歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

カークビー&ヒル『愛の対話』

2012年02月05日 | CD バロック
Amorous Dialogues
Emma Kirkby
Martyn Hill
The Consort of Musicke
Anthony Rooley
480 4144

1979年録音。53分47秒。DECCA/L'Oiseau-Lyre。ソプラノのEmma KirkbyとテナーのMartyn Hillによるデュエット曲集。題して『愛の対話』。伴奏はTrevor Jones、Alison Crum、Anthony Rooley。79年てのが絶妙。このころのカークビーは、初期のういういしさから盛期の天衣無縫なピュアボイスへとスムーズに移行しつつある時期で、ここでは初期盛期ふたつながらの美点が匂い立つ。そしてヒルも奥行き感のある味わい深い美声で、カークビーに位負けしていない。なお79年といえば、同じオワゾリールにホグウッドが『メサイア』を録音した年でもあって、カークビーも参加していました。

収録されるのはBartlet、Ferrabosco II、Morley、Ford、Henry Lawes、Gagliano、D'India、Ferrari、Fontei、Monteverdiの作品。前半がイギリスもの、後半がイタリアもの。ルネサンスから初期バロックにかけての作品が集められています。イギリスものは古風な作が多く、イタリアものは初期オペラの一シーンのような、より劇性のつよい作風のものが多い。聴いた感じはさまざまですが、後半のイタリアものの印象が強いので、分類は「バロック」に入れておきましょうかね。

演奏スタイルはオワゾリールらしい、またコンソート・オブ・ミュージックらしい品のよいもの。歌手がいいので、わたしは不満感じませんけどね。しかしこういう静かなしみじみとした音作りは、今はもうはやらないかもしれません。やはりカークビーとヒル、ふたりの音楽性あればこそのアルバムだと思います。

古楽指揮者の生年調べの続き

2012年02月03日 | 音楽について
古楽指揮者やグループのリーダーたちの生まれ年調べの続き。フィリップ・ピケット50年、ラインハルト・ゲーベル52年、クリストファー・ペイジ52年、ハリー・クリストファーズ53年、ユングヘーネル53年、マクリーシュ60年、アレッサンドリーニ60年、ロバート・キング60年、ルセ61年、ミンコウスキ62年。

ありゃ。50年代もわりといるな。ちょっと困った。タリス・スコラーズのピーター・フィリップスはちょっとweb上でうろうろした限りでは何年生まれか分からなかったのですが、彼も50年代ぽいね。でも40年代の人たちとくらべたら、50年代の人たちは、開拓者というよりも古楽演奏のレベルを深化させることに貢献した、って感じが強い。

そして60年以降になると、またなんか、エッジの効いた指揮者が出てくる。特に、ルセ&ミンコウスキのフランス組の二連発は強烈だ。

徳川将軍家の通り字

2012年02月02日 | メモいろいろ
徳川将軍家の通り字は御存じのように「家」ですが、もとから「家○」ばかりだったわけではない。家康までの松平家の家督は、「清康─広忠─家康」と続いていて、しかも家康って名前だって、「元康」から改名したものでした。(ただし初名は「元信」。)そして家康の長男は例の「信康」、さらに次男は「秀康」。ですからこの辺までは、通り字はうたがいようもなく「康」だった。

それがどうして家光以降、「家」になっちゃったのか。ああ、多分だれかえらい先生が何か言ってるに違いないね。そもそも「家光」って名前はだれがつけたのかね。たとえば「光康」とかぢゃなくて「家光」って名乗にするっていうのは、徳川家の通り字を変えちゃう、ってことですからね。大ごとだったと思うけどね。いろいろとよく分からないよ。

徳川十五代将軍の名前を小学か中学で暗記して、いまだに憶えてるって人は多いだろうと思います。わたしもそうだもの。そしてこのうち「家○」が十一人、「家○」ぢゃないのが、秀忠、綱吉、吉宗、慶喜の四人。面白いねえ。家康、家光を別にすると、その後存在感のあった将軍は、むしろ「家」のつかなかった人たちのほうぢゃん。そして綱吉、吉宗、慶喜はいづれも前将軍の実子ではなく、養子の将軍たちであった。