文庫本の本文には昔から関心があります。とくに近現代の名作とされる作品の本文。以前『坊っちゃん』についてブログに書いたことがあります。きょうは『山月記』です。
いま高島俊男『三国志 きらめく群像』(ちくま文庫)を読んでいるんですが、隴西という地名に「ろうせい」とルビが振ってある。「あれっ」と思ったのですね。いや、わたし、これまで何となくあやふやなままだったんですよ。「ろうせい」なのか「ろうさい」なのか。
○
「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。……」
もちろんわたしも『山月記』を最初に読んだのは高校の教科書ででしたが、教科書にはルビがどう振られていたか、また現国の先生がこの地名をどう読んでいたか、まるで憶えがない。その後、わたしは、たぶん学生時代に新潮文庫の『李陵・山月記』を買って通読したはずなんですが、その新潮文庫版が、隴西を「ろうさい」とルビを振っている(らしい)のですよ。
新潮文庫『李陵・山月記』はわたしのうちにまだあるはずですが、面倒なので探しません。(あと、ちくま日本文学の『中島敦』も持ってるはずだけど、探さない。怠惰でごめん。)でも、この新潮文庫版に拠った本文が青空文庫にあって、PDF化もされている。ありがたい。それを見ると、冒頭、やっぱり「ろうさい」とルビが振られている。
○
わたしは新潮CDの『山月記』というのを持っています。江守徹が朗読しているのですが、その朗読では「ろうせい」と読んでいる。つまり新潮CDの本文は、『山月記』では新潮文庫と一致しないということになる。おなじ新潮社なのに。話がそれるけど、この新潮CD『山月記』には『名人伝』『牛人』が併録されていますが、『牛人』は現在新潮文庫には入っていない作品。
○
なお「西」は、漢音が「セイ」。呉音が「サイ」。『漢字源』では「隴西」は「ロウセイ」。MacのIMである「かわせみ」でも、隴西と変換されるのは「ろうせい」のほう。
いま高島俊男『三国志 きらめく群像』(ちくま文庫)を読んでいるんですが、隴西という地名に「ろうせい」とルビが振ってある。「あれっ」と思ったのですね。いや、わたし、これまで何となくあやふやなままだったんですよ。「ろうせい」なのか「ろうさい」なのか。
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「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。……」
もちろんわたしも『山月記』を最初に読んだのは高校の教科書ででしたが、教科書にはルビがどう振られていたか、また現国の先生がこの地名をどう読んでいたか、まるで憶えがない。その後、わたしは、たぶん学生時代に新潮文庫の『李陵・山月記』を買って通読したはずなんですが、その新潮文庫版が、隴西を「ろうさい」とルビを振っている(らしい)のですよ。
新潮文庫『李陵・山月記』はわたしのうちにまだあるはずですが、面倒なので探しません。(あと、ちくま日本文学の『中島敦』も持ってるはずだけど、探さない。怠惰でごめん。)でも、この新潮文庫版に拠った本文が青空文庫にあって、PDF化もされている。ありがたい。それを見ると、冒頭、やっぱり「ろうさい」とルビが振られている。
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わたしは新潮CDの『山月記』というのを持っています。江守徹が朗読しているのですが、その朗読では「ろうせい」と読んでいる。つまり新潮CDの本文は、『山月記』では新潮文庫と一致しないということになる。おなじ新潮社なのに。話がそれるけど、この新潮CD『山月記』には『名人伝』『牛人』が併録されていますが、『牛人』は現在新潮文庫には入っていない作品。
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なお「西」は、漢音が「セイ」。呉音が「サイ」。『漢字源』では「隴西」は「ロウセイ」。MacのIMである「かわせみ」でも、隴西と変換されるのは「ろうせい」のほう。
高島さんてお目を悪くされたそうですね。週刊誌は読まないので週刊文春の連載も知らなくて、もしかしたらこの人の本を読むのは、『本が好き、悪口…』以来かも。あの本はよかったですよ。ああこの人なら丸谷さんが気に入って丸谷軍団に引き入れるのは自然な流れだろうと思いました。