歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

台風の目

2010年12月28日 | 演ずる人びと
Jessicaという女性は病院の勤務医とセックス・ワーカーの二重生活をしている人である。セックス・ワーカーをしているのは研究費を捻出するためとかいう情報がネットのどこかに転がっていた。医者としてはAxelやIsabelleを担当し(いかにも有能そうである)、そのいっぽうでセックス・ワーカーとしてはMarianをお客にとった。このJessicaというひと、どこかJennyと面差しが似ていて、Jennyを失ったMarianがJessicaにおぼれるのも無理ないなあとわたしは思った。(あるいは、JessicaにキャスティングされたAndrea Clevenて女優さんは当初Jenny役の候補だったのかもしれない。)で、MarianはすでにJessicaの二重生活のことを知っていて、《AWZ》1084回では、Jessicaの勤める病院にクリスマス・プレゼント?の花束を持ってきたけど、Jessicaには受け取ってはもらえなかった。いっぽうAxelは、またまたいつものいやらしいAxelに戻っていて、一念発起して女を買うために、(実はJessicaが商売している)キャンピングカーのところまで車でやって来る。しかしAxelは自分が買おうとしていた女がJessicaだなどとはぜんぜん知らなかったのである。そこへMarianがオートバイでやってきた。ノックされて顔を出した娼婦がJessicaだったので、車の中から様子を窺っていたAxelは驚き、Jessica & Marianの写真を例の携帯でパチリパチリとやって、ニンマリしていた。

Jessicaはセックス・ワーカーであることを大っぴらにはしていないようだが、それにしては脇が甘い。Jessicaは以前〈No.7〉にも客として姿を見せ、そこでMarianとも会っている。セックス・ワーカーとしてMarianを客にとり、Marianが自分に執心しているのも分かっている。それなのにJessicsは、客としてシレッとSteinkampに現われたりする。いつMarianと顔を合せるか分かったものではないのに。そして現にSteinkampでMarianに見つかり、Jessicaは本業が医者であることをMarianに知られてしまったのである。まあMarianに知られるのはまだしも、腹黒Axelに二重生活を知られてしまったのはまづかった。しばらくこのネタは引っ張ると思いますよ。

Rafaelという人物の氏素性がわたしには分かってないんだが、こちらもいよいよお話が大きく動きそうだ。しかしSimoneといいLenaといい、なんでああRafaelにメロメロになるかね。表の顔のRafaelは、ごくふつうの中年ですよ。Richardが持てるのなら分かるが、なんでRafaelがああ持てるのか、さっぱり分からない。ま、そこがRafaelの底知れなさなんだろうが。

ドイツ語の〈bitte〉はイコール英語の〈please〉だと思ってたけど、違うのね。もっと使いでのある言葉なのですね。もちろん「どうぞ」って意味もあるけど、相手の言ったことにすぐ反応して、「なんですって?」とか「それどういう意味よ?」って聞き返すときに、よく〈Bitte ?〉ってセリフが出てくる。あと、〈Ne.〉ってのもおもしろい。「そうぢゃネーよ」「気にするなよ」って感じの「ネー」。

優しくなれる日

2010年12月26日 | 演ずる人びと
12月23日放送分の《Alles was zählt》1083回は、〈No.7〉でのクリスマスパーティーだった。(12月24日は放送お休みだったようである。イブだから特別編成だったのかな。)冒頭、Florianが天使のコスプレをしてFry Standの前でなにか配ってる?ところから始まった。Axelがいいことをした。Franziskaがクリスマスの休みを利用してフライブルクにいる父親に会いに行こうとしてたらトラブルが起こって、居合わせたFlorianがAxelに助けを求めたのである。意外なことにAxelはあっさり話に乗ってくれて、Franziskaは電話ながら父と話をすることができた。クリスマスは人をちょっと優しい気持ちにしてくれる、ってことなんだろう。実際にみんながみんな、他人にいいことをしてやる、ってわけではないだろうが、そういう気分になる日なのだ、という気配は伝わってきた。FloがAxelにむかって心から「ダンケシェーン」って言っていた。そのAxelも雨の中をF & Fといっしょに走ってきて、〈No.7〉でのクリスマスパーティーに加わる。こういうAxelもめづらしい。Denizがハンブルクから帰ってきて、久しぶりにRomanといちゃいちゃ。Ingoが久しぶりにギターの弾き語りを聴かせた。この人の歌は味があってよい。Franziska & Flo、Annette & Ingoも幸せそうである。外へ出たAxelにClaudiaが傘を差しかけてやっていたのもいい感じだ。Claudiaはもう少し若いころは美人だったろうと思わせる。しばらく出番が少なかったが、また出てくるのかな。いっぽうSteinkamp Villaでもクリスマスのお祝い。それにしてもRafaelの存在はどうも不穏である。これからのお話の台風の目はRafaelと、それからJessicaだろう。

ジョン・ルイス『バッハ_プレリュードとフーガ Vol.3』

2010年12月23日 | CD バッハ
J.S.Bach
PRELUDES AND FUGUES Vol.3
John Lewis
Howard Collins
Marc Johnson
PHCE-12003

1988年録音。60分44秒。PHILIPS。だいぶ前に買ってあったもの。なぜいきなりVol.3を買っちゃったのか、いまとなっては分からない。『平均律クラビーア曲集第1巻』のプレリュードとフーガのうち、3、10、11、13、15、19番を収録。プレイヤーはピアノ、ギター、ベースの3人のみで、ジョン・ルイスのピアノがずーっと鳴っている。ギターとベースはごく控えめに色を添えてるていど。実はわたし、原曲の『平均率クラビーア曲集』ってまだ聴いたことないんですよ。だからかな、このCDになんの抵抗もなくすーっと入っていけた。

わたしジャズについてはまったく初心者。なんにも知りません。ジョン・ルイスのこともベテランのジャズ・ピアニストってことしか知らない。でもジャズ聴いてみたいって気持ちはずっとあったんですよね。

でも、レオンハルトあたりでバッハの鍵盤曲をみっちり聴いてる人がこの録音を聴いたら、「スカスカで話にならん」て言いそう。ジャズを知らないわたしがこう言うのもナンですが、これはあくまでもジャズピアノの名盤、なのだろう。まあちょっと、ところどころ音楽が安っぽく聞こえちゃう瞬間もないではないしね。古楽マニアにはお勧めしません。わたしは古楽大好きですがバッハにはそんなに思い入れがなくて、しかも古楽以外も聞いたり歌ったりするので、それでこのジョン・ルイスを楽しむことができたのでしょう。

とにかくわたしはこの演奏気に入った。なんだろうねこの浮遊感は。はじめて味わうよ。とてもおしゃれで都会的で、でも洗練されてるばかりではなくて、心の奥の海をのぞくような深さもときどき感じた。

トラック7(Prelude No.13)とか、泣ける。バッハゆえか? それともジョン・ルイスのピアノが泣かせるのか?

クリスティー『五匹の子豚』

2010年12月20日 | 本とか雑誌とか
アガサ・クリスティー/山本やよい訳『五匹の子豚』(ハヤカワ文庫)読了。真鍋博さんのカバーイラストが復活したのを期に再読。このカバーを手にした記憶がハッキリあって、むかし一度読んだのは確かなんですが、中身はぜんぜん憶えてなかった。ポワロ(ハヤカワの表記は「ポアロ」)が十六年前の殺人事件の再捜査を依頼される。ポワロは五人の関係者を訪ねて話を聞き、さらに五人それぞれに、事件の前後に関するくわしい手記を書いてもらう、という話。四〇〇ページを超える作ながら、瀟洒な佳品ておもむき。読み終わってみると、あれがああなって、これがこうなって、じつに端整にパズルが組んであったことが分かる。

ハヤカワ文庫のクリスティは、「クリスティー文庫」として模様替えしたとき、真鍋博さんのイラストの入ったカバーを捨てて、写真を使った新しいカバーにしちゃったんですよね。それが今回、訳が新しくなったからという理由で、期間限定で真鍋版のカバーを復活させたんだそうです。たぶん、真鍋さんのカバーに戻せって声が早川書房に多く寄せられたんだろうと思う。わたしにとって『五匹の子豚』がまさにそうだったですが、読んだ中身は忘れても真鍋さんのカバーは憶えてる、って例は多かったろう。とにかくクオリティ高いイラストだったもの。

原著は1942年刊。でも戦争の影はまったくなし。問題となる殺人事件はそれから16年前というから、1920年代に起こったとみなしてよいと思う。上流階級の画家の、デボンシャーの海岸近くにある住まいが殺人の舞台。被害者となったその画家が戸外で絵を描いていて、奥さんが画家である夫のために、冷蔵庫で冷やしたビールを持ってくる。つまり20年代にもうあちらでは、富裕層の家庭には冷蔵庫が普及していて、ビールを冷やしてたんですね。

ここまで書いてから、百科事典で「冷蔵庫」を引いたら、電気冷蔵庫は1913年にアメリカで実用化され、20年代には日本にも入ってきた、とあった。1930年には日本国産の電気冷蔵庫も発売されたけれど、家一軒買えるほど高価だった由。『五匹の子豚』は42年刊だから、20年代のイギリスを回顧して、その時代の先端の風俗として電気冷蔵庫を取り入れた、というのはアリだと思う。

ガーディナー『バッハ_クリスマス・オラトリオ』

2010年12月17日 | CD バッハ
Bach
Weihnachts-Oratorium
Argenta, Holton, von Otter, Blochwitz, Rolfe-Johnson, Bär
The Monteverdi Choir
The English Baroque Soloists
John Eliot Gardiner
POCA-9038/9

1987年録音。72分43秒/66分48秒。Archiv。流線型の、ガーディナー流バッハ。勢いのある演奏で、なおかつとてもカッチリしたフォルム。ほかの演奏を聴いたことがないから、較べてどうこうは言えません。わたしはけっこう気に入ってるんですがねえ。この曲は、6つのカンタータの連作と見なせるわけですが、その6つのカンタータぞれぞれをしっかりしたテクニックをもって勢いよくやっちゃえばなんとかモノになる、って面があるからね。そしてガーディナー自身、この曲は自分に向いてる、って思いがあったのではないか。というのも、彼は後にソリストを一新してビデオ収録していて、それはDVDで出ています。ガーディナーのバッハでDVDが出ているのはたしかその『クリ・オラ』だけなんですよ。

合唱は9・5・7・5。モンテベルディ合唱団に関してはいつものようにお見事、というばかりで、ほかにもう言うことはありません。ただこの演奏では合唱団よりもイングリッシュ・バロック・ソロイスツのプレイヤーたちの妙技につい関心が向きがちになるね。

福音史家はロルフジョンソン。ガーディナーがこのころ全幅の信頼を置いていた人ですが、ただ福音史家はドイツ語ネイティブの人がいいんぢゃないかって思いはあります。まあ天下のアルヒーフのことだから、ドイツ語のディクションについてはコーチがついてたはずですけどね。その他のソリストは当時の若手実力派をそろえている。やはりフォンオッターが一番ですかね。この人の引きしまった歌のフォルムはまさにガーディナーにふさわしい。ナンシー・アージェンタの、可愛らしいソプラノもなかなかよい。この人は『ソロモン』もよかったけどこの『クリ・オラ』がピークだったかも。テナーのアリアはブロボビッツ。バスはベーア。ふたりとも若々しく凛々しい。しかしブロボビッツもベーアもその後いまいちパッとしませんでしたねえ。

ガーディナーのバッハは悪く言う人も多い。特にアルヒーフ時代の『マタイ』は褒める人すくなかった。そして今ガーディナーが自主レーベルで録音し続けているカンタータのシリーズについてはほとんど評判を聞かない。別に無視しているわけではなくて、買う人があんまりいないんでしょうな日本ぢゃ。アーノンクール&レオンハルトのやコープマンの全集が先に完結して、折々安くなって再発されるし。バッハ・コレギウム・ジャパンのもあるし。でもYouTubeで見た2009年の『バッハ_ヨハネ受難曲』ライブでは、ガーディナーよかったですよ。相変らずのすっきりした造形ながら、長い経験からくる情感の表出が感じられて、この人なりの円熟を読みとれた。これから再録音したら、四大宗教曲もきっといいものができますよ。

「甘受」

2010年12月16日 | 気になることば
「甘受」ってことばはむつかしいんですよ。「甘んじて受ける」って訓読みにしてもわけわからんでしょ。(あ。これはわたしだけ?)「甘んじる」というのは、「我慢する」「満足する」両方の意味があるんです。「甘受」も事情は同じで、「我慢して受け入れる」「満足して受け入れる」、両方のとり方がある。仙谷さんは「忍びがたきを忍んで基地を受け入れてほしい」という気持ちだったんだろうとわたしは臆測しますが、しかし「甘受していただきたい」という言い回しはいかにも不用意だった。もともと民主党政権のやり方に不信感持ってる沖縄の人に、仙谷さんの意図を好意的に汲んでもらえる確率は…うーむ、そもそもかぎりなくゼロに近かった。仙谷さんの日本語のセンスのなさが、沖縄の人たちの怒りをさらにかき立ててしまった。

一月、丸谷才一『日本語のために』が『完本 日本語のために』として新潮文庫からふたたび刊行とのこと。めでたや。買わねば。

エレベーターの件

2010年12月15日 | 演ずる人びと
朝、出る前に《Alles was zählt》1076回を見る。Jennyの生没年(死んだんでしょ?)は1986-2010で確定。AxelがJennyの墓を掘り返していた。Steinkamp家の庭さきにもJennyの墓みたいのがあって、お庭の墓なんて、なんか飼い犬の墓みたいで変だなーと思っていたのだが、ちゃんとしたお墓がやっぱ別にあったわけね。

Annette & Ingoストーリィも相変わらずおもしろいが、なんといってもIsabelleだよな。すごいことやるなIsabelle。いやもちろん諸悪の根源はBenだ。Benの優しさ。IsabelleがKatjaに対してあんなひどいことやり、それが露顕したのにもかかわらず、Benは家を出ようとしたIsabelleに「行かないでくれよ」とかいってうやむやのうちに赦しちゃった。そのくせ自分はKatjaと…。そりゃ、なんか起こるわな。

BenはエレベーターのなかでKatjaにキスしていたけど、ところでSteinkampのあのエレベーター、よく出てきますが、何階分あるのかな。というのは、そんなに高低差のあるエレベーターぢゃないような気がするのだ。まあ、スケートリンクを見下ろせる位置にRichardたちのオフィスがあり、あのリンクは観客席を備えたそこそこの大きさだから、センター内にそれだけの高低差があるのは分かる。けど、センターの外観のショットではそんなに背の高い建物とは見えないんだよな。地上2階地下2階、ってところか。だとしたらね。たとえばSimoneも、朝、センターに入ってきてエレベーターでオフィスに上がっていくところがよく映る。あれってもしかして1Fから2Fまでエレベーターで行ってるのではないのかなあ。っていうか、Steinkampの人ってたいていアスリートなわけなのに、エレベーター使いすぎ。階段で行きなさいよ。

ラ・ベネシアーナ『モンテベルディ_マドリガーレ集第7巻』

2010年12月14日 | CD モンテベルディ
Monteverdi
- Concerto -
Settimo Libro dei Madrigali
La Venexiana
GCD 920927

1998年録音。65分26秒/70分43秒。GLOSSA。マドリガーレ集第7巻。第6巻と第8巻にはさまれて、この集はやや地味な印象がありますね。たしかに2声のわりとシンプルな編成の曲が多い。でも内容は充実してます。この2枚組ではじめて全曲聴いたんですが、やっぱ聞きごたえのある傑作ですわ。歌手は、Rossana Bertini、Laura Fabris、Elena Cecchi Fedi、Gloria Banditelli、 Claudio Cavina、Giuseppe Maletto、Sandro Naglia、Daniele Carnovich。器楽は計14人。

冒頭の〈Tempro la Cetra〉。テナー独唱の名曲で、わたしはこの曲をコンソート・オブ・ミュージックのポール・エリオットの録音で親しんできました。このCDではソリストが明記してないけど、ジュゼッペ・マレットが歌っています。エリオットと較べると、録音年代の差もあるけれど、それ以上にイギリス風古楽と地元イタリアの古楽のスタイルの違いを感じる。エリオットのは端正で優等生的な歌唱だった。マレットはイタリア人にしては声も表現もおとなしいほうですが、それでも自然ににじみ出るイタリアの歌ごころが楽しい。

女声陣もそれなりに決して悪くはないんですが、でもコンソート・オブ・ミュージックでカークビーが録音している曲はカークビーの美声が思い出される。カークビーの歌うイタリアものを時代遅れのように見なす向きもありますが、作品の本質にズバッと切り込んでいくまじりけのないカークビーの美声はやはり爽快。ネルソンと歌っているCOM盤の〈Chiome d'oro〉を聴きたくなった。

CD1とCD2それぞれの最後に収められた〈この楡の木蔭でA quest'olmo〉と〈ティルシとクローリTirsi e Clori〉が歌い手の数も多く、はなやかで耳に残りました。

SFドラマ

2010年12月13日 | 演ずる人びと
父Marianの件で苦悩しているあのDenizは、すでに、20代はじめって設定ではおそらくないと思う。演じているIgor Dolgatschewとの年齢差はせいぜい2~3歳くらいにちぢまっているのではないか。ドラマの中の時間の速度が、ドラマの外とは異なる──つまり速くなったり遅くなったりする──というのはよくある話だから、4年半で7つ年をとったって別にかまうもんか。だってこれまで、JennyやNadjaやBenの俳優さんがある日、別のひとに変わっても、何事もなかったかのようにドラマは進行してきたわけだしさ。それに、Benのキャラクター設定は俳優が交替したときあきらかに変わり、あのときBenの設定年齢は3歳ほど引き上げられたはずである。それを思えば、Denizがいつの間にか24~25歳くらいになっていてもいいと思うのだ。

登場人物のうちDenizだけ歳のとり方が早い、というのはたしかにSFチックだけど、考えてみりゃJennyやNadjaの「中の人」が、ある日突然、あきらかに入れ替わったのに、周囲がまったくそれに気づかないでなにごともなかったかのように話が進行するというのも、そう言えばちょっと空恐ろしいほどSF的だ。わたしは『ウルトラセブン』の「あなたはだあれ?」ってタイトルの回を連想した。夫がある夜酔っぱらって帰ってくると、妻や子供の中身が宇宙人にすり替わっていた、って話だ。

マロン『シャルパンティエ_ノエルとクリスマス・モテット 第2集』

2010年12月12日 | CD バロック
Marc-Antoine Charpentier
Noël and Christmas Motets, Volume 2
Aradia Ensemble
Kevin Mallon
8.557036

2001年録音。59分56秒。NAXOS。アラディア・アンサンブルのシャルパンティエ第2弾だったもの。《天使とユダヤの羊飼いたちとの対話Dialogus inter angelos et Pastores Judeae in nativitatem Domini》H.420と《クリスマス・オラトリオIn nativitatem Domini canticum》H.416を並べて、この2曲の前後と曲間を、フランスの古いノエルによる〈松明をかかげよ、ジャネット、イサベルUn flambeau, Janette, Isabelle!〉H.460cでふちどる構成。

冒頭、ソプラノ・ソロによるノエル。これはVol.1でもそうでした。静謐で清冽で、しずかな喜びに満ちた音楽。3拍子系の素朴なリズムに乗って。Vol.1は器楽によるノエルも多く収められていましたが、Vol.2では声楽の比重がさらに大きくなりました。声楽の編成は不明ですが、合唱パートは各声2~3人くらいだと思います。楽器のほうもごく少人数で演奏しています。ソロも多いですが難はない。クセのないフレッシュな演奏で好ましい。

民謡ふうの素朴なメロディによるノエルを集めたVol.1と違って、このVol.2では宗教曲として整った形をそなえる中規模のオラトリオ2曲を聴かせてくれたわけですが、これはこれで満足する聴き手は多いだろうと思うものの、この手のオラトリオになると、いま一段の表現の熟成を望みたくなる。フレッシュで清新な良さはあるのだけれど、もう少しコクがほしいとも感じました。いや、もう、ほんの少しですけどね。

聴いてみての驚きはVol.1ほどではないけれど、しかし筋のよい演奏であることは間違いない。Vol.1と同様、鈴の音が効果的に使われていて耳に心地よい。トロントの教会で収録とのことですが、雰囲気のよいカトリック教会の聖堂に一晩のクリスマス・コンサートを聴きに行ったような趣きがあります。