歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

白川町と白川村@岐阜

2014年10月30日 | メモいろいろ
北海道に釧路市と釧路町、高知県に四万十市と四万十町があるのは知っていましたが、岐阜県に白川町と白川村があるのは知りませんでした。釧路と四万十では、それぞれの市と町は隣りあっているのですが、岐阜の両白川は離れている。有名なほうの白川村は飛騨で、(失礼ながらあまり有名でない)白川町は、美濃である。

三入

2014年08月20日 | メモいろいろ
広島の被害の規模が大きすぎて愕然としてます。わたしの三入の知り合いは、無事だったみたい。そのことはひとまづ何よりだったのだけど、でもこれから復旧がたいへんそうですね。ていうか、泥水に阻まれて家に閉ぢ込められている災害弱者がたくさんまだいるはずなので、どうかどうか助けてあげてください。

あの三入、というのは古くからある地名で、あの熊谷直実の子孫が承久の乱後に賜った領地なのですよ。わたしも昔いちど行ったことがあるんですが、何もできずにすごすご帰ってきた思い出あり。

白蓮の母

2014年08月08日 | メモいろいろ
YOMIURI ONLINEの「カルチャー」に、「柳原白蓮、再び脚光」という記事が載っていました。その記事で知ったんですが、白蓮の母という人は、江戸幕府の外国奉行・新見正興の娘で、柳橋の芸者さんだったそうですね。新見正興というのは、幕末に幕府の遣米使節としてワシントン、ニューヨークまで行った人なんですよ。大統領にも謁見したんだって。お奉行さまだから偉いのよ。旗本。

白蓮さんは1885年生まれだそうです。芸者さんだったお母さんが白蓮をいくつで産んだかは分からないけれど、二十歳で産んだとするとお母さんは1865年生まれ。まあ、いづれにしても、お母さんはちょうど幕末のごった返しのころに生まれたとみていいでしょう。父の新見正興は瓦解ののちほどなく亡くなったそうですから、娘が柳橋で芸者さん、というのは、当時の身分意識としてはやはり「零落」って気配が濃厚だったろう。

この柳原白蓮の母のことを知ってわたしがただちに思い浮かべたのは、言うまでもなく『坊っちゃん』の清のことです。『坊っちゃん』の語り手によれば、「この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までする様になったのだと聞いている。」とのことである。

わたしは清の素性がずっと気になっていて、まあ御家人のお嬢さまくらいなのかなあと思っていたんですが、白蓮さんのお母さんみたいな例もあったのなら、旗本の娘、って可能性もありそうですね。

掛け持ち

2014年05月27日 | メモいろいろ
もしかしたらわたしと同世代かもしれない──というのは、わたし、ほかの人の年が分からないんですよ──男のタレントさんが、テレビのCMを掛け持ちしてるのが気になっている。何ていう人か、知りません。でもわたしの知る限りでも、いま三つのCMに出てるんですよ。高血圧だったか糖尿病だったかで、問い合わせしたけど保険に入るの断られた(けど、入れそうな保険が見つかってホッとしている)その人が、こんどは健康そのものの笑顔で、新しいWindowsパソコンを導入して茶柱に喜んでいる。さらには、ヤマザキの食パンについて「うーん、上質ですねー」だったか、「上質って感じですね」だったか、とにかく「上質だ」と讃えている。荒稼ぎ。っていうか、いちどにそんなにいろいろ出て、問題ないのかなあ。

放送大学でルイス・フロイス

2014年05月14日 | メモいろいろ
放送大学の『歴史と人間』という科目でルイス・フロイスが取りあげられていました。講師は杉森哲也さん。杉森さんが長崎に来て収録したビデオも流されました。フロイスが長崎で死んだことはなんとなく知っていましたが、その場所は、今の県庁のあるところに建てられていた教会だったそうですね。この「岬の教会」を描いたと思しい南蛮屏風が残っているというのも、はじめて知りました。

杉森さんは、長崎以前の南蛮船の入航地であった横瀬浦も訪ねていました。横瀬浦は西彼杵半島の北端で、海を隔てて佐世保の対岸にある集落です。入航地になって間もなく、焼き打ちに遭ったために放棄されて、やがて南の長崎が新しい港として開かれたわけです。もし焼き打ちに遭わなければ、そのまま横瀬浦は貿易港として発展し、でも土地が狭いので街は針尾島から早岐、佐世保方面に広がって、今の長崎県域の中心地は、長崎ではなくて今の佐世保近辺に広がっていたでしょう。今の長崎市あたりの土地の狭さを考えると、佐世保に人口が集まっているほうがよかったかもしれない。新幹線を引いてくるにも、長崎よりも佐世保のほうが、鳥栖からの線を引きやすそうに見えます。

フロイスの『日本史』の日本語完訳本は全十二巻でいま中公文庫に入っていますが、中公文庫はすぐ無くなるから、いつまで新本で入手可能かは分かりませんよ。これはかつて中央公論社からまづハードカバーで出て、その後ソフトカバーに装幀を改めて出されていたもの。文庫版は、訳に多少補正が加えられているとのこと。

中公版の『日本史』の訳者は松田毅一さんと川崎桃太さんのおふたりで、キリシタン学者の松田さんはもう亡くなりましたが、ポルトガル語の川崎さんはもう百歳近いけどなお存命とのこと。

いなくなった叔父さん

2014年05月13日 | メモいろいろ
NHKの番組がきっかけになって、七年前に保護された認知症の女性の身元が分かり、夫と再会した件。保護された時、すでに自分の名前が分からなくて認知症であることはあきらかだったが、その当時の写真を見ると、いかにも活発そうで、写真を撮られることにも慣れているようなそんな様子だった。しかし七年のあいだに認知症がすすみ、今はほとんど寝たきりで、七年ぶりに夫と再会しても目を開けないし、口は堅く閉じられたままだった。

実はこの女性、これはNHKにとっても思いがけないことだったろうが、もとニッポン放送でアナウンサーをしていた人だったとか。こうなると、民放もこの問題に触れずにはいられないだろう。

NHKではこの前にも一件、同じように保護された認知症の関西の男性を番組で取りあげて、身元が判明している。こういうときこそ民放はNHKの真似をして、徘徊ののち保護されたものの身元が分からないままの認知症の方たちの親族さがしに力を貸してあげるべきだろう。

実はわたしの親戚でもひとり、行方の分からなくなった大叔父がいるのです。その叔父さんは、引退後、認知症になって老人ホームに入ってたんですが、いなくなった。もう二十年も前の話だからいづれにしても生きてはいないと思いますが、当時もしかしたらどこかで保護してもらってたかもしれないんだなあと改めて思いました。

茶髪

2014年04月27日 | メモいろいろ
ことし三十歳になる女性の作業療法士さんと話をしていて、髪を染めることが話題になったのですよ。わたしはこの歳になるまで、一度も髪を染めたことがありません、て言ったら、「へええ、めづらしいですね」と言われた。どんなつもりで言ったのよ、とは訊けなかった。

若白髪が出はじめたのは三十代の終わりごろからだったでしょうかね。原因は分からないけど、やはりストレスからだろうか。まあ仕事柄、べつに多少の白髪があっても業務に差し支えはなかろうと勝手に判断して、染めたりはしませんでした。今にして思うと、いちど染めてみてもよかったなあ。わたしは(貫録がないせいか)顔が若く見えるらしくて、ついこないだはある人から「まだ三十代でもいけますよ」って言われた。さすがにそれをそのまま受け取るほどのお人好しでもないけれど、この顔で、髪の毛が真っ黒だったら、四十代なかばには余裕で見えちゃうんだろうなあとは思いますね。

それで思い出したんですが、わたしは、茶髪にしている男性をはじめて見たときのことをはっきり記憶しています。場所も憶えている。はるか昔のことですよ。学生時代、東千田の、国道二号線沿いを、何人かで歩いていたときだった。そのとき、髪を茶色にした学生と生まれてはじめて擦れ違いました。さすがにその学生がどんな顔していたかまでは憶えていませんが、さほど奇矯な風体ではなかった気がする。ごくふつうの広大の学生、って雰囲気で、でも、髪の毛だけは、あきらかに染めたことが分かる茶色だったのである。そのころ、都会ではもう男の茶髪はめづらしいことではなかったと思いますが、地方都市広島の、それも東千田のキャンパスでは、茶髪の男子学生を見たことはまだなかった。文学部の同級生には茶髪の男子はいなかったけれど、よくよく思い出してみると、そうだ、後輩には茶髪の子、ふつうにいたですよ。つまりわたしの学生時代というのは、男子学生の髪の色が劇的に変化した時期だったわけですね。あのころいちどわたしも染めてみとけばよかったわ。

一般教育の記憶

2014年04月02日 | メモいろいろ
外山滋比古さんとの三人会のメンバーだった鈴木一雄さんと鈴木修次さん。一雄さんはラジオのNHK第二で源氏物語の講読を長くやってらして、わたしもときどき聴いていました。しかしその時はまだわたしのほうが勉強不足で、源氏物語の細部が頭に入っていたわけでもなく、ただ漫然と一雄さんのおしゃべりと加賀美幸子さん(だったと思う。いや、白坂道子さん?)の朗読に聴き惚れていただけでした。あのプログラムはCDとかにはなってないのかな。もしCDになっているのなら、手元においてまた少しづつ聴いて勉強したいと思います。

鈴木修次さんからは、わたしは直接単位を出していただきました! 一般教育科目の、杜甫の授業。本も買った。というか、買わされた。そのころもうお爺さんだったような気がしたけれど、考えてみればそのころ鈴木先生はまだ現役バリバリの研究者でいらしたはずで、へたをすれば、まだ五十代だったかもしれない。とにかく杜甫は苦労人で、いろんな作風の詩を残している、ということを仰有っていたのは憶えています。わたしも文学部の学生だったから真面目に聞いていたのかな。それともやはり鈴木先生の授業がよくて、それで憶えているのかなあ。

改めて思い起こすと、総合科学部で受けた一般教育科目の授業、具体的な内容はもちろん忘れ果ててしまったけれど、授業の雰囲気は、まだ少しばかり憶えています。鈴木先生のほかに、佐竹明先生の宗教学、中川徳之助先生の徒然草は、先生の語り口までまだ憶えています。ちなみに中川先生の徒然草は、わたし、成績、「可」だったのよ!

あと伊藤詔子先生の英米文学史とか。これはレポートがちょっと良かったらしくて褒められた。いや、読み(の感性)を褒められたのなら今でも嬉しいと思うけど、そうではなくて、恐らく、いろいろ知ってますね、ってことで、知識を褒められたんだったと思う。ほかには舟場正富先生の経済学とか、成定薫先生の科学史とか受けました。成定先生は授業の資料プリントを毎回配られましたが、あれはもしかしたらMacで作っておられたんぢゃないですかね。

『美しき人生』の『コレヘト』

2014年03月26日 | メモいろいろ
無料動画GyaO!『美しき人生』第54話。ビョンジュン(キム・サンジュン)とアラ代表(チャン・ミヒ)との電話のやりとり。このときアラさんはビョンジュンに振られて、虚無的になっていた。アラさんは電話の向こうにいるビョンジュンに、「何というむなしさ 何というむなしさ すべてはむなしい」と言います。このことばが「頭に響いている」と。GyaO!の字幕では引用句であることをはっきり示してなかったけれど、これは旧約聖書の『コレヘト』(伝道の書)ですね。わたしは曾野綾子経由で、たまたま知っていました。聖書をちゃんと読んでるクリスチャンには有名なところなんだろうと思います。『美しき人生』の字幕では新共同訳の聖書と一致することば遣いになっているから、字幕をつけた人も、これが『伝道の書』だということは分かっていたんでしょうねえ。

この「何という空しさ」の箇所は、他の日本語聖書では「空の空」と訳されていて、はじめて見たとき、わたしはこれだけではピンときませんでした。あとから、「ハレルヤ・コーラス」の〈King of Kings〉は「王の(なかのもっとも最たる)王」ってことだから、となると「空の空」とは「空しさのうちのもっとも最たる空しさ」の意なのだろうとようやく見当がつきました。

それにしてもどうしてアラさんはここでこのことばをつぶやくのか。もちろん知ってるからつぶやいたんでしょうが、アラさんはクリスチャンだったっけかな。まあアラの信仰いかんにかかわらず、教養として『伝道の書』を知ってた、って可能性もあるけどね。そして、韓国では日本よりクリスチャンの割合いが多いことはわたしも知っていますが、このシーンを見た韓国の人たちは、アラさんのこのせりふを聞いて「あ、伝道の書」ってすぐ気がつくくらい、広く聖書に親しんでいるのかなあ。そのへんがわたしには分かりません。

心にうつりゆくよしなし事

2014年03月04日 | メモいろいろ
先週、検索で飛んできて、去年の十一月に書いた「「ビキニ」語源説」を読んでくださったかたが何人がいたんですが、できたらその次の日に書いた「「ビキニ」の話の続き」も併せて読んでおいてね。

このブログを毎日定期的に訪れてくださる常連さんはだいたい二十人から三十人くらいですかねえ。ありがたいけどお気の毒とも思います。たとえば古楽のCDの話を読みに来た人には、『徒然草』の話なんかどうでもいいだろうになあ、とは、つねづね考えているところである。しょせん、書き手であるわたしが百パーセント自分だけのために書き溜めているメモ帳のようなものと割り切っていただいて、読む気になったところだけ摘み食いしていただくほかはないのです。

しかしわたしが買い溜めたCDの記録も、むかしほどの筆の勢いはもうないですね。はい、分かっております。だって、あるていど偉そうな顔して書けるヘンデルのオラトリオや、パーセルの作品については、もうだいたい書いちゃったんだもの。ヘンデルもオペラはさほど楽しめないし、バッハやモーツァルトも好きは好きだけど、さほど前のめりな姿勢では聴いてこなかったのでつい筆が鈍るのである。実は、記録をとりはじめたもののまだ書き上げてないCD記録のテキストファイルが、まだCD百枚分以上もあるのだ。しかしもう、そのすべてを書き上げることはないでしょうね。これまでもそうだったですが、気が向いたものを気が向いたときにアップロードするばかりでしょう。コンソート・オブ・ミュージックのダウランドとか、気に入ってるにまだぜんぜん書いてないのもあるなあ。

よしなし事ついでに書いてしまうけど、『美しき人生』の無料配信版は、韓国での本放送そのままではなくて、著作権の問題から、一部省略されてる箇所があるようですね。テソプとキョンスが部屋に籠って『さらば、わが愛』のDVDを観るシーンとか、夜の砂浜でテソプがキョンスにラブソングを歌うシーンとか。本放送版にはあったようですが、GyaO!では、たしか、なかった。テソプ役のソン・チャンウィは、韓国ミュージカル界のスターなのだそうな。わたしも若いころ「優しそうですね」とさんざん言われてうんざりしたけど、ソン・チャンウィもほんと、優しそうな人です。