歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

ア・セイ・ボーチ『ジョスカン/ミサ・エルクレス』

2008年12月30日 | CD ジョスカン
Josquin
Missa Hercules Dux Ferrariae
A Sei Voci
Maîtrise Notre Dame de Paris
Les Saqueboutiers de Toulouse
Ensemble Labyrinthes
Bernard Fabre-Garrus
E8601

1996年録音。61分43秒。ASTRÉE。ジョスカンのCDでこれだけたっぷり器楽入りっていうのは初めて聴きました。合唱は児童合唱に成人男声。タリス・スコラーズのがジョスカンの音楽美のみを蒸留させたような演奏であるのに対して、このア・セイ・ボーチのはルネサンスという時代、フェラーラという風土のなかに音楽を位置づけようとする試みです。そしてそれは成功しています。

トラック1"Deus, in nomine tuo salvum me fac"、これモテットでしょうけど、いきなりインストゥルメンタルのみ。レ・サクブティエ・ドゥ・トゥールーズのおごそかな雰囲気ただよう見事なアンサンブル。次にヨハンネス・マルティーニという人の"Perfunde cœli rore"というモテット。合唱に器楽つき。これが7分20秒。それからグレゴリオ聖歌が歌われて、いよいよキリエ。それもまづサックバットやコルネットの序奏があってから合唱。そのあともア・カペラと器楽が綾織りのように織り重ねられてミサが進んでいきます。ジョスカンのミサの演奏というとア・カペラが当り前と思っているから、初めて聴いたら面食らうけど、じつに華やかで楽しめます。(ミサを楽しむ、って変ですか?)ミサの後、13分弱かかるモテット"Miserere Mei, Deus"その他も収録。

合唱はかなり厚みのある響きです。子どもの声が目立ちすぎず、下もしっかり人数がいて、どっしりと安定感があっていいです。オルガンはYasuko BOUVARDという人です。どういう人でしょうかね。

このア・セイ・ボーチの《ミサ・エルクレス》は同曲のみならずジョスカンのミサのCDとしてじつにユニーク。ヨーロッパ中世の絵巻物を広げて見ているよう。《ミサ・エルクレス・ドゥクス・フェラリエ》は最近に限っても(わたしは未聴ですが)ヒリヤード・アンサンブルのがあり、このア・セイ・ボーチがあり、さらにデ・ラビリント、ポメリウムと有力盤がいろいろリリースされています。今や《ミサ・パンジェ・リングァ》なみにメジャーな作品かもしれません。いや、わたしが知らなかっただけで昔から有名だったのかな。

ファゾリス『モンテベルディ_聖母マリアの夕べの祈り』

2008年12月29日 | CD モンテベルディ
Monteverdi
Vespro Della Beata Virgine 1610
Pennicchi, Simboli, Schofrin, Balconi, Beasley, Dordolo, Naglia, Maletto, Carnovich, Grandini, Zanasi
Coro Della Radio Svizzera, Lugano
Ensemble More Antiquo
Concerto Palatino
I Barocchisti
Diego Fasolis
47594-2

1998または99年ライブ録音。72分06秒/25分11秒。ARTS。録音日は99年6月24日とも98年6月18日とも表記してあるんですが、2回のコンサートからのピックアップとは考えにくく、どちらかの日の一発録音だと思われます。ディエゴ・ファゾリスと彼が率いるグループの実力をうかがうに足るすぐれた演奏です。ソロの一部に不満が残るのがなんとも惜しい。合唱は8・6・8・6で、ソリストも合唱に参加。指揮者も歌い手もイタリア系の名前ですよね。っていうかアレッサンドリーニやカビーナのところのアンサンブルで歌ってる人がいるし。

『晩課』はパロットとかヤーコプスとかで聴いていて、南欧の演奏を聴きたいとはずっと思っていたんですが、アレッサンドリーニのはOVPPでしょ。この曲をOVPPで聴くのはシュミに合わないのでほかのを、と思っていたところに、ファゾリスという指揮者のことを知って(この人のヘンデルやカリッシミを聴いて感心したので)、それで聴くことにしました。

たんにソツのない演奏、という以上の個性をこの演奏は備えていると思いました。合唱の仕上がりがすばらしく、イタリア語圏のスイス、って微妙な感じをよく表現している。歌ごころがあって、なおかつ澄明である。

ルガノは地図で見るとスイスの南端の(ということはイタリア国境に近い)ちいさな街で、人口2万5千くらいだそうですよ。そんな小都市にこれだけの力のある合唱団があって、これだけ充実したコンサートを聴かせるっていうのはすごいね。そういえばコルボの本拠地のローザンヌもスイスですが、やっぱりフランス語圏とイタリア語圏では気質の違いもあるんでしょうね。

テナーのMarco Beasleyという人が第1テナーらしいんですが、この人が力んだのかなんなのかやたら調子悪くて。声も美声とは言えないし。ほかのソリストには特に文句はありません。

アウォード

2008年12月28日 | メモいろいろ
小谷野敦『俺も女を泣かせてみたい』読了。身もフタもない書きかたをする人。ああなるほどなあと同感したり感心したりするところは多いんですが、どうも小谷野さんという人はやさぐれインテリというか。まあ正直な人なんだろう。しかしこんな人が友だちにいたらヤだ。
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NHKが"award"をアウォードと表記していた。いいことだ。もしかしてNHKは前からアウォード、だったのかな。なにしろアワード、とか書くのよりはこのほうがよい。民放も見習ってアウォードと書いてほしい。
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北村一輝と妻夫木聡は同じような顔ですね。似ている。まあ、わたしは次の大河ドラマは見る予定ないのでどうでもいいけど。

マロン『パーセル/テンペスト』

2008年12月27日 | CD パーセル
Purcell
The Tempest / If ever I more riches did desire
Trumpet Sonata / Trumpet Overture to 'The Indian Queen' / Chacony
Aradia Baroque Ensemble
Kevin Mallon
8.554262

1997年録音。76分14秒。NAXOS。セミ・オペラ《テンペスト》を中心に、パーセルのいろんな曲種の世俗曲を収めています。パーセルの世俗音楽の入門CDとして悪くない。例のブリテンの曲やなんかでパーセルに関心持った人がはじめて買うCDとして、とてもいいと思います。《テンペスト》はいい曲なのに録音が少ないのでその意味でも貴重。歌手は特にソプラノが清新で耳に残ります。ただイギリスのプレイヤーたちによるものと較べるとあっさりしてコクが足りないと思われるかも。

ケビン・マロン&アラディア・アンサンブルはシャルパンティエ同様パーセルでも実にフレッシュです。トラック6で入ってくるトライアングルの音とか、ちょっとしたことなんだけど「おっ」と思わせる小技が効いてる。

トラック7のアリア"Dry those eyes which are o'erflowing"、トラック14のアリア"Halcyon days, now wars are ending"、トラック16の二重唱と合唱"No stars again shall hurt you from above"あたりがとくに聴きもの。パーセル円熟期の優美なメロディーラインを楽しめます。

《チャコニー》Z.730や《トランペットと弦楽のためのソナタ》Z.850も収録。Z.850はNHKの『名曲アルバム』でもやってました。ヘンデルもトランペットの鳴らしかたはかっこいいけど、パーセルはよりかろやかです。

録音はエコーが強め。なおかつ古楽器の音がシャカシャカしていてやや気になります。こういう音色の古楽器録音は昔はときどきありましたけどね。録音場所はトロントの教会だそうです。それからこのアンサンブルは来年の生誕350年を期してのことでしょうが、パーセルの劇音楽の録音を始めました。わたしはホグウッドの6枚組をすでに持っているのであわてて買うのはよしときますが、興味はあります。

『ジ・エッセンシャル・エマ・カークビー』

2008年12月25日 | CD バロック
The Essential Emma Kirkby
5 61911 2

75分33秒。Virgin。1980年代半ばから90年ごろにかけてカークビーがVirginに録音したものからのピックアップ。カークビーの全盛期は80年代だったとわたしは思っていますので、まさにその時期の記録として一聴に足るものです。作品からいうとイギリス・エリザベス朝のリュート歌曲、モンテベルディ、シュッツ、パーセル、ヘンデル、バッハといった品揃えです。

リュート歌曲も70年代のダウランド全集のころと比べるとあきらかに声が熟してきて、いかにも古楽の女王と呼ばれるにふさわしい。モンテベルディは3曲。コンソート・オブ・ミュージックとしてのマドリガーレ集第8巻からのソロと、パロット指揮の『晩課』から採られていて、これはどちらも元のアルバムを愛聴しています。

パーセルは《Hail! Bright Cecilia》からの"Thou tun'st this world below"というわたしの好きな曲で、パロット指揮の全曲盤から採られているんですが、これは全曲盤買えなかったのでありがたかった。《Messiah》もパロット指揮のCDから"Rejoice greatly"と"I know that my redeemer liveth"の極めつきの2曲。こちらは全曲盤も買いました。ほかのソリストの出来が悪くて《Messiah》のCDとしてはあまりすすんで聴こうという気になれないものですけど、こうやってカークビーのアリアだけ取り出すとやっぱりいいですわ。

まあどの曲もいいんですけど、もっともカークビーの柄に合っているのはリュート歌曲からモンテベルディあたりかなあ。ヘンデルやバッハはほかにも歌える人が出ましたけど、16世紀末から17世紀の音楽を圧倒的な説得力で歌えるソプラノ歌手は、カークビー以後、まだ出ていません。

「きたならしの」

2008年12月24日 | メモいろいろ
きのうぼんやり地図を見ていて知ったんですが、千葉県の船橋市に、北習志野駅というのがあるんですよ。新京成電鉄と東葉高速鉄道の乗換駅で、栄えているところのようです。しかしねえ、「きたならしの」。どうですかこの駅名は。表だった反対はなかったのかなあ。たしかに習志野駅から北に行ったところにはあるんだけど、地名は西習志野なんですよ。それなのにわざわざ「きたならしの」。まあ、地元の人が納得しているんならいいけど。

そしてこれも知らなかったんですが、習志野駅って、習志野市ぢゃなくて船橋市内にあるのね。北習志野駅も習志野駅も船橋市内。でもって、習志野市の中心部にあるのは津田沼駅。習志野というのは千葉県の北西部の、ある地域の呼び名で、習志野という市の名はその地域名にちなんではいるけれど、習志野市の市域は広い地域名としての習志野の中心部ではないんだそうな。

桜馬場中に通っていたころ、桜馬場の通りに「習志野」という名前のスナック?があって、一度も入ったことはありませんでしたが、それでこの名前はみょうになじみがあるんですよ。習志野。学校の名前にはいいですよねえ。「北習志野」は、わたし的にはちょっとパスですけど。

ガーディナー『パーセル/ディドーとエネアス』

2008年12月23日 | CD パーセル
Purcell
Dido and Aeneas
Ode for St Cecilia's Day《Welcome to all the pleasures》
Watkinson, Mosley, Holton, Tindall, Shaw, Chance
Monteverdi Choir
English Baroque Soloists
John Eliot Gardiner
PHCP-5195 (432 114-2)

1990年録音。67分19秒。PHILIPS。ガーディナーがようやく録音した『ディドーとエネアス』。ディドーにキャロライン・ワトキンソンを持ってきたのが意外でした。ワトキンソンは古楽の世界ではベテランのアルトで、わたしはこの人の出た『リナルド』『セルセ』『メサイア』『復活』『ソロモン』などなど聴いてきたんで愛着あるんですが、90年のガーディナーなら、もっと一般受けするメゾを連れてこられたでしょうに。

70年代以降、ガーディナーはパーセルをあれやこれや録音してきて、そのどれもがすぐれた演奏ばかりだったのに『ディドー』はなかなか出してくれなかった。そのガーディナーが満を持して、という期待を持たせて出てきたCDなんですが、この録音、悪くはないんだけど、地味です。数ある『ディドー』の録音のなかで、上から数えて指を折るまでのこともない。なんかね、ガーディナーとしてはもうパーセルからは気持ちが離れてたんぢゃないですかね。でも『ディドー』まだ録音してなかったんでこの際入れとこか、みたいな。いやこれはわたしの勝手な想像ですけどね。

ワトキンソンは上のほうの音がちょっとヒステリックに聞こえる。ディドーは本来ソプラノの役で、ベルガンサやフォンオッターのように「上も出るメゾ」ならともかく、ワトキンソンのような「根っからのアルト」には荷が重すぎた。エネアスのジョージ・モスリーという人もたいしたことありません。ベリンダのルース・ホルトンが爽やかでいい感じ。総じて女声はしっかりしてますけどね。

パーセルでいちばん有名な作品と、手ごろな長さのオードを1枚で聴けるのが強みか。

コルボ『モンテベルディ_聖母マリアの夕べの祈り』

2008年12月22日 | CD モンテベルディ
Monteverdi
Vespro della Beata Vergine
Smith, Michael, Evans, Elwes, Huttenlocher, Brodard
Schola des Petits Chanteurs de Notre-Dame de Sion
English Bach Festival Baroque Orchestra
Les Saqueboutiers de Toulouse
Ensemble Vocal & Instrumental de Lausanne
Michel Corboz
WPCS-5681/2

1982,66,64年録音。73分58秒/65分56秒。コルボの『晩課』新録音(1982年)を中心としたアルバムの国内盤。1982年録音の『晩課』に、おそらく1966年の『晩課』旧録音から「6声と通奏低音のためのマニフィカト」を併せ、さらに1964年の「無伴奏合唱による4声のミサ曲」を足して2CDにしています。国内盤で歌詞対訳もついて2000円、場合によっては割引きで1000円台で買える、ってことで、お買い得ではありますわなあ。

82年の『晩課』再録は、真正面から正攻法で押してくる。そのこと自体は悪くない。一晩のコンサートだったらこれでいい。ただCDで聴くと、なんか、もう一味足りない感じがするんだよなあ。天下のコルボが指揮するあのローザンヌの合唱団、てオーラは感じられない。ただしソロはすばらしいです。テナーソロの"Nigra sum"をウィンフォード・エバンズが歌っていますが、これは繊細でニュアンスに満ちていている。わたしがよく聴いてるナイジェル・ロジャーズよりも、エバンズのほうが巧いと思う。エバンズともうひとりのテナーであるジョン・エルウィズの重唱もいい感じ。

66年の「6声のマニフィカト」は、演奏スタイルの古さは否めないものの意外と聴かせます。ひたむきな良さがあります。64年録音のミサは…、今となっては別のを聴いたほうがいいでしょう。念を押しときますがこれは『ミサ・イン・イッロ・テンポレ』ではなくて『倫理的・宗教的な森』に入っている4声の無伴奏のミサですよ。

表記には問題多し。CDケース裏に録音年が「1982年、1996年&1964年」とありますが、このうち「1996年」はおそらく「1966年」の誤り。また、歌手の表記がカタカナのみでもとの綴りが不明なのは仕方ないとしても、演奏団体は「ローザンヌ声楽器楽アンサンブル」としか書いてありません。これでは、グレゴリオ聖歌を歌っているボーイソプラノがどこの団体なのか分からない。調べてみたら、"Schola des Petits Chanteurs de Notre-Dame de Sion"ていうのがそれらしく、ほかにも"English Bach Festival Baroque Orchestra"と"Les Saqueboutiers de Toulouse"という団体が参加しているもよう。"Les Saqueboutiers de Toulouse"というのが金管アンサンブルだというのは臆測つきますが、"English Bach Festival Baroque Orchestra"ってのはどういうんでしょうね。なお"English Bach Festival"ってのは現在も活動を続けているようでサイトもあるんですが、詳細は知りません。

レ・サクブティエ・ドゥ・トゥールーズ"Les Sacqueboutiers De Toulouse"という古楽の金管アンサンブルは、それとはっきり認識していなかったんですが、ア・セイ・ボーチの『ジョスカン/ミサ・エルクレス』に加わっていて、それはそれは華やかでみごとなアンサンブルを聴かせていたのでした。このグループはあちこちの指揮者に呼ばれて演奏に加わっているようで、『晩課』だけでも、クリスティ、ヘレベッヘ、ガリード、コルボ(当盤)と4種類もあります。

ガーディナー『ヘンデル/サウル』

2008年12月21日 | CD ヘンデル
Handel
Saul
Miles, Dawson, Brown, Ragin, Ainsley, Mackie
Monteverdi Choir
English Baroque Soloists
John Eliot Gardiner
425 8256

1989年ライブ録音。73分09秒/43分36秒/41分49秒。PHILIPS。ヘンデルの劇的オラトリオの代表的な録音。わたしの知る限りもっともすぐれた『サウル』は今もこれ。この後マクリーシュ盤もヤーコプス盤も出て、結局三つとも買いましたが、総合点でやはりガーディナーのほうが上。

最初にダビデの勝利を祝うアンセム。その後、ダビデに対する老王サウルの嫉妬、サウルの息子ヨナタンのダビデへの友情、サウルの二人の娘のうちメラブはダビデを蔑み、ミカルはダビデを愛している、とかいろいろなネタがあって、最後は、戦死したサウルとヨナタンを悼む葬送アンセムで締めくくられる。ごく大雑把にいえばそういう内容。題材が大がかりで、ヘンデルの音楽もそれに見合う柄の大きなものになってます。

長い序曲のあと、短い合唱があってそのあとソプラノソロ"An infant rais'd by Thy command"が入る。ここを受けもつルース・ホルトンがボーイソプラノふうのキッパリした歌いっぷりで、もうここで引き込まれてしまいます。ここの辺りが、マクリーシュもヤーコプスも聴かせベタなんですよ。

歌手ではアラステア・マイルズのサウルが特にすばらしい。問題はデレク・リー・レイギンで、この人のエキセントリックなダビデは何度聴いてもミスキャストではないかと思ってしまいます。それ以外は問題なし。ドーソン、ブラウン、エインズリーの、当時まだ若手──というか売り出し中?──だった三人もいい感じです。とくにヨナタンの役は歌いづらいアリアが多いんですが、エインズリーはさすがに聴かせ上手です。

党利党略

2008年12月20日 | メモいろいろ
麻生内閣の支持率、10パーセント台後半に。ここにきてまた下がったのはこれはもう、雇用不安のせいでしょうね。麻生さんには気の毒だけどしかたないよ。自民党にとっては身から出た錆でしょう。だって、今、非正規労働者が全労働者の三分の一なんでしょう? 不況になれば真っ先に切られるのはそういう不安定な立場で働かされている人たちだってことは目に見えてたはずですよ。で、今はこういうふうに急激に不況になってきて、そのせいで非正規切りのことをマスコミが取り上げて、それで非正規労働者のつらい現実が明らかになったわけですが、これがもっとじわりじわりとくる不況だったら、マスコミも取り上げてなかったかもしれない。それはそれでおそろしい。

かといって民主党の今回の雇用法案の出し方もなんだかなあ。成立可能性ないんだもの。それが分かっていてあんなのを出してくる得体の知れなさがキライ。民主党の直嶋さんというえらい人が、〈一部のマスコミは今回の法案提出について民主党の党利党略だと言っているけどそういうことではありません〉と言っていましたが、でも世間は〈党利党略〉と思うでしょ。それにひきかえ、審議が尽されてないといって、自民党といっしょに参院の委員会の採決に反対した共産党の態度は好感が持てますよ。共産党員ふえるはずだよ。

ところで直嶋さんが言っていた〈一部のマスコミ〉ってのはどこですか。産経ですか? 讀売? 気がつかなかったけど意外とNHKかな? わたしは毎日、讀売、朝日の順でしょっちゅうウェブサイトを巡回してるんですが、産経のサイトはあんまり見に行かないの。なんでかな。肌に合わないと言うか。

朝のNHKのラジオを聴いていると、「長崎県」を、誤って「長野県」と読むキャスター、アナウンサーが耳に付く。もうちょっと気をつけてください。