歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

ボブ・チルコットの衝撃

2008年09月27日 | 音楽について
大学時代のことを思い出しました。(ということはもう今から二十年もむかしの話ですよ。)あれはいつだったか、五寿荘にいたバリトンのオー君のところに、夜、ぶらっと行ってみたことがあって、そのときキングズ・シンガーズの新しいCDを聴かせてもらったんですよ。それがなんのCDだったかはもう忘れてしまいました。憶えているのは、キングズ・シンガーズのテナーが以前の人と変わっていて、えらくクセのある声の人に交替していたこと。それでわたしが「えー。こんなんぢゃ、もうマドリガルとか歌えんやん」ていうと、めづらしく意見が合って、オー君も「そうやろー」と言っていました。

今思うに、あれこそ、ビル・アイブズからボブ・チルコットにテナーが交替したときだったんでしょう。ビル・アイブズがキングズ・シンガーズにいたのは85年までで、そのあとボブ・チルコットが引き継いだそうですから、年代的にもよく合います。

大学時代、グリークラブのボックスには先輩がそろえてくれたテープライブラリーがあって、その中にキングズ・シンガーズのレコードからダビングしたテープがあったんです。わたしがはじめて聴いたキングズ・シンガーズは確かそれ。で、たぶんそれが《Madrigal History Tour》だったんだと思う。オー君のところでボブ・チルコットを聴かせられるまで、わたしはビル・アイブズのテナーでキングズ・シンガーズのマドリガルを聴きなれていたので、ボブ・チルコットの登場はショックでした。

わたしの大学時代は、大学でちょっと時間が空くとクラブのボックスに入り浸って、そうなるともう、やることは発声練習か、そこにいる部員をつかまえて四声で歌うかです。ブルーコピーで、初見で歌う練習用に、大量の楽譜が準備してありましてね。その楽譜のソースはなんだったのか、今となっては分かりませんけど、《アデステ・フィデレス》なんかも入ってました。讃美歌集みたいなものかしらん。わたしはそのブルーコピーの初見曲集を歌うのが好きでしてね。毎日のように歌ってました。さぞかしへったくそだったろうと思いますが、よくぞみんな我慢してつき合ってくれたもんです。ありがとうね。

The King's Singers on TV

2008年09月25日 | 音楽について
YouTubeでJanequinを検索していたらキングズ・シンガーズの《Madrigal History Tour》の映像に行き着きました。これはいまCDの音源が国内盤でも入手可能なものなんですが、BBCでそういう番組を作ったときに制作されたレコードです。これの映像が見られるなんて思いもしなかった。CDは1983年録音というから映像もそのころのもので、キングズ・シンガーズの6人の歌い手が解説を加えながら、ルネサンスの代表的な世俗曲をロケの映像をふんだんに織り込みつつ聴かせていくんです。

この映像の歌いぶりは、まったく古楽専門のアンサンブルと遜色ないです。もちろん彼らのことだから洒落っ気はたっぷりなんですが、雑な感じはぜんぜんないのね。超絶技巧は分かっていたはずですが、こうして映像で見てみるといやまったく非の打ち所がないテクニックで、しかも嫌みがないんですよ。

さらに特筆すべきはコンソート・オブ・ミュージックが器楽ばかりでなく歌でも参加していることです。音盤では、キングズ・シンガーズが歌を歌って、コンソート・オブ・ミュージックは伴奏で加わる、というかたちだったのね。ところがテレビの映像ではコンソート・オブ・ミュージックも歌ってるんです。あくまでもキングズ・シンガーズがメインの番組なのでところどころ出てくるだけではありますが、カークビー、タブ、ニコルズ、コーンウェル、キング、ウィストライクという顔ぶれに、デイビッド・トーマスも1曲歌ってました。

キングズ・シンガーズは当時とはメンバーが全員入れ替わって現在も活動中ですけど、あの《Madrigal History Tour》を見せられてしまうと、やっぱり古楽との相性では当時のほうが数段上かなあと思いますね。当時からレパートリーは広かったですけどね。

ジョン・ギボンズ『パーセル/ハープシコードのための作品集』

2008年09月23日 | CD パーセル
Purcell
Works for Harpsichord
John Gibbons
CRC 2313

1995年録音。68分38秒。Centaur。ケンタウルスって言葉は英語ぢゃ「セントー」になるんだそうです。そのセントー・レコーヅのCDをはじめて買いました。パーセルのハープシコードの音楽のCDは、今ではエガーのも出てるんですが、このジョン・ギボンズって人のをどっかのサイトでちょっと聴きましてねえ、よかったんですよ。たまたまAmazonで購入可能だったもんで、聴いてみることにしました。8つの組曲のほかに小品がたくさん入っています。

演奏しているジョン・ギボンズについてはよく分からないです。CDの解説はギボンズ自身による簡単なエッセイみたいなもんで、略歴は載ってない。さいわいBach Cantatas Websiteに簡単ながら情報がありました。歳は書いてありませんけど、1960年代の後半に賞を受けてるってことは、だいたい40年代ごろの生まれと見ていいんぢゃないでしょうか。"The American harpsichordist, John Gibbons, received the Erwin Bodky Prize (1969), the NEC Chadwick Medal (1967), and a Fulbright Scholarship for study with Gustav Leonhardt in Amsterdam."ってことですが、最後のほうはつまり、フルブライトの留学生としてアムステルダムでレオンハルトの指導を受けたってことですか?

で肝心の演奏なんですが、よく弾いてる。音楽が停滞することなく前へ前へと進んでいく。しかも力まかせというんではなくて、曲想をしなやかに音にしていく感じ。気に入った。プレイヤーとしても充実した時期の録音だったんではないでしょうかね。

この前、ケビン・マロンの《テンペスト》を聴いて、「なかなかいいんだけどちょっとあっさりし過ぎのような気もする」と思ったんですが、同じ新大陸の演奏家によるパーセルでも、あの《テンペスト》よりこのジョン・ギボンズのほうが満足度は高いです。言うまでもなくわたしの耳の場合では、ですけどね。

「夏目さん」と「里見さん」

2008年09月21日 | 本とか雑誌とか
「ね、小説にしたって、そうじゃない。あたし、わりに夏目さんのものを読むけれど、そうそう夏目さんばかり読んでいると、つまんなくなっちまうわ。やっぱり、里見さんの小説も読んでみたいし、翻訳ものも読んでみたいじゃないの」(山本有三『波』、子、三ノ十五、新潮文庫、p.251)

『波』は大昔にTBSの金曜ドラマで見て、それから山本有三の原作を買って読みました。ドラマは早坂暁の脚本で、小学校の教師の加藤剛が、元教え子の秋吉久美子と結婚するものの、秋吉久美子は不倫の末にどちらの子か分からない男の子を産んで死に、その男の子は倍賞千恵子に里子に出され、加藤剛は倍賞千恵子に心引かれながらもその妹の桃井かおりと肉体関係を持って──って話で、そのころ私はまだ中学生くらいだったと思いますがドラマのほうもかなり細部までおぼえています。ヒロインのはずの秋吉さんが途中で死んで倍賞さんと桃井さんに入れ替わるのが斬新だったです。(早坂暁脚本の金曜ドラマで『冬の花火─わたしの太宰治』っていうのもあって、これもやっぱりヒロインが入れ替わっていくドラマでした。)

小説『波』は1928年の作だそうです。朝日新聞の連載だそうで、それもあるのか漱石の話が出てくるのね。テレビドラマの人物でいうと加藤剛と桃井かおりが泊まりがけで旅行するところがあるんですが、そこで女のほうが『行人』を思い出したりする。最初に引用した三ノ十五の文章も、桃井かおりが演じた襲子[つぎこ]の発言。(混乱させてすみませんがさすがにテレビドラマではこんなセリフはなかったろうと思います。『行人』とか「里見さん」が出てくるのはあくまでも小説『波』のほうです。)「わりに夏目さんのものを読む」襲子は、当時としては相当すすんだ女性だったはずです。

おもしろいと思うのはここで里見とんが引き合いに出されること。1928年というと夏目漱石が死んで10年とちょっと。里見とんの『多情仏心』は5年ほど前に出ていて、『安城家の兄弟』が出るのはこの3年くらいあと、というそういう時期です。山本有三はどういうつもりで里見とんを持ち出したんですかね。漱石の対極に里見とんを置こうとしてるのか。それとも山本は里見とんをライバルとして意識してたのかしらん。たしかに里見とんは、文章の古めかしさを我慢すればわたしが読んでも「巧いなあ」と思いますよ。『かね』とかね。おととしだったか小津安二郎に凝ったときに里見とんも少し読んだんです。(そういえばその昔磯貝先生も「里見さんの小説を読むと巧いなあと思います」と言ってらした。)襲子はさらに「翻訳ものも読んでみたいじゃないの」って言うけど、「翻訳もの」ってたとえばどういうのなんだろう。

山本有三は漢字制限派で、『波』もそうなんですが、フナバシ、とかいうように地名をカタカナで書くんですよ。それは気に食わないです。ああただしこれはわたしの持ってる文庫本の話ですけどね。「フナバシ」とかいう表記になってるのは戦後の版だけかも。

ガーディナー『パーセル/めでたし!輝かしきセシリアよ』

2008年09月20日 | CD パーセル
Purcell
Hail! Bright Cecilia
Smith, Stafford, Gordon, Elliott, Varcoe, Thomas
Monteverdi Choir
English Baroque Soloists
John Eliot Gardiner
4509-96554-2

1982年録音。53分08秒。ERATO。聖セシリアのためのオード『めでたし!輝かしきセシリアよ』。演奏に50分以上かかってるんで、パーセルのオードとしては規模が大きいです。この曲、合唱は控えめ。ソロや二重唱がメインで、ところどころ合唱ナンバーが入ってくるという感じ。ソプラノの出番が少なめ。

この曲は個々の独唱パートが技巧的で、音を転がすのがむつかしい。ソリストのアラが出やすい曲のような気がします。このガーディナー盤は今となってはソリストの力不足が気になる。余裕もって歌えてない。それに、楽譜をただ音にしただけで、曲全体に統一感がない感じ。ガーディナーにしてはめづらしく、「全体をこう聴かせよう」って意識が薄弱な気がします。全体としての満足度はイマイチです。

マルゴワール『ヘンデル/セルセ』

2008年09月18日 | CD ヘンデル
Handel
Serse
Watkinson, Hendricks, Esswood, Wenkel, Rodde, Cold, Studer
Ensemble Vocal Jean Bridier
La Grande Ecurie et la Chambre du Roy
Jean-Claude Malgoire
SM3K 36941

1979年録音。75分37秒/58分29秒/46分50秒。SONY CLASSICAL。『セルセ』はマクギーガンのを持っているんですが、エスウッドのアルサメーネとヘンドリクスのロミルダが聴きたいばかりに買っちゃいました。マルゴワールらしくおっとりした演奏。序曲なんかはまちっとタッタカ進めてもらいたいと思いますし、アリアもところどころのんびりしすぎていますが、歌い手たちのアンサンブルがいいので、全体としては悪くない仕上がり。少なくともわたしは合格点を出します。

ワトキンソン、エスウッド、コールドの3人はマルゴワール指揮の『リナルド』にも出ていました。エスウッドは『リナルド』の将軍役よりもこのCDのアルサメーネのほうが嵌まっています。ただし残念ながらマクギーガン盤のアサワには劣る。ワトキンソンは『リナルド』の若い兵士もよかったけど、ここではわがままなペルシャの王様をよりのびのびと歌っています。

ワトキンソン、エスウッドの声はなじみがあるので、ハッキリ聴き分けられるのがいいです。ヘンドリクスがロミルダ、その妹のアタランタをAnne-Marie Rodde(アンヌマリー・ロデ?)という人が歌っていますが、この2人は声も対照が利いていてそれぞれ悪くなく、いい感じ。

ワトキンソンとヘンドリクスはこのあとガーディナーの『ソロモン』でも共演しています。

ヒカル・スールー

2008年09月17日 | 演ずる人びと
わたしなんかは『スター・トレック』とか言われるより『宇宙大作戦』のエンタープライズ号、と言ってもらったほうがよほどなじみがあるんですが、あれに出ていた日本人乗組員役の俳優さんが、71歳にして同性婚ゴールインだそうです。ご健在でなによりです。子どものころテレビを見ていて、これは日本人の役らしいけどこの俳優さんはほんとに日本人(日系人)なんだろうか、中国人ぢゃないのかなあ、などと思ったような憶えがあるんですが、のちに、あの俳優さんはジョージ・タケイというれっきとした?日系の人なのだと知りました。わたし映画は見ない人間ですがそれでもたまにあの人はテレビで見かけました。

ところでジョージ・タケイがやったあの役は、日本語版だと「ミスター・カトー」だったけど、原版では「ミスター・スールーMr. Hikaru Sulu」って名前だったというぢゃありませんか。スタッフの日本に関する無知からそんな名前になったかなと思ったらそうぢゃなくて、Wikipediaによるとヒカル・スールーはフィリピン人の血が混ざっているんだそうで、スールーっていうのはフィリピンの海の名前だそうです。

カリフォルニアは今年6月に同性婚を合法化したのだそうです。それも知りませんでした。

レオンハルト『パーセル&ブロウ作品集』

2008年09月15日 | CD パーセル
Music by Purcell & Blow
Voluntaries
Suites and Grounds
Gustav Leonhardt
UCCP-3468

1994年録音。62分31秒。PHILIPS。パーセルのオルガン曲2曲のあと、ジョン・ブロウのオルガン曲が10分くらい続いて、そのあとはパーセルのチェンバロのための曲が演奏されます。レオンハルトらしくじつに堂々とした演奏。パーセルはもうちょっとしゃれっ気もあったほうが…。でもこういうしぶい選曲のアルバムで国内盤がリリースされるのは今となってはめったにないことなので、なくならないうちにと思って早めに入手しました。

パーセル・カルテットの『パーセル名曲集』のなかにいくつかチェンバロ独奏の曲が入っていて、それがなかなか素敵だったのでほかの曲も聴きたいなあと思って探したんですが、一枚物のCDって今なかなかないのね。ソフィー・イェイツのもケネス・ギルバートのも品切れ。どうしようかと思っているところにこのレオンハルトの演奏が復活したので、とりあえずこれを聴いてみることにしたわけです。

パーセルの《チェンバロ組曲》は8曲あるんですが、ここではそのうち第2、第4、第5、第7の4つの組曲と、あとは単一楽章のごく短い独立した曲をいくつか。それぞれ、小品ながらも耳を傾けるに足る繊細な魅力をそなえています。パーセルのチェンバロ、いいですよー。フランス・バロックの影響をモロに受けてはいるんでしょうが、それだけぢゃない。なにしろイギリスはバージナルの伝統がありますからね。こうなるとほかのチェンバロ曲も聴きたくなってくる。

さいしょの《ダブルオルガンのためのボランタリー》っていうのは5分強ですがなかなか聴き応えがあります。イギリス・バロックのオルガン曲てはじめて聴いたんですが、バッハみたいな重厚長大な曲よりもわたしはこういうののほうが好きです。

オックスフォード・カメラータ『ジョスカン/ミサ・ロム・アルメ』

2008年09月14日 | CD ジョスカン
Josquin Desprez
Missa L'homme armé
Ave Maria / Absalon fili mi
Oxford Camerata
Jeremy Summerly
8.553428

1995年録音。55分54秒。NAXOS。《Missa L'homme armé sexti toni》と4声の《アベ・マリア》、《わが息子アブサロム》。それにビンデルスの《ジョスカンの死によせる哀歌》。オックスフォード・カメラータの演奏はいつもどおりの正攻法。このグループはタリス・スコラーズに迫るほどの技術をもちながら、タリス・スコラーズほどの圧倒的な存在感はないので、曲そのものの密度が濃いジョスカンとはむしろ相性がいいと思います。

冒頭にあの《アベ・マリア》が歌われるんですが、この演奏なかなかいいです。「ふつうにいいよ」って感じ。有無を言わせぬチカラ技の名演、ていうんぢゃないけど、曲のよさがじわーっと伝わってくる。終わりかたがちょっとあっさりしすぎてるかも。いやー、でもこの《アベ・マリア》の曲づくりはほんとにむつかしいんですよ、じっさい歌った人にしか分からんでしょうが。

《ミサ・ロム・アルメ》はタリス・スコラーズのも持っていますけど、このオックスフォード・カメラータので満足しちゃってもかまわんでしょう。ただしタリス・スコラーズのは《ミサ・ロム・アルメ・セクスティ・トニ》のほかに《ミサ・ロム・アルメ・スーペル・ボーチェス・ムジカーレス》のほうも入ってますけどね。

歌手は12人の名前が挙がっていますが、CDに収められたすべての曲を12人で歌っているのかどうかは分かりません。ソプラノが4人出ているんですが、たしかにミサのソプラノはそれくらいの人数いそうです。ただしタリス・スコラーズのソプラノのようにキンキンした歌い方ぢゃないんで聴きづかれはしません。

考えてみるとジョスカンのミサ全集はオックスフォード・カメラータ向きかもね。タリス・スコラーズの全集は告知されてしばらく経つけど今どうなってるんでしょうか。

クラークス・グループ『ジョスカン/ミサ・フザン・ルグレ』

2008年09月07日 | CD ジョスカン
Josquin Des Prez
Missa Faisant regretz
Motetti
The Clerks' Group
Edward Wickham
CDGAU302

2001年録音。69分05秒。ASV/Gaudeamus。『ミサ・フザン・ルグレ』はジョスカンの円熟期のミサ。4声。アルト2(女声1男声1)、テナー、テナー、バス2の計6人で歌ってるようです。モテットのほうにはソプラノ2が適宜参加。クラークス・グループらしい、柔軟でういういしさを感じさせる演奏。これでもう少しジョスカンらしいどっしりした幹の太さが出せていれば言うことはないんですけどねえ。ジョスカンのミサにしてはちょっと軽い。

最初聴いたときにはそれほどでもないんですが、後で聴きなおしてみるとその良さがじんわり伝わってくる。同じイギリスながらタリス・スコラーズとはいろんな意味で対極にあるグループだと言えます。

ASV/Gaudeamusの古楽のCDは日本ではほとんど大きな話題になることはありませんが、レパートリーも演奏そのものも注目にあたいする立派なものです。