歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

(今は亡き)長崎県立美術博物館

2011年02月28日 | メモいろいろ
きのうの『日曜美術館』アートシーンで長崎県美術館の須磨コレクションの由来が紹介されていました。須磨弥吉郎という人についてはじめてちゃんと知った。でも須磨コレクションの絵そのものは、立山町に県立美術博物館があったころ、何度か所蔵品展で見たことがありますよ。だから、寄贈以後すべての作品が秘蔵されていたわけではないです。番組でも出てきた、和服を着て椅子にすわり日本刀の刃を調べている須磨弥吉郎の肖像画はたしかに見た憶えがあります。でも須磨コレクションのスペインの絵というのは概して地味で、色調が暗くてね。あんまり心ときめくような絵には出会いませんでしたね。まあ、そのころのわたしは子供だったしね。

美術博物館の建物自体が、わたしは気に入ってました。たしか二階建てだったと思います。展示室は二階で、その展示室の周りに回廊をぐるっと取り回してあった。特別展でもあんまり人がいなくてね、とにかく静かだった。そして図書館とおんなじような、独特の匂いがした。あれは何だったのかね。虫よけか何かの匂いだったのかなあ。一階にはレストラン?がありましたが、まあ子供ですから一度も入る機会はなかった。カレーを食べてみたかった。

立山町のあのあたりにはずいぶん行きました。高校時代、学校からうちに帰るときあのへんに下りてくることも多かった。それから学校が休みの日に、となりの県立図書館に行ってしばらく本を読んで、ついでに散歩して帰ろうかなんてときは、図書館の裏から美術博物館に通じる戸外の階段を下りて──下りて行くとさっき言った回廊に繋がっていた──、それから駅前方面や浜の町へゆるゆる歩いて行ってました。

そのころから日本史は好きだったので、あの美術博物館の場所が江戸時代には長崎奉行所の立山役所があったところだということは知っていました。わたしが高校生だった昭和50年代、美術博物館の前から上町、玉園にかけてのあのへんは、ゆったりとした品のいい住宅地でした。今はどうなっていますかね。

MacBook Pro

2011年02月27日 | MacとPC
MacBook Proがモデルチェンジとのこと。しかも今度のは13インチのがことにぐんと性能アップしていて、かつ値段は据置きで11万円弱で手に入るらしい。ちぇっ。年明けすぐに13インチのMacBook Proを買って、こないだ使いはじめたばっかりなのに。アップルもいい根性してるよ。でも、自分の買ったものに満足はしてるので、あまりくよくよしないことにしよう。

これまで、新しいMacを買ったときは、まっさらなOSにソフトを一からインストールし直し、それからターゲットモードでつないだ旧Macから(移行アシスタントを使うのではなくて)手動で必要なデータをせっせこ移し替えて環境を再現してきたのです。しかし今回はUSBでつないでいた外付けのハードディスクから「Time Machineから復元」を使ってお手軽に引っ越しちゃいました。これは楽ですなあ。egword universalとかMS Officeとか、そういうソフトのインストールディスクを引っ張り出さないでいいのはほんとに手間いらずでした。

Romanのむつかしい立場

2011年02月26日 | 演ずる人びと
RTL.NOWでは相変らずチョコレートのコマーシャルが大半である。それも、ミルク味の白い中身をチョコレートでコーティングした、似たような菓子の宣伝ばかりだ。よほどドイツ人はチョコレート好きなんだろう。しかしそれにしては、《Alles was zählt》のキャストでカロリーオーバー気味なのはVanessaと、ついでAnnetteくらいのものである。ほかの人はSteinkampのジムやプールでせっせと鍛えているのであろう。

David MeyerhoffがKatjaのメイン・トレーナーとしてSteinkampに正式に招かれ、RomanはアシスタントとしてMeyerhoffの下につくことになりました。Romanにとっては格下げですな。Meyerhoffは先づスタッフたちに紹介され、そのときDenizは不遇な立場に追いやられるRomanを気づかって、Romanの肩に手を置いて慰めていた。まあ、Meyerhoffが登場したときからこの展開は見えてましたけどね。Meyerhoffというひとはいかにも一匹狼ふうのデキル男で、その分周囲とは摩擦を呼びそう。すでにRomanは仕事やりにくそうにしている。Meyerhoffのトレーニングのやり方はスパルタ式で、Katjaも陰では音を上げているけれど、けどああいう出会いかたはKatjaとMeyerhoffのあいだになにか起こりそうな予感も感じさせます。

RichardをめぐるSimoneとClaudiaの女の闘いが本格化! じつにこってりと争ってくださる。Claudiaは美しいひとだけど、なんか、歳の取りかたを間違えてないだろうか。もっと魅力的な老けかたがあるはずだと思うんだけど、あれでは魔法使いのおばあさんのようだ。

VanessaはやっぱりTomに気があって、しかしTomはAnnette姐さんのことが妙に気になってしまい、Vanessaの気持ちに気づくことさえまだできていない。Steinkamp家で唯一まともな人間であるVanessaにはぜひとも幸せになってもらいたいものである。(お人よしだけど勘の鈍いBenのことはしばらくほっておきましょう。Benと、自分のことしか頭にないIsabelleとは、われ鍋にとぢ蓋であれはあれで好一対かもしれないよ。)

クライストチャーチ

2011年02月25日 | メモいろいろ
どうかひとりでも多くの命が救われ、今後最小の被害で収まりますように。どこへも不服の申し立てが出来ないようなこういうことで不幸に落ち込む人が出るのは、やっぱりやり切れないよ。毎日jpによれば、今回のクライストチャーチの地震は、未知の断層で、5000年に一度起きるかどうかという規模のものだったとのこと。巻き込まれてしまった日本人の数の多さにもわれわれはおどろいたわけですが、そうなんだよね、いま学生さんはもう春休みで、自由に動ける時期に入ってしまっていたのだ。これも、なんとも不運な事だった。

ちょっと前に、アメリカ制作の《Legend of the Seeker》というドラマをたまたま何回か見たことがあって、これは中世?を舞台にひとりの若者の成長と冒険をテーマとしたものだったんですが、このドラマが全編まさにニュージーランドの南島にロケして撮られており、それをきっかけに、ニュージーランドに関心持ったのでした。南島というところは、人間の手の入っていないような森が広がり、広大な原野もあり、北欧のようなフィヨルドもあり、で、いかにも中世ヨーロッパを再現するのにかっこうの風景が残っているところみたいです。で、いっぽうではクライストチャーチのような文化都市もある。クライストチャーチは《世界ふれあい街歩き》で見て、ああすてきなところだなあと強く印象に残った。クライストチャーチに住んでいる人たちはこの街を愛していて、ここに住むことを誇りにしている。時間はかかるでしょうが、あの街はきっとよみがえる。

〈The double, double, double beat!〉

2011年02月20日 | 音楽について
イギリスに渡ったヘンデルが、さまざまな事情でイギリスふうなアンセムやオードを書くことになり、その作曲の過程で、パーセルその他の過去の作曲家の作品を参照したであろうことは想像にかたくないところです。かたくない、どころかそういう研究は、素人のわたしが知らないだけで、たぶんもうたくさん出ているんぢゃないかしらん。

これはわかりやすい例だと思いますが、パーセル《King Arthur》とヘンデル《Ode for St. Cecilia's Day》ね。これはぜったい関係がありますよ。どちらもドライデンの詩に曲がつけられてるんですが、トランペットが高らかになって、テナーのソロがいさましく歌い出して、それに合唱がなだれ込む、ってのがどちらにもある。

《King Arthur》では
"Come if you dare," our trumpets sound.
"Come if you dare," the foes rebound.
We come, we come, we come, we come,"
Says the double, double, double beat of
the thund'ring drum.


《Ode for St. Cecilia's Day》では
The trumpet’s loud clangour
Excites us to arms,
With shrill notes of anger
And mortal alarms!
The double, double, double beat
Of the thund’ring drum
Cries, hark! the foes come;
Charge, charge! ’tis too late to retreat!


どちらもナショナリズムをあおり立てるような武張った歌詞だしね。で、共通する〈the double, double, double beat...〉って歌詞のところ、ここの音型が似ているんですよ。《King Arthur》では「ソー(up)ドソドソドソミー」、《Ode for St. Cecilia's Day》では「ソー(up)ドシドシドシドー」。面白いなあ。ヘンデルはパーセルを意識していたに違いない。わたしは《King Arthur》のこの部分、はじめて聴いたときすぐ好きになって、学生のころよく歌ってました。

あり得ない《AWZ》

2011年02月19日 | 演ずる人びと
〈No.7〉でMarianがJessicaと息を荒げているところにDenizとRomanが知らずに入ってくる、というのがこの前ありましたが、こんどは、夜のオフィスでClaudiaとRichardがめらめら燃え上がっている現場に、Maximilian、Simone、AxelとFrau Landmann-Schulze(ラントマン-シュルツェ夫人)という、猫の干物のごときえらそうなおばさんが踏み込みました。あり得ん。とくに先頭にいたMaximilianは、ドアの向こうでClaudiaとRichardがまぐわっているのに気がつきながら、そのまま「バッ」て、躊躇なくドアを開けちゃったんですよ。

Katjaの新しいトレーナーDavid Meyerhoff。まだちょびっとしか出てきていませんが、すらりとしてるものの肩幅は広くて、いかにも鍛えてます、スポーツしてます、って雰囲気をただよわせていた。「(俳優ぢゃなくて)ほんまのプロのアスリート?」って思いました。別の言い方をするとそれくらい地味だ、ってことね。しかしもちろん素人ではなく、これを演じているのはMickey Hardtという俳優さんで、アクション・スターであるらしい。YouTubeに演技している映像がいくつかありましたが、……やっぱ地味。俳優というよりスタントマン風である。いやもちろん、これが日本だったら、しゃべりもイケるスタントマンの人もきょうび多いでしょうけどね。

VanessaはTomのことが気になっているもよう。どうもVanessaは母性本能をくすぐられてそのまま恋に滑り落ちる、って傾向があるんぢゃないかね。いっぽうTomはAnnetteが自分に気があると思い込んでいて、妙なトライアングルができつつある。MarianはJenny/Jessicaの件で相変わらず気分的に不安定で、Denizはそんな父親に振りまわされている。Denizかわいそう。

「鎖国」

2011年02月17日 | 気になることば
日本史の世界では、最近「鎖国」ということばは旗色が悪いそうですよ。asahi.com2008年3月12日付の「江戸時代は本当に鎖国か?」という記事には、国立歴史民俗博物館の久留島浩先生のコメントとして、「東アジアの国際関係研究がこの20年ほどで進み、『江戸幕府は鎖国政策をとっていた』と正面から主張する研究者はほとんどいなくなった」との発言が載っていました。山川の『新日本史』という教科書では、ついに「鎖国」ということばは出てこないのだそうな。

日本史の先生たちの仰有るのはつまり、〈江戸時代の日本は鎖国、と言われるけれど、長崎は言うにおよばず、対馬、薩摩、松前ルートでも外国との接触を保っていたんだから、国を完全に閉ざしていたわけぢゃない。鎖国とか言うな!〉ってことらしい。

上記asahi.comの記事で学習院の高埜利彦先生は、やはり鎖国ではなかったとする立場から、「とはいえ、『国を完全に閉ざしていた』という認識は依然として強い。」と仰有っているんですが、そうなんでしょうか。「鎖国」=「国を完全に閉ざす」なんて、わたしは思ったこともないけどね。これはわたしが長崎県人だから? そんなことないでしょう。ほら、『解体新書』の翻訳とか、日本史で出てきたよ。教科書だけぢゃないよ。ドラマでも見たし。

ああ、でも確かに、琉球経由とか蝦夷地経由とかの対外交渉についてはよく知らない。それから対馬藩が対朝鮮外交の窓口だったってことは長崎県のローカルニュースでときどき話題になるので知ってたけど、これもそうメジャーではないかも。

でも、現に江戸時代は、直前の安土桃山や、それから幕末以降と比べると、日本に来る外国人は極端に少なかったし、海外に出る日本人なんて皆無だったわけでしょ。われわれ一般人はそういう状態を指して鎖国、と言ってるわけで、それを、〈いや、東アジアのルートがあるから鎖国ぢゃない〉ってのは、研究者の感覚にむりやり一般人の感覚を合わせろ、と言われてるようで、むしろ違和感を覚えます。

「豚にバラを撒く」

2011年02月16日 | 気になることば
日曜日に見た朝の『日曜美術館』はブリューゲルの再放送でした。二度目だったけどやっぱり見ちゃった。ブリューゲル、わりと好きなんだよね。フランドルの画家ではファン・エイクに次いでブリューゲルが好き。

番組はブリューゲルの傑作を10点紹介していくという内容だったんですが、「ネーデルラントのことわざ」という絵を取り上げたとき、その絵に描きこまれている「豚にバラを撒く」ということわざについて、ナレーションで「日本で言うところの『豚に真珠』です」という旨の説明がなされた。でも「豚に真珠」ってのももともと聖書から来ていることばで日本発祥のことわざではないんだから、「『豚にバラを撒く』は日本でいう『豚に真珠』です」って説明は、間違いではないけれどちょっと違和感がある。「『豚にバラを撒く』は『豚に真珠』と同じ意味のことわざ。」くらいにしておくのがよかったと思います。あるいは「日本でいう『猫に小判』です。」だったら問題はない。けれど、「猫に小判」に触れて「豚に真珠」に言及しないってのは、なんか不自然ですね。

そういや、この前読んだ丸谷さんの『双六で東海道』に、「一石二鳥」って四字熟語の典拠は漢籍ではなくて英語のことわざだと書いてありました。びっくりした。西洋由来の四字熟語があるなんて知らなかった。それも、「一石二鳥」なんて、ごく一般的なことばがそうだったなんて。

キャサリン・サンソム『東京に暮す』

2011年02月14日 | 本とか雑誌とか
キャサリン・サンソム/大久保美春訳『東京に暮す─1928~1936─』(岩波文庫)読了。イギリスの外交官夫人であった人の、おもに東京での見聞の記録。著名な日本人のだれかれと会った、という話ではなく、自家の使用人や出入りの庭師、それに街で出会う日本人たち、など名前も残っていないふつうの日本人たちとの交流の覚え書き。この手の日本滞在記は、(西洋人のものにかぎっても)サビエル以来いろいろあるのですが、この『東京に暮す』はなかでも日本人に関してもっとも好意的なほうではないですかね。「日本は東西両世界の優れたところを併せ持つ強力な国です。」(p.43)とか、「日本人がお客を多いにもてなす理由はいくつか考えられますが、その第一は日本人が親切で寛大な国民だということです。」(p.63)とか、「ほとんどの点で日本人の作法は大変立派であり、私が知っている他のどの国民の作法よりもはるかに優雅です。」(p.101)とか。もちろん100パーセント好意的なコメントのみってわけではないけれど、それにしてもかなりの褒めちぎりようだ。サンソム夫人はもともと異文化に寛容かつ興味津々で、かつ日本および日本人と相性がよかったのですね。

サンソム夫人は、当時の百貨店のようす、そこに集まってくる日本人の行動について一章を割いて語っています。わたしはここで吉野源三郎『君たちはどう生きるか』を思い出しましたよ。あの本でも最初のところで、コペル君とおじさんが銀座の百貨店の屋上から、銀座の通りを行く車の列を見下ろす、って場面があったと思います。時代も、サンソムさんが日本に滞在していた時期とちょうど重なってるでしょ。わたしはかつて『君たちはどう生きるか』を大学のころにあらためて読んで、これは都市小説だなあとしみじみ思った憶えがあるんですが、昭和初期の百貨店てのは当時の都市生活を象徴する場所だったのでしょうね。

曽野綾子『二月三十日』

2011年02月13日 | 本とか雑誌とか
曽野綾子『二月三十日』(新潮文庫)読了。十三の短編。「パリ号の優雅な航海」「一言」「上海蟹」「ジョアナ」「道のはずれに」「四つ割子」「二月三十日」「おっかけ」「手紙を切る」「小説の作り方」「櫻の家」「極悪人」「光散る水際で」。

小説家曽野綾子はまだ現役だ。筆致は安定していて読みごたえがありました。アフリカの病院の話とか、妻が心の病気になる話とか、息子を溺愛する母とか、もう何度も読んだけど、語り口が巧いので、ああまたかよウンザリ、という気は起こりませんでしたね。よかったですよ。

「ジョアナ」はブラジルの修道会施設の話。南米の話は『リオ・グランデ』以来? 「四つ割子」は、息子を溺愛する母親が、癌で死んだ息子の通夜の夜に後追い自殺をする話。息子は警察官で武道も達者、体もがっしりしていたのに、大腸癌が見つかったときにはもう手遅れの状態だった。そのとき彼にはもう結婚相手もいた。語り手である彼の妹は、「その頃、兄は幸福の絶頂にありました。と言うか、世間にはそう見えていた、と思います」と言う。世間的にはそう見えていた、というのは、その兄にはフィアンセの〈女性〉とは別に、親密な関係にある〈男性〉がいたらしいから。表題作「二月三十日」はロンドンからアフリカに派遣された宣教師団の話。「神父」というからカトリックなんだろう。イエズス会から日本に派遣されたのと同じような組織がイギリスからアフリカへも向かったのでしょうか。しかも十九世紀になってから。この話はどうしても日本のキリシタン時代のことを思い起こさせる。

「極悪人」は、ちょっとヘミングウェイみたいだ、とか思ったけど、これはとんちんかんな感想かも知れない。読んでしばらくして民主党の小沢さんのことを思い出した。「〈極悪人〉はこうして作られる」って話。最後の「光散る水際で」は母と息子もの。母親は失踪した息子を探してマダガスカルまで追いかけていくが、旅先でいっしょになった鴫さんという男が出てきて、いつも(の曽野さんの母子もの)とは異なる結末に。

十三編はすべて『新潮』または『小説新潮』に掲載されたもの。『新潮』は純文学、『小説新潮』は大衆小説雑誌です。どれが『新潮』でどれが『小説新潮』に書かれたかは書いてないけど、曽野さんはとくに書き分けてはいないよう。