おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

ドンドヤキは第2次世界大戦末期に中止され、復活

2013年01月12日 00時00分00秒 | 農村

写真1 笹梵天つき竹の左に、なまの木枝などが積まれている。


写真2 竹の先端部につく笹を残し、下部の笹を切り落として立ててある。群れ飛んでいるのはカラス


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1.ドンドヤキ(どんど焼き)は1月13日
 2012年末、下梁集落の田んぼに立っていた笹梵天つき竹(当ブログ2013年01月04日)。
 ドンドヤキ(どんど焼き)の、いわば「心の柱」と思われる。
 新年5日午前、どうなっているか、はたして「心の柱」なのか、期待半分、不安半分、JR石橋駅から歩く。
 河岸段丘の端に着く。はたせるかな、期待どおり、遠くにまだ立っている。
 竹の立つ田んぼに着くと、燃焼促進材のなまの木枝などが積まれている(写真1)。
 まちがいなく、ドンドヤキの竹、「心の柱」。聞くと、13日に焼くとのこと。

2.ドンドヤキ(どんど焼き)は第2次大戦後に復活
 さて、下梁集落の隣り、N集落のS氏が、ドンドヤキについて、1928(昭和3)年生まれの父親(引用・参考文献等参照。)から聞いた話は次のようである。
  N集落では、現在ドンドヤキをやらない。
  そのわけは、戦争(第2次世界大戦)末期、田んぼの中に竹を立てると目立ち、
  アメリカ艦載機の機銃掃射をうけるので、軍などの指示により中止した。
  艦載機が飛来すると竹やぶに逃げ込んだ。艦載機は、目立つ物をわざと撃っていた。
  その中止以来、N集落ではドンドヤキをやらない。下梁集落では復活した。
  N集落でやっていた頃、すなわちS氏の父親が子どもの頃、ドンドヤキの燃焼促進材
  の木枝は、ヤマ(平地林・屋敷林)から子どもたちが盗ってきて小遣いをもらった。
  当地域のヤマ(平地林・屋敷林)は田や畑などに拓かれ少ない。
  そのため、ドンドヤキの木枝さえ不足していた。

 引用・参考文献等:当ブログ2013年01月10日2012年07月27日2011年07月03日
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2012年01月05日 撮影地:栃木県上三川町下簗
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