歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

東洋軒のサラダパン。

2006年04月28日 | メモいろいろ
中島川沿いに、むかし東洋軒のパン工場があった。ABCCから入ったところだったか、それとも八幡町の角だったか、その辺はあいまい。東洋軒のパンで憶えているのは、牛乳パンと、サラダパン。このサラダパン。今も、買おうと思えば買えるそうです。しかしハムなんて入っていたかな。わたしの記憶の中のサラダパンは、丸っこいコッペパンのなかにポテトサラダが詰めてあるものだったのだが。

『ラホ日』。

2006年04月25日 | 古典をぶらぶら
『図書』2004年8月号に、所雄章さんの「『天草辞典』との出会い」という文章が載っていた。所さんという方は哲学が専門で、デカルトの『省察』の翻訳をなさった方だそうである。『図書』に載ったその文章で所さんは、「デカルトの生年の前年に発刊の『天草辞典』が、デカルト的用語の近世ラテン的な語義を見定めるのに、役立ってくれた」と書いている。

『天草辞典』というのは、1595年天草刊の『羅葡日対訳辞書』のことだ。所さんは「東大正門前の井上書店」という古書店で、「『拉葡日対訳辞典』(という、紙の帯を付けた三巻本)」を見つけて、買ったのだそうだ。これはどこの会社から出てる版なのかしらん。少なくとも勉誠社の複製は『羅葡日対訳辞書』というタイトルの大型本一冊だ。とにかく高い古書で、むかし、わたしも二三年ほど迷った末に、ようよう買った。(にしては最近まったく開いていないのがトホホである。)

この辞書は、ラテン語で見出しが立ててあって、それに対応するポルトガル語と、日本語での意味が示してある。1603-04年の『日葡辞書』は岩波書店から邦訳が出ているせいでそこそこ知られているようだけれど、『羅葡日』のほうは、所さんも書くように、専門家以外にはほとんど知られていない。しかしすごいと思いません? ザビエルが日本にやってきて、まだ50年も経たないのに、ほんらい縦文字の日本語をラテン語と共存させる方法(つまりローマ字)を体系化して、ラテン語の意味を日本語で解釈し、ヨーロッパから持ってきた印刷機で出版するところまで、彼らはすでに行き着いていたのだ。

モーツァルトのオペラを聴き始めた。

2006年04月24日 | 音楽について
80年代から90年代前半にかけて録音された、アルノルト・エストマン指揮の『フィガロの結婚』『ドン・ジョバンニ』『コジ・ファン・トゥッテ』『魔笛』、以上CD10枚をひとまづ聴き通した。全体を通して、アンサンブル重視の、よくまとまった演奏だと思う。『フィガロ』『ジョバンニ』『魔笛』の3作に出ているバーバラ・ボニーなど、さすがの名唱といっていいと思うが、それが突出することなく、エストマンの振るモーツァルトの世界に溶け込んでいる。

『フィガロ』はガーディナーのCDも持っているので聴き較べてみた。ガーディナーのは最初から最後まで実にりっぱな演奏で、しっかりした聴きごたえがある。ターフェルのフィガロがとくに強力だ。ターフェルを聴いた後ではエストマン盤のペッテリ・サロマーはかなり非力に聞こえてしまう。

しかし、巧く言えないが、エストマンの『フィガロ』を聴いた後でもういっぺんガーディナー盤を聴くと、そこにはモーツァルトらしい透明な幸福感が微妙に乏しいような気もしてしまうのだ。わたしが気づいたのは第3幕のおわりの行進曲のへんで、エストマンのはとても雰囲気がよくて聞き惚れてしまうのだが、ガーディナーのはがっちり演奏してるわりにハッと引き込まれるような魅力に欠けるのだ。

エストマンの『フィガロ』のキャストは、サロマーのフィガロ、ボニーのスザンナ、オジェーの伯爵夫人、ホーカン・ハーゲゴールの伯爵、デラ・ジョーンズのマルチェリーナ、カルロス・フェラーのバルトロ、等。デラ・ジョーンズはガーディナーのヘンデルでクセのある役を歌っている人だが、この人のマルチェリーナは若く、これならフィガロと結婚しようという気になったっておかしくない。

Kurt Streit。

2006年04月21日 | 音楽について
Kurt Streitという、明るく軽い声の、いいテナーがいる。ドイツ人のような名前だが、アメリカ出身だそうだ。だから少なくとも「クルト・シュトライト」とは読まないのだろうが、Streitというアメリカ人の名字を日本語ではどう書けばいいのか、わたしには分からない。とりあえず「カート・ストライト」ということでゆるしてください。

この人をはじめて聴いたのはマリナー指揮のギルバート&サリバン『ヨーメン・オブ・ザ・ガード』のCDで、この演奏は、アレン、ターフェル、マクネアーなど豪華な歌手が出てサリバンの洒落た音楽をなんとも粋に歌っており、それをマリナーがスタイリッシュにまとめた、実に洗練されたCDだった。ストライトはいかにもイギリス人好みの明るい声でアンサンブルに溶け込んでいて、好感を持った。この人のヘンデルを聴いてみたいと思った。

そしたらほどなく、シャンドスから出たヘンデルのオペラ『パルテノーペ』にストライトがキャスティングされていたのである。ただわたしは、ヘンデルのオペラについては正直なところやや食傷気味で、この『パルテノーペ』は未聴である。

で、こんど買ったエストマン指揮のモーツァルト・オペラのCD10枚組で、わたしはふたたびストライトを聴いた。『魔笛』のタミーノを歌っている。これが期待にたがわぬよい出来だ。

『明月記』新出断簡、五百万。

2006年04月18日 | 本とか雑誌とか
今夜たまたま『なんでも鑑定団』を見ていたら、掛け軸に仕立てられた『明月記』の断簡が出た。定家の真筆だそうである。500万。ひえー。その筋(どの筋?)の先生がたは見ていらしたのかしらん…。ああいうのは、偉い先生のところには、事前にテレビ局から連絡がいったりするのかな。いづれにしても大騒ぎになるだろう。

アメリカから届く。

2006年04月18日 | メモいろいろ
『ドン・ジョバンニ』を聴くことに決めて、ガーディナーにするか、アバドにしようか、またほかにも名演奏といわれるものがいろいろあるようなので迷った。モーツァルトあたりまで降ると、時代楽器の演奏を優先しようという気持ちもだいぶ薄れるので、選択肢はさらに拡がってしまうのである。とはいいながら、以前から気になっていたエストマン指揮の(つまり時代楽器の)モーツァルトのオペラ10枚組がどうしてもほしくなった。これは国内のサイトではHMVでもTowerでもすでに品切れなのだが、アメリカに直接注文すれば買えるようだった。勇を鼓して米Towerに直接注文して、航空便で送ってもらうことにしたのである。

支払いはクレジットカードでできた。送り先を入力するときに郵便番号を書き込む箇所が見あたらなかったので知らせず仕舞いで、ちゃんと届くか心配したが、一週間あまりで、小包が郵便で無事に届いた。

先に買ったピノックの交響曲全集11枚組と同じような仕様だった。箱の中に、紙ジャケットに入ったCDと簡単な内容紹介書が入っている。まあ想定内の素っ気なさではある。交響曲ならこの程度でかまわないが、オペラはちょっと困る。原詞とその英訳くらいはつけてほしい。それでもぜいたくか?

セルシェル『ルネサンス・リュート曲集』

2006年04月07日 | CD 中世・ルネサンス
The Renaissance Album
Göran Söllscher
00289 477 5726

2005年録音。64分59秒。DG。セルシェルがルネサンス期のリュートやビウエラのための小品をたっぷり聴かせるアルバム。セルシェルにとっては、さきに出た《eleven-string baroque》と対になる録音。

セルシェルのこのアルバムは澄んだ空気感に包まれていてとてもいい。大声で個性を主張してくるようなアルバムではないけれど、聴くものの心を静かに満足させてくれる。

曲のほとんどはごく短いものです。ダウランドの作品がもっとも多い(11曲)ですが、バロックアルバムのときと同じく、有名無名の作曲家の作品とりまぜて、かなり凝ったプログラムになっています。イギリスではダウランドのほかピーター・フィリップス(1560/61-1628)、ホルボーンなど、スペインものではムダーラ、ミラン、ナルバエス。ほかにイタリア、ドイツの作品。

トラック22〈Ballo Detto 'Il Conte Orlando' - Saltarello Del Predetto Ballo〉が聞こえてきて、なんだかとても懐かしい気がしました。レスピーギが例の組曲で使っているメロディー。トラック24〈Pavana V & VI〉はわたしの好きなミランのパバーナ。

ブックレットにはセルシェルが使っている11弦ギターの写真も載っていますが、やはり棹の太さがものすごい。日本人の手にはあまるんぢゃないか知らん。

RKBは百道浜。

2006年04月04日 | メモいろいろ
RKB(TBS系)は以前は福岡のもっと街中にあったんぢゃないかと思うのだが、ニュースで「福岡市早良区の…」と言うので、あれっと思った。知らないうちに、百道浜に移っていた。あろうことか、テレビ西日本(フジ系)と隣同士になっているのである。むかしは、RKBも九州朝日(朝日系)も福岡(日テレ系)放送も天神周辺でわりかし近接していて、テレビ西日本だけが、南区の丘の上に建っていたはずだ。博多でかもめに乗り換えて長崎に帰るときも、列車の窓からテレビ西日本のアンテナが見えた。