おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

富戸の海今昔 ダイビングサービスと魚見小屋

2016年01月27日 01時54分28秒 | 漁業・漁村

写真1 伊東市富戸(城ヶ崎海岸)に復元された「乗り口の魚見小屋」(「静岡県指定有形民俗文化財 富戸の魚見小屋」平成10年度復元)。ボラ漁の見張り・指令小屋


写真2 いとう漁業協同組合富戸支所のダイビングサービス(いとう漁業協同組合直営)。同漁協は川奈、八幡野でも直営サービスを営業


写真3 ダイバー用のかけ流し温泉(湯舟2艘)。写真前方(奥)に富戸漁港の南防波堤、城ヶ崎海岸などが見える


写真4 富戸地区の漁網干し場。写真前方(奥)は城ヶ崎海岸。約4,000前の大室山噴火に伴う岩室山からの流出溶岩が海に着き、波に浸食されている

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 2016年01月12日、伊豆急線富戸駅に妻と下車
 富戸に建つボラ漁の魚見小屋、ボラ納屋、門脇吊り橋を目指す、小雨のなか

 漁網干し場(写真4)の前方、富戸漁港に湯気立つ
 なんだろう、魚の加工場か、気になりつつ歩く
 同時に、海に突出る城ヶ崎海岸を見て想起したのは故郷桜島の燃崎(モエンザッ・注1)
 燃崎も城ヶ崎海岸と同じく溶岩流れ込みの海岸

 湯気立つのはダイバー専用の湯舟2艘のかけ流し温泉だった(写真3)
 山側の建物には「いとう漁業協同組合富戸支所のダイビングサービス」の文字(写真2)
 富戸ダイビングサービスは、いとう漁業協同組合直営で1988年(昭和63)から営業(注2)
 サービスは予約制で、タンクレンタル、ウェイト(重石)レンタル、ボート利用、施設利用(シャワー更衣室を含む)、駐車場をメニューとする
 タンク持込みは禁止
 首都圏に近い地の利を活かす事業、漁業者の海に係る知見を活かす事業である
 時代に適応する富戸の海の新しい活用を、挑戦を知る

 さらに歩き、ボラ漁の「乗り口の魚見小屋」(写真1)を望む断崖に立つ
 今は廃れた富戸のボラ漁、富戸の海の昔を自分なりに想像

 富戸のボラ漁は次のようである(注3)
   江戸時代から昭和30年代まで「村」をあげてボラ漁が実施された
   富戸では魚をイオと呼び(注4)、イオと言えばボラ、それほど重要な魚だった
   江戸時代、富戸のボラは美味い高級魚とされ、江戸城にも運ばれた・「江戸城御用」
   江戸までオショクリブネ・押送船で海路を運ばれた
   浦賀の番所では、旗を立てて「富戸のボラである」と言えば無条件に通行できた
   俊敏なボラを獲るには、個別漁法では漁獲少なく、「村」総出が必要
   富戸のボラ漁は南下する春ボラが主、卵・カラスミをとる秋ボラ獲りは少なかった

   ボラの群を見張り、マネ・合図を送るマネバに魚見小屋(イオミゴヤ)を設置
   4人1組で寝泊まりしてボラの群を見張り合図
   マネバ・魚見小屋は、富戸の北、川奈との境から富戸の地先に設けられた

   魚見(イオミ)は夜明けから始まる
   最北の小屋(ながさく・長作・写真1の前方・奥)は富戸の地先・湾に入る群を見張る
   発見すると筵旗を揚げた、多いときは2枚、少ないときは1枚

   次に、海岸線全域を見渡せる小屋・乗り口(ノリグチ・写真1)は長作の筵旗を確認
   その結果を次の小屋・先山(サキヤマ)と「村」にホラ貝や旗で合図
   少ないときは「小網」、多いときは村中「総出」の指令
  
   先山は漁期だけの杉皮葺きの臨時の魚見小屋
   合図をうけると、網を張り、石を投げて群を湾に追い込む
   その間に敷網を載せた船が到着し、湾からUターンする群を捕獲

 上記のような富戸の海の今昔を知る

 注1 弊ブログ2013年03月07日2015年05月18日
 注2 http://www.izu-ito.jp/futo/annai.html
 注3 ①「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選 史実・伝承編」
    http://www.gyokou.or.jp/100sen/pdf/100sijitu/si058.pdf
    ②現地案内板
 注4 筆者の故郷桜島では魚をイボ、イオと呼んでいた
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:上記 撮影地:静岡県伊東市富戸

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