......ふぅぅーーーーんん......
なるほど......
須賀神社のあった腋上(わきがみ、わきかみ)という地名は......
ふぅぅーーーーんんん......
そういうことね。
と。
次回に続きまする(^^)
奈良県、御所市(ごせし)、
樋野(ひの)にある天安川神社(あめのやすかわじんじゃ)さん。
権現堂古墳(ごんげんどうこふん)と呼ばれる古墳の中にあります。
こちらにいらっしゃいます神様は、以前
「やらかすよね。」という僕さんの大失態談記事で記した通り、
あの「オシテ文字(ヲシテ文字)」を作り、
使っていたという先史時代のこの地の王「オシテの神(ヲシテの神)」様。
皆に知られる名前では「天之尾羽張(あめのおはばり)」、
もしくは「伊都之尾羽張(いづのおはばり)」、
「十握剣(とつかのつるぎ)」。
なぜか!?トマトが大好き♡という神様。
この地の神となった後に、人々が食べているのを見て興味が湧き、
ちょっとつまんで食べたところ大ファンになってしまったのだと。
なんだこの舶来モノは!?うめぇなぁ、と。
そんな感じだったらしいのですけど。
どこかお茶目な!?スサノオさんにも似た感じのおおらかな神様。
そして、そんな神様の数多い家臣さんや眷属さんの筆頭が
「土屋さん」という方でして。
一度、僕さんがこっぴどく怒られた方。
しかし、しかし、何よりも。
そんな神社の皆様こそが!
僕らポンチキーズが決死の思いで頑張った四国は剣山の旅路において、
黄泉(よみ)から迫りくるモノモノから
終始僕らを守ってくれていた恩義ある方々なのです。
みゆきちゃんの一言から、四国の前にこの地に来てしまったのは、
「そんな必要も必然もあったのかもしれないなぁ、、、」
なんて。
今でこそ思うわけなのでやんすけど......
なので!
以前は多摩川に流した美味しい塩むすび!を!
四国旅警護のお礼も兼ねて!
持ってきたのでやんす!
失礼した節は失礼いたしまちたァァ! & Thanks♪\(*´▽`)o゚★,。・:*:・☆゚
今回も24個!
キッチリと!
ミミを揃えて!
以前、Mさんが言っていた通りに!
小ぶりな俵形(タワラがた)で仕上げてきまちたァァ!
どぉーーぞぉぉ!
おめしあがれあそばせませぇぇーーっ!
後でワチキらが全部下げて食べますけんご安心おぉぉーーー!
実は、奈良に来る前日の夜にコニャ(奥さん)と一緒に、
心を込めて一生懸命握ったおむすびなんすの。ええ。
大きさはお寿司みたいだなぁ、とか、何とか言いながら。
美味しいお塩でシンプルに。
海苔の佃煮もお付けして。
この地のトップの神様.....
オシテの神様のトレードマークの白いハチマキと。
好物のトマトと。
家臣の皆さんや女神さん達へのお酒とお茶と。
アメノウズメ(天鈿女)さんの扇と。
プリリンねーさんが持ってきたリンゴさんと。
「なぜそんなモノを!?」
という方は上記にもテキストリンクしている
「やらかすよね。」という記事の方にまで。ええ。何卒。
それは、この地での恥ずかしい失敗談ではありますが、
この出来事のおかげで筆頭家臣の土屋さんとも
仲良くさせてもらえるようにもなりまして。
この地の皆さんは礼節に篤く、
とても強くて優しい方々なのでございます。
今回は赤い色が大事とも伺っていたのですが、
赤とは魔除と血の繋がりや絆を表す色でもあって。
ここに来る前に立ち寄った須賀神社のホッタの神様は、
もしかしたら、オシテの神様の近くに控える、脇に控える、
右腕的な辣腕の神様であったのではないでしょうか。
故に、大神様の脇におられる神様。ワキの神。わきがみ。掖上。
須賀神社さんのある地の名前の真の由来ではないか?と。
ホツマの神とホッタの神。
神武天皇以前の神。
そんな感じでしょうか。
神々から伺うに、両神はとても仲が良かったと。ええ。(^^)
さて。最後に。
この奈良県、御所(ごせ)の地には、
現在の日本国を創生したと伝わる初代天皇、
神武天皇(じんむてんのう)にまつわるこんな伝説が残されています。
日本書紀における「神武記」の最後部分の記述となりますが......
==================================
皇輿(すめらみこと)巡幸(めぐりいでま)す。
因(よ)りて腋上(わきがみ)の嗛間(ほほま)の丘に登りまして、
国状(くにのさま)を廻(めぐらし)望(のぞ)みて曰(のたま)はく、
「 研哉(あなにや)、国を獲(え)つること。
内木綿(うつゆふ)のまさき国と雖(いへど)も、
蜻蛉(あきづ)のとなめの如くにあるかな」
とのたまふ。
是に由りて、始めて秋津洲(あきづしま)の號(な)有り。
==================================
かなり平たい文章にしますと......
==================================
神武天皇は東征を終えて、
橿原(かしはら)の地で即位した後、
腋上の嗛間の丘(わきがみの、ほほまのおか)に登り、
自分の国を見渡し、
「私はなんと良い国を得たものか。
この国は狭いかもしれないが、
蜻蛉(とんぼ)が交尾をしているように連なった山々に囲まれた、
とても素晴らしい地だ」
とおっしゃいました。
その時から、この国は「あきつしま」と呼ばれる様になりました。
==================================
この部分が、いわゆる「国見神話」。
「国見」という言葉にまつわる古事。神話。
そして、この神武さんが国見をしたと伝わる場所が、書には
「腋上の嗛間の丘(わきがみの、ほほまのおか)」
と記されています。
現在、この地には二つの候補がありまして。
どちらも奈良県、御所市(ごせし)にある地ではあるのですが、
一つは、その名の通り「国見山」。
此方には何かを狙った!?石碑も立てられているようですが......
もう一つは、
今回記した須賀神社のある掖上(わきがみ)の本馬山(ほんまやま)。
登山道すら無い、誰も登れなくなってしまっている山。
いかがでしょうか。
神武さんが国見をした地というのは、
きっと......
でしょうか。ね。
スサノオ(素戔嗚、須佐男)さん曰く......
「奈良の須賀神社と出雲の須我神社が繋がるよ......」
......全て、
徒然なるままに書き記しております。(^^)
☆関連過去記事はこちら☆
「小山徒然」
「御所徒然」
「ツカヘイさんの予告」
「やらかすよね。」(全7話)
「橿原徒然」
なるほど......
須賀神社のあった腋上(わきがみ、わきかみ)という地名は......
ふぅぅーーーーんんん......
そういうことね。
と。
次回に続きまする(^^)
奈良県、御所市(ごせし)、
樋野(ひの)にある天安川神社(あめのやすかわじんじゃ)さん。
権現堂古墳(ごんげんどうこふん)と呼ばれる古墳の中にあります。
こちらにいらっしゃいます神様は、以前
「やらかすよね。」という僕さんの大失態談記事で記した通り、
あの「オシテ文字(ヲシテ文字)」を作り、
使っていたという先史時代のこの地の王「オシテの神(ヲシテの神)」様。
皆に知られる名前では「天之尾羽張(あめのおはばり)」、
もしくは「伊都之尾羽張(いづのおはばり)」、
「十握剣(とつかのつるぎ)」。
なぜか!?トマトが大好き♡という神様。
この地の神となった後に、人々が食べているのを見て興味が湧き、
ちょっとつまんで食べたところ大ファンになってしまったのだと。
なんだこの舶来モノは!?うめぇなぁ、と。
そんな感じだったらしいのですけど。
どこかお茶目な!?スサノオさんにも似た感じのおおらかな神様。
そして、そんな神様の数多い家臣さんや眷属さんの筆頭が
「土屋さん」という方でして。
一度、僕さんがこっぴどく怒られた方。
しかし、しかし、何よりも。
そんな神社の皆様こそが!
僕らポンチキーズが決死の思いで頑張った四国は剣山の旅路において、
黄泉(よみ)から迫りくるモノモノから
終始僕らを守ってくれていた恩義ある方々なのです。
みゆきちゃんの一言から、四国の前にこの地に来てしまったのは、
「そんな必要も必然もあったのかもしれないなぁ、、、」
なんて。
今でこそ思うわけなのでやんすけど......
なので!
以前は多摩川に流した美味しい塩むすび!を!
四国旅警護のお礼も兼ねて!
持ってきたのでやんす!
失礼した節は失礼いたしまちたァァ! & Thanks♪\(*´▽`)o゚★,。・:*:・☆゚
今回も24個!
キッチリと!
ミミを揃えて!
以前、Mさんが言っていた通りに!
小ぶりな俵形(タワラがた)で仕上げてきまちたァァ!
どぉーーぞぉぉ!
おめしあがれあそばせませぇぇーーっ!
後でワチキらが全部下げて食べますけんご安心おぉぉーーー!
実は、奈良に来る前日の夜にコニャ(奥さん)と一緒に、
心を込めて一生懸命握ったおむすびなんすの。ええ。
大きさはお寿司みたいだなぁ、とか、何とか言いながら。
美味しいお塩でシンプルに。
海苔の佃煮もお付けして。
この地のトップの神様.....
オシテの神様のトレードマークの白いハチマキと。
好物のトマトと。
家臣の皆さんや女神さん達へのお酒とお茶と。
アメノウズメ(天鈿女)さんの扇と。
プリリンねーさんが持ってきたリンゴさんと。
「なぜそんなモノを!?」
という方は上記にもテキストリンクしている
「やらかすよね。」という記事の方にまで。ええ。何卒。
それは、この地での恥ずかしい失敗談ではありますが、
この出来事のおかげで筆頭家臣の土屋さんとも
仲良くさせてもらえるようにもなりまして。
この地の皆さんは礼節に篤く、
とても強くて優しい方々なのでございます。
今回は赤い色が大事とも伺っていたのですが、
赤とは魔除と血の繋がりや絆を表す色でもあって。
ここに来る前に立ち寄った須賀神社のホッタの神様は、
もしかしたら、オシテの神様の近くに控える、脇に控える、
右腕的な辣腕の神様であったのではないでしょうか。
故に、大神様の脇におられる神様。ワキの神。わきがみ。掖上。
須賀神社さんのある地の名前の真の由来ではないか?と。
ホツマの神とホッタの神。
神武天皇以前の神。
そんな感じでしょうか。
神々から伺うに、両神はとても仲が良かったと。ええ。(^^)
さて。最後に。
この奈良県、御所(ごせ)の地には、
現在の日本国を創生したと伝わる初代天皇、
神武天皇(じんむてんのう)にまつわるこんな伝説が残されています。
日本書紀における「神武記」の最後部分の記述となりますが......
==================================
皇輿(すめらみこと)巡幸(めぐりいでま)す。
因(よ)りて腋上(わきがみ)の嗛間(ほほま)の丘に登りまして、
国状(くにのさま)を廻(めぐらし)望(のぞ)みて曰(のたま)はく、
「 研哉(あなにや)、国を獲(え)つること。
内木綿(うつゆふ)のまさき国と雖(いへど)も、
蜻蛉(あきづ)のとなめの如くにあるかな」
とのたまふ。
是に由りて、始めて秋津洲(あきづしま)の號(な)有り。
==================================
かなり平たい文章にしますと......
==================================
神武天皇は東征を終えて、
橿原(かしはら)の地で即位した後、
腋上の嗛間の丘(わきがみの、ほほまのおか)に登り、
自分の国を見渡し、
「私はなんと良い国を得たものか。
この国は狭いかもしれないが、
蜻蛉(とんぼ)が交尾をしているように連なった山々に囲まれた、
とても素晴らしい地だ」
とおっしゃいました。
その時から、この国は「あきつしま」と呼ばれる様になりました。
==================================
この部分が、いわゆる「国見神話」。
「国見」という言葉にまつわる古事。神話。
そして、この神武さんが国見をしたと伝わる場所が、書には
「腋上の嗛間の丘(わきがみの、ほほまのおか)」
と記されています。
現在、この地には二つの候補がありまして。
どちらも奈良県、御所市(ごせし)にある地ではあるのですが、
一つは、その名の通り「国見山」。
此方には何かを狙った!?石碑も立てられているようですが......
もう一つは、
今回記した須賀神社のある掖上(わきがみ)の本馬山(ほんまやま)。
登山道すら無い、誰も登れなくなってしまっている山。
いかがでしょうか。
神武さんが国見をした地というのは、
きっと......
でしょうか。ね。
スサノオ(素戔嗚、須佐男)さん曰く......
「奈良の須賀神社と出雲の須我神社が繋がるよ......」
......全て、
徒然なるままに書き記しております。(^^)
☆関連過去記事はこちら☆
「小山徒然」
「御所徒然」
「ツカヘイさんの予告」
「やらかすよね。」(全7話)
「橿原徒然」
この度も疾風のように
あちこちを巡られて
おつかれさまでした。
叱られた方々へも
お供えをもって
敬意をあらわされること
導かれる場所へ
都合を合わせて行かれること
すごいこと!と感心しながら
読ませていただいています。
今も残る地名というのは
古い時代を、知る手がかり?!に
なるのかな。
とても古くからある地名には、何か、そこに、
歴史が刻まれていたりしますよね(^^)
その周りの方々とか、眷属の方々とか、精霊さんとか、
そういった方々はいつも厳しいっす。ええ。
神々やその地を守らないといけませんので。
特に慢心系の過ちが一番怒られまする。ええ。
他にもこんなとこでは書けないような経験は沢山あるっす。
だから、まともな人には想像もつない世界だと思いますし、わからないと思います。
そして、この方のこの言葉はそんな世界における大きな愛を含めた言葉です。
浅はかな僕への戒めの言葉でもあります。
「そんな迂闊では、この世界、命がいくつあっても足りないぞ」
この言葉の真意はそういうことであり、また、
紛れもなく僕を助けてくれたものでもありますので。
こんな言葉と共に、必ず、いつも裏で大きな助力をしてくれるような方でもあります。
そこは、ここに明記しておきます。