歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

椰月美智子『るり姉』

2013年02月28日 | 本とか雑誌とか
椰月美智子『るり姉』(双葉文庫)読了。「本の雑誌」2009年上半期エンターテインメント・ベスト1だそうですが、わたしはそれほどまでにいいとは思えませんでした。あざとさを感じた。

全体は五章に分かれ、それぞれ、語り手が替わる。「るり姉」の姪三人、その姪たちの母である「るり姉」の姉、そして「るり姉」の夫。それはまあいいんですけどね。最初の章で「るり姉」が深刻な病気にかかってしまうのですが、その病気がどうなったか明かされるのは、とんで最後の章なのですよ。途中の三章は、三人娘とその母の一家の生活ぶりや、三人娘と「るり姉」とのかかわり、「るり姉」の結婚、などが時をさかのぼって語られる。その間、読者は「るり姉」が生きているのか死んだのか分からないまま、一家の思い出話に付き合うことになる。

この語りの手順こそがこの小説のキモで、椰月さんはたぶんこの工夫をまづ思いついて、それから中身のプランを練っていったんではないでしょうか。でもちょっと、わたしはこのプランには心動かされませんでした。

たしかに、ティーンエイジャーである三人姉妹のリアル・ライフはよく書けている。三人姉妹と叔母の「るり姉」のかかわり方も、ああこんな感じの叔母・姪のつきあいはあるんだろうなあと思った。でもそこに、登場人物の病気で読者を引っ張る、ってワザを持ち込まれたせいで、感動がうすれました。

ペトルー『ヘンデル_ジューリオ・チェーザレ』

2013年02月25日 | CD ヘンデル
Händel
Giulio Cesare in Egitto
Hammarström, Galli, Nesi, Karaianni, Basso, Christoyannis, Magoulas, Spanatis
Orchestra of Patras
George Petrou
MDG 609 1604-2

2006年録音。75分37秒/78分39秒/77分06秒。MDG。『ジューリオ・チェーザレ』を買ったのはミンコウスキ以来です。ペトルー指揮の前作『タメルラーノ』がとてもよかったので、『ジューリオ・チェーザレ』も聴いてみることにしました。『タメルラーノ』のときほどの圧倒的な説得力とまではいかぬにしても、じゅうぶん満足できる、質の高い演奏だと思います。1724年版の完全録音とのこと。

ペトルーの指揮はこれ見よがしなところのない好感のもてるもので、しかしイキがよく、CD3枚を通して聴いてもダレない。ヘンデル指揮者として大成してもらいたい。

チェーザレ、セスト、トロメオはいづれも女声。ニレーノをバスが歌っている、とケースにはあるけれど誤り。ちゃんとカウンターテナーが歌ってます。しかしカウンターテナーがニレーノのみで、他の役は(アキラとクリオは別として)ぜんぶ女声が歌っているということで、その点どうなのかなと思ったんですが、それぞれ聴き分けやすい声質で、問題なかったですね。

セストのMary-Ellen Nesiと、コルネリアのIrini Karaianni、アキラのTassis Christoyannisは『タメルラーノ』に続いての出演。チェーザレのKristina Hammarström、クレオパトラのEmanuela Galli、トロメオのRomina Bassoは客演て感じかな。ギリシャ組も客演組もそれぞれ好演しています。

タイトルロールを歌っているKristina Hammarströmというメゾはスウェーデン人で、スウェーデンには女子サッカーの選手でKristin Hammarströmという人もいるとやら。またクレオパトラのGalliはラ・ベネシアーナのモンテベルディに参加していて来日もしているそうですね。Galliはコジェナのクレオパトラと比べるとどうしても地味に聞こえてしまいますが、合格点。

トロメオのBassoは、YouTubeでディドーを歌っているのを見たことがあります。ここでもよく歌っているし、トロメオ以外の役でもじゅうぶんイケる実力派だと思います。

セストとコルネリアに関しては、ミンコウスキ盤よりもこちらのほうがむしろいいのでは。セストは、役柄は少年なのにアリアは技巧的で、難役ですが、Nesiは若々しい声で、歌のテクニックもあり、あらためていい歌い手だと思いました。アキラのTassis Christoyannisは、前作『タメルラーノ』ではバヤゼットを歌っていた人。素晴らしい声で、アキラを歌うにはかっこよすぎるほど。

なお、ニレーノを歌っているカウンターテナーはNikos Spanatisという人。いっぽう前作『タメルラーノ』で題名役を歌っていたカウンターテナーはNikolas Spanosという人。別人なんでしょうが、よく似た名前。共演したら紛らわしいでしょうな。

イェイツ『ヘンデル_ハープシコード作品集』第1巻

2013年02月21日 | CD ヘンデル
Handel
Harpsichord Works Volume 1 (1733)
Sophie Yates
CHAN 0644

1998年録音。67分03秒。CHANDOS。ソフィー・イェイツはシャンドスからヘンデルのアルバムを3枚出しています。そのVolume 1がこれ。HWV番号でいうと434から439まで。1733年の『クラビーア組曲集』全9曲のうち、第1番から第6番まで。なお、残りの3曲のうち、第7番と第8番はVolume 3で録音されています。(第9番は未録音。)

オペラ作曲家だったヘンデルにとって、鍵盤楽器のための作曲は余技に過ぎなかったんでしょうが、それにしても、よく歌う魅力的な音楽がここにはある。イェイツを聴いたのはこれが初めてなんですが、華があっていいです。

ここでイェイツは、ヘンデルにおける典雅さ、というかフランス・ロココっぽい艶やかさを強調しています。アンニュイ。華やかさのなかにひそめられた憂い。こういうのは、これまでわたしの気づいていなかったヘンデルで、そういう意味でじつに面白かった。

しかしそればかりではなく、やはり、雄渾な、男っぽい側面も。たとえば組曲第4番の第3楽章(トラック13)は、弦楽合奏版で有名な「サラバンド」の原曲。NHKで放送されたドキュメンタリー『アウシュビッツ』の、確かエンドタイトルに流れた曲。

ヘンデルのクラビーアのための曲を全部録音するためにはCD4枚必要なようで、イェイツはまだ3枚しか出していません。でもイェイツのヘンデル・シリーズはとりあえず3枚で完結しちゃったみたいね。わたしはこのイェイツの1枚と、あとスコット・ロスの2枚組があるので、それでよしにするつもり。

『ジューリオ・チェーザレ』

2013年02月20日 | 音楽について
日曜日の夜遅くから月曜日の早朝にかけて、NHKのBSプレミアムで『ジューリオ・チェーザレ』の中継録画を流していました。わたしは最初の1時間くらいで寝てしまいましたけどね。題名役がショル、クレオパトラがバルトリ、コルネリアがフォン・オッター、セストがジャルスキ、トロメオがデュモーでありました。ここまではまあよい。なかなかの豪華キャストと申せましょう。しかし、さらにニレーナ役でヨッヘン・コワルスキーが出ていた。おばちゃんの役。女形ですな。わたしは今の声楽界におけるコワルスキーの立ち位置というものを把握していないのですが、コワルスキーってこういう色物あつかいでもういいんですかね。

ショルという人は、歌はうまいとわたしも思うけれど、オペラの実演に出てくるとちょっと違和感がぬぐえない。とくに今度のみたいな現代的な演出のに、スーツを着て出てくると。バルトリは、最初のアリアだけ聴いてわたしは寝たのでいろいろ言えないけど、相変わらず品がないなあと思いました。ただこのオペラのクレオパトラは一癖ある役なので、合ってるかもな。

フォン・オッターは、わたしがもっとも熱心に古楽を聴いていたころにいろんな録音に登場してきて、どれもが安定した実力を示していたので信頼を置いてきた歌手ですが、老けましたなあ。いや、声はまだイケますけど、容貌がね。むざんであります。

NHKは『ジュリアス・シーザー』と、英語読みの表記をしていた。より分かりやすくと考えたのだろうが、事情を知らない人は、シェイクスピアの戯曲をオペラに仕立てたものかと思うのではないか。(もしそんなオペラがあったらえらく男臭い作品になってるはずですな。ブリテンの『ビリー・バッド』みたいな。)

新田次郎『つぶやき岩の秘密』再読

2013年02月19日 | 本とか雑誌とか
新田次郎『つぶやき岩の秘密』再読。かつて新潮少年文庫で出会ったなつかしい本が、ようやくようやく新潮文庫に入りました。三浦半島の西南部の海辺の村を舞台とする少年小説。海の好きな少年・紫郎の成長を語る。潮の干満についてのゆたかな知識はいかにも紫郎にふさわしく、また作者・新田次郎にふさわしい。冒険あり、謎解きあり、殺人事件まで起こる。けれどざわざわした感じはしなくて、むしろ詩情あふれる風情。今読んでもやはり面白い。

しかしこのたびもっとも衝撃を受けたのは、同書、中島京子さんの「解説」にあった次の件り。「ちなみに小説中の白髯さんの家のモデルは、当時三戸浜にあった三浦朱門の別荘だそうである。」──三浦朱門の別荘というのは、つまり曾野さんの例の「海の家」で、曾野綾子のエッセイや小説に親しんでいる者には「ああ、あれね」とすぐ思い当たるところ。『つぶやき岩の秘密』の風景と、『太郎物語』や『神の汚れた手』『傷ついた葦』などなど曾野さんの小説の風景が思っていた以上に重なっていたことを知って驚く。

新潮少年文庫のうち、読んだとはっきり憶えているのはこの『つぶやき岩の秘密』と星新一『だれも知らない国で』のふたつで、『だれも知らない国で』のほうはわりと早くに『ブランコの向こうで』と改題されて新潮文庫に入っていました。まあ、読めないよりはずっとマシだ。あと、新潮少年文庫に結城昌治『ものぐさ太郎の恋と冒険』があり、これについては丸谷さんの書評をどこかで読んだけど、『ものぐさ太郎の…』そのものはいまだ読むにいたらない。ほかに吉村昭『めっちゃ医者伝』というのもあったはず。この少年文庫のシリーズは、昭和四十年代の後半、ハードカバーに、しかも箱がついて、500円という値付け。当時としても格安だったと思いますよ。当時の装幀で、シリーズまるごとリバイバル復刊してくれないかなあ。

セキュリティソフトなど

2013年02月18日 | MacとPC
Integoのセキュリティソフトでインターネット・セキュリティ・バリア6というのを、去年、新しく買ったMacのためにあらたに購入していたのですが、それがこのたびMac Premium Bundle 2013というのになって、無償でバージョンアップさせてもらいました。Virus Barrier、Net Barrier、Family Protector、Personal Backup、Washing Machineといろいろ盛りだくさんに入っている。まあ、要らないのもあるけど。

セキュリティソフトはもう何年もIntego製品を使っています。以前はシマンテックだったけど、シマンテックが一時期Macから手を引いてしまい、その間にIntegoに乗り換えて、それからはずっとIntego。

以前のバージョンでは、Virus Barrier、Net Barrierのほか、Personal Backup(バックアップソフト)がついたのを使っていました。ふだん使っている資料を1本のUSBメモリに入れて、自宅とオフィスの間を持ち運んでいました。そして自宅とオフィスそれぞれのMacのハードディスク内に、USBメモリのバックアップファイルを準備していました。そのためにバックアップソフトが必要だったのね。この手のソフトもいろいろあるので、試してみましたが、このIntegoのPersonal Backupというのが、慣れてるせいもあるのか、いちばん分かりやすかったのですよ。

でも、せっかくバージョンアップしたのにもったいないんですが、もう今はPersonal Backupは使っていません。USBメモリに書類を入れて持ち運ぶ、ということもしなくなった。オンライン・ストレージ(DropBoxとSugarSync)を使うようになったので。この手のサービスもいろいろありますが、わたしは今のところこの2つに絞ってます。DropBoxは無料で使える2GB、SugarSyncは30GBを年間契約で手続きしています。SugarSyncは、ハードディスク内の任意のファイルを指定して同期できるのがいい。特にIMのファイル(KawasemiとATOK)を2台のMac間で同期しています。

アレッサンドリーニ『モンテベルディ_マドリガーレ集第2巻』

2013年02月14日 | CD モンテベルディ
Monteverdi
Secondo Libro de' Madrigali
Concerto Italiano
Rinaldo Alessandrini
OPS 30-111

1994年録音。58分15秒。OPUS111。モンテベルディのマドリガーレ集第2巻。イタリア・ルネサンス音楽の到達した美の極致を堪能させてくれる、って感じ? 優美でありながらキレがいい。歌手はRossana Bertini、Rosa Dominguez、Claudio Cavina、Giuseppe Maletto、Sandro Naglia、Marco Radaelli、Daniele Carnovich。歌手ひとりひとりの自発性が高く、充実した演奏が前へ前へと進んでいく。なおかつ、アンサンブルはしなやかに決まって、音のたゆみもない。

コンチェルト・イタリアーノのモンテベルディは、この前年に録音された『第4巻』を先に聴いたのですが、『第4巻』はまだちょっと力みがあったんぢゃないでしょうか。この『第2巻』のほうが、より完成度高いと思いました。

『第2巻』も、もちろんラ・ベネシアーナの演奏があり、そっちも気にはなるけれど、このコンチェルト・イタリアーノ盤は上々の出来で、充分満足できる。今のところ、ラ・ベネシアーナ盤を追加購入する予定はありません。

このグループによるモンテベルディのマドリガーレ録音は、曲集別のものとしては確か、2巻、4巻、5巻、6巻、8巻それぞれの全曲盤があったはずです。そしてこれら以外に、《タッソーの詩によるマドリガーレ集》とかの企画盤がいくつか。これはなかなか興味深い。わたしも、4~6巻と8巻が、この作曲家のマドリガーレのキモだと思ってるから。これに加えて、初期の1~3巻の中からあえて一つえらぶなら、わたしとしてもやはり2巻。いやさほど深い意味はなく、〈波はささやきEcco mormorar l'onde〉が入ってるから。全音の『イタリア世俗曲集』(1? 2?)に入ってるから、合唱している人でこの曲を歌ったことのある人は少なからずいるでしょう。2巻の曲では、〈愛の神が狩りにS'andasse Amor a caccia〉も人気あるみたいです。これも国内譜が出てるのかな?

しかしモンテベルディのマドリガーレを合唱で歌うのはむつかしい。8巻は別格として、4~6巻のむつかしさも言うもさらなりだが、2巻あたりの小味な曲も、さらりと洒落た仕上がりにするのは至難の業だ。重く、ぼってりした演奏になりがち。少人数の軽い響きで、丁々発止の声のやり取りを楽しみたい。

「よりによって」

2013年02月13日 | メモいろいろ
きょうの毎日新聞の「長崎県内総合」面に載っていた記事。8日のベルハウス東山手の火災の続報。それによると、当日、午後8時までの勤務だったスタッフ1人がたまたま午後7時半ごろ早退し、別のスタッフが施設に戻ろうとしたものの、その到着前に火が出てしまったとみられるそうです。それで、出火したとき居たスタッフは1人だけだった。

また、3階に入居していて亡くなったおばあさんのところには、当時介護のヘルパーさんが来ていたそうです。そのヘルパーさんが、おばあさんの翌朝用のパンがないことに気づき、近くのスーパーに買いに出た。スーパーで品物を選んでいたら、サイレンの音が聞こえてきた。急いで戻るともう消火活動がはじまっていて、見守るしかなかった、とのこと。

たまたま、よりによって。ふだんから気をつけていたのに。しかし禍事[まがごと]というのは本当にそうですね。悪い巡り合わせのときをねらったように襲ってくる。わたし自身のこれまでのことを考えても、たいていそうだった。「これからなにが起こるのでしょうか」と訊かれて、「予期せぬことと予期したくないことが起こると予期せよ」と言ったマウリキウスのことばは、恐ろしいほどの真実をふくむ。でも、これからもわたしは「なんでこんな時に、よりによって!」と何度も思うことになるのだろう。未来の自分の愚かさに今からうんざりします。

ヤーコプス『モンテベルディ_聖母マリアの夕べの祈り』

2013年02月10日 | CD モンテベルディ
Monteverdi
Vespro della beata Vergine
Kiehr, Borden, Scholl, Bowen, Murgatroyd, Torres, Abete, Draijer
Nederlands Kammerkoor
Concerto Vocale
René Jacobs
HMC 901566.67

1995年録音。61分57秒/42分02秒。HMF。晴れやかな表現で、最初に聴く『晩課』として、いいと思います。最近はこの曲でもOVPPがトレンドになりつつありますが、『晩課』のOVPPはちょっとさびしすぎるかもよ。このヤーコプスのはかなり大がかりな感じがしますが、オランダ室内合唱団は7・6・6・6で、そんなに人数多いわけでもない。やはりヤーコプスの振り方ゆえに大がかりに聞こえるんでしょう。わたしはもともとヤーコプスとは相性があまりよくなくて、このCDもしばらくほっておいたんですが、ひさしぶりに聴いたら、よかった。奥行き感のある新鮮な響きで歌いあげてます。聴き手に満足感を与えてくれる演奏。

ヤーコプスは根っからの劇場人で、どういうふうに作っていけばその作品を面白く聴かせられるかをいつも考えてる。そのせいで演出過剰を感じさせることがあるのですが、この『晩課』に関してはそういう鬱陶しさを感じさせません。そもそも曲自体がじつに劇的に作ってありますから、ヤーコプスの音楽づくりを受け容れる素地がじゅうぶんにあるんですね。

オランダ室内合唱団はヤーコプスの来日公演でも『晩課』を演奏していました。この録音の前後だったんですかね来たのは。この合唱団はそれより昔コープマンの指揮でも来日して『メサイア』を歌ったことがありまして、わたしはそれ以来、注目していました。

ちょっと不満なのは各曲ごとのソリストが明記してないことです。二重唱や三重唱の曲でソリストの誰がどこを歌ってるのか分からない。ソプラノのキールとかカウンターテナーのショル、バリトンのビクター・トーレスはヤーコプスのほかの録音で声を知っているので聴き分けられたけど。"Nigra sum"を歌っているのはジョン・ボウエンて人ですか?

アンドレアス・ショルはたしかこの録音のころから出てきたんだと思います。ヤーコプスの日本公演でもこの曲歌ってましたわ。

JIS90とJIS2004

2013年02月08日 | MacとPC
Macでは、ヒラギノ書体がPro/ProNまたはStd/StdNの両方インストールされてます。NのつかないProとかStdというのはJIS90字体、NのついたProNとかStdNとかいうのがJIS2004字体。たとえば祇園の「祇」の偏が、JIS90だと「ネ」であるのに対し、JIS2004だと「示」になる。Macの人なら、Font Bookで見比べてみると一目瞭然ですね。祇辻飴葛蛸鯖鰯噌庖箸、等々。

個人的な事情なんですが、わたしの名字に含まれる漢字一字が、運の悪いことに、JIS90とJIS2004で字形の変わる何十字かのうちに入っちゃってるんですわ。本人はそんなに気にしてないんですよ。JIS90だろうがJIS2004だろうが、おんなじ字はおんなじ字よ。でもさあ、戸籍どおり書いてください、って言われると、戸籍どおりになってるのはJIS2004のほうなの。

ヒラギノや、小塚のように、JIS90とJIS2004を両方とも自由に使わせてくれればいいんですが、多くのフォントはそうではない。たとえばダイナフォントの場合、わたしがパッケージで買ったOpenType150Stdではいづれの日本語フォントもJIS90だったし、さらにそれとは別に、最近ゆえあってダウンロード購入したDF中楷書体Stdも、なぜかJIS90のままだった。今どき売ってるフォントだから当然JIS2004だろうと思っていたわたしが浅墓だった。