歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

きれいなばあさん

2009年04月30日 | メモいろいろ
京唄子81歳が舞台降板で、その代役淡島千景が85歳だというのでびっくりしている人がいるけれど、舞台の人はとくに80歳過ぎて仕事するのはめづらしくないですよ。この前亡くなった中村又五郎さんは94歳だったそうですが、十年くらい前まではまだ折々歌舞伎座にも出てたでしょう。杉村春子は91歳で亡くなったそうですが、死のつい何か月か前まで舞台に出ていました。すべての舞台人が杉村さんのようにできるわけではないけれど、舞台の人はなにしろ生身の体を観客の目にさらすし、舞台に出れば動くし、膨大なせりふを憶えなきゃならない緊張感もあるしで、病気が寄ってこないんでしょう。年をとっても役がつくだけの俳優さんでないとダメでしょうけど。

新劇の俳優さんで、もう仕事をしなくなってだいぶ経つけど、まだ亡くなったとは聞いていない人が、何人かいます。まづは昔からおばあちゃん役で知られた北林谷栄、それからこの人もおばあちゃん役が多かったけど小津安二郎の『秋日和』にもちらっと出ていた南美江。それから田宮二郎版のテレビの『白い巨塔』で東教授夫人の役で、その後『ごきげんよう』にも出ていた東恵美子。この人はテレビでは意地の悪いお姑さんが多かったけど、きれいな人でした。わたしは美人のばあさんが好きなのだ。杉村春子の東芝日曜劇場はほぼ欠かさず見ていたしね。(ただし小津映画に出ていたころの杉村春子はまったく不器量で、おばあさんになってからなんであれだけ「きれいなばあさん」の役をやって、それをまた観客が自然なこととして受け入れられたのか、ちょっと不思議。)

ガーディナー『ヘンデル/ソロモン』

2009年04月28日 | CD ヘンデル
Handel
Solomon
Watkinson, Argenta, Hendricks, Rogers, Jones, Rolfe Johnson, Varcoe
Monteverdi Choir
English Baroque Soloists
John Eliot Gardiner
35CD-319/20 (412 612-2)

1984年録音。68分40秒/67分26秒。PHILIPS。ガーディナーが『メサイア』に続いてフィリップスに録音したオラトリオ・シリーズの第2作でした。国内盤の番号から分かるように、買った当時、CD1枚が3,500円で、2枚組が定価7,000円したもんですよ。わたしは大学生協で買ったので割引きしてもらえましたけどね。それにしても学生にとっては高い買い物でしたわ。

『ソロモン』は古くはビーチャムの録音もあって、ヘンデル再評価以前から聴かれていたようです。第3幕の「シバの女王の入城」がとくに有名ですが、雄弁な合唱も聴き応えがあり、独唱や二重唱にもよい曲が多くて、全体にすぐれた作品と言えます。

ガーディナーの前作『メサイア』よりもこの『ソロモン』のほうがより伸びやかな演奏。実に高い水準でバランスがよくとれている。それにガーディナーが時に感じさせるあざとさがない。『メサイア』の翌年にこの『ソロモン』が出たとき、「いよいよガーディナーはいい感じになってきた、この先どんなすばらしいヘンデルを聴かせてくれるんだろう」とそりゃわくわくしたものです。

(『メサイア』にはじまったガーディナーのフィリップスへのヘンデル・シリーズはこのあと数作つづいていくわけですが、しかしけっきょく、総合点でもっとも優れていたのがこの『ソロモン』でした。『メサイア』も、『サウル』も『イェフタ』もどこかしっくりしない点が残ります。)

ふたりの遊女が赤ん坊を奪い合う第2幕がドラマティックで、これぞヘンデル。この「ソロモンの裁き」の場はカリッシミもシャルパンティエもオラトリオとして作品を書いていますが、先輩ふたりの静謐な書法とはがらりと変わってじつに分かりやすく、歌いばえ、聴きばえがする。教会音楽と劇場音楽のちがいですね。

題名役はメゾ・ソプラノのキャロライン・ワトキンソンが歌っています。マルゴワールやホグウッドの指揮でもヘンデルをあれこれ録音してきた実力派ですが、この『ソロモン』は彼女の多くのレコーディングの中でも代表的な仕事として記憶されるでしょう。そのほかのキャストも適材適所。愛らしいアージェンタ、いかにもエキゾチックな雰囲気を醸し出すヘンドリクス。それにここで初めて聴いたジョーン・ロジャーズとデラ・ジョーンズの存在感。ことにジョーンズという人はこの後いろんな所で聴くことになるあくの強いキャラクターですが、ここでも「第2の遊女」を巧く演じて強烈な印象を残します。

『ソロモン』はその後アンドレアス・ショルが題名役を歌ったマクリーシュ盤がCD3枚組で出ました。そちらは完全全曲盤。ぢゃあこのガーディナー盤はなにかと言うと、何曲か間引いてるんですな。たとえばガーディナーは原曲の最終合唱の出来が悪いといってカットして、その前の合唱曲をフィナーレにもってきて、続き具合がいいようにその他の曲順にも手を入れているんです。そういう改変が、CD2枚に収めるための処置だったのかどうか、それは分かりません。ガーディナーは『ヘラクレス』や『セメレ』でも何曲か抜いてますから、ちょっと気をつける必要はあるかもしれません。しかし何年か前にHMFから出たRIAS室内合唱団による録音も2CDで、買って調べたわけぢゃないけどどうやらガーディナーとほぼ同じ曲の間引き方でしたよ。もちろんガーディナーの演奏で聴いて全然物足りなさは感じません。

それにしてもこれ、今聴いてもすごくいい音ですなあ。優秀録音。『メサイア』も録音技術の評価が高かったけどね。

オジェー『ヘンデル/9つのドイツ・アリア』

2009年04月27日 | CD ヘンデル
Handel
Neun Deutsche Arien
Arleen Augér
Walter Heinz Bernstein
TKCC-15256

1980年録音。52分39秒。Deutche Schallplatten。ソプラノ、オブリガートの高音楽器、および通奏低音のためのドイツ語による歌曲集。オジェーが当時の東独のメンバーと協演した録音。ただし器楽はモダン楽器による。とはいえ解釈は妥当で、オジェーの声の調子もよく、今聞き直してもじゅうぶん楽しめるばかりか、この曲集の演奏として(演奏スタイルは古いにせよ)安心して勧められるもの。

オジェーの歌唱はやや生真面目ながら、それだけに作品に誠実に取り組んでいて、味わい深い。ワルター・ハインツ・ベルンシュタインはチェンバリストで、この人はもちろん9曲とも弾いていますが、その他の器楽メンバーは多彩で、オブリガート楽器としてバイオリン、オーボエ、フルートが使い分けられ、通奏低音にもチェロのほかにビオローネ、ファゴットが参加。それぞれ地味ながらオジェーを好サポート。モダン楽器のバロックも悪くないぢゃんて──少なくともわたしは思いました。

この曲集はどのアリアも手抜きがなくて気分よく聴けます。歌いがいのある立派な内容で、規模も手ごろ。もっと歌われていい。オジェーの演奏はこの曲の演奏のお手本のような楷書の歌い方ですが、いまの古楽系の歌い手ならもっと自在に自由に歌うでしょうね。そういうのも聴いてみたいよ。っていうかいま調べたらキャロライン・サンプソンのがありますね。むかし確かリフレクセにカークビーとロンドン・バロックの協演盤があったと思うんですが、今どうなっているんでしょ。テナーにも歌ってほしい。

キング『ヘンデル/王宮の花火の音楽(原典版), 戴冠式アンセム』

2009年04月26日 | CD ヘンデル
Handel
Musick for the Royal Fireworks
Four Coronation Anthems
The King's Consort
Choir of New College, Oxford
Robert King
CDA66350

1989年録音。56分45秒。Hyperion。『王宮の花火の音楽』は原典版、つまりブラスバンドのほうの版です。オーボエが24、バスーンが16、コントラ-バスーン1、トランペットとホルンがそれぞれ9、ティンパニが3セット、サイド-ドラムが4(そのうち1人はダブル-ドラムも掛け持ち)。トランペットやホルンは、金管アンサンブルがあるからそれぞれ9人くらいなら集まらないこともないでしょうが、オーボエ24人は人を揃えるの大変でしょう。オーボエの首席はPaul Goodwinで、そのほかAnnthony Robson、Richard Earle、Sophia McKenna、Clare Shanks、Marion Scottなどがいます。まあとにかくイギリスぢゅうの(時代楽器の)オーボイストかき集めたって感じかなあ。初めてみる名前の人も多いので、学生さんも入ってるかもしれませんね。

ロバート・キングの指揮による原典版の『花火』は、コンサートでのライブの映像がYouTubeに流れていました。壮観でしたよ。9人のトランペッターがずらりと横一列に立ち並んでラッパを吹いてるところとか、3人のティンパニ奏者とか、特に。

原点版は管弦楽版とくらべてややニュアンスには欠けるものの『花火』の屋外音楽らしいおおらかさ華やかさが強調されて、これはこれで得難い味があります。イギリスの作曲家は伝統的に吹奏楽に熱心な人が多くいますけど、ヘンデルはその源流の一つですね。

『戴冠式アンセム』もニュー・カレッジの聖歌隊が好調です。少年合唱特有のスカスカした感じがなくて、しっかりしている。この曲集はキングズ・カレッジその他少年合唱の録音がいくつか出ていますがその中では出色で、大人の合唱団ともじゅうぶん張り合える好録音です。

サマリー『パーセル_フル・アンセム&オルガン曲集』

2009年04月24日 | CD パーセル
Purcell
Full Anthems & Organ Music
Music on the Death of Queen Mary
Laurence Cummings
Oxford Camerata
Jeremy Summerly
8.553129

1994年録音。72分20秒。NAXOS。オックスフォード・カメラータのパーセル。プログラムの前半は、オルガンの伴奏でフル・アンセムを歌ってます。後半は『メアリー女王の葬送音楽』。歌手は12人で、パーセルのアンセムにしては少なめの人数。シャンティクリアもこれくらいでしたかね。レベッカ・オートラム、ロビン・ブレイズ、アンドルー・カーウッド、ジェームズ・ギルクリストなどが参加。

オックスフォード・カメラータの他の演奏とおなじくしっかりした技術で、すっきりと聴かせてくれる。いつものように個性不足な点も否めないけど、このパーセルに関してはそれがさほどマイナスには感じられないです。彼らくらいの過不足ない実力派のグループにこそ、パーセルのアンセム全集を録音してほしい。

パーセルのアンセムはいろんな指揮者がCDを出していて、それぞれ録音している曲が同じでないので、どの曲をどの指揮者が録音してるのか、一覧がないと不便ですね。そろそろそういうメモを作る準備をしないと。

パーセルのアンセムは、楽譜はそう込み入ってるわけぢゃないけど、実際に歌ってみるとむつかしそうです。わたしは高校時代に"Man that is born of a woman"を歌ったことがあるだけで、その後、歌い手としてはパーセルとの縁はないんですが、いろいろ歌ってみたかったです。

ディック・フランシス『帰還』

2009年04月22日 | 本とか雑誌とか
ディック・フランシス/菊池光訳『帰還』(ハヤカワ文庫)読了。32歳の外交官の男が日本での勤務を終えてロンドンの外務省に転勤になる。帰国の途中フロリダで知り合った老夫婦をエスコートして、たまたま自分が少年期をすごしたチェルトナム近郊へ。そこで馬が次々に死んでいて、主人公はその謎の渦中に飛び込んでいく。

『帰還』は日本が舞台になるわけではないけれど、日本大使館での勤めを終えたばかりの主人公はもちろん日本にくわしく、それに競馬場で二人連れの日本人を見かけて声をかけたことがきっかけでヒロインと知り合うし、今回ポイントになる毒物が日本人にはよく知られたあるものだったりするし、日本人に相当サービスしてますよ。日本および日本人に関してあれだけ言及がありながら、悪口めいた箇所はぜんぜんないんだもの。「競馬シリーズ」のマーケットとしての日本を相当意識した作品です。

主人公が外交官で、たまたま知り合った獣医の窮地を救うために探偵に乗り出す、という筋立てにやや無理があるような。そのせいか、今回は例の「やられ」シーンがあんまりありません。途中ヤなやつに一回なぐられるのと、最後のところでお約束で罠にはまるくらい。

ディック・フランシスは、キャラクターを語るためのエピソードを思いつく才能がとても豊かです。この小説の基本がしっかり押さえてあるからこそ面白いのね。ほんとにうまいです。今回は競馬場での「エイト」のエピソードに感心した。

マンロウ『パーセル_メアリー女王の誕生日のためのオード』

2009年04月19日 | CD パーセル
Purcell
Birthday Odes for Queen Mary
Come ye sons of art away ・ Love's goddess sure
Burrowes, Bowman, Brett, Lloyd
Early Music Consort of London
David Munrow
5 86050 2

1975年録音。49分29秒。EMI。パーセルの作曲したメアリー女王の誕生日のためのオードは数曲残っているんですが、『来たれ、汝ら芸術の子ら』は1694年の、『愛の女神はたしかに』は1692年のものだそうです。マンロウが『来たれ、汝ら芸術の子ら』を録音しているのはだいぶ前から知ってたんですが、ようやく聴きました。

結論から言うと、『来たれ、汝ら』もけっして悪くないけれど、はじめて聴いた『愛の女神はたしかに』のほうに聴きほれました。この曲は『来たれ、汝ら』とほぼ同じ規模のオードで、『来たれ、汝ら』に劣らぬ名曲だと思います。声楽の扱いはむしろ『愛の女神は』のほうが手が込んでいて聴きごたえがある。

『来たれ、汝ら』はこれまでにガーディナーのとピノックのを聴いてきて、特にガーディナーのはモダン楽器ながら水際立ったさわやかな名演だったので、この曲の演奏に関してはわたしの要求が高くなってるところがあります。ガーディナーのはソリストにフェリシティ・ロットとトーマス・アレンを迎えて華やかですからねえ。それにくらべるとこちらのノーマ・バロウズとロバート・ロイドはどうしても地味。

合唱やオーケストラはいま聴いても聴き劣りしません。ホグウッドは曲によってハープシコードとオルガンを弾き分けてます。それにしてもマンロウの指揮した録音としてはもっとも大がかりなものぢゃないのこれ。マンロウのセッションて、ふだんはせいぜいで総勢10人とか、そのくらいだったでしょ。メンバー表がないので正確には分からないけど、このパーセル、合唱だけですくなくとも20人くらいはいますよ。

なおこの録音が75年で、翌76年にはガーディナーがエラートに『来たれ、汝ら』を録れているんですよ。いやまあ、ガーディナーがこのマンロウの録音を聞いたかどうかは別にしてもさ、「マンロウに先を越された!」とは思ったでしょうよ。というか、その76年に、マンロウは亡くなっているんですよね。ああもしかして、ガーディナーが『来たれ、汝ら』とともに『メアリー女王の葬送音楽』を録音したのは、マンロウへの追悼の意味もあったんですかね。

わたしとしてはマンロウの指揮でついでに「メアリー女王の葬送音楽」も録音しといてほしかったけど、そしたら翌年亡くなったマンロウ自身への追悼曲みたいになっちゃってたよね。うーむ。

ガーディナーの指揮で『愛の女神はたしかに』も聴きたかったなあ。この曲はほんとにいいよ。

レーゲンスブルク

2009年04月18日 | メモいろいろ
4月から金曜日に移った『世界ふれあい街歩き』を途中から見ました。レーゲンスブルク。ソーセージを焼いてる店が出てきたけど、あれはキングズ・シンガーズの『マドリガル・ヒストリー・ツアー』のドイツ編の番組でも映ってました。今回のNHKの番組ではレーゲンスブルク大聖堂の合唱団の話も出てきました。勉強して、歌うたって、楽器も教えてもらって、うらやましい。語り手が誰か分からなかった。田畑智子だった。それから教育テレビをみたらボストリッジが出てきてブリテンを歌い始めたけど、風呂に入って寝ました。そうか。『世界ふれあい街歩き』と『芸術劇場』は同じ時間になっちゃったのか。

テレサ・ベルガンサ『イタリア古典歌曲集』

2009年04月17日 | CD バロック
Teresa Berganza
sings Italian Baroque Arias
Ricardo Requejo
POCG-3031

1978年録音。43分48秒。DG。もうひとり、わたし好みのメジャーな歌い手がいましたよ。テレサ・ベルガンサ。この人の声をはじめて聴いたのはいつだったか、よく憶えてませんが、この人のことも若いころから好きでした。特にこのイタリア古典歌曲は絶品ですな。じつにエレガントで、柑橘系のさわやかさな色気がほのかにただよって。

メジャーな歌曲とそうでもない曲が取り混ぜて歌われています。メジャーなものとしては、カリッシミの"Vittoria, mio cuore"、スカルラッティの"La violette"、カルダーラの"Selve amiche"、ペルゴレージの"Se tu m'ami"など。端正な楷書の歌い方なのに繊細で、学生さんのお手本としてこれ以上のものはありません。それにはじめて聴くような曲も、トラック1のカバッリやトラック14のペルゴレージなど、イタリア・オペラの最初の隆盛を垣間見せてくれる音楽で、なかなか興味深いです。

わたしが広島にいたころ、ベルガンサはまだ現役で、たしか広島でもリサイタルがあったんぢゃなかったかと思う。でも行けなかったんだよなあ。お金がなかったし、もしかしたら月曜か水曜かの練習日と重なってたのかもしれない。

ストラビンスキーの『プルチネッラ』ってバレー音楽がありますが、あの曲のアバド盤にベルガンサは出ていて、そこでも"Se tu m'ami"を歌っています。ストラビンスキーのCDなんてもう二度と買わないと思いますが、この『プルチネッラ』は面白かった。レスピーギの『古風な舞曲とアリア』を面白がれる人なら、おすすめ。

ジェシー・ノーマン『コンサート・ライブ』

2009年04月16日 | CD 古典派以後
Händel・Schubert・Schumann
Jessye Norman
Geoffrey Persons
PHCP1161

1987年6月16日ライブ録音。64分16秒。PHILIPS。ジェシー・ノーマン好きなんですよ。(CDはこれしか持ってませんけどね。)あのふかぶかとした、宗教的な気配をたたえた声で、ヘンデルを本格的に歌ってほしかったです。若いころにムーティと『デボラ』を録音したという情報もあるんですが、未確認。しかし彼女はリサイタルの最初によくヘンデルを取りあげていたようで、そのころわたしがNHK-FMで聴いた別のプログラムでも冒頭はヘンデルでした。ここでもヘンデルをまづ2曲、『主よ、あなたに感謝します』という歌曲と『リナルド』の「涙の流れるままに」を歌ってからシューマンを6曲、そしてシューベルトを10曲歌っています。アンコールとしてブラームスとリヒャルト・シュトラウスを1曲づつ、そして黒人霊歌を2曲。

何度か書いたようにわたしがはじめて買ったCDはガーディナーの『メサイア』で、それ以来、30歳すぎまではほとんど古楽のCDしか買わなかったわけですが、これは若いころに買った例外の1枚。それくらいノーマンには心ひかれていたんでしょうねえ。冒頭でヘンデルを歌ってもいるしね。そういや、「カークビーもノーマンも好きなオレって、ふしぎ」とか、思ってましたよわれながら。

ヘンデルの2曲はじつに恰幅のよい大柄な歌で、とくに「涙の流れるままに」はこの曲の演奏としてはちょっと堂々としすぎているかもしれません。しかしノーマンならではの、聴くものの心の奥にとどくような歌いっぷりは、古楽的な演奏とはまた別の意味で、ヘンデルの音楽の本質に迫るものだと思います。

シューマンは今日までこのノーマンの演奏しかしらないんですが、いい曲書く人ですね。シューベルトもこれ以外にはマーティン・ヒルの独唱盤しか聴いてないですよわたし。ここではノーマンで「魔王」が聴けます。

かなわぬ夢におわりましたが、たとえばガーディナーの指揮で『テオドーラ』のタイトル・ロールとか聴いてみたかったなあ。もちろんフィリップスで。いま思い出しましたが、ノーマンはフィリップスにレパードの指揮で『ディドー』を録れてるんですよ。いまは品切れのようだけど、何度か再発されている録音なので、また出たら聴いてみようかしらん。