歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

『いしいしんじのごはん日記』

2008年08月31日 | 本とか雑誌とか
『いしいしんじのごはん日記』(新潮文庫)読了。思ったよりも時間かけて読みました。

いしいさんのむかいに「坐古家」という家があって、わたしはさいしょこれお店の屋号かと思ってたら、「坐古さん家みたいな一般の家に」(7月18日)とあるので苗字なのです。で、「坐」の字が異体字。左上の「人」が「口」に置き換わった字。この字はヒラギノ明朝Proにもありません。

それにしてもこの日記、いいなあ。いしいさんは少なくとも日記上ではとても人柄のいいひとで、おむかいの坐古さんやまるいち魚店の人たちはじめ三崎の人たちとじつにいいつきあいかたをしている。坐古さん家の女の子たちは毎日のようにいしいさんの家に遊びに来る。さらにとにかく千客万来で、謎の女性「園子さん」、そして編集者やら友人たちやら、いしいさんの弟さんやら、いろんな人がいしいさんを訪ねて三崎日ノ出町にやって来る。

いしいさんは三崎のおいしい海の幸で自炊生活していて、日々の献立が書き込まれているんですが、それがいかにも旨そうなんですよ。

しかしそれだけではなくて、いろんな人が訪ねてくるいっぽうで、いしいさんはしょっちゅう三崎の町の外へ出ていって、刺激を受けて帰ってくる。じつに活動的だし好奇心旺盛でいかにも新進小説家の日記らしい。この本の魅力の半ばは、精力的に執筆活動をしているいまの若い作家の、執筆の進み具合とかメディアとのつきあい方とか、そのあたりのことが克明に書いてあることだと思いますね。ふつうこんなことなかなか読ませてもらえないもの。あるいはネット日記を書いてる作家はほかにもいるとしても、いしいさんみたいに丁寧に、事情の分からない素人にも分かりやすく書いてくれる人はいないと思う。

この本のまん中あたりにはカラー写真のページがあって、いしいさん本人の写真(癒し系)、三崎の町の風景、いしいさん家の写真、のほかに、いしい家の家族写真も載ってます。大阪から訪ねて来たいしいさんのご両親、いしいさんのお兄さん、そして双子の弟さん。まあ絵に描いたような?にこにこ家族のスナップ写真。いしいさんの兄弟はみんなお母さんそっくり(とくにしんじさん)。でその写真には、おむかいの坐古さんとこの娘のるなちゃんがいっしょに写ってたりするんです。

パソコンの件ですが、いしいさんはこの年(2002年)、eMacと(Macの)ノートパソコンを買い足したそうです。わたしもeMacはちょっと食指が動いたんだけど、ああいうのは店で見るとそれほどでなくても家に入れるとものすごく大きくて取り回しに苦労するだろうことが分かっていたので諦めた。

この年の年末に園子さんが修行のために松本に家を借りることになって引越しがありました。この松本のアパートはこの先いしいさんの執筆の場にもなるそうです。

クリスティ『シャルパンティエ/3声のマニフィカト』

2008年08月30日 | CD バロック
Charpentier
Deux Oratorios & Magnificat
Les Arts Florissants
William Christie
HMA 195066

1979,81年録音。60分31秒。HMF。それぞれ25分強のオラトリオ2曲と、《3声のマニフィカト》H.73。この埋め草のように入れられている9分弱のH.73が絶品なのですよ。3拍子の流麗なリズムに乗せて、A、T、Bの3人の歌手が時にひとりで歌ったり時に声を重ねたりしながら歌い上げていく。優しさとすがすがしさのなかにほんのりと哀しさのまじった、いかにもシャルパンティエらしいマニフィカト。名曲。歌っているのはビス、ラプレニ、カントールの3人です。なにしろ、初めて聴いてからこのCDを入手するまで10年以上かかったんですよ。これはいつか楽譜を手に入れたいなあとずっと思ってるんですがまだ楽譜のほうは見ていません。

大昔にFMでこの《3声のマニフィカト》を聴いて、それ以来、忘れられずにずーっと気になっていた。演奏者は聞き漏らしたけれど、たぶんクリスティだろうとは見当がついていました。演奏の雰囲気からしてこの指揮者らしかったし、そもそも当時は、シャルパンティエといえばクリスティ、と相場は決まっていましたから。しかし、ただ《3声のマニフィカト》というだけで作品番号も分からず、クリスティのシャルパンティエは数が多かったからどの盤に入っているのかもわからなかった。で、いつだったかHMVでなにかのついでにたまたま見かけて試聴してみたら、なつかしいあの曲だったのである。

オラトリオは《聖女チェリーリアの殉教 (Caecilia virgo et martyr)》H.413と《放蕩息子 (Filius prodigus)》H.399の2作。歌手陣はこの時期のレザール・フロリサンの常連たち。H.399には放蕩息子の父親役でウルリヒ・ステューダーが出てます。この人はマルゴワールの『セルセ』でエルビーロを歌った人。器楽にはコワン、ケース・ベーケ、ユングヘーネル、ナイジェル・ノースなどが参加。この時期のレザール・フロリサンには後のビッグネームがしばしば出てたんですよね。

しかしこういうオラトリオは楽譜を見ながら聴きたいなあ。廉価盤でデジパック、はゆるします。でも、歌詞対訳がラテン語―仏語、しか載ってないのはいかがなものかと。

いしいさんのパフォーマ

2008年08月29日 | MacとPC
■いしいしんじ『いしいしんじのごはん日記』(新潮文庫)読み中。面白いですよ。先週末の『アド街』で三崎をやっていたんですが、その三崎の町に住んでいる作家の身辺雑記です。この本によく出てくる「まるいち魚店」は『アド街』にも出てきてました。作者のいしいしんじという人のことは知らなかった。わたしより少し若い小説家。浅草から魚のおいしい三浦三崎に引っ越して、小説を書いて、おいしい海のものを食べて、なにしろ今の作家だからマスメディアのためのこまごました仕事もして──みたいな日記。ブログみたいやなーと思ったらその通りで、いしいさんのネット上の日記を文庫にまとめたものらしい。ネットならタダで読めるぢゃん、てことになりそうですが、ちゃんと内容があって、ちゃんと人に読ませることを意識した書き方がしてあるこういうものは、パソコンの画面ではなくて紙に印刷された本で読んだほうがやっぱりいいですね。

■2002年5月21日(火)のおしまいのところ。「最終電車で三崎へ。あたたかい春の夜。鼻歌をうたいながら長い坂をおりうちへ帰る。」(p.137)とか。

■2002年6月28日(金)の記事で、いしいさんはこの当時Macユーザーだったことが判明。(いまはどうなんでしょうか。)機種はパフォーマ5280だって。ああこれねえ。わたしもこの筐体はあこがれました。わたしも最初のMacはパフォーマだったんですよ。わたしのはパフォーマ6260。これ。って、いま自分の記憶の正しさにちょっと驚いたんですが、さいしょに買ったパソコンのことって、あんがい憶えてるもんなんですね。はじめてインターネットやったのもこの機械でした。っていうかその前にしばらくニフティサーブでパソコン通信やっていて、あるとき試しにつないでみたら、ニフティ経由の電話回線でインターネットにもつなげてしまったのでした。

■しかしこのころのパフォーマっていまのヰンドウズなみにいろいろソフトがついてきたのね。まあパフォーマってのはそういう製品ラインだったんですけど。パソコン入門編としては手ごろなソフトがバランスよく入ってたと思います。あれでもうすこしちゃんとしたワープロが入ってればねえ。6260にはクラリスワークス2.0がバンドルされているのに、5280にはクラリスワークスはついてこなかったんですねえ。クラリスワークスの4はほんとにいいソフトでしたけどねえ。

ATOKのさじ加減

2008年08月25日 | MacとPC
■すでに6月の下旬に出ていた『MacPeople』の8月号。これをパラパラ見ておりましたら『ATOK 2008 for Mac[プレミアム]』のレビューが載っていて池田冬彦さんという方が書いています。誤りやすいカタカナ語をATOKが指摘してくれる、という箇所に書いてあるんですが、「アフェリエイト」と書こうとすると、ATOKは《「アフィリエイト」の誤り》と教えてくれるんだそうですよ。へえー。「アフィリエイト」が正しいなんて、知らなかった。でも、「ジャグジー」「ギブス」「アボガド」については、これらは誤りだそうですが、ATOKは指摘しないそうです。へえー。へえー。知らなかった。確かに「ギブス」とか「アボガド」とかは間違いだと聞いたような気もするけど、まるで憶えていなかった。もとの綴りはそれぞれJacuzzi、Gips、Avocado、だそうです。池田さんも書いているように、日本語として定着してしまったものは《誤り》とは決めつけないことにしたんでしょう。ただし「アフェリエイト」については《誤り》と言い切ってるわけで、そのへんの匙加減は微妙です。

■ちなみに『MacPeople』この8月号の裏表紙の広告はSONYでした。永ちゃんの、ブルーレイのレコーダーの広告。

キャスリーン・キング『ミラン/エル・マエストロ』

2008年08月24日 | CD 中世・ルネサンス
Luis Milàn
El Maestro(1536)
Catherine King, Jacob Heringman
CDGAU183

1997年録音。74分17秒。ASV/Gaudeamus。ミランの、ビウエラの伴奏による歌曲をたっぷり聴けるCDです。こういう静かな音楽はいいなあ。地味ですが、ときどき出して聴いてみたくなる魅力を備えた1枚です。

キャスリーン・キングは以前のマーガレット・フィルポットのような立ち位置にある古楽のメゾ。ただしフィルポットのほうはソロ盤は聴いたことないですがこの人はソロにも意欲的。イギリスの人ですが、くすんだ雅び、というか、高貴さのなかにほんの少しけだるさをにじませて、スペイン音楽らしい雰囲気をよく出しています。

ビウエラの、ぼろんぼろんというかぽろんぽろんというか、その中間くらいの、独自の音色もいいですね。ジェイコブ・ヘリングマンはキングとの共演もいくつかあるほかに、バーバラ・ボニーのソロ盤でもリュートでつきあっていました。

マンロウ『ギョーム・ド・マショーとその時代』

2008年08月20日 | CD 中世・ルネサンス
-The Art of Courtly Love Vol.1-
Guilaume de Machaut and His Age
The Early Music Consort of London
David Munrow
TOCE-11024

1972,73年録音。51分22秒。EMI。全18トラックでそのうちマショーが14トラックですから、マショーの作品集と見ていいアルバム。ギョーム・ド・マショーは14世紀フランスを代表する作曲家。日本では鎌倉の末から南北朝のころに生きた人です。歌い手はボウマン、ブレット、ヒル、ショウの4人ですが、器楽のほうはあれやこれや楽器を使っているのでマンロウ含めて10人も参加しています。

マショーは音楽家としてのみならず詩人としても文学史に出てくる人だそうで、まあ世阿弥みたいなもんですか。マショーに限りませんが、このころまで溯ると、古い音楽なのにいわゆるクラシックの音楽よりもむしろ新鮮な響きがしますよねえ。もちろん演奏の質にもよるでしょうが。

歌い手ではやはりマーティン・ヒルが際立っている。ヒルは1944年生まれだそうですからこの時もう20代の後半だったんですね。あれだけの美声とセンスの持ち主だから、20代後半にもなっていればもう恐いものなしです。とくに耳に残るのはトラック8「佳きひとに逢っての帰り」あたりでしょうか。

いろんな古楽器の音に耳を澄ましてみるのもこのCDの聴き方としておすすめです。コルネットを、マイケル・レアードなど3人で吹いているんですが、あのむつかしい楽器をよくもここまで、と思うほど吹きこなしています。トラック7「おみなよ、もしもそなたが」はマンロウのバグパイプのソロ。

伊調さん

2008年08月19日 | 気になることば
■北京オリンピックで女子のレスリングに出た伊調さんの妹さんのほうの、金メダルをとった馨(かおり)さんという人が、インタビューで〈千春がいたからここまで来れた〉という意味のことを言っていた。千春というのはお姉さんのことである。この妹さんは、前のアテネのときにも〈千春がいたから…〉と同じようなことを言っていた。それだけ姉妹の仲がいいということなんだろう。しかし20代もなかばになった人が公の場で、4年前とおんなじように、姉のことを呼び捨てにするのはちょっとひっかかる。4年前の呼び捨ても気になったのをおぼえているけど、そのときは、はじめてのオリンピックだし、姉ちゃんとそういういいライバルでいられるのはいいことぢゃないかと思って納得したのだ。そらまあ、蛙王の北島選手のようにもっと言葉遣いの悪いのはいるけれど、北島選手はあの言葉遣いもひっくるめてあの人のキャラクターなのだ。そこへいくと伊調さんはあんなに地味なのに、言葉遣いだけが子どもっぽいというか大人げないというか、とにかく社会人らしくないので気になるのである。その点、銅メダルの浜口さんは、あの人はもう30歳だそうなので当然かもしれないけれど、じつにきちんとした話し方をしますね。

平成中村座の『忠臣蔵』

2008年08月17日 | 演ずる人びと
十月に平成中村座が浅草寺で『仮名手本忠臣蔵』を上演とのこと。勘三郎父子、橋之助、弥十郎といったいつものメンバーに仁左衛門、孝太郎が参加。プログラムがAプロからDプロまであって、Aでは大序、三段目、四段目。Bは五、六、七、十一段目、Cは大序、二、三、八、九段目。Dは五、六、七段目。Dの配役がことに面白いと思いました。勘太郎の勘平と平右衛門、七之助のおかる、橋之助の由良之助、孝太郎のお才、勘三郎の源六だそうです。

こういう形の通しでも、二段目はやるのに十段目は省かれちゃうんですねえ。

先代勘三郎の勘平、歌右衛門のおかる、片岡我童のお才でDVDが出ていて、その我童さんが、もう大年増だけど気品もあり、度胸もあり、むかしそなえていたであろう色香をも感じさせて、祇園のお茶屋の女将さんてこうなんだろなあ、とつい思ってしまうような実にいい味出してるんですが、孝太郎のお才ってどんなものなんでしょうかね。

ディック・フランシス『奪回』

2008年08月16日 | 本とか雑誌とか
ディック・フランシス/菊池光訳『奪回』(ハヤカワ文庫)読了。いやー。今回も楽しませてもらいましたわ。今回の主人公は誘拐対策企業のスタッフだそうです。もちろんイギリス人なんですが、イタリアの若い女性騎手──当然ながらこの彼女が今回のヒロイン──が誘拐されて、その解決のために、その騎手の父親である実業家の依頼でボローニャに乗り込んでいる。すったもんだのあげくにその事件は解決するんですが、関連する誘拐事件がイギリスで、さらに米国で発生し、主人公であるアンドルー・ダグラスが乗り出していきます。誘拐対策企業──。今の物騒な世の中ならそういう仕事も当然必要だろうなとすんなり思いますが、これ1983年の作だそうですよ。

アンドルー・ダグラスはリバティ・マーケットというその企業の共同経営者のひとりで、同僚が何人か出てきます。たとえば、陸軍出のマッチョな同僚と人質救出のために共同作戦をやったりするのね。これまで、フランシスの主人公って、最前線ではわりと孤独に闘うことが多かったので、この点はめづらしい感じがしました。

で、今回はイタリア、イギリス、米国と舞台を移しながら、順調に事件が解決されていくんで、今回は「やられ」はないのかなあと思ったんですが、ちゃーんと最後のところで「やられ」も織りこんでありました。こういう「やられ」がないと、フランシスらしくならんのですよ。

フランシスの探偵小説のいいところは、筋の面白さだけではなくて、筋を語っていくうちに登場人物のキャラをちゃんと立ててくれるところです。毎度毎度ワンパターンっちゃあ、それまでですが。犯人に対する恐怖とか、危険に対する恐れとか、そういう弱いところもあるんだけどそれでも基本的に不撓不屈の勁さでもって犯人に立ち向かっていく主人公を、フランシスは描き出してくれる。その点、ゴダードの場合は、たしかに筋は面白いんだけど、人物の造型の点でどうも弱いことがよくあるんだよ。(ただし『最期の喝采』の主人公のトビーは、ゴダードにしてはよく書けてると思いましたよ。)

『最期の喝采』のブライトンという地名が『奪回』にもちらっと出てきます。ブライトンまでは「三時間のドライブ」なんだそうですわ。いえどっから三時間なのかイマイチ曖昧なんですが、どのみちロンドンかロンドン近郊からでしょう。

ロバート・ゴダード『最期の喝采』

2008年08月15日 | 本とか雑誌とか
ロバート・ゴダード/加地美知子訳『最期の喝采』(講談社文庫)読了。休日の半日を使って探偵小説を1冊読みあげる、というぜいたくなことを久しぶりにやりました。590ページ近い分厚い本ですが、朝10時ごろ読みはじめて、夕方5時には読み終えた。『リオノーラの肖像』ほど重厚ではなかったけど、やはりゴダード。いつもながら、よくもあれだけ謎を仕掛けて、そして最後にはとにもかくにも収まるところに収められるものですね。これも買いっぱなしでそこらへんに放り出していたもの。やっぱり講談社文庫はヒラギノ明朝になっていた。しかしW3ではないような気がする。W2だと思う。

旅公演でイングランド南部の保養都市であるブライトンにやってきた舞台俳優が主人公。ブライトンには別居中の妻が住んでいる。彼女からの求めに応じ、彼女を見張る男と接触してストーキングをやめさせようとする。そこから例によって主人公は、とんでもない秘密にずぶずぶ足を取られていくわけですわ。そのブライトンでの一週間の出来事を、主人公が日記がわりにテープに吹きこんだものの書き起こし、の体裁をとった作品です。

まあ、ゴダードのほかの小説と同様、「そんなん無理やろ」と突っ込みたくなるとこはありますね。金曜日に、主人公のトビーが、現在の妻の同居人であるところのロジャー・コルボーンの屋敷に何となく忍び込んぢゃうところとか。いくら奥さんに会いたかったにしろ、あれはあまりに無謀でしょ。まあお話を先に進めるためにはああいうふうにコマを動かすしかなかったのかも知れないけど。それとクライマックスシーンと結末は、やはりあまりにご都合主義よ。

一日で読んぢゃったせいと、ゴダードにはめづらしく一週間という限られた時間にテンポよく話が進むので、なんかね、ディック・フランシスを読んでるような錯覚に襲われました。フランシスの主人公同様、割りにやすやすと敵につかまっちゃうしね。でもディック・フランシスみたいに不屈の闘志で自力で脱出する、とはいかないのがゴダードなのね。

ブライトンは地図で見るとロンドンのほぼ真南、ドーバー海峡に面した街。作中にもちらっと言及がありますが、グレアム・グリーンに『ブライトン・ロック』という小説があって、丸谷才一が訳しています。