企業・組織再生現場からの独り言

仕事の中で、覚えていったこと。感じたことなどなどを記していきます。我以外皆我師也。あと、読んでいる本を簡単に紹介。

絶望型社会~失敗が許されない時代

2006年10月17日 | ビジネス・ネゴシエーション関係
昨今の、自殺者の報道を見ていて感じることがある。それは、本人が大失敗をしてしまった、と思うが最後、立ち直る気力すら失われてしまうような社会の状態が、今、私たちの前にあるのではないか?ということだ。
いや、誰もが、立ち直る、復活するということへの望みを捨てたわけではない。事実、破産したり、死の間際の闘病生活を送ったり、愛する人々を失ったり、ということがあっても、困難を克服し復活する人だって少なからず存在している。
でも、それぞれの人の置かれている境遇(そこから逃避したい?)、そしてこの社会で生き残っていくことのたいへんさ、また、将来の社会や自分について望みが持てないこと、などあって、失踪したり、自殺を選んだりしているのではないか?
また、酒酔い運転で、小さな人身事故をしても、それが露見してうける罰を考えると、逃げてしまうというのも、復活が許されない、という社会情勢を映していないだろうか?
自分自身の知人の範囲でも、自殺は存在している。年間3万人ということは、30年で100万人。たぶん、たいていの人は、一生の内に、周りで誰かが自殺するということを経験していくことになるだろう。
残された人のことを考えると、したいけれど踏み切れない、という人も結構いるのだろうな、と思うと、現代の絶望型社会について、なにか対応が必要と感じてしまう。美しい国とは、今が美しいだけではなく、将来が更に美しくなくてはならない。
盛んに議論されている、格差を無くしましょう、というのは実は解決になっていないのだろうな、と思う。その格差が、一般大衆から搾取してしまくって、実現されているものではないと思うからだ。
一部の談合とか、賄賂とかについては、そういう搾取の側面があるかもしれないが、ニューリッチ層の一部、則ちIPO成金達は、かならずしも搾取してきたわけではない。リスクを取って、一つの成功をおさめた結果なんだと思う。
そういうリスクと努力、そしてその結果まで否定するようでは、更に将来への希望、期待も無くなってしまうのではなかろうか?
絶望=今と今後への望みが絶たれた状態。
その意味では、他社の望みを奪ってしまおうとするような輩には、きちんと反省してもらわなければならないのだろうなぁ。あくまで反省。反省して復活できる社会でないと、絶望と希望が紙一重になってしまうから。
今、私がなにができるか。またアナタが何ができるか?ささやかな希望をもつことができるような、ちょっとした行動からはじめてみれないものか?
なんだか「1984年」の世の中に近づいている・・そんな気もするが、決してそれをさせないような行動を取っていきたいものだ。
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