歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

丸谷才一を買い込む

2013年09月30日 | 本とか雑誌とか
九月は丸谷才一の文庫本が三冊も出ましたね。『合本 挨拶はたいへんだ』『星のあひびき』『文学のレッスン』。『挨拶は…』は以前文庫で出たときに買いそびれていたのでちょうどよかった。『星のあひびき』はめづらしく単行本を買って持っていたけど、文庫でも購入。『文学のレッスン』も、はじめて目にするものだったので、即購入。

そして十月は、おそらく最後の単行本『別れの挨拶』が出て、さらに『丸谷才一全集』の刊行がはじまる。『別れの挨拶』は単行本未収録の書評やら単発のエッセイやらを集めた本だそうで、たぶん『別れの挨拶』って書名は、丸谷さんが生前に言い置いていたものだろう。全集はどこから出るかなと思っていたけど、文藝春秋なのね。やっぱり。

聖書とわたし

2013年09月29日 | 本とか雑誌とか
わたしが聖書を意識するようになったのは高校時代に曾野綾子『私の中の聖書』を読んで以来です。『私の中の聖書』に取りあげられているのは新約聖書で、だからわたしの関心も長いこと新約聖書に偏っていた。それも書簡や黙示録には心ひかれなくて、福音書や、とくに使途行伝(使途言行録)が面白いと思いました。『私の中の聖書』で強調されていたのは、聖書は文学として面白い、ということでした。

たとえば、パウロの回心のくだりにダマスコのアナニアという人が出てきます。パウロ(サウロ)の目からうろこが落ちる現場に立ち会ったはずの人。アナニアはパウロが迫害者であることを聞き知っていたので、パウロのところに行きなさい、という主のことばにいったんは抵抗するんですが、けっきょく受け入れて、パウロを訪ねて行く。そしてイエスのことばを伝えて、パウロは回心する。聖書にはさらりと書いてあるけれど、アナニアの心の動きをいろいろ臆測しながら読むと面白い。日本の古典の、『徒然草』あたりの説話を読むのと同じようなスタンスで、聖書の説話も読めるんですよ。

大学に入って、たとえば、平家物語のさまざまな異本のありようを知って、これって四福音書みたいぢゃん、て思ったり。それで、聖書学って、平家物語の勉強になんか役に立ちそうだと思って佐竹明先生の授業をとったりして。そしたら当時もうすでに、武久堅さんて偉い先生が、すでに聖書学の方法を平家物語研究に援用してらしたりして。

聖書

2013年09月28日 | 本とか雑誌とか
ところで聖書はどの版でお読みですか。例の、学生時代にタダでもらったギデオン協会の新約聖書にはじまって、わたしもいろんな聖書を手にしました。いちばん馴染みの深いのは、フランシスコ会版の新約聖書の、文庫サイズのソフトカバーのやつ。学生時代から手元に置いていた。佐竹明先生の宗教学の授業に出たときにも、日本聖書協会のぢゃなくてあれを持って行ったと思います。聖書協会のも、タダでもらったやつではなくて後から買い足しもしたけれど、あの聖書協会のは、丸谷才一『文章読本』でくさされていたせいもあって、あまり相手にしませんでした。学生時代のわたしの印象ですが、フランシスコ会版の日本語の訳文は、すくなくとも聖書協会版よりだいぶマシだ、と思ってました。

その後キリシタン文献について少し調べたりした縁があって、キリシタン時代の日本にもたらされた聖書の翻訳原本がブルガタ聖書で、その同じブルガタから訳されたバルバロ訳の新約聖書を読んでいました。これは井上ひさしさんも褒めていたけど、訳の日本語がほんとにいいです。聖書学からみると、もう古くなった時代遅れの訳かもしれないけれど、バルバロ訳の日本語の、個性的な歯切れのよさは、ちょっと嵌まりますよ。

そして、ずっと知らなかったんだけど、分冊で出ていたフランシスコ会の旧約聖書が、新約といっしょに合本されて、おととしだかにリリースされていたんですね。でも高い本なので躊躇していたら、今年になって、判型を小ぶりにして、値段も安くなって再販された。貯まっていた楽天のポイントを使って、楽天ブックスから買いました。

フランシスコ会版はカトリックなので、バルバロ版同様、以前は神さまの名前を「イエズス」としていた。わたしが親しんだ古いキリシタン文献では「ぜず・きりしと」とあります。その「ぜず」により近く感じられる「イエズス」という表記のほうが、わたしは好きでした。でも今度買ったフランシスコ会版では「イエス」である。まあ長いものには巻かれざるを得ない。仕方がないでしょうな。

野呂邦暢小説集成

2013年09月09日 | 本とか雑誌とか
9月1日の毎日新聞の「今週の本棚」に、青来有一さんが野呂邦暢について書いていました。それで知ったんですが、『野呂邦暢小説集成』(文遊社)の刊行が始まっているそうですね。小説全集だそうです。ということは野呂さんがかつてコバルトシリーズに書いた『文彦のたたかい』『水瓶座の少女』も読めるようになるのかなあ。あれは中高生のための読み物としてじつに質の高いものだった。合本にして、できたら新潮文庫あたりで復活してくれたらいいのですけどね。

「王妃さま」

2013年09月02日 | 気になることば
『トンイ』を見ていて、かすかにだけど、ずっと気になっていることがある。王妃が、「王妃」とか「王妃さま」とか呼ばれていることだ。由緒正しい日本語としては、王の正妻は「きさき」とか「おきさきさま」と呼ばれるべきではないでしょうかね。吹き替えのときに、朝鮮語を話す俳優の口の動きに合わせる都合があるのだろうから、大目に見てやっていますが。

カルビーの「ベジップス」のCMで、いい歳の女のタレントさんが「発見。野菜っておいしいんだ」と言うのを見るたびにイラっとするのは、わたしだけだろうか。あのCMを見ると、「おまえ、その年までなに喰って生きてきたんぢゃい!」と叫びたくなる。親の顔が見たい。