写真1 2009年12月05日のA氏屋敷構え(弊ブログ2014年12月19日) 屋敷林とミツカ・水塚(洪水時の避難用家屋)が設えてある
写真2 5年後 2014年12月21日のA氏屋敷構え ミツカの避難用家屋は取り壊され 屋敷林の樹木は少なくなった
写真3 2009年12月05日のA氏屋敷構えを南西から見る シュロ・棕櫚が植えてある
写真4 5年後 2014年12月21日の南西から見るA氏屋敷構え ミツカの避難用家屋はなく、屋敷林の樹木は少なくなり シュロは切られた
写真5 2009年12月05日のA氏のミツカ 盛土と避難用家屋のセットで存在
写真6 5年後 2014年12月21日のA氏のミツカ 盛土だけ残る
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関東平野、埼玉県久喜市域は利根川や中川など大小河川の流域
洪水に備えてミツカ・水塚(避難用家屋・蔵)を設える屋敷がある(上の写真)
ミツカは盛り土して周りより高い(写真5・写真6)
さらに、屋敷の北から北西を囲む木々、いわゆる屋敷林を設えてある(上の写真)
防風や防寒のために、洪水に備えて、燃料確保などのために
ミツカと屋敷林は、暮らし方などの変化に伴い厄介な存在と化しつつある
ミツカを撤去する家庭、屋敷林を伐る家庭もある
引用・参考文献等:弊ブログ2011年04月26日・05月10日・27日
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:写真説明に記す 撮影地:埼玉県久喜市