去年から様々な情報を収集したいという想いから「ツイッター」なるものを始めました。日本各地の皆様とたくさんの意見を交わすことができ、またたくさんの気付きを得ることができ、ツイッターには感謝しています。(ツイッターアカウントは、本ブログプロフィール内にあります)
さて、そこで私は「初等教育にこそ注力すべきだ。小学校への英語授業導入は大反対」と呟いたことに対してとあるかたにリプライをいただきました。そこから数度のやり取りの後に、「ツイッターでは文字数制限があるので、ブログにまとめますね」とのご意見をいただきました。
そのブログがこちら
※(迫田昂輝:さこだこうき様のnote・該当ページへとびます)
で、私はITリテラシーが低いので(笑)、申し訳ないですが、こちらのnoteを読んでいただいた前提でこのブログを書きたいと思います。
※以下>から始まる部分は、迫田様のブログからの引用です。
まず1点目
>「(小学校の)英語学習は国語力に影響はないので、導入した方がいい」(引用終わり)
これに関してはこの後のご意見とからめて論じることにします。
>ツイートのやり取りの中で、もりもりさん(ツイッターでのHN:筆者注)からこのような意見を頂きました。
まず、今回の議論の主軸は、あくまでも「小学校」での英語の授業導入についてであり「小学生」の英語学習とは切り離して考える必要がありますから、まず前半部の「小学校低学年の生徒にやらせようとしていることがあまりにも多すぎる」に関して、少し違和感があります。というのも小学校低学年の授業時間はこれまで何十年と変化していませんので、あまりにも多すぎるのであれば、それは今に始まったことではなく、英語と無関係なのではないかと思います。
しかし、これを「小学生」と解釈すると話は別で、非常に同意します。特に東京や大阪などの大都市圏では、幼少期からの「習い事」は凄まじいものです。鹿児島生まれ鹿児島育ちの迫田は東京に来た時にカルチャーショックを受けたほどです。
ただこれは、あくまでも小学校を出た放課後や休日の話であり、正規の小学校の授業内において、負担が増大するとは思えません。(引用終わり)
ここが一番の問題点であるんですよね。そうなんです。ここ何十年間「小学校での授業時間数」はほぼ増加していません(むしろ、週休二日制実施以前と比べると、総授業時間数は減少しています)。にも関わらず、小学校における「教科数」は増加しています。(「総合」「英語」)
これにプログラミング教育も開始するとなれば、「学ぶ種類」が増えるわけです。
私は長年そろばん教育に携わってきた経験から「高学力層は基本的に何をさせても吸収するが、高学力層以外はそうはいかない」と考えています。何度も繰り返し学びいわゆる「腑に落ちる」までやりきることでこそ、基礎的リテラシーは成長すると考えています。
理想論ですが、本来小学校ではこうした「基礎的な学び」こそが重視されるべきだと考えています。だからこそ、特に小学校低学年では「反復するための時間」が確保されることこそ何より重要だと考えるのです。国語と算数を削ってまで増やすべき学びはない。ここが私の考えです。
というわけで「英語学習が国語学習を阻害するというエビデンスを持ち合わせているわけではないが、小学校での貴重な学びの時間を英語学習に振り分けることで、結果的に国語の学びが手薄になるのではないか」というのが私の論の帰着点になりますかね。
2点目
>それでも迫田は、英語を小学校でやる意味が大きく3点あると考えています。
1.幼少期の英語習得の効率性
2.経済格差是正
3.やって無駄な勉強なんて1つもないという主観(以上引用終わり)
論点1と論点3は完全に賛同です。素晴らしいご意見だと思います。
論点2に関してはちょっと違った視点をもっていて
>後経済格差の拡大については、むしろ縮小に繋がらないか?と考えています。残念ながら、マクロ経済に関して詳しくないのでわかりませんが、これまで小学生が英語の学習をしようとした場合、教室や家庭教師などを利用する場合がほとんどでした。つまり経済的に恵まれている家庭の場合、子供の頃から英語に触れる機会が多かったわけです。それが小学校で英語学習がスタートすることにより、誰でも英語学習を低年齢からスタートできるようになるわけですから、教育の機会均等という点においては寧ろプラスなのではと思います。また、算数と違い、英語は独学に向いています。算数の出来・不出来は、それこそ家庭の経済力の差で決まる部分があると思いますが、英語はそこら中に無料または安価な教材が溢れていますので、やる気さえあれば、たとえ貧乏でもできるようになるでしょう。
だからこそ、経済格差による教育格差は広がると考えています。
例えば、藤原和博先生が杉並区立和田中学校で行った「夜スペ」は公立中学校の授業での限界を示しているという側面もあります。一般的なご家庭では教育にかけることのできる金額と学力は概ね比例(相関係数が高くなる)ことは、中室牧子先生の「教育経済学」でも述べられています。
さて、現在中学校の体育では「ダンス」が必修となっています。このことからダンス教室の入会者は激増しています。つまり、小学校から英語教育が教科として実施されれば、より低学年から英語教室に通う児童が生まれます。このことは「さらに質の高い教育を受けることができる層とできない層」の教育格差が広がることにつながると懸念しています。
3点目
>想定されるリスクと解決法
とはいえ、当然正しく運用しなければ、小学校の英語導入は意味のないものとなります。先ほど、
「そんなに意味の無いものなら、わざわざ導入する必要はないのではないか」という反論が予想されると書きましたが、小学校での英語学習を意味のないものにする要素はいくつかあります。
1.専門性を持った教師をどれくらい確保できるか
2.苦手意識を早期に植えつけてしまうことにより、逆に英語に対する苦手意識を芽生えさせてしまわないか(引用終わり)
ここ以降のお話は全面的に賛同です。
で、迫田様のご意見を頂戴して、私がない頭を絞って出た答えのひとつが
「私は小学校での英語教育に反対なんじゃなくて、小学校で行う教育内容が増加することに反対している」ということです。
教員のブラック労働が叫ばれて久しい中、これ以上教員の負担は増やすべきではないでしょう。もし本気で導入したいのであれば、全ての小学校に英語専任教員を確保してから実施すべきだと。少なくともそう思います。
そろばんボランティア授業でたくさんの小学校に訪問させて頂いてきましたし、現在進行形でお伺いしております(15年でのべ200クラス以上です)。正直な感想を言えば「小学校・中学校は先生方の慈愛の心でなんとか踏みとどまっている」。これが現状です。
以上を総合して私なりの結論ですが
小学校への英語教育導入は大反対。
1つ目は、人的リソースが破綻状態なのに、これ以上教員の負担を増やしても授業の質は担保されない。どころか、疲弊した教員のみなさんのギブアップが始まるのではないかと考えるから(この点はツイッターでの議論では触れていません。後だしじゃんけんみたいですが、迫田様ごめんなさい)。
2つ目は、先に述べた理由から教育格差が拡大すると考えるから。
3つ目は、たとえ小学校の授業という限られた時間であっても教員から直接授与される学びの時間は多ければ多いほど良いものになることが期待できる。であれば、母語であり国語である「日本語」の授業時数を削ってまで英語教育を早期導入する必然性を感じない。
ということになります。ただし、
①人的リソースが完全に担保され ②現在の学校教育において他教科との連携がきちんと検証され ③現状の小学校英語教科書のようなものではなく、きちんと教育課程が吟味された教科書が用意され ④中学校への連環がきちんと整えられれば
私も小学校への英語教育の導入は賛成すると思います。
この点においても迫田様のブログは非情に読み応えがあり、気付かされる点も多く普段の私のままでは考えない視点をご教授いただきました。特に
「私は小学校での英語教育に反対なんじゃなくて、小学校で行う教育内容が増加することに反対している」ということです。(再掲)
この考え方に気付けたことはこの議論のおかげです。
このような機会を与えていただいた迫田様に謝意を示すとともに、こうした出会いを与えてくれるツイッターにも感謝します!
繰り返しになりますが、迫田様 貴重なご意見をありがとうございました。
さて、そこで私は「初等教育にこそ注力すべきだ。小学校への英語授業導入は大反対」と呟いたことに対してとあるかたにリプライをいただきました。そこから数度のやり取りの後に、「ツイッターでは文字数制限があるので、ブログにまとめますね」とのご意見をいただきました。
そのブログがこちら
※(迫田昂輝:さこだこうき様のnote・該当ページへとびます)
で、私はITリテラシーが低いので(笑)、申し訳ないですが、こちらのnoteを読んでいただいた前提でこのブログを書きたいと思います。
※以下>から始まる部分は、迫田様のブログからの引用です。
まず1点目
>「(小学校の)英語学習は国語力に影響はないので、導入した方がいい」(引用終わり)
これに関してはこの後のご意見とからめて論じることにします。
>ツイートのやり取りの中で、もりもりさん(ツイッターでのHN:筆者注)からこのような意見を頂きました。
まず、今回の議論の主軸は、あくまでも「小学校」での英語の授業導入についてであり「小学生」の英語学習とは切り離して考える必要がありますから、まず前半部の「小学校低学年の生徒にやらせようとしていることがあまりにも多すぎる」に関して、少し違和感があります。というのも小学校低学年の授業時間はこれまで何十年と変化していませんので、あまりにも多すぎるのであれば、それは今に始まったことではなく、英語と無関係なのではないかと思います。
しかし、これを「小学生」と解釈すると話は別で、非常に同意します。特に東京や大阪などの大都市圏では、幼少期からの「習い事」は凄まじいものです。鹿児島生まれ鹿児島育ちの迫田は東京に来た時にカルチャーショックを受けたほどです。
ただこれは、あくまでも小学校を出た放課後や休日の話であり、正規の小学校の授業内において、負担が増大するとは思えません。(引用終わり)
ここが一番の問題点であるんですよね。そうなんです。ここ何十年間「小学校での授業時間数」はほぼ増加していません(むしろ、週休二日制実施以前と比べると、総授業時間数は減少しています)。にも関わらず、小学校における「教科数」は増加しています。(「総合」「英語」)
これにプログラミング教育も開始するとなれば、「学ぶ種類」が増えるわけです。
私は長年そろばん教育に携わってきた経験から「高学力層は基本的に何をさせても吸収するが、高学力層以外はそうはいかない」と考えています。何度も繰り返し学びいわゆる「腑に落ちる」までやりきることでこそ、基礎的リテラシーは成長すると考えています。
理想論ですが、本来小学校ではこうした「基礎的な学び」こそが重視されるべきだと考えています。だからこそ、特に小学校低学年では「反復するための時間」が確保されることこそ何より重要だと考えるのです。国語と算数を削ってまで増やすべき学びはない。ここが私の考えです。
というわけで「英語学習が国語学習を阻害するというエビデンスを持ち合わせているわけではないが、小学校での貴重な学びの時間を英語学習に振り分けることで、結果的に国語の学びが手薄になるのではないか」というのが私の論の帰着点になりますかね。
2点目
>それでも迫田は、英語を小学校でやる意味が大きく3点あると考えています。
1.幼少期の英語習得の効率性
2.経済格差是正
3.やって無駄な勉強なんて1つもないという主観(以上引用終わり)
論点1と論点3は完全に賛同です。素晴らしいご意見だと思います。
論点2に関してはちょっと違った視点をもっていて
>後経済格差の拡大については、むしろ縮小に繋がらないか?と考えています。残念ながら、マクロ経済に関して詳しくないのでわかりませんが、これまで小学生が英語の学習をしようとした場合、教室や家庭教師などを利用する場合がほとんどでした。つまり経済的に恵まれている家庭の場合、子供の頃から英語に触れる機会が多かったわけです。それが小学校で英語学習がスタートすることにより、誰でも英語学習を低年齢からスタートできるようになるわけですから、教育の機会均等という点においては寧ろプラスなのではと思います。また、算数と違い、英語は独学に向いています。算数の出来・不出来は、それこそ家庭の経済力の差で決まる部分があると思いますが、英語はそこら中に無料または安価な教材が溢れていますので、やる気さえあれば、たとえ貧乏でもできるようになるでしょう。
だからこそ、経済格差による教育格差は広がると考えています。
例えば、藤原和博先生が杉並区立和田中学校で行った「夜スペ」は公立中学校の授業での限界を示しているという側面もあります。一般的なご家庭では教育にかけることのできる金額と学力は概ね比例(相関係数が高くなる)ことは、中室牧子先生の「教育経済学」でも述べられています。
さて、現在中学校の体育では「ダンス」が必修となっています。このことからダンス教室の入会者は激増しています。つまり、小学校から英語教育が教科として実施されれば、より低学年から英語教室に通う児童が生まれます。このことは「さらに質の高い教育を受けることができる層とできない層」の教育格差が広がることにつながると懸念しています。
3点目
>想定されるリスクと解決法
とはいえ、当然正しく運用しなければ、小学校の英語導入は意味のないものとなります。先ほど、
「そんなに意味の無いものなら、わざわざ導入する必要はないのではないか」という反論が予想されると書きましたが、小学校での英語学習を意味のないものにする要素はいくつかあります。
1.専門性を持った教師をどれくらい確保できるか
2.苦手意識を早期に植えつけてしまうことにより、逆に英語に対する苦手意識を芽生えさせてしまわないか(引用終わり)
ここ以降のお話は全面的に賛同です。
で、迫田様のご意見を頂戴して、私がない頭を絞って出た答えのひとつが
「私は小学校での英語教育に反対なんじゃなくて、小学校で行う教育内容が増加することに反対している」ということです。
教員のブラック労働が叫ばれて久しい中、これ以上教員の負担は増やすべきではないでしょう。もし本気で導入したいのであれば、全ての小学校に英語専任教員を確保してから実施すべきだと。少なくともそう思います。
そろばんボランティア授業でたくさんの小学校に訪問させて頂いてきましたし、現在進行形でお伺いしております(15年でのべ200クラス以上です)。正直な感想を言えば「小学校・中学校は先生方の慈愛の心でなんとか踏みとどまっている」。これが現状です。
以上を総合して私なりの結論ですが
小学校への英語教育導入は大反対。
1つ目は、人的リソースが破綻状態なのに、これ以上教員の負担を増やしても授業の質は担保されない。どころか、疲弊した教員のみなさんのギブアップが始まるのではないかと考えるから(この点はツイッターでの議論では触れていません。後だしじゃんけんみたいですが、迫田様ごめんなさい)。
2つ目は、先に述べた理由から教育格差が拡大すると考えるから。
3つ目は、たとえ小学校の授業という限られた時間であっても教員から直接授与される学びの時間は多ければ多いほど良いものになることが期待できる。であれば、母語であり国語である「日本語」の授業時数を削ってまで英語教育を早期導入する必然性を感じない。
ということになります。ただし、
①人的リソースが完全に担保され ②現在の学校教育において他教科との連携がきちんと検証され ③現状の小学校英語教科書のようなものではなく、きちんと教育課程が吟味された教科書が用意され ④中学校への連環がきちんと整えられれば
私も小学校への英語教育の導入は賛成すると思います。
この点においても迫田様のブログは非情に読み応えがあり、気付かされる点も多く普段の私のままでは考えない視点をご教授いただきました。特に
「私は小学校での英語教育に反対なんじゃなくて、小学校で行う教育内容が増加することに反対している」ということです。(再掲)
この考え方に気付けたことはこの議論のおかげです。
このような機会を与えていただいた迫田様に謝意を示すとともに、こうした出会いを与えてくれるツイッターにも感謝します!
繰り返しになりますが、迫田様 貴重なご意見をありがとうございました。