One’sノート

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修善寺旅行記

2005-12-16 | 旅行

一泊二日(11、12日)で修善寺に行ってきました。
実は修善寺旅行は初めてですが、今回も別に修善寺に行きたい!という目的ではなく・・・
もしかしたら、紅葉が見れるかもというかすかな望みと、温泉でした。

今回泊まった宿は、ラフォーレ修善寺。
温泉プールもあるということで、ゆっくり湯につかることが目的でした。
15時にチェックイン。ホテル敷地内を散策。
途中、体育館でしばらくボール遊び。相方、実はバスケ部だったので、久々にボールに戯れていました。私も負けじとシュートを試みるも、格好悪いし、入らない・・・
やっぱり、上手いかも相方。でも、プレーは見たことないけど、動きが結構大きいから、なんか想像がつく。
かすかに汗ばむほど動いて、体育館を後にしたのでした。
でも、テニスコートがガラガラだったので、ラケットを持ってくるのだったと、ちょっと後悔。

散策後はプールでのんびり。
そして、ディナー。 洋食のコースをいただきました。

ワインなんぞ飲みながら、ゆっくり食事をしました。

外では、クリスマスイルミネーション

 二日目。
食事前に温泉に。これが旅行ならではの時間のゆとり・・・朝風呂は、気持ちがいい
そして朝食バイキングでは、二人で全品目を制覇したのでは?という勢いで、たーっぷり食べました。

チェックアウト後は、修善寺自然公園に向かいました。
実は、昨日までもみじ祭りをしていたようですが、祭りももみじも終わってしまっていました。残念


    

次に修禅寺へ。車を駐車場に止め、ここからは歩いてまわりました。
しかし、これまた改修工事中。残念
途中、温泉が湧き出ていたので、近づくと『弘法の湯』とありました。
この源泉は伊豆の地中深くから湧き出ているもので飲用できるとのこと。
と、地元のおじさんが「たくさん、飲めよー東京からポリタン持ってくる人もいるぐらいだからよー」と、話しかけてきました。
実は、温泉水って飲んだことがなかったのですが、とっても軟らかい感じがしました。

続いて、『竹林の小径』を歩きました。


             
竹林を抜けると、真っ赤になった紅葉がありました。

そして、しばらく歩き、『源範頼の墓』へ。山腹に建っているこの墓。

範頼は鎌倉初期の武将。義朝の第六子で、蒲冠者と呼ばれた。
 治承4年(1180年)に兄頼朝と義仲が対立したとき、弟義経とともに義仲を倒し、
 次いで一ノ谷の合戦で平家を破り、功によって三河守に任じられた。
 その後頼朝と義経の仲が険悪化し、頼朝が範頼に義経を殺すよう命じたが、断ると、
 範頼も背くようになると疑われるようになった。
 建久4年(1193年)の曽我兄弟仇討ちのとき、鎌倉へは頼朝も殺されたと誤って伝えられ、
 悲しむ政子を慰さめて「範頼あるかぎりご安心下さい」といったことから、幕府横領の疑いを招いた。
 範頼は百方陳弁につとめたが、ついに修禅寺に幽閉され、さらに梶原景時に攻められて、
 日枝神社下にあった信功院で自刃したと伝えられている。

なんか義経同様、かなしい武将のようで、お墓もひっそりしたところに建っておりました。
写真は、ちょっと撮りたいとは思いませんでした。

そして、中心部に戻ると『独鈷の湯』へ。
大同2年(807年)に、弘法大師がこの地を訪れたとき、桂川で病みつかれた父の体を洗う
 少年を見つけ、その孝心に心を打たれ「川の水では冷たかろう」と、
 手にした独鈷杵(仏具)で川中の岩を打ち、霊泉を湧出させたという。
 そして、大師が父子に温泉治療を教えたところ、不思議なことに父の十数年来の固疾は
 たちまち平癒したと伝えられ、その後この地には温泉治療が広まったという。
 いわゆる修善寺温泉発祥の温泉で、伊豆最古のものといわれている。

川沿いの遊歩道にふっとある温泉で、みんな足をつけていたので、
私たちも靴下を脱いでさっそく入浴。足だけでも、十分気持ちがいい~

しばらくつかって、修善寺を後にしたのでした。

そして、ここまできたのだから!と、御殿場のアウトレットに行きました。
途中お昼を食べたりしましたが、3時間もいてしまいました。
もう、すっかり夕方になっちゃいました。




   
相方はスポーツウエア他、私はキッチン用品を購入しました。

途中、道路に雪があったりしましたが、無事に到着。
つかの間ですが、平日行ったこともあり、本当のーんびりできました。

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