そろばん学習は学力向上と相性がいい。特にタブレット学習が急速に根付いてきた昨今だからこそより強くこう思います。
特に「筆圧と学力」は密接につながっていると思います。小学校低学年で計算がおぼつかない状態だったり、ひらがな・カタカナの読み書きがあやふやだったりする生徒は、例外なく筆圧が弱いものです。
とはいうものの、筆圧が弱いと必ずお勉強に心配があるわけではありません。ただし、学年があがっても筆圧が弱いままだと、だんだんと読み書き計算に心配が出てきます。
筆圧は単純に書く回数が多ければ多いほど発達する傾向にあることは、経験則から間違いありません。私は生徒の鉛筆の持ち方について割と声をかけるほうだと思います。低学年の間にある程度鉛筆の持ち方が正しくなって、筆圧がある程度の強さになると読み書き計算の能力も良くなっていく。この経験則を強く持っているので、なおさらに鉛筆の持ち方は気になりますし、機を見ては指導するようにしています。
※ここ10年(私の知る限りにおいて)、学校の先生が「手をもって」持ち方を指導することがかなり減っています。またひらがな・カタカナを書く回数も激減していると思います。タブレット端末での学習機会が増え、先生方との接触回数が減ることは、単純に筆圧を下げる方向に働いていると思っています。
※鉛筆の持ち方は良いものではない(独特な持ち方)であっても、筆圧が一定できちんとした文字をある程度の速さでかける場合は、持ち方を矯正して書く能力が落ちるよりはそのままの方が良いと判断していることもありますので、一律に持ち方を矯正しているわけでもありません。
さて、ではどうして筆圧と学力がむずびつくのか?私には仮説があります。それは
「脳からの指令と体の動きが一致することで、記憶がより強く定着しやすいから」
というものです。
塾で指導する生徒をそろばんの生徒に限定していなかったころは、学力の思わしくない生徒を中学生の時から預かることも少なくありませんでした。そうした生徒は総じて一定時間同じことをすることが苦痛でした。とくに「書いて覚える」ことを明確に避けました。プリントをじっと見たり。教科書を眺めていたりと。とにかく「書くこと」を極端に嫌がりました。
書かないと仕方がない課題が出ている場合、数分に一度は手を何度も振って「手が疲れた」と言いました。集中すれば15分もかからないはずの課題に1時間くらいかけている場合もありました。
塾の生徒をそろばんの生徒に限定してからは、こうしたことがずいぶん減りました。それは「そろばん学習が手を、指を動かし答えを書かないと先へ進まない」という「アナログ」な側面を強く持っているからだと思っています。そしてこの「アナログ」な側面が、子供たちの筆圧、ひいては「書く力」を鍛え育てていると思うのです。
そしてこの「アナログ的な良さ」が学力を下からしっかりと支えてくれている。そんなことを考えています。そろばん学習をしてくれている期間が長いほど、取得したそろばん・あんざんの級位が上がるほど、明確に学力が上がっている生徒を見ていると、特に強くそう思うのです。