先日は、香山リカ氏の本について記事を載せた。といってもある種、一方的な判断もあるのじゃないか?と思い、もう一方から、すなわち江原氏の側の声についても見てみようと思い、最近の本「日本のオーラ」を手に取ってみた。
過去、一、二冊だったか、スピリチュアル系の文庫は手にとって読んだことはあったのだが、その時の印象は「道徳」のような、それでいて、自分は自分のままで「ありのまま」でいてよいよ、というような雰囲気を感じたのだったが・・・。この本は、ちょっとタイプが違っている。文中にもあるが、「スピリチュアリズム」という哲学から見た社会問題への対応についての本であった。
正直なところ、本書を読む限りでは、かかる哲学の根底にどういう考えがあるのか、がわからなかったのだが、ごく一部の叙述にあるオーラの色を除き、真っ当なことを伝えたいのだなぁ、ということは分かった気がする。
そうだよなぁ、と思った行は・・例えば、
○「社会全体に子どもの存在を受け入れる雰囲気が足りないような感じ」・・「ある企業のCMで、赤ちゃんが産湯につかっている映像を流したら、『自分の家にはこどもがいないのに、あんな映像は見たくない』と講義があって、うちきりになった」とかの事例など・・・まぁ子供に限らず、自分の価値観は絶対である。。という人が増えているようなことを懸念しているところ。
○「国語の勉強で、『たけくらべ』の著者は誰かを暗記しても、それは本当の教養とは言えない」、「『たけくらべ』を読んで、感動すること。そこに『愛』や『真善美』を見いだせたときに、本人の教養となる」というあたりもそう。
第18章(最終章)には、著者から丁寧にも、「スピリチュアル」「たましい」「霊的真理」という言葉への抵抗はあるかもしれないが、言っていることはまともだろう?という問いかけがある。いや、その通りで・・。
で、結論として。。日本でもそれなりに影響力がある人なんだろう。そう思って本を読んでみたところ、一部理解が及ばないところはあるが、まともなことを書いていた。
先日の香山氏の指摘もわからないではないが、これって受ける側の問題なんじゃないか?と。少なくとも、江原氏のこの本では、個人の幸せを追求せよ、なんてことは出てこないばかりか、逆に、そうした個人主義を諌めている。
同じ教典を読んでも行動が違う人がいるように、今の日本でも、例えば江原氏の言葉を聞いても、都合のよいところだけ咀嚼して理解したつもりになって、自己満足に浸っているような人がいるんだろう。香山氏はそういう人のことを、スピリチュアルにはまる人、と表現して・・ちょっとまずいんじゃない?って言っていたのだろうな。
そういう意味では、自らの発信した言葉が、時として都合よく使われてしまう江原氏も、残念に思っていることがあるんじゃなかろうか? その意味では、香山氏と江原氏による対談なんてのを見てみたいと思ってしまった。
なんだか、いつも以上にまとまりがない文章になってしまったが、この話については、また時間がたって考え直してみることにしようっと。いくつか、宗教家の人の本も読んだりはしているが(瀬戸内さんとか玄侑さんとか、あと荒修行の話など)、そのどれもが、別に熱心に宗教へ勧誘しているようなものではなくて、ある視点からのものの見方を説いている程度であるように思う。江原氏についても、この本は、そうした本の類書のように感じてしまったのだが。。。違うだろうか?
過去、一、二冊だったか、スピリチュアル系の文庫は手にとって読んだことはあったのだが、その時の印象は「道徳」のような、それでいて、自分は自分のままで「ありのまま」でいてよいよ、というような雰囲気を感じたのだったが・・・。この本は、ちょっとタイプが違っている。文中にもあるが、「スピリチュアリズム」という哲学から見た社会問題への対応についての本であった。
正直なところ、本書を読む限りでは、かかる哲学の根底にどういう考えがあるのか、がわからなかったのだが、ごく一部の叙述にあるオーラの色を除き、真っ当なことを伝えたいのだなぁ、ということは分かった気がする。
そうだよなぁ、と思った行は・・例えば、
○「社会全体に子どもの存在を受け入れる雰囲気が足りないような感じ」・・「ある企業のCMで、赤ちゃんが産湯につかっている映像を流したら、『自分の家にはこどもがいないのに、あんな映像は見たくない』と講義があって、うちきりになった」とかの事例など・・・まぁ子供に限らず、自分の価値観は絶対である。。という人が増えているようなことを懸念しているところ。
○「国語の勉強で、『たけくらべ』の著者は誰かを暗記しても、それは本当の教養とは言えない」、「『たけくらべ』を読んで、感動すること。そこに『愛』や『真善美』を見いだせたときに、本人の教養となる」というあたりもそう。
第18章(最終章)には、著者から丁寧にも、「スピリチュアル」「たましい」「霊的真理」という言葉への抵抗はあるかもしれないが、言っていることはまともだろう?という問いかけがある。いや、その通りで・・。
で、結論として。。日本でもそれなりに影響力がある人なんだろう。そう思って本を読んでみたところ、一部理解が及ばないところはあるが、まともなことを書いていた。
先日の香山氏の指摘もわからないではないが、これって受ける側の問題なんじゃないか?と。少なくとも、江原氏のこの本では、個人の幸せを追求せよ、なんてことは出てこないばかりか、逆に、そうした個人主義を諌めている。
同じ教典を読んでも行動が違う人がいるように、今の日本でも、例えば江原氏の言葉を聞いても、都合のよいところだけ咀嚼して理解したつもりになって、自己満足に浸っているような人がいるんだろう。香山氏はそういう人のことを、スピリチュアルにはまる人、と表現して・・ちょっとまずいんじゃない?って言っていたのだろうな。
そういう意味では、自らの発信した言葉が、時として都合よく使われてしまう江原氏も、残念に思っていることがあるんじゃなかろうか? その意味では、香山氏と江原氏による対談なんてのを見てみたいと思ってしまった。
なんだか、いつも以上にまとまりがない文章になってしまったが、この話については、また時間がたって考え直してみることにしようっと。いくつか、宗教家の人の本も読んだりはしているが(瀬戸内さんとか玄侑さんとか、あと荒修行の話など)、そのどれもが、別に熱心に宗教へ勧誘しているようなものではなくて、ある視点からのものの見方を説いている程度であるように思う。江原氏についても、この本は、そうした本の類書のように感じてしまったのだが。。。違うだろうか?
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