2013年8月1日、木曜日、とある所で男の赤ん坊が生まれました。
もちろん、この日に生まれた赤ちゃんは数えきれないほどいるでしょうけれど、この子はちょっとだけ特別でした。
なにしろ翌日2日のワシントンポスト紙で2面にもわたって紹介されたかと思えば、5日のエクスプレス紙では、「一躍有名人になったベイビー」などとまで書かれたのですから。確かに私たちも友人同士で集まれば、よくこのベイビーのことを話題にしていました。
だって、この子は暗い上に、決して清潔とは言えない地下鉄のプラットフォームで生まれたのですから。母親はワシントンに住む23歳のテイラーさんです。4人目の出産でした。
「私が生みたかった場所ではなかったのですが、、、、、でも、おかげさまで全てうまく行きました。」
テイラーさんの出産予定日は8月17日でした。
それより17日も前の8月初めの日、彼女は定期健診に行くために地下鉄に乗ったのですが、途中で予期せぬ陣痛が始まってしまいました。慌てて車両から下りたテイラーさんに、ますます強い痛みが襲います。とうとう立っていられなくなった彼女はへなへなとプラットフォームにしゃがみこみました。
向こう側のプラットフォームでテイラーさんを見つけた女性が駆け寄ってきました。この駅で乗り換えて友人を訪ねる途中だったのです。何と運がよかったのでしょうか。だって34歳のこの女性、マンカさんは、たまたま医療の場で働く人であり、本人も4才の子の母であり、出産についても十分な知識があったのですから。
マンカさんがテイラーさんを取り囲んだ人たちにたずねます。
「皆さんのなかに医療の訓練を受けた方はいませんか?」
けれども、誰一人該当する人はいませんでした。そこで彼女は意を決して、うめき続けるテイラーさんの脇にぴたりと寄り添い、介助を始めました。生まれてくる赤ちゃんの肌を汚れた床に触れさせないように、誰かがシャツを脱いで床に敷いてくれました。誰もが、何とかして母親と赤ん坊を助けたいという気持ちでいっぱいでした。
赤ん坊が産声を上げた時、人々は息を吞み、ふだんなら騒々しいプラットフォームが静寂に包まれたと言います。
若い母と産まれたての息子はすぐに病院に運ばれました。この「まさかの出来事」はツイッターを通じて瞬く間に知れ渡りました。そして、赤ん坊に「L’enfant and Pierre(ランファン・ピエール)」という呼び名が付けられました。
「ランファン・ピエール」とはフランス生まれのアメリカの建築家で、ワシントンDCの都市建設計画案を作成した人物です。折しも、この赤ん坊が産まれたプラットフォームは、この建築家の名が付けられた「L’enfant Plaza(ランファン・プラザ)駅」であり、偶然にも「L’enfnt Plaza(ランファン・プラザ)とは「子供の広場」という意味もあったのです。
一躍有名人になったランファン・ピエールちゃんが私たちの世界の新らしい仲間になってから早20日がたちます。どうか静かな日常の中ですくすくと育ちますように。
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