かれるべきだし、ホルストの合唱曲はもっと歌われるべきだ。

近代合唱曲をCDで聴くようになってまだ何枚めかなので、ほかの合唱団と較べてどうこう、ということは言いにくいが、しかしホルスト・シンガーズは安定感抜群のすぐれた合唱団だ。トラック8"Diverus and Lazarus"では男声のパートユニゾンが美しい。個人的には、最後に"Swansea Town"が入っているのが嬉しい。むかし男声合唱で歌ったのとは当然ちがう編曲なのだが、懐かしい。

イギリスの近代音楽をときどき聴くようになったのは最近のことで、マリナー指揮の近代オーケストラ曲のアンソロジーあたりから聴き始めて、そのあと合唱曲を集めたCDや歌曲集のCDをいくつか買い求めた。その過程でいろいろ検索したのだが、ことに声楽においてHyperionの充実ぶりはすごい。

ホルスト、1874-1934。ちなみにボーンウィリアムズは1872-1958。ちなみにディーリアスは1862-1934。ちなみにエルガーは1857-1934。ちなみにサリバンは1842-1900。なおウォルトンやブリテンは20世紀になってからの生れである。それにしても1934年という年は、順番は分からないが、エルガー、ディーリアス、ホルストが立て続けに死んだ年だったのだ。