数学で集合?の授業で出てきた「ベン図」というのについて、「便利なもんだから便図って言うんだ」とかなんとか先生が言ったので、それをそのまま信じていた。これがウソだと知ったのは大学生になってからで、「ベン」というのは人の名前だと理系の人が教えてくれた。しかしその先どこまで教えてくれたのかはあいまいで、わたしはその後も、なぜそう思ったのか分からないが、「ベン」というのはベンジャミンの愛称の「ベン」だと思っていたのである。ところが、さっき、小野田博一さんの『論理的に話す方法』(PHP文庫)を読んでいたら、「ベン(Venn)図」(p.50)と出ていた。あれ。「ベン」はベンジャミンではなかったのである。スーパー・ニッポニカで引いてみると、1880年にJohn Vennという人が使ったそうである。しかしジョン・ベン(ヴェン)てのも、なかなか大ざっぱな名前であると思う。
日本国語大辞典第二版の精選版、というのが来年早々に全3巻で出るんだそうだ。精選、ということは、第二版から項目を間引いてコンパクトにした版、ということなんでしょう。初版20巻の時は、あとから、内容そのままで10巻本の縮刷版が出たけれど、それとは違うわけだ。
1冊が1万5千円前後で、そのかける3で、ざっと5万円弱の見当だ。これだってそうとうな高値だが、小学館としては「この値段ならなんとかなる」と思ったわけだろう。なにしろ元版は、全13巻にプラス索引1巻で、そろえると22万する。いくら日本語ブームとはいえちょっとやそっとの気合いの入れかたでは買えない大物である。場所も取る。一般家庭で家に一組置いておく辞書として、5万円弱で3巻本、というのはなかなかいい感じではないかと思う。
国語辞典は、これまで、超弩級の『日国』と、『広辞苑』『大辞林』のような大型1冊本との中間に位置づけられるレベルのものがまったくなかった。漢和だと、4巻の『広漢和辞典』があるのに、国語辞典はなかったのである。その隙間をおぎなうものとして精選版『日国』は広く流布してほしいと思う。ほんとうはこの中間レベルの国語辞書がもう一組くらいあって競い合ってくれるとありがたいのだが。
(昭和の『日国』は、1972~76年に初版20巻本が出て、79~81年にはこれをそのまま縮刷した10巻本が出た。さらに1988年には、『日国』を母体とする1巻本『国語大辞典』というのが出ている。この『国語大辞典』は、1巻の国語辞典としてはかなり大部なもので、いまもカタログに載っている。)
1冊が1万5千円前後で、そのかける3で、ざっと5万円弱の見当だ。これだってそうとうな高値だが、小学館としては「この値段ならなんとかなる」と思ったわけだろう。なにしろ元版は、全13巻にプラス索引1巻で、そろえると22万する。いくら日本語ブームとはいえちょっとやそっとの気合いの入れかたでは買えない大物である。場所も取る。一般家庭で家に一組置いておく辞書として、5万円弱で3巻本、というのはなかなかいい感じではないかと思う。
国語辞典は、これまで、超弩級の『日国』と、『広辞苑』『大辞林』のような大型1冊本との中間に位置づけられるレベルのものがまったくなかった。漢和だと、4巻の『広漢和辞典』があるのに、国語辞典はなかったのである。その隙間をおぎなうものとして精選版『日国』は広く流布してほしいと思う。ほんとうはこの中間レベルの国語辞書がもう一組くらいあって競い合ってくれるとありがたいのだが。
(昭和の『日国』は、1972~76年に初版20巻本が出て、79~81年にはこれをそのまま縮刷した10巻本が出た。さらに1988年には、『日国』を母体とする1巻本『国語大辞典』というのが出ている。この『国語大辞典』は、1巻の国語辞典としてはかなり大部なもので、いまもカタログに載っている。)
人を悼むときに「レクイエムを聴きます」という人はよくいるし、わたしも「そうだよなあ、誰かが死んだときにはレクイエムだよなあ」とこれまでは思っていた。しかし、今度の藤岡君のことのように、直接の友人がああいうかたちで亡くなったとき、CDでビクトリアなりモーツァルトなりのレクイエムを聴く、というのは、あまりにも嘘くさい気がしたのである。みづからレクイエムの演奏に参加したり、足を運んでレクイエムの演奏を演奏会場に聴きに行くというのならまだしも、自分の部屋でレクイエムのCDをかけて、ちょっとやそっと聴いたところで、はたしてどれだけ、亡くなった人の魂をなぐさめられるものだろうか。
しかし、音楽を聴かなかったわけではない。それは藤岡君を悼むというよりも、自分の心を慰めるために聴いたのである。不謹慎と思われるかもしれないが、わたしが聴いたのはシャルパンティエのクリスマスの音楽である。『真夜中のミサ』だとか、そのほかシャルパンティエが書いたクリスマスのための曲を聴いていたら、気持ちがすこし落ちついた。「再生」ということばを信じてもいい気がした。
「どうぞ安らかにお眠りください」などという言葉は、わたしにとって、少なくともこんどのことではあまりにもそらぞらし過ぎるのである。わたしはこう思うことで何とか自分の心を救おうとしている。「やり残したことはたくさんたくさんあるだろうね。でも、藤岡君の命は、誰かがきっと引き継いでるよ。上のほうから見ていてくれよね」。
しかし、音楽を聴かなかったわけではない。それは藤岡君を悼むというよりも、自分の心を慰めるために聴いたのである。不謹慎と思われるかもしれないが、わたしが聴いたのはシャルパンティエのクリスマスの音楽である。『真夜中のミサ』だとか、そのほかシャルパンティエが書いたクリスマスのための曲を聴いていたら、気持ちがすこし落ちついた。「再生」ということばを信じてもいい気がした。
「どうぞ安らかにお眠りください」などという言葉は、わたしにとって、少なくともこんどのことではあまりにもそらぞらし過ぎるのである。わたしはこう思うことで何とか自分の心を救おうとしている。「やり残したことはたくさんたくさんあるだろうね。でも、藤岡君の命は、誰かがきっと引き継いでるよ。上のほうから見ていてくれよね」。
藤岡宣男君が亡くなったと知ったのが先週の月曜日だった。それで久しぶりに、というのもおかしいが、わたしは泣いたのである。マンションのベランダから転落、という亡くなりかたも辛かった。痛かっただろうなあ。そして、ふるい友人の死を、亡くなった直後に、インターネットをとおして知らされる、というのも、心を衰えさせるものだった。
藤岡君とは大学のグリークラブの同期である。彼は2年次から福山、わたしは入れ違いに2年からグリーに入った変りだねで、つまり彼とはすれ違いでそう多くの時間を共有したわけではないのだが、たまに彼が福山から千田に現れると、それはもう「ハキダメに鶴」ということばそのもので、そのころから、えも言われぬ気品のある人だった。
わたしは結局、カウンターテナーとしての藤岡君の声を聴かず仕舞いなのである。とにかくいちど、何とかしてコンサートを聴きに行って、と思っていたのに、叶わぬことになってしまった。
藤岡君とは大学のグリークラブの同期である。彼は2年次から福山、わたしは入れ違いに2年からグリーに入った変りだねで、つまり彼とはすれ違いでそう多くの時間を共有したわけではないのだが、たまに彼が福山から千田に現れると、それはもう「ハキダメに鶴」ということばそのもので、そのころから、えも言われぬ気品のある人だった。
わたしは結局、カウンターテナーとしての藤岡君の声を聴かず仕舞いなのである。とにかくいちど、何とかしてコンサートを聴きに行って、と思っていたのに、叶わぬことになってしまった。