歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

スペイン古楽集成『ルネサンス舞曲集』

2006年01月28日 | CD 中世・ルネサンス
Danzas del Renacimiento (S. XVI)
Conjunto instrumental "Pro Música Hispaniarum"
Roberto Pla
CDM5 65726 2

1975年ごろ録音。43分14秒。HISPAVOX。特選。録音時期は古いが、音は古さを感じさせない。イスパボックスのスペイン古楽集成をまとめて誉める人は少なからずいるが、ロベルト・プラ指揮プロ・ムジカ・イスパニアルムによるこの演奏を取り立てて推している人を見たおぼえがない。編成は小ぶりだが、弦楽器、管楽器さまざまに取り混ぜて、聴く者の気持ちを浮き立たせてくれるとてもいい演奏だ。

わずか1分少々のミランのパバーヌから始まる。ふつうビウエラの独奏曲として弾かれることの多い曲なのだが、曲そのものがなんとも愛らしく、演奏もフレッシュで、最初から引き込まれてしまう。

作曲家はミラン、カベソン、ピサドール、カローソ、バルデラバノ、ムダーラ、ダルツァ、トーレ、ネグリ。知らない人もいるし、たとえばナルバエスがいなかったりもするが、ルネサンス期スペインの舞曲の魅力をざっくりと聴くにはいいCDだ。うまく説明できないが、イタリアともフランスともちがって、やはりスペインらしい鄙びた雰囲気がただよう。コルネットの音程や音の動きがかなりおおらかだったりする箇所もあるが、悪擦れしたところがまったくなく、演奏する喜びにあふれているのがよい。

43分強という収録時間は今日では考えられないが、このCDの場合、演奏がいいので不満を感じさせない。むしろこの調子で70分もあったら退屈してしまうかもしれない。43分でちょうどいい。愛すべきCDだ。すこし時間があるときに一気に聴ける。

アーノンクール『皇帝マクシミリアン一世の宮廷音楽』

2006年01月26日 | CD 中世・ルネサンス
Music at the Court of Emperor Maximilian I
Wiener Sängerknaben
Chorus Viennensis
Concentus Musicus Wien
Nikolaus Arnoncourt
474 233-2

1963年録音。57分36秒。ARCHIV。アーノンクールの、『皇帝マクシミリアン一世の宮廷音楽』。ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスのメンバーによる器楽合奏がメインで、4曲のみ、合唱が加わる。コンツェントゥス・ムジクス、ウィーン少年合唱団、コルス・ビエネンシスというとバッハのカンタータ全集と同じ組み合せですな。しかしここでは器楽はごく小ぶりで、イザークらフランドル楽派の音楽を味わい深く聴かせる。大部分は1963年録音ですが、トラック8、10、24の3曲のみ2003年初出、というのがどういう事情なのか気になる。63年に録音してボツにしていたテイクを復活させたってことですかね。

ウィーン少年合唱団はアルトが「のど声」ですが、このアルバムの場合はそれが独特の古雅な味になっていて、さほど気にならない。「インスブルックよ、さようなら」もざっくりとしていて、しかしコクのあるよい演奏だと思います。

やはりアーノンクールは60年代からすでにアーノンクールだった。スタイリッシュ、とか洗練、とかいうことばからは遠いけども、一曲一曲のよさが聴く者の心にしっかり届く演奏。噛めば噛むほど味が出る。60年代にしては古楽器演奏のレベルはたいへん高く、まったく危なげなし。

琴欧州とMac。

2006年01月25日 | メモいろいろ
MacPeopleとYOMIURI PCを定期購読している。YOMIURI PCの2005年11月号に琴欧州の記事が載っていた。「私とパソコン」という連載だ。佐渡ヶ嶽部屋では三段目にあがるまでは自分のパソコンを持つことができないそうである。で、今はもう琴欧州は自分のパソコンを持っていて、時間があるときは一日に2~3時間、パソコンに向かっているのだそうである。この記事の取材時点で使っているのはヒューレットパッカードのノートパソコンで、パソコンと手がちらっと写っている写真が載っているのだが、A4のパソがものすごく小さく見える。

まあそんなことはどうでもいいのだ。琴欧州は、次はマッキントッシュが欲しいそうだ。「ブルガリアの友達はみんなマック。簡単で使いやすいし、いろいろ探さなくても、見たい画面がすぐ出てくるのがいい」と琴欧州は言った、という。琴欧州にこんなこと言われたってそんなにうれしくないが、問題は、これに対するヨミウリの編集者のコメントだ。「マックを使っていたユーザーが、ウィンドウズに替えることはあっても、その逆は珍しい。」と書いている。「その逆は珍しい」というのは思い込みだろう。べつにヨミウリに限らない。思い込みで記事を書く人はどこのマスコミにもいるだろう。

メイリオ。

2006年01月24日 | MacとPC
Windows Vistaは今年中に正式リリース?されるそうだが、このOSがインストールされたPCはいつ出るのか。Vistaには、小さいポイントでもClearTypeが有効になるMeiryoというフォントがつくそうだ。なにしろいままでのヰンドウズは画面が汚くて閉口だったのだが、Meiryoのおかげで多少とも使い心地がよくなるのならけっこうだ。本腰を入れてヰンドウズについて勉強し直してみようか知らんという気にもなる。というか、OSXと同様に使える文字が増え、かつ、外字作成があるていど簡便にできる環境になるのなら歓迎。

OS9まではダイナフォントのGaiji Builderというソフトがあって、たとえば鄂隠慧カツのカツ(大/歳)とか、永福門院ショウ子のショウ(金│章)の字はこのソフトでシコシコ作って貼りつけていた。

2月の文庫本。

2006年01月23日 | 本とか雑誌とか
2月の文庫新刊から。岩波現代文庫で大野晋『語学と文学の間』。岩波文庫で吉川幸次郎『宋詩概説』。講談社文庫で丸谷才一『闊歩する漱石』。集英社be文庫で板井典夫『マロンの幸せうちごはん』。向田邦子『父の詫び状』(文春文庫)はつい先日買って読んだばかりだが、来月新装版になるらしい。活字が大きくなるのだろう。文中に「跛」という字が出てくるが、これも削除されるかもしれない。

なお、1月13日、講談社文庫よりロバート・ゴダード『最後の喝采』発売されたる由。

広島の駅伝。

2006年01月23日 | メモいろいろ
都道府県対抗駅伝。今年も見た。広島から五日市までは、合唱の練習やアルバイトやで、広島を離れるまで毎週かよったなつかしい道である。離れて十年以上になるから、だいぶ変わったところもあるような、でも十年たったにしてはそんなに変わっていないような。

グルービンという中古のCD屋さんがあって、よくかよった。駅から駅前大橋を渡ったところに2店舗あって、どちらもチラッと画面に映った。駅前通り沿いの店は以前はもっと小さかったような気がした。

白石加代子の五島。

2006年01月22日 | メモいろいろ
16日月曜日夜からのラジオ深夜便で1時台に白石加代子インタビュー。聞き手は遠藤ふき子さん。ついつい聞き入ってしまって、翌朝は目覚めが悪かった。白石加代子さんの父親は逓信省のお役人だったが、早くに亡くなって、一家は苦労したそうである。その父親の実家が五島で、白石さんは十代の三年間を、母親や妹弟とわかれて五島で過ごしたそうだ。五島での生活は素晴らしかったそうである。

白石加代子という人は、話を聞いているとほんとに普通のおばさんという感じで、この人が演技で見せるあのテンションの高さはどこに隠してあるんだろう、という気がした。

遠藤ふき子さんはテレビでは姿を見なくなってもう長いが、昔と声が変わらない。広瀬修子さんや伊集院礼子さんあたりと同世代だろうか。

『獄門島』

2006年01月20日 | 演ずる人びと
『獄門島』の映像化は六回で、最初は1949年の片岡知恵藏主演の映画。早苗は三宅邦子。次が1977年で、この年、古谷一行の横溝正史シリーズと石坂浩二の東宝版が競合。古谷版の早苗は島村佳江。これが7月30日から4回の放送で、同年8月下旬には、石坂版が封切られた。こちらの早苗は大原麗子。浅野ゆう子が鬼頭千万太の三人の妹のひとりとして出ていたのは有名。その後、1990年に片岡鶴太郎・遙くららのテレビドラマがある。これはその三姉妹がすごい。牧瀬里穂・高橋由美子・持田真樹。さらに1997年にはふたたび古谷一行で単発のドラマが制作される。早苗は秋吉久美子。これはなぜか「こどもの日特別企画」としてのドラマだったそうだ。変な企画だ。これには売れる前の藤木直人が鵜飼さんの役で出ている。過去、三善英次やピーターがやった美青年の役。そして最近のが2003年の上川隆也のドラマで、早苗は高島礼子。これは三姉妹を三倉茉奈・佳奈でやったそうである。つまり三人を二人で手分けしたのだろう。マナカナが殺される役で出たのが珍しい。『獄門島』でマナカナがどんな芝居をしたのか、ちょっと見てみたい。

わたしが実際に見ているのは1977年のふたつ。石坂版と、古谷版の連続もののほう。この古谷版はキャストが凝っていて、劇団昴の島村佳江を早苗に抜擢、その他、前進座から中村翫右衛門、河原崎国太郎を招き、嘉右衛門は民藝の滝沢修だった。ほかに有島一郎、金子信雄、浜木綿子、三善英史、葉山葉子なども出ていた。派手さでは石坂・大原の映画版に遠く及ばないが、ていねいな作りで、地味ながら味のある作品になっていた。

それにしても、金田一ものはたいていそうなのだが、ここでも金田一耕助はまったく無能な探偵である。彼は戦友の鬼頭千万太に妹たちを守ってくれと言われたはずなのに、けっきょく何もできなかった。しかし映像で見ているとそのことがあまり気にならないし、なにより横溝正史の悪文につきあわなくてすむのがありがたい。

ケンタロウと村上由利子。

2006年01月19日 | メモいろいろ
ケンタロウの「きょうの料理」見た。ケンタロウさんを見ると、お母さんは闘病中だというのに、けなげに働いてるなあ、とついそのことが先に立つ。

それにしても毛深い。肘から先がチラチラ映るのだが、毛むくじゃらといってもよい。「きょうの料理」史上、毛深さでは他の追随を許すまい。牧野哲大さんや板井典夫さんなら、もし毛深かったとしても必ずやムダ毛の処理をしてから出演するだろうと思われる。

前回の「10分ごはん」はかなりおいしそうだったが(かきと豆腐の豆乳煮とか)、今回のはさほどには食欲をそそられなかった。

月曜日の牧野さん、火曜日の板井さんの相手は後藤繁榮アナであったが、ケンタロウさんの相手は村上由利子というアナウンサーで、わたしはこの人はあまり好きではない。わりと最近、「きょうの料理」の担当になった人だが、立居振舞いに田舎くささを感じさせる。むろん、この人の出身がどこか、というような問題ではない。東京出身でも田舎くさい人はゴロゴロいるであろう。つまりは、NHKのアナウンサーにしては洗練されない感じがするのである。無理して田舎くさくやっているように見えないこともない。もっと普通にやればいいのに。

今週の「きょうの料理」。

2006年01月18日 | メモいろいろ
今週の「きょうの料理」は月曜日が牧野哲大さん、火曜日が板井典夫さん、今夜がケンタロウさんである。濃い。月曜日も火曜日も見た。今夜も、早く帰らなければならない用事が別にあるので、たぶん見ることになるであろう。とくに昨日のマロンさんはハイテンションで飛ばしていて、恐怖のオヤジギャグマシーンすなわち後藤繁榮アナウンサーもたじたじであった。