歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

ボストン・バロック『ヘンデル/メサイア』

2008年06月30日 | CD ヘンデル
Handel
Messiah
Clift, Robbin, Fowler, Ledbetter
Boston Baroque
Martin Pearlman
CD-80322

1992年録音。62分41秒/69分01秒。TELARC。『メサイア』はいろいろ聴いてますけど、わたしの知ってるなかではもっともバランスのとれたいい演奏です。このCDはもっと知られていい。演奏している版は一般的なものです。

総じてアリアの速さが顕著。たとえば、"He was despised"を8分20秒で歌ってます。このテンポならダレずに聴ける。それでもぜんぜん早すぎない。ちょうどいい感じ。ピノック盤は、この曲13分台だもの。いかに名歌手フォン・オッターが歌ってるにしても、ありゃ聴いてるうちに寝ちゃいますよ。

ソリストは、メゾのキャサリン・ロビンだけはガーディナーの『メサイア』やピノックの『ベルシャザル』に出ているので知ってましたが、ほかの人ははじめて聴きました。ソプラノのカレン・クリフトはボーイソプラノっぽい雰囲気を買っての起用ですかね。ただちょっと線が細すぎるかなとも思いますけど。ロビンはガーディナー盤のほうがよかった。ここではちょっとくずれた歌い方になるところがあります。テナーのブルース・ファウラーもやや細い声ですが、わたしは不満を感じません。ビクター・レッドベターというバリトンは安定していて、声もいいし、すてきです。

面白いもんで合唱は、聞きなれたヨーロッパの団体とはやっぱり違います。コクがないと言えなくもない。いわく言い難いんですけどね、なんていうかこう、さっぱりしてるんですな。いや、ヘタぢゃありません。わたしは嫌いぢゃありません。テクニックはしっかりしていて、爽快、清涼。ただ、モンテベルディ合唱団とかタバナー合唱団とか、あるいはRIAS室内合唱団とか、ほかにもいろいろありますけど、とにかくヨーロッパの合唱団とはハッキリと声質が違います。

ボストン・バロックはアメリカを代表する古楽演奏団体で、マーティン・パールマンに率いられてテラークにかなりの数の録音がありますね。機会があったらほかのも聴いてみたいと思います。

シャンティクリア『ジョスカン/ミサ・マーテル・パートリス』

2008年06月28日 | CD ジョスカン
Josquin
Missa Mater Patris
Agricola
Magnificat & motets
Chanticleer
CR8808

1990,91年録音。58分50秒。Chanticleer Records。ジョスカン"Missa Mater Patris"をシャンティクリアが歌っていて、結果的に非常に男くさいジョスカンになっています。良いとか悪いとかいうのではない。男声合唱の経験者や現に歌っている人には特にお勧めですよ。泣けるかも。編成はカウンターテナー4、以下テナー4、バリトン1、バスバリトン1、バス2。ということは、これは四声のミサだから、上から4・4・2・2と分かれているんでしょうね。

ブリュメルのモテット"Mater Patris et filia"から始まり、ミサのキリエ、グローリアが続き、アグリコラのモテット"Nobis Sancti Spiritus"が入り、以下ミサ各章のあいだにアグリコラのモテットが挟み込まれていく。ミサのアニュス・デイのあとにジョスカンのモテット"Domine, non secundum peccata nostra"が歌われ、最後にアグリコラの"Magnificat"で終わる。

グループ編成としてはプロ・カンツィオーネ・アンティカと同じように各パート複数の歌い手を揃え、ただプロカンよりもやや人数多め、というくらいなのですが、聴いた感じはプロカンとはまるで違う。なんだかひどくなつかしい音がします。高いほうがそんなに高くなく、ふつうの男声四部合唱のように聞こえる。シャンティクリアのメンバーはいちおう四人のカウンターテナーがクレジットされていますが、カウンターテナーというよりハイテナー。四パートがホモフォニックに動くところなんか、泣かせる。"Hosanna in exelcis"とか。

シアター・オブ・ボイシズ『タリス作品集』

2008年06月27日 | CD ルネサンス-イギリス
Tallis
Lamentations, Motets, String Music
The King's Noyse
David Douglass
Theatre of Voices
Paul Hillier
HMU907154

1995年録音。70分45秒。HMF。タリス・スコラーズによるタリス録音がCD2枚組で再発になったので、今からだとそっちを買う人が多いと思います(というかわたしも買いました)。でもCD1枚でまとまったタリスの作品集としてはこっちも面白いですよ。アンサンブルの精密度ではタリス・スコラーズに差をつけられているけれど、演奏に勢いがある。わたしみたいな合唱人間はこういうの好きだと思うよ。有名な"The Lamentations"や"If ye love me"のほか、ボーンウィリアムズが変奏曲のテーマに借用した"Why fum'th in sight"なども。なお18トラック中、7トラックはビオールのコンソートです。

シアター・オブ・ボイシズは、ヒリアーがヒリヤード・アンサンブルから手を引いてアメリカに渡ってから結成した団体で、はじめはヒリヤードと同じように各声部1人の重唱編成でしたが、ここではS4・A3・T4・B5の16人の合唱団。ヒリヤードとはまるで違って、どこかぽってりとした耳なつかしい音づくり。わたしはこういうの好きですが、ヒリヤード時代のような精緻をきわめた音が好きな人にはあまり好まれないかもしれません。

わたしはこのタリスの『エレミアの哀歌』は歌ったことないんです。どうしたもんか、歌うチャンスがなかった。だもんで、いい曲だということは分かっているけれど、この曲のどこがどうすばらしいのか、そんなに熱くは語れない。歌ってみたかったなあ。今うちにはこの『ラメント』のCDはこのヒリアーのと、タリス・スコラーズと、それからキングズ・シンガーズのわりと最近の録音と、三つ持っています。聴き較べてみます。

わたしとしてはトラック12"Benedictus"が気に入ってます。T1、T2、B1、B2の男声のみによる4声の曲。とくにT1が華やかに動いて、歌いばえのする曲です。男声合唱のレパートリーとしてもイケると思うよ。"Benedictus"とは言っても歌詞は英語。

アーノンクール『ヘンデル/聖セシリアの日のためのオード』

2008年06月26日 | CD ヘンデル
Handel
Ode for St. Cecilia's Day
Felicity Palmer, Anthony Rolfe Johnson
Bachchor Stockholm
Concentus Musicus Wien
Nikolaus Harnoncourt
0630-12319-2

1977,78年録音。49分28秒。TELDEC。録音は古いが音楽はいい。合唱もソリストもいい出来。その後この曲を歌ったフェリシティ・ロットやキャロリン・サンプソンと比べてしまうとフェリシティ・パーマーはやや地味ですが、貫禄の歌唱。ロルフジョンソンもまだ若く、のちのピノックとの再録音よりもこちらのほうが絶対いいと思います。

この曲はNovelloのボーカル・スコアで楽譜を見ると決して緻密な作りではなく、ホモフォニックな、これちょっと手抜きちゃうかと思うようなそっけない譜面に見えてしまいます。けど実際に音で聴くとサマになってるんだよなあこれが。ヘンデルの職人芸と申せましょうな。ただしそれにしてもね、せっかくソプラノとテナーのソリストを揃えたんだから、一曲くらい、二重唱を入れてもよかったんぢゃないかしらん。

この曲のキモはなんといっても、テナーのアリアに合唱がかぶってくる"The trumpet's loud clangor excites us to arms"と、無伴奏のソプラノソロのロングトーンに合唱がTuttiで切り込む終曲"As from the pow'r of sacred lays"でしょう。いかにもヘンデルらしい。ああいつもの手やなとは思うんですが、やっぱり曲の作り方が巧いんですわ。

ストックホルム・バッハ合唱団はアンドレス・エールバルが指導者で、70年代としてはかなり完成度の高い合唱を聴かせています。30年たったこんにちでも、じゅうぶん聴くに堪える演奏です。

パイヤール『バッハ/音楽の捧げもの』

2008年06月25日 | CD バッハ
J. S. Bach
Musikalisches Opfer
L'Orchestre de Chambre J.-F. Paillard
Jean-François Paillard
COCO-85002

1974年録音。46分42秒。DENON。『音楽の捧げもの』の名盤として知られるもの。DENONのスタッフがヨーロッパまで行って世界初のデジタル録音をおこなった一連のシリーズの一つだったそうです。フルートはラリュー。

録音のおかげもあるんでしょうが、とにかく澄み渡った音の世界。プレイヤーはバッハの音楽そのものに真摯に取組んでいて、音楽づくりにまったく濁りがない。たしかにバイオリンにビブラートはついているし、フルートは金属管の音ですよ。それはそうなんだけど、モダン楽器特有の、異様にテラテラした厚化粧な音はここにはありません。時代楽器になじんだ耳にもすなおに入ってきてくれる──と思う。モダン楽器によるバロック演奏もいろいろ。一概に否定するのはもったいない。50分もないからあっという間に終わってしまいますが、しかし収録時間以上の濃密な音楽が聴けることは確かです。たまに聴くバッハの室内楽は、濃いなあ。

時代楽器の録音もいろいろ出ていて、アーノンクール盤、レオンハルト盤、有田盤などには関心もあるんですが、とうぶんこのパイヤール旧盤でいいかな、という感じ。パイヤールはホームグラウンドのエラートに再録音していますが、そちらの新盤は評判が今ひとつのようです。

美しいけど役立たず。

2008年06月24日 | メモいろいろ
■東京メトロの副都心線が開通して、しかしトラブル続きで評判が悪いというニュースの絡みで、東京メトロの駅の案内図が多少の話題になっていました。わたしも地下鉄の渋谷駅の構内図を見てみましたが、確かにこれはひどいよ。迷路のようだ。というか迷路そのもの。しかし、この図を完成させた当人さんは、「いやー、なかなか美しいのが描けた」とかいって自画自賛してそうな気がする。

■こんなことでは、わたしのような田舎者がたまに東京に出て行って地下鉄に乗ろうとしても乗り換えなんて無理だ、などと思いかねません。でも実際には、案外なんとかなるもんなんですけどね。どうしても分からなかったら人に訊けばいいし。そういえば、わたしは昔しょっちゅう大判の時刻表を買っていたんですが、そのはじめのほうのページには東京駅とか新宿駅、新大阪駅など全国の主要駅の構内図のイラストが載っていました(いまでも多分そうだと思う)。それがやっぱりとても分かりにくかったのを思い出しました。

■情報の受け取り手に対する配慮が欠落した、この手の「美しいけど使えない情報」は、もっと糾弾されるべきだと思いますね。この渋谷駅の案内図、もちろん手描きぢゃないでしょ。パソコンでしょ。パソコン使ってるのも、こういう分かりにくいことになっちゅう原因の一つよね。文章でもそうですよ。全体として何を伝えようとするのか、基本的なところの意識が薄くて、細部の言葉遣いばかりを気にしてしまう。すると、部分部分は問題なく形が整っているように見えて、全体通して読むとなにを言ってるのかよく分からない文章がおうおうにして出来上がってしまうもんです。

ヒル『シューベルト/歌曲集』

2008年06月22日 | CD 古典派以後
The Hyperion Schubert Edition 10
Martyn Hill
Graham Johnson
CDJ33010

1990年録音。74分19秒。Hyperion。このレーベルのシューベルト歌曲全集は、当初はイギリスの歌手ばかりが起用されまして、おのおのCD1枚づつリリースしていって、その10人目の歌手としてマーティン・ヒルが登場したのでありました。ここでのヒルはコンディションいいです。ヒルって人はやっぱりこういう小ぶりな編成の曲が似合う。美声ではあるけれど甘くなりすぎず、ほのかに苦味がまじる。そういう深みのあるヒルの声で聴くシューベルト。

念のため言っておきますと、マーティン・ヒルは、マンロウとの一連の仕事や、コンソート・オブ・ミュージックでのダウランドのリュート歌曲全集で名を馳せたテナーです。知的かつエレガントな美声で、古楽のテナーの第一人者でした。パーセルでもホグウッドやガーディナーに起用されて、いい録音を残しました。80年代以降はもっぱらソリストとして活躍しましたが、時おりビブラートかけ過ぎ、ノド声になり過ぎ、のときがあるようになりました。しかしこのシューベルトはいいときのヒルです。

歌っている曲目は、D149「歌びと」、D151「墓場に寄せて」、D160「流れのほとりで」、D161「ミニョンに」、D177「かなわぬ恋」、D197「ユーリアの姿を垣間見たりんご園に寄せて」、D198「ため息」、D201「夜うぐいすの死に」、D207「恋する男」、D211「アーデルヴォルトとエンマ」、D213「夢」、D214「木陰の休息所」、D271「女好き」、D302「愛の清涼飲料水」、D303「恋人に」、D325「竪琴弾きI」。わたしはシューベルトはほとんど知らないんで、この中に有名曲がどれくらい入っているのかいないのか、全然分かりません。

とにかくシューベルトの歌曲集のCDを買ったのはこれがはじめてで、ヒルが歌ってないければ買わなかったわけです。やっぱりシューベルトはいいですね。ヒルに感謝。まあ、ぜいたく言えばフォルテピアノで伴奏してくれてたら最高だったけど…。

ガーディナー『パーセル/インドの女王』

2008年06月21日 | CD パーセル
Purcell
The Indian Queen
Hardy, Fisher, Harris, Smith, Stafford, Hill, Elwes, Thomas, Varcoe
Monteverdi Choir
English Baroque Soloists
John Eliot Gardiner
4509-96551-2

1979年録音。62分20秒。ERATO。『インドの女王』は1695年というからパーセルの死の年の作品。晩年の作らしい充実した音楽がみずみずしい演奏で聴けます。パーセルは曲を完成させる前に亡くなったそうで、ここでは第5幕の合唱"All dismal sounds"まで収められています。この合唱は短調のわりと静かな曲なんですが、ヘンデルのような柄の大きさをほのかにただよわせていていて、この合唱で曲を閉じても問題ないでしょう。そのあとに弟のダニエル・パーセルが補作したマスクの音楽を補って録音したCDもあってそれはそれで興味ありますが、パーセル兄の作曲した部分だけでもじゅうぶん満足感味わえます。

テナーのソロはマーティン・ヒルとジョン・エルウィズ。イギリスの古楽のテナーのなかでも美声として知られたふたり。とくにマーティン・ヒルが大活躍してます。79年というとこのころヒルはダウランドも録音していて、ヒルの美声を楽しむにはまさにそのダウランドからパーセルにかけてがお勧め。トラック27"Ah, how happy are we"はヒルとエルウィズの二重唱。

全体として通奏低音のアーチリュートがよく聴こえてきて、心地よく耳をくすぐる。それから第2幕のさいしょに、よく知られた《Come, ye sons of art》の序曲が"Canzona"として引用されているのもいいです。

もっとも好きな歌は第4幕でソプラノが歌う"They tell us that your mighty powers"かなあ。アンニュイな雰囲気がただよいます。ジェニファー・スミスが歌ってますけど、ハスキーボイスが曲とよく合っていて、これは拍手。

同じ年にガーディナーは『テンペスト』も録音してますが、そっちはMonteverdi Orchestra名義になっていてモダン楽器、こっちは時代楽器。いづれにしても、この時期のガーディナーは実にさっそうとしてしかも気が利いていてほんとうにいいですねえ。

ヘイティン・チン&ウェズレイ・チン

2008年06月15日 | 音楽について
■トリニティ・クワイヤのバスに、アジア系で、背が高くて眼鏡をかけた、一見日本人かなと思うような柔和な顔つきのお兄ちゃんがいて、しかし探索の結果この人はWesley Chinn(ウェズレイ・チン)という名前である、ということが判明しております。この人は、2006年以降、わたしがビデオで見ることのできたたいていの公演にレギュラーとして参加しています。ふだんはバスの歌い手として登場するんですが、多芸多才な人のようで、ときによってカウンターテナーを歌ったり、2007年2月6日のイタリア前期バロックのコンサートではバイオリンを弾いたりもしてました。声は……、うーん、これでソリストとして独り立ちしてやっていくのはなかなかむつかしいと思います。でも音楽センスはじゅうぶんある感じですよ。アンドルー・ノレンみたいなオペラ・シンガーもいればウェズレイ・チンのような多少微妙な歌い手さんもいたりするのがトリニティ・クワイヤの面白いところです。

■ところで、トリニティ・クワイヤの2006年から2007年にかけてのシーズンには、アルトにもHai-Ting Chinn(Macの読み方ではヘイティン・チン)というアジア系の歌手が参加していました。彼女は『ダイオクリージャン』にも、その年の『メサイア』にも、それから年明けてからの2月6日のコンサートにも出ています。こちらのヘイティンさんのほうはメゾソプラノのソリストとしてすでに活躍していて、オペラでもコンサートでも、古楽、古典派以降とわず幅広くレパートリーにしているようです。オルフェウス室内管とか、そういうメジャーなところとも共演しているようです。過去のトリニティ・クワイヤのコンサートではディドーも歌ったことがあるそうで、これについてはサイトにビデオが上がっていないので詳細不明なんですが、演奏会形式の上演だったんでしょうかね。えーまー、はっきり言ってヘイティンさんは美貌とは言いがたい人で、いまの地位を築いているのは歌の実力だと思います。

「アル」敬語と「イル」敬語

2008年06月14日 | 気になることば
■「余震が発生してございます」がダメな件、わかりました。「ございます」というのは「アル」系の敬語だから、ここにはそぐわないんですな。その証拠に「余震が発生してアリマス」なんて言わないもんね。ここは「アル」敬語ぢゃなくて、「イル」敬語を使うべきなのよ。つまり日本語では「発生してアル」ぢゃなくて「発生してイル」というのが当り前だってことね。そして、「オリマス」というのは「イル」系の言葉だから、われわれは「発生してオリマス」という言いまわしに納得するのね。

■つまり「います」と「おります」とは互換性があるけど、「います」と「ございます」とは互換性がないってことですね。

■そういえば互換性ってことばを、パソコン業界では何だか変な意味で使うでしょ。あれは困ったもんですね。英語から翻訳するときに、だれだか日本語の感覚の鈍い人が、うっかり「互換性」なんて訳し間違えたんでしょうね。