歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

アウシュビッツ。

2005年08月20日 | メモいろいろ
さっきまでNHKで、アウシュビッツについての英米の放送局合作のドキュメンタリーを見ていた。第2回から見るようになって、今夜が第4回と第5回の2回分の放送、最終回だった。その後インターネットに出て検索したのだが、アウシュビッツで行われたことについての一般向けの文庫本て、ないのね。ヘスの回顧録が講談社学術文庫から出ているくらいだ。こんなことでいいんだろうか。

各回の終わりの音楽に使われていたのは、あれ、ヴァイスのシャコンヌ?

パロット『バッハ_ロ短調ミサ』

2005年08月20日 | CD バッハ
J. S. Bach
Messe h-moll
Kirkby, van Evera, Iconomou, Immler, Kilian, Covey-Crump, Thomas
Taverner Consort & Taverner Players
Andrew Parrott
7 47293 8

1984年録音。50分32秒/52分41秒。EMI/Reflexe。わたしが持っているのはEMI/Reflexeの初発の外盤だが、いまはVerginから出ている。アルト独唱にボーイアルトを使い、ソリストに合唱パートも歌わせ、合唱は、曲によっては1パート1人、曲によっては2~4人で歌っている。不満がないわけではないし、聴く人によって評価のはっきり分かれる演奏だと思うが、わたしにとっての『ロ短調ミサ』の基準はこの演奏である。

冒頭、〈Kyrie〉の出だしからしてまったく新鮮な響きがする。よくある言いまわしだが、贅肉をすべてそぎ落とされたバッハの音楽そのものが、敏捷な筋肉のように躍動している。肉づきのいいバッハを好む人は、もうこの最初の音で拒絶反応を起こすだろう。しかしこの、薄手だが、いたるところに発見のある響きの虜になってしまうと、ほかの、ボテッとした厚塗りの『ロ短調ミサ』では満足できなくなる。

パロットの解釈は全曲を通して妥当で、隙がなく、説得力がある。個人的にはとくに〈Confiteor unum baptisma〉が好きだ。ジョスカンを思わせるような、よく練られたポリフォニーの綾を緻密に聴かせる。堪能できる。

そしてやっぱりカークビーが素晴らしい。ソプラノ1が登場するデュエット3曲と合唱を歌っている。デュエットももちろんいいのだが、カークビーが合唱の最上声部に入るとそれだけでもうぜんぜん違ってくるのだ。たとえば〈Cum Sancto Spiritu〉のメリスマを、風のように完璧に歌い切るすばらしさといったら、ない。

テルツ少年合唱団から出ているボーイアルトはなかなか健闘している。ソロも合格。むしろテナーのカビィクランプがやや非力。たとえば〈Cum Sancto Spiritu〉のテナーが裸になるところなどでは、やや顎が上がって余裕がなくなる。

平岩弓枝『御宿かわせみ』

2005年08月18日 | 本とか雑誌とか
平岩弓枝『御宿かわせみ』文春文庫。

真野響子は好きな女優で、だから彼女と小野寺昭が出たNHKの『御宿かわせみ』はよく見ていた。それももう大昔のことだが、やはり「るい」と「東吾」はこの二人のイメージだ。

現役作家が書いている捕物帖シリーズってよく知らないのだが、いちばん有名なのがこれぢゃないかしらん。「初春の客」「花冷え」「卯の花匂う」「秋の蛍」「倉の中」「師走の客」「江戸は雪」「玉屋の紅」。

平岩弓枝という人は現代風俗小説もごまんと書き、またかつてはテレビドラマを書き、商業演劇のための脚色、演出もして、そうとうマルチな作家だが、最後は『御宿かわせみ』の作者として終わりそうな感じだ。わたしは高校時代、この人が原作・脚本を書いた『午後の恋人』というテレビドラマをちらっと見て、主題歌に使われていた中島みゆき(「根雪」)というシンガーソングライターを知り、さらには原作本上下2冊まで買ってしまって、しばらく平岩弓枝の現代小説に凝っていた。その流れで、じつは『御宿かわせみ』もシリーズ第1巻だけ読んではいたのだ。当時はまだそんなに『御宿かわせみ』も持て囃されてはいなかったと思う。それにしても最初の一編「初春の客」の哀切な感じは、筋を売ることばかりが目に立つこの作者の現代小説の読者からすると、意外なほど味わい深いもので、いつか、このシリーズをある程度まとめて読んでみようと思っていた。この夏、かつて読んだこの第1巻をもう一度読み、さらに第2巻『江戸の子守唄』も読んだ。

一文ごとに改行することの多いこの人の文章は、現代小説では、行数稼ぎぢゃないの?と思えてあまりいい感じしないのだが、時代物では気にならない。文体は現代物のときと変わらないが、よりすんなり読める。

この第1巻でシリーズ初期の主要キャラクターは出尽くしている。そして一人一人の性格づけがはっきりしていてそれぞれ魅力的だ。るいと東吾の不安定な恋愛関係がどう発展していくのかという興味で読者は引っ張られていく。捕物帖としてのお話自体も、ひとつひとつよく書けている。江戸の地名がたくさん出てくるので、切絵図(の複製本)を脇に置いて指でたどりながら読むと面白そうだ(うちにも人文社から出てるのがどっかにあるはずだけど…)。作者が勉強していることがよく分かる。江戸ブームに乗ったのも、ただ江戸が出てくるから、ということだけが理由ではなかった。

このシリーズが、後にこの作家の代表作に育っていくことを知っているから、いま読む読者は安心して読み進められるわけだが、しかしそれにしてもこの第1巻『御宿かわせみ』の諸編はなんとも暗い色調の作が多い。「初春の客」もそうだが、次の「花冷え」も心を打つ悲劇だ。

エリス・ピーターズ『秘跡』

2005年08月17日 | 本とか雑誌とか
エリス・ピーターズ/大出健訳『秘跡』光文社文庫。

修道士カドフェル・シリーズ11。このシリーズを読むのはシリーズ第1作の『聖女の遺骨求む』に続いて2冊目。殺人事件が起きてそれを解決する、という話ではなく、婚約を破棄されて尼僧になったはずの裕福な家の娘が、じつは尼僧院にたどり着く寸前で失踪しており、その娘はどうなっていたかというのが最後に明かされる。

中世、まだカトリック世界だったイングランドが舞台。私はこういうの好きなのだ。静かな僧院の雰囲気がよく出ている上に、一見静かそうに見えてもそこは人間のやることで、いろいろな感情の交錯、行き違いが上手に組みこんである。

謎は複雑なものではない。たいていの人は読んでる途中で「ハハァ」と感づくと思う。しかし巧みな語り口とクライマックスのスリリングな展開で、最後まで読ませる。『聖女の遺骨…』よりもこちら『秘跡』のほうが出来がいいし、シリーズの他の作を無視して『秘跡』をいきなり読んでもぜんぜん問題ない。本格的な謎解きものしか読みたくない人には不向きだが、あまり堅いことをいわずに面白い読み物を読みたいという人には勧められる。

訳文もこなれていて読みやすい。ただ一つ気になった。この物語におけるイングランドは、いわば戦国の世なのだが、「女帝」と呼ばれる女性が出てくるのだ。彼女は「王妃」と覇権を争う実力者なのだが、「女帝」って、原文ではどういうことばなのだろうか。

これはわたしにとっては『奉教人の死』を思い起こさせるような話だった。ただし、『奉教人の死』とちがってこちらはハッピーエンドだ。

ピーター・ラブゼイ『最後の刑事』

2005年08月16日 | 本とか雑誌とか
ピーター・ラブゼイ/山本やよい訳『最後の刑事』ハヤカワ文庫。

出版社の表記は「ラヴゼイ」だが、わたし流にラブゼイと書かせてもらう。ピーター・ラブゼイを読むのは『偽のデュー警部』以来だ。クリスティをそろそろ読み尽くそうかというころに他の作家をいろいろ物色する過程で『偽のデュー警部』を読み、まづまづ良かったという憶えはあるのだが、やはりクリスティほどの面白さでもなく、その後ディック・フランシスを読むようになったこともあって、ラブゼイとは縁がなくて今日まで来た。

湖に浮かんだ全裸の女性の死体。これの身元探しから始まって、犯人の可能性の高い被疑者がわりと早めに出てきてしまう。はやばやと犯人が特定されちゃうとこの先どうなるんだろうと不安がないでもなかったが、結局あっと驚くような真犯人が用意されているのだった。作者のミスリードに乗せられて、あっちへ連れて行かれ、こっちに連れて行かれして、最後にそう来るかーっ、という感じ。複雑に入り組んだ謎を解く、という感じは薄いが、今どきの警察小説のわりには、探偵小説の伝統的な作風からそう外れていなくて、ついていきやすかった。

複数の重要参考人が語り手となる章を差し挟んで視点を動かしつつ、螺旋階段をあがっていくようにじわじわと真相に近づいていく。その過程につきあうのが物語を読む快楽だと思うのだが、せっかちな人にとっては分厚すぎるだろうか。本文は536ページまである。

大学の英文学の教授が、溺れている小学生を救うために水に飛び込んだり、トライアスロンの選手でもある大学講師、なんていうのが出てきたりするのが面白い。イングランド南西部のバースBathが舞台だ。ゴダード『一瞬の光の中で』にもこの街が出てくる。人口十万たらずの小都市だが、美しい建物と古代の浴場跡が有名で、「風呂」というその名の通りの温泉地なのだそうである。

ジェイニー・ボライソー『しっかりものの老女の死』

2005年08月05日 | 本とか雑誌とか
ジェイニー・ボライソー/安野玲訳『しっかりものの老女の死』創元推理文庫。

原題《Framed in Cornwall》。イングランド南西端、海に突き出た足の爪先のような形をしたコーンウォールが舞台。地方色ゆたかな探偵小説。クリスティにも「コーンウォールの謎」という短編があった。

面白かった。海に囲まれたコーンウォール地方の自然描写も、登場人物の話す訛りについての記述も、物語の現実感を盛り上げるのに役立っている。ヒロインのローズは、美しく、行動力があって、モテモテの中年未亡人。画家兼写真家。仲良しの老未亡人ドロシーの突然の死の謎をさぐっていく。これは日本のテレビ局が日本の話に翻案して、2時間ドラマに仕立てそうな話だ。ドロシーはある人物の秘密を知っていて、それが彼女の死に深く関わるのだが、ドロシーが秘密を知った経緯が弱い。しかし作者の語り口は達者だ。前半の、何人かのあやしい人物についての思わせぶりな記述が巧く書いてあって、先へ先へとそそられて読んでしまう。

1998年というから最近の小説だが、書きようは古典的な感じがする。クリスティが好みの人なら、すんなり入れるだろう。

初期化してスッキリ。

2005年08月04日 | MacとPC
家で使っているPowerMacG4のハードディスクの、パーティションを切ってOSXを入れていたところを初期化した。そしてPantherを一から入れ直した。(Tigerも準備はしてあるのだがどうも食指が動かない。)

ハードディスクのなかみも、年に一度は大掃除をしたほうがいいようだ。このG4のハードディスクは、去年の夏にもともと入っていたのがおシャカになり(つらかった!)、家まで交換しに来てもらって以来使っているもので、それ以降、一度もハードディスクの整理をしたことがなかった。ソフトとデータをため込むだけだった。ハードディスクそのものはその後不調なかったのだが、Pantherでソフトを立ち上げる時に、わたしにとっては意味不明な注意書きが現れたりするようになって、初期化を決行した。

気分的にスッキリした。一時的に興味を持ったものの今となっては不要なソフトがごっそり溜まっていたのだが、そういうのを一気に処分してせいせいした。家ではADSLでインターネットにつないでいて、遅いのはしかたがないとしても、接続が不安定でしばしば接続できないことがある。その状況が、初期化後、多少改善されたようにも感じる。

ハードディスクは全体で80GBである。動く映像を扱わないのでこれで間に合っている。それを、だいたい同じ大きさの二つのパーティションに切っている。そのうちの一方は、保存庫にしていて、フリーソフトやらソフトのアップデータやらを入れ(、ついでにOS9でも起動できるようにし)ている。今回の初期化でも、そちらの保存庫のほうのパーティションに、OSXの「ホーム」フォルダーをまるまるコピーしてからとりかかった。ハードディスクの初期化というと、メールだとか、IMの登録単語だとか、そういう個人データのバックアップが気になって、なかなか踏み切れないのである。「ホーム」まるごとコピーしておくと気分的に安心できる。手間はかかるが、ATOKやiTunes、iPhotoなどの個人データは無事に復旧できた。