おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

稲わら焼きに知る

2014年09月22日 05時18分54秒 | 農業

写真1 燃える稲わら 刈株から再び生えた稲(緑) 看視するAさん


写真2 新住宅に気を遣いつつ稲わら焼き


写真3 稲わら焼きの翌日 耕されていた 左は刈株から再び生える稲(ひつじ)とわらが残る


写真4 馬洗い場があった大中落川 今は三面コンクリート 新住宅がせまる


人気ブログランキングへ ← Please click this green banner.
           ブログランキングに登録しています。よろしければ、左の緑色部をクリックしてください。

 秋の風物詩になった田んぼの稲わら焼き
 2014年09月20日、我が家近くの農道、里みちを歩く
 わら焼きの男性独り、Aさんと呼ぼう(写真1)。
 次のようにご教示いただく
1.なぜ、稲わらを焼く1-ひつじが伸び過ぎる前に-
 稲刈り時に切り刻んだ稈(藁・わら)を焼いている
 刈株から再び生える稲(ひつじ・二番子)が伸び過ぎると厄介
 伸び過ぎると耕す前に刈らねばならない
 その前に耕したいので焼く
 わら焼きの翌日、21日には耕されていた(写真3)
2.なぜ、稲わらを焼く2-使いみちがなくなった-
 そもそも、稲わらを使わなくなったから焼く
 せいぜい家庭菜園の敷きわら
 かつて、手刈りの頃、脱穀後の稲わらは農道に置いた
 Aさんの20歳代、1960年代後半になると歩行型バインダーで稲刈り
 農道のわらを畳屋が回収、畳床に使う
 また、馬の餌に使った
 今、馬はいない
3.鼻取りの後、馬を洗い裸馬に乗った
 馬は、秋や春、田んぼの耕起やシロカキに使われた
 バコウ・馬耕と呼ばれた農作業
 Aさんは1945年(昭和20)生まれ、長男
 それゆえ、小学生の頃、耕起やシロカキ、すなわちバコウの際、ハナドリをした
 ハナドリ・鼻取りとは馬を真っ直ぐ誘導する作業、馬のクツワ・轡に竹竿を付けて
 ハナドリが終わると、桜田3丁目の用水で馬を洗った
 用水(ダイチュウ・大中落川)に馬洗い場があった(写真4)
 馬洗いの帰りは裸馬に乗り、楽しかった。
 馬の背骨で尻が痛かった
 厩は母屋とは別棟だった。
4.稲わら焼きは西風の日には行わない
 わら焼きの煙には気を遣う
 田んぼの東に新住宅が建ったので(写真2)
 西風の際は燃さない
 苦情をまだ聞かない
 新住民は田んぼの中に移住してきたので農作業について十分わかっている、と思う
 わら焼きの際、燃え広がるアクビ・悪火にならぬよう注意している

引用・参考文献等:弊ブログ2011年02月05日2012年01月21日10月12日2013年09月21日11月14日
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:写真1・写真2・写真4;2014年09月20日 写真3;同月21日 撮影地:埼玉県久喜市

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする